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はてなキーワード: 三段論法とは

2012-01-05

三段論法

三段論法は「大前提」、「小前提」、とそれから導かれる「帰結」の3つから出来ています

大前提、小前提はそれぞれ含意を含む文です。

含意とは

「AならばB」

と言った文(命題)です。(この「ならば」も自然言語のならばとは意味が異なります。気になる人は「実質含意」で調べてください)

上の例だとAを前提(仮定)とよび、Bを帰結(結論)などと呼びます

三段論法においては、

大前提」:BならばC

「小前提」:AならばB

「帰結」:AならばC

こうして、「大前提」と「小前提」から「帰結」を導くものです。

「小前提」の帰結が「大前提」の前提である必要があります

◯例

大前提:(全ての)人間ならば死ぬ。

小前提:ソクラテスならば人間である

結論: ゆえにソクラテスは死すべきものである

もちろん三段論法が成り立つためには、

「AとBが成り立つ事」、「AならばBが成り立つ事」

「Cが成り立つ事」、「BならばCが成り立つ事」

のすべてが成り立っている必要があります

上の場合大前提の(全ての)はポイントでこれが数人ならとかなら成り立つとは限りません。(これもちょっと考えればわかることですね)

2011-05-30

議論とは何か

議論とは

議論とは、共通の前提と異なる結論をもつ二者が、共通の前提までさかのぼって主張を検討しなおすことにより、一致する結論を導けるかを検証する作業である

論理性と説得力──主張を評価するための2要素

主張は論理性と説得力から評価される。

論理性とは、主張が「AならばBである」「Aである」「よってBである」という三段論法連鎖構成されていること。

説得力とは、「AならばBである」「Aである」それぞれが、共通の前提から妥当だと評価できること。

これらを感覚にわかっている人とは、建設的な議論ができるように思う。

2011-04-27

女ってめんどくさくないか

運転下手くそだし、

歩いてても邪魔だし、

自分の事は棚に上げて文句ばっか言うし、

キレながらテンション上がって、余計にキレてくるし、

三段論法すら理解できないし

その癖、ちゃんと話をしないって泣き出す。

 

あー、もうめんどくせえええええええええええ。

2011-02-11

数学は方法

東大数学博士に学ぶ数学世界 - 「数学は方法である」をめぐる談義

http://t.hash.bz/archives/2526249.html

読んで違和感を感じたことをいくつか。

一応言っておくと、僕はだいぶ昔に京大数学博士をとった。

身内にばれるのがいやなので、ここで書く。

目次

まとめ
科学とは何か
数学とは何か
「沈没系思考」とは何を言いたいのか
数学は方法である」とは何を言いたいのか
最後

まとめ

しい人が多いだろうから最初にまとめを。

数学」に対しては、見る立場によっていろんな見方ができる。

しかしなぜか(どうしてなのかは誰も分からないはず)

数学という方法を使うと世の中はうまく理解でき、予測ができる。

このあたりの問題は数学をいくら勉強しても分かるようになるわけではなく、

どちらかと言えば科学哲学の分野。

科学とは何か

議論を始める前に、科学とは何かという基礎知識が必要だと思う。

科学とは何かという問いは難しい問いだけど、

などがある。

例えば、科学と聞いて原子爆弾原子力発電所パソコンテレビ蛍光灯などを思い浮かべる人もあると思う。

iPhoneを見て「科学ってすごい」と思ったりするかも知れない。

これは科学という言葉製品そのものを指したり、それを作るための技術を指したりする場合

科学はなぜかそれらの製品を作ることにも応用できる。

それがなぜなのかは誰も分からない。

しかし、科学目的はそれだけではない。

一時期、「科学技術」か「科学技術」かでもめたことがあった。

今もそうなのかもしれないけれど。

科学にそれらの「技術だけ」を求めている人にとっては、「科学技術」なのかもしれない。

しかし、繰り返すが、科学目的はそれだけではない。

いや、「科学目的技術はない」と言っても良いと個人的には思う。

技術屋さんは科学を利用しているのであって科学を学んだり研究しているのではない。

科学目的は別の所にあると思う。

では、科学目的は何か。

いろんな意見があるかもしれないが、ここではいわゆる「理論」を作ることとしておこう。

では「理論」とは何か。

それは「現象を理解する方法」である

例えば、万有引力法則を考えてみよう。

今、「りんごが木から落ちる」という現象がある。

それはなぜか、理解したい。

いわゆる理論提唱される。

それは正しいかもしれないし、正しくないかも知れない。

しかしその現象を理解する一つの方法を提案する。

その理論はいくつかの長所を持っている

その理論を使えば、どれくらいの早さで落ちるかという予測ができるようになる。

それだけではなく、「りんご地球がひきあっていると考えれば理解しやすい」ということも分かる。

理論がなければ「りんご地球を引っ張る」という発想は生まれにくいだろう。

そのような新しい見方ができるようになる。

繰り返すが、それは正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。

しかし、一つの理解する方法を提供する。

では、どうした自然に現象を理解できるか、ということが問題になるだろう。

実験という方法や、検証という考え方も自然に出て来る。

それらの方法を指して科学と呼ぶこともある。

このようなことを繰り返しているうちに、理論には一つのパターンが現れていることに気がつく。

それが、論理である

そして多くの場合論理数学は同一視される。

宇宙数学言葉で書かれている」と言った人があるらしいが、

数学は多くの理論自然な形で現れる。

そこで、次に数学とはどのような形をしているかを見ていこう。

数学とは何か

ここでは、証明とは何か、公理定義定理の違い、などについて説明する。

三角形内角の和が180℃であることを証明したいとしよう。

証明とは何だろうか?

たい言葉で言えば「間違いないと確信できる証拠」ということだろう。

例えば「彼女浮気していた証明」など、その人は「確信」するかもしれないが、

本当にそうかどうかは究極の所分からないだろう。

例えば、AだからBで、BだからCだ。

と言っても、Cが本当に正しいかどうかは分からない。

そこにはいくつかの危うさがはらんでいる。

最初の例では、「論理」が正しいかという問題である

三段論法は本当に正しいのか?

しかし、これを疑い出すときりがない。

次に、「AだからB」「BだからC」「A」などは正しいか?

何かを証明したいのは、正しいかどうかがハッキリしないからだろう。

そこで、正しいことから論理」を使ってそれが導ければ正しい確信できるだろう。

では、何を持って「正しい」とすれば良いのか。

場合によっては「私が正しいと思えればそれでいい」かもしれない。

しかし、誰でも正しいと信じられるものはめったにない。

そこで、数学では「最初にこれを正しいと仮定しましょう」とする。

この最初に正しいと仮定するものを公理という。

そしてその公理から論理」を使って導かれたものが定理である

その中で名前をつけるそれが「定義である

時々「公理が正しければそこから導かれた定理は正しい」と言ったりするが、

厳密に言えば「公理が正しく、論理も正しければ、そこから導かれた定理は正しい」となるだろう。

しかし、そうやって考えている論理は正しいのか?という疑問も起きる。

そこで、最初に正しいとこれはしましょうというできるだけ公理を定める。

論理公理に含めて公理と思うのが良いだろう。

こうして、導かれた定理がどれだけ信じられるかは、

公理がどれだけ明らかであるかによることになる。

もちろん公理が少ないほど導かれた定理が信じられるだろう。

数学とはこういう形をしている。

そうすると、科学理論もそういう形をしているということである

現象を理解するために、何か仮定を置く。

それを数学公理と見なして、数学的にいろんな定理を導く。

その定理をまた解釈して予測する。

実験によって予測が正しければ、

「その仮定」も「数学」もきっと正しいだろうと信じられるわけだ。

数学という学問理論の中からそのような「仮定」「実験」「予測」を取り去ったものだ。

時々、数学者は全く役に立たないことをやっていると言われることがあるが、

数学という学問には「役に立たせる」という目的はない。

それを使う人が「役に立たせる」だけのことである

「沈没系思考」とは何を言いたいのか

ブログの記事に戻ろう。

「沈没系思考」という言葉でこの人は何を言いたいのだろうか。

「一歩目から躓く」という表現からして、

上で書いたような「仮定」「公理」の部分でつまづいているのだろう。

つまり普通感覚で言えば、「数学」というものを使って理論を組み立てようとは思わない。

数学はとても抽象的だから

しかし、様々な理論に共通に現れているため、その部分を抜き出し、洗練させてきたのが数学から

それを使う人にとっては、数学を利用することはある意味はとても不自然なことになってしまう。

最初はその不自然さを受け入れる勇気が要るだろう。

別の言葉にすれば「数学に対する素直さ」である

僕の周りの数学者はこれらにとても慣れているので、

しいモノを定義した時にも素直に受け取ってくれる。

数学とはそういうものであることを知っているからだ。

この時、僕はベクトルの使われ方、柔軟性に驚いた。

要するに、対称が何であろうとも「ベクトル」にしてしまえば後は「ベクトル」を扱う数学世界ルールで加工することができて、

そのアウトプットをまた現実世界に落とし込んでくれば、

現実世界の事象に関して何らかの知見が得られる、というわけだ。まさに数学は方法、である。すげぇ。

正直なところ、「何を今更」と言いたいところであるが、

しかしたら多くの人の理解はこんなものなのかもしれない。

数学は役に立たない」とか言っている人の理解もそうなのかもしれない。

科学が強力な力を持っているように、数学科学理論の中で強力な武器である

この重要性はもっと声を大にして叫ぶべきなのかも知れない。

一般に学習者の目に触れる「数学」は、これらの個別具体化された「数学理論」であり、

その奥底にある数学世界の深遠さ、柔軟さ、恣意性にはほとんど気付く機会がない!

かに数学についてある程度理解していて、それを客観的に見られるだけの余裕がないと、

数学の強力さはよく分からいかも知れない。

ふむ、これを、どうしたら伝えられるのだろうか?

数学は方法である」とは何を言いたいのか

しかし、いくつかの誤解もあるようだ。

公理はその内部で論理的に矛盾していなければ(たぶん)どのようなものを定めてもよく、一緒に使われない複数の公理が相互に矛盾することもふつーにあり得る。

そして「定義」は、これから議論しようとする具体的内容、適用しようとする世界に都合の良いものを定めることが出来る。

かに数学では、どのような公理を定めてもよい。

しかし、そこから導かれた定理およびその解釈が、現実予測に合わないのであれば意味がない。

数学そのものの正しさは誰も疑わないだろう。

ならば、もし予測に合わないのであれば、その最初の決めごとが不適切であったということになる。

最初に現象を数学的にモデル化する。

ここで「なぜ」と問うことは意味がない。

「そうするとうまくいくから」としか答えようがない。

逆に言えば「そうするとうまくいくことを示す」必要がある。

もう少し厳密に考えてみよう。

例えば万有引力法則では各惑星質量はあるが大きさはない質点と見なす。

「どうして?」と問われれば「そうするとうまく行くから」というのは一つの答えだ。

しかしもう少し言えば、

「そう仮定しないと計算が難しすぎる。そう仮定すると計算が簡単になる。

 そしてその仮定した結果でもそれなりに精度の良い予測ができる。

 ならば現実問題としてはそのように仮定するのは許されるのではないか。」

ということだ。

これは「数学からの要求」と言えるだろう。

数学」を知らないと、この「数学からの要求」があることが理解できない。

からまた、最初に「なぜ?」と問うてしまうのだと思う。

最後

数学は強力な武器ではあるが、習得するのに時間がかかる。

から、ある意味必殺技のようなものかも知れない。

そして、その個々の必殺技はかなり用途が限定される場合が多い。

しかし、数学モデルという抽象化という考え方そのものが、

もたらす恩恵は莫大である

それは「科学」を学んだ人とそうでない人の違いのようなものだ。

数学というと「ベクトル」とか「線形代数」とかそういうものを想像するかも知れないが、

抽象化した見方ができるようになるというのが、実は一番大切だと思う。

2011-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20110202222452

元増田。あー…なるほどね。

論を張るときってのは、

AはBである

BはCである

よってAはCである

って進めるのが基本なわけよ。

うん、論理はそうなっているが、これって、要するにCが結論でAやBが理由だろ?卒論では、「結論を先に書く」、つまり、「Cである。その理由は、A→B→Cだからである。Aが言えることはxxから分かる」っていう書き方をしろ、と習ったよ。だから、どの段落も、なるべくCを一番最初に書いているつもり。

この三段論法でA→Cを帰結するというのが、1つの論理操作」(論理演算、といった方が分かりやすかったか)だと思っている。そして、「時間あたりの論理操作能力」というのは、基本的には「時間あたりに演算できる回数」と同じような意味で使っている。じゃぁ、なんで「論理演算」と書かなかったかというと、無意味な結論Cをいくらたくさん帰結しても、それは能力が高いとは言わないからだよ。Aが与えられたときに、有意義な結論Cと、そこに至る道筋Bを即興で組み立てることのできる能力を「論理操作能力」という言葉で刺したつもり。「操作」は、英語だとoperationの意味で使っている。一回の操作が"an operation"、複数の操作が"operations"。

なんだよ、「論理操作能力」って。

せめて「論理情報操作能力」とかだろ?

だいたい、「頭の回転が速い」って置き換えれるなら、

「頭の回転が速いヤツとは議論するな」でいいじゃん。

「頭の回転が速い」は曖昧から、単に「頭の回転が速い」っていう言葉を使ったら、それぞれの読み手が勝手想像で「頭の回転が速い」っていうのを想像するだろ。俺の考える「頭の回転が速い」と、お前の考える「頭の回転が速い」は違うだろ。定義を追記で与えたのは悪かったが、どうやら、単に「頭の回転の早い」よりも厳密な概念を伝えようとしているようだ、ということはお前にも伝わっただろ。

2011-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20110119014404

売春婦がレイプされた」と

一般人レイプされた」じゃインパクトが違って当然だろ。

レイプされる危険リスクに対する補償売春婦の給料に含まれてるんだから

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一般人が銃撃で殺された」と

「兵士が銃撃で殺された」じゃインパクトが違うのと同じ。

殺されるリスクに対する保証も兵士の給料に入っている。

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フランチェス子が売春婦だということ隠してたのだって

ミニスカート売春婦。売春婦はレイプされても仕方ない。だからミニスカレイプされても仕方ない」

の曽野三段論法に対して、

売春ですレイプされました

じゃ全く反論になっていない(むしろ曽野三段論法を補強する)ことを自覚してたからだろ。

2010-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20101101134321

ハロウィーンではお化けの仮装をする

ハロウィーン日本浴衣を着るアメリカ人がいる

・よってアメリカ人にとって浴衣お化けである

素晴らしい三段論法

ハロウィーンスーパーマンの仮装をしている人はスーパーマンお化けだと思っているわけですね。

2010-09-05

親は子供を思うが故に「善意差別者」となる

あなたは被差別部落結婚しないでね、と何気なく母親に言われ、

大げんかをした、正義感に溢れる娘。

しかし、娘のやり方は完全に間違いだったと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20100904050444

なぜなら、母親世界中の誰よりも、常にあなたの味方なのに、

あなたは母親よりも被差別部落の味方だから。

母親の考え方は、おそらくこうだ。

1. 娘には、なるべく苦労はして欲しくない。

2. 被差別部落の人と結婚すると苦労しそうだ。

3. よって、娘には、被差別部落の人と結婚して欲しくない。

明確な三段論法

ここで娘が反論したい場合、主張すべきことは一つ。

「2.のソース出せ」。

そして自分は2.の反論材料となるソースを提出すること。

これだけで片付く話。

親の愛情からの行為を踏みにじる必要はない。

ただ、親の認識時代錯誤なら、そのソースを明確にした上で

訂正してあげればいいだけのこと。

しかし2.に反駁できるだけのソースってあるのかな?

2010-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20100825001314

「一度きまった罰をくだされれば、それで許されるから」と言ったのはあんただ。

そして「罰がくだされる」ことが死ぬまで終わらないのは死刑終身刑も同じだ。

よって極めて単純な三段論法により、死刑終身刑も同様に「死ぬまで許されない」ことになる。

以上証明終わり。もう少し考えてからしゃべれよ。

2010-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20100615101440

はいはい、三段論法批判を書いたものですよ。

あなたの理屈なら、危険性をきちんと教えればそれでよくて、「禁止」など必要ないとなりませんか?

はい、その通りです。

極論を言うなら、本来は禁止しないで危険性をちゃんと教育すべきであると考えます。

ご指摘の通り、現在日本では酒タバコは20歳以下禁止です。

しかし、日常的に高校生たばこを吸う光景はよく見かけますし、大学生が一気飲みなどで死ぬケースもよくあります。

法律で縛ったところで、100%の禁止はなかなか難しいものです。

若年層には○×を禁止するという施策は有効性を持たないことは、まさにこの酒タバコの例が証明してくれるかと思います。

例えば、18歳未満セックス禁止という法を制定したとして、何が起きるか考えてみましょう。

タバコは入手ルートを絶つことである程度禁止できますが、セックスはどこでも出来ます。性欲は禁止されても消え去りませんので、結局今のようにやりまくるでしょう。

しかし、18歳未満はコンドームの入手ルートも絶たれています。禁止されてますから。

結果、望まない妊娠性感染症未成年蔓延することになります。へたすりゃ、今よりも酷くね。

というわけで、未成年者を守るためには、それが当たり前に存在することを前提に、教育をしっかり施すことであるという結論に返ります。

しかしまあ、なんでみんな教育は嫌がるんでしょうね。

http://anond.hatelabo.jp/20100615015032

元の三段論法批判を書いたものです。

議論にのってくれてありがとう。

さて、13歳に自転車に乗る危険性を教育できる。

しかし、セックスする危険教育できない。

そんな馬鹿なこと、あるのかな。

100%に避妊ができないように、100%無事故の運転はできません。

避妊を必ずすべきであると教育し、避妊具を配布したとして、中学生妊娠する確率自転車に乗って事故を起こす確率とどっこいどっこいでしょう。

けど、残念ながら中学生の望まれない妊娠は多くあります。

問題は、避妊を正しくすべきであるという性教育を行えないことにあるとは、なぜ思わないんでしょう。

私は石原慎太郎純潔教育には反対するものですが、それは彼らが性教育を否定する立場に立っているからです。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%E3%B7%E9%B6%B5%B0%E9

ジェンダーフリー反対で有名になった「七生養護学校事件」のケースを参考にしてください。詳しく書きたいけど眠いのでごめん。

「やるな」と教育したって、やるやつはやるよ。だって性欲あるもん。

それより、なんで安易なセックス危険なのか、なんで避妊は大事なのか、それを教えた方が効果はあります。

私の知っている限り、13歳にセックスさせるべきというフェミはいません。

13歳もセックスする可能性を考えて教育すべきというフェミならいると思いますが。

そのあたり、フェミへの偏見から違うものを見てはいませんか?

2010-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20100613233410

13歳は性行為の責任がとれない

13歳は性行為はしちゃダメ

純潔教育すべし

三段論法が間違ってるんだよ。

その理屈だと、13歳は自転車にも乗れないよ。

2010-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20100318090542

うーん。既存の学問が気に入らないなら、印象ではなく、パターン整合性のある事実を積み重ねて批判してチャレンジしてほしいでござる。

>君の言った三段論法がその骨子なら、論理におっきな穴が開いてるでしょ?

だからその穴って何なのよ。腕力即権力じゃないということは説明したと思うが。

2010-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20100305133620

生きていくためには稼がにゃならん、

稼ぐことはとても大変な事

ゆえに

生きていくことはとても大変、

この三段論法破綻している時代になったんだと思います。

生き死にという二者択一と、

さまざまなバリエーションや可能性がある生活の混同が

議論をややこしくしているんだなぁと。

生活保護で支払われている金額と、ワーキングプア賃金を並べる議論って、

命に関わる医療費は認めても、心に関わる医療費(?)は認めないし。

2010-02-16

三段論法

低学歴は生きる価値が無い、私は低学歴である、故に私は生きる価値が無い

2010-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20091207011640

「男は全てケモノである」

ケモノは排除すべきである」

「よって、ケモノたる男は全て排除すべきである」

という三段論法に対する反論として、

「男は全てケモノではない」「ケモノは排除すべきであるとは限らない」という、ケモノではない男の反論は聞いてもらえないのだろうか。

 

あと、性的トラブルに対しては、男だって自衛してる。だから、女だけに自衛を要求されるのは差別だ、という議論はおかしい。

男や国にだってもちろん自衛しない権利がある。けれど普通は、自衛しなかったが故の結果に対しては、それを選んだ者が責任を負う。

たしかに、そこで女や相手国を排除しろとか虐げられたとか権利侵害だとか言う奴も居るには居るけど、それは変だろというのが一般的な感覚だと思うんだけどな。

2009-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20091218232733

1.ネトゲ廃人になるには一日13時間以上の自由時間が必要だ

2.社会人になるには1日13時間以上の自由時間が必要だ

ネトゲ廃人社会人ではない。

3.社会人ではない人はニートである


以上をまとめると、

ネトゲ廃人社会人ではない。社会人ではない人はニートである。」

ネトゲ廃人ニートである。

これは三段論法という。

A→BかつB→CならばA→Cという論理

ネトゲ廃人社会人ではない人

社会人ではない人→ニート

から、

ネトゲ廃人ニート が導かれる。

2009-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20091216092637

遅くなりました。

A・自分は特別な寛容が与えられるべき特別な人間である

B・特別な人間である自分には特別な寛容が与えるべきである。

これなんですが、論理学ではそこそこメジャー三段論法的はこんなかんじ

「全称肯定判断」で構成するとこうなります。

大前提:すべての人間は死すべきものである。(M-P:すべてのMはPである)

小前提:ソクラテス人間である。(S-M:すべてのSはMである)

結論: ゆえにソクラテスは死すべきものである。(S-P:すべてのSはPである)

この例で言えば、全ての人間は死すべきものである、というのは、現状で例外なく観測される事実です。

(これにも、現状で観測されているだけの事実に過ぎないとの意見もありますが)

また、ターミネータ世界でもない限り、自分人間である、はアプリオリとしてよいでしょう。

この前提には妥当性があり、論理破綻していません。


それにあわせると

大前提:すべての特別な人間には特別な寛容が与えられる(M-P:すべてのMはPである)

小前提:自分は特別な人間である(S-M:すべてのSはMである)

結論:ゆえに自分には、特別な寛容が与えられる(S-P:すべてのSはPである)

となると思います。

前提が間違っていれば、当然論理としては破綻すると思うのですが。

ここで、前提の「妥当性」の検証なくして、論理破綻していない、と語ってよいものでしょうか?

2009-10-04

[]10月4日 地獄のロード/事実認定

こんばんは。修習生増田です。

極楽のような二連休から、一気に地獄に突き落とされる1週間が始まります。

まあ任官志望者以外はそこまで根詰めない人も多いでしょうけど。

今、僕たちは主に事実認定というものを学んでいます。

あれ?法律じゃないの?と思われたかも知れません。

しかし、法律を適用するには、まず事実を確定しなければなりません。

事実法律を適用することによって、法律の条文に書いてある効果が発生するのです。これを法的三段論法と言います。

司法試験までは、事実は問題文で確定していました。

ですが、実務、特に裁判では、様々な証拠から事実を確定していくという作業を行っていきます。

つまり、裁判官にならない法曹でも、どのような証拠を提出して裁判官を説得するか、そういう意味事実認定というのが重要になってきます。

では、事実認定というのはどのように行うのでしょうか。

民事裁判でも刑事裁判でも、自由心証主義といって、裁判官が証拠に基づいて自由に判断していいのが原則です。

もっとも、自由を謳ってはいても、完全に自由であることを許容するものではなく、経験則論理法則に基づいた合理的な判断が要求されます。

これに従わない判決は、上訴で破棄されます。

たとえば、売買契約を結んだのなら、売買契約書を交わすだろうという経験則があります。

ならば、証拠として売買契約書が提出されたのなら、売買契約を結んだであろうことが推定できます。

これはあくまで経験則ですから、例外的事情があれば、いくらでも覆ります。

売買契約の例では、コンビニでモノを買うときには売買契約書なんていちいち作りません。

税金対策のために、売買していないのに、売買契約書を作ることがあります。

なので、売買契約なんてなかったんだと主張する当事者は、たとえばこのような主張をして頑張ることになります。

長文になりそうなので、今日はここまでにしておきます。

2009-04-15

  • 俺は疎外されている
  • あの子も疎外されている
  • あの子は俺の仲間である

みたいな滑った三段論法と共に薄ら笑いですりよっていくはてサがうざい。

実はお前らそいつを通じて自分を語りたいだけだろ。

2009-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20090103143231

理論的ってな、某かの定理とか学説・モデルに基づいたもの言いのことですよ。論理的、というのは、既に知られている理論とか原理原則に従って三段論法とか背理法とかそういう誰でも納得するようなテクニックでものを言うことですよ。こんなとこでもういいですか。

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081223070519

1.全てのコミュニケーションサービスBBSチャット)は人数が多いと荒れるものである。

2.休日は人数が多い

3.よって、休日には全ての掲示板が荒れているはずである

4.しかし、匿名掲示板と、顕名掲示板では、匿名掲示板のみがあれる

5.よって、1→2→3の三段論法だけでは、現実を説明しきれない。

という前提でよければ、ここまでは同意

ここから先の仮説

仮説A:実は大人も一緒になってあらしているので、匿名掲示板だけ荒れる

はなぜ、この仮説がでてくるかがよくわからん。

たとえば、

予想される反論:じゃあ、顕名掲示板でも、大人が一緒になって荒らしてもいいはずでは?

という反論にどう対応するね。

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222151332

ダンゴムシぐらい、元の話が三段論法成立してないって事を面白おかしく書いてみたのだ。

楽しんで頂いてよかった。

 

流行るかな?この三段論法

http://anond.hatelabo.jp/20081222151949

>ダンゴムシさんはいい加減負けを認めるべき

>ソクラテスさんは一応成立してるんだから。

甘いぜ。ダンゴムシはただのウケ狙い。

ダンゴムシソクラテスを比べる話しにもって行って勝ちに行きたい所だろうが・・・

大前提自分は正しい

小前提:現実でもやっぱり正しい

結論:自分はやっぱり正しい

っていう元の話に戻るとやっぱり三段論法として成立するには「現実でもやっぱり正しい」事が別な内容で証明されてないといけないだろ?

本筋をそらそうとしたらダメですなぁ。

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