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2009-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20090725220556

今日は午後から雨が降るらしい。

私の考え方では、世界は大きい世界だけで、自分たちの存在はあくまで世界の一部と言う捉え方。

あなたのいう「小さい世界」を、「意識」あるいは「命」と言う言葉認識してるので

認める/認めないと言う話も、「意識世界に対して開いているか?」と言いたかったんだよう。

世界の捉え方に多様性があるのを許容するのも、私が抱く多重世界観なのですよ。

だから、当たり前だけれど、あなたの考え方を否定するつもりはないし、そもそもそんなことは私にはできない。

ただ、おそらく私は、「意識」とか「命」と呼ばれれいるものと「世界」そのものを、言葉が違うだけで等価値で見ているんだと思う。

認める/認めないという話って一文からの件が個人的に難解なのだけれど、私の捉え方でいけば、「意識世界に対して開く」。あるいは「常に開いている」

それは個人個人の「小さな世界」に対してもそうだし、共有している「大きな世界」に関してもそうだ。

私という世界が行動を起こすことは、立脚する足場はもちろんのこと、隣接する周りの人々にも影響を及ぼすことだから。

うーん。ここまでの流れの中で、私にはあなたとの差異が上手に見出せていないから、少し歯切れが悪くなってしまうな。難しい。

共鳴とか振動とか、波のモチーフで捉えるのって一般的な感覚なのかな。

どうなんだろう。でも、鳴ることとか震えることって、要はある対象が幅を持って移動することを差している訳じゃない。

緩やかにたゆたう波を具象として考えるのは、もしかしたら一番イメージしやすいのかもしれないね。

それぞれの人がそれぞれの波形を持っていて、たぶん分かり合えるってことは、一部だけでも同じ波形が生まれることなんだろう。

あと、共鳴したりするのは人同士だけじゃないとも思ってる。

そうだね。存在というものは少なからず、何かしらの波形を有しているもの。

人は言葉のない音楽感動するし、物言わぬ芸術に胸を打たれてしまう。

自然の中ではその偉大さに平伏するような気分になるし、人工物に囲まれて無機質な気分になることもある。

アニミズム精神になるのかもしれないけれどさ、やっぱり土地や物体が存在することからも人は影響を受けるし、物体同士でも互いに影響しあっているんじゃないのかな。

そこに世界を見るかは、また違うお話になるのだけれども。

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