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2009-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20090916120254

それについてはもちろんそうだし、世襲総理であることにもあんまり触れないことも疑問なんだけど、

細川羽田から

村山も忘れないであげてください。というか、違う意味で忘れられない政権

16年ぶりの政権交代

メディアには史上初の政権交代とか言う人もいるけど

基本的には政権交代ってのは細川政権が出来たとき以来って認識なんだろうけど

細川羽田から自民に戻ったのは政権交代って言わないのかな

やはり政権自民のものって認識なんかな

2009-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20090901194613

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090903-00000973-yom-pol

鳩山論文、米通信社が省略して無許可転載

9月3日21時3分配信 読売新聞

 民主党鳩山代表論文が、米紙ニューヨーク・タイムズ電子版)に掲載され、米欧に「反米的」との評を広げた問題で、鳩山事務所論文を配信した米通信社の間に、掲載の経緯を巡る見解の相違があることが3日、明らかになった。

 日本月刊誌「Voice」9月号に掲載された論文は、「私の政治哲学 祖父・一郎に学んだ『友愛』という戦いの旗印」の題で、事務所が業者に発注し英語韓国語翻訳鳩山代表ホームページに掲載した。

 世界要人インタビューなどを配信する米国通信社グローバル・ビューポイント」は、これを大幅に省略し、「新しい日本は米主導の市場原理主義を拒絶、東アジア統合模索」との見出しで配信。タイムズ紙はこれをさらに削って掲載した。

 「グローバル」のネイサン・ガーデル編集長は「Voiceを通じて鳩山事務所の許可を取った。短縮したが、文章はそのままだ」と話している。

 これに対し「Voice」編集部は、英訳版の掲載依頼は米紙ロサンゼルス・タイムズ社からあっただけで、他メディア転載されるとの認識はなかったという。鳩山事務所も「論文海外に配信されたことさえ知らなかった」としている。

 鳩山代表は8月31日、タイムズ紙掲載の論文について「一部だけとらえられた」と不快感を示したが、既に多数のメディアが同紙の引用を「新政権外交政策」として紹介、「反米イメージが独り歩きする懸念もある。(国際部 細川紀子

2009-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20090822162107

両親からしてみると、自分選挙権を持った頃から自民党政権だったので、

一度ぐらい変わってみてもいいというのが大きいみたい。

細川羽田政権がなかったことになってるな。

今の民主党をはじめとする野党だって、細川羽田政権に自社さ政権の担い手だったじゃないか。

自民党内の派閥争いとほとんど変わんない。

共産党政権交代するっていうくらいじゃないと、政権交代って感じでもないな。

2009-08-10

http://www.asahi.com/politics/update/0809/TKY200908080277.html

民主政権は「旗印絞れ」 細川首相インタビュー

 突然持ち出して失敗した7%の「国民福祉税」については「内閣支持率の高さを利用しようという大蔵省の魂胆があった。霞が関が(小沢氏を含む)与党代表者会議と一体になって攻めてきた」と証言。ただ、民主党の「官僚支配の打破」の主張には「官僚機構を使いこなさないと政権は成り立たない。官僚退治は愚の骨頂」と疑問を呈した。

 さらに民主党政権誕生を念頭に「ひとつの内閣で何もかもいっぺんにはできない。限られた目標と期限を明確にして、断固やるかどうかだ。民主党大丈夫か」と注文をつけた。

 細川氏はもともと二大政党制でなく「穏健な多党制」が持論で、「大きな政党は総花的なテーマを掲げざるを得ない。それでは政治は進まない」と述べ、民主党提唱する衆院比例区削減には明確に反対した。

 細川 政権交代軌道に乗るまでという条件で留任していただきました。いまの民主党で心配するのは、官僚機構への敵対的な傾向が少し強く出過ぎていることです。われわれも官僚とは随分やりあったが、官僚機構を使いこなさないと政策の立案も実行もできない。政権は成り立たない。「官僚退治」は愚の骨頂だと思います。政権交代が常態化すれば官僚機構も当然、中立化します。石原さんの留任は唯一の継続性でした。政権交代はあくまで断絶が目的ですからね。

 私は選挙制度一神教小選挙区より多神論の中選挙区連記制がいいとずっと思っていました。日本人メンタリティーからすれば、小選挙区で「白か黒か」「AかBか」という選択をし、敵対的な政治になるのは好ましくない。しかし、あの時点で実現可能な選挙制度としてあえて推進したのです。が、現状をみるに、小選挙区に張りついて選挙運動ばかりしている人、あるいは人気だけのタレントみたいな人が目立ちます。賢明政治判断ができる立法府にはならない。中選挙区で「Aさんもいいけど、Bさんもいい」という選択、複数の名前を書けるほうが、日本的なよい政治になるのではないでしょうか。

2009-08-01

世界政権交代から 〜G8編〜

政権交代政権交代となにやらうるさい昨今でございますが、世界的な政権交代トレンドが気になったので調べてみました。


G8における過去50年間の政権交代回数の比較(付・大統領首相代数
日本アメリカイギリスフランスドイツカナダロシアイタリア
政権交代2回*16回5回3回*24回6回1回14回
交代人数23人11人10人5人8人11人9人31人*3


日本首相代わりすぎwwwwww

23人はハンパなさすぎ。アメリカの倍以上。

政権交代回数に関しては、フランス3回、ドイツ4回と意外に少ない。先進国的には10年に一度交代するかしないかくらいがトレンドっぽい。日本の場合政権交代の回数が少ないという問題よりも、首相の交代回数が政権交代数と比較してあまりにも多すぎるってのがちょっと異常じゃかなろうか。

まぁ、首相がころころ変わるのは戦前からの伝統なわけですが、もっと腰を落ち着かせないと他国の皆さんに日本の顔を覚えてもらえなくなるし、ある一定のビジョンにそった国家運営が困難になっちゃわない? というか、その結果がこの有様なんですけどね。

政権交代!」と叫ぶよりも、「首相任期をちゃんと全うします!」という事も言っていただきたいところです。



追記
イタリアパネェwww

G8にイタリアがいたことを忘れてました。というかイタリア政権首相も変わりまくりでウケるww ベルルスコーニ3回もでてくるし。

正直、ベルスコ以外のイタリア首相ってあまり覚えてないので、ころころ首相が変わると海外からの印象は薄くなりがちということをイタリアは身を以て証明してくれています。


*1 細川(日本新党)→羽田(新進党)、村山(社会党)→橋本(自民)は政権交代カウントせず

*2 大統領任期中の所属政党の遷移はカウントせず

*3 延べ人数

2009-06-11

公務員を解雇(免職)できるようにするという改革を実現せよ。

行政改革による財政再建が、改革を放棄して、足りない銭は増税すれば良い、とりあえず消費税を12%にという話になっているようだ。

骨太の方針も、代を経るごとに骨抜きになり、ついには、羊頭狗肉になってしまった。

企業従業員解雇できるようする労働市場の流動化は、公務員解雇(免職)できるようにするという改革を実現する為に行われた。

しかし、実際には、企業コストの高い正社員解雇して派遣エコ替えしているのに、公務員の免職は、懲戒以外には聞かない。年金未納問題で懲戒免職された人々ですら、看板を付け替えただけの年金機構採用されている。天下り先は、麻生首相のばら撒きで堂々と復活している。

それもこれも、公務員を使うのに、おだてて高待遇天下り先を与えるという使い方しかやれない議員ばかりだった為である。民間企業の幹部社員が平従業員に対して行っている、査定によって賃金上下させ、解雇をちらつかせ、誤解と錯誤を発生させるような言い方で忠誠心を引き出して安価にこき使い、2年11ヶ月たったら解雇というやり方を、公務員に対する統治にも導入するべきなのに、そういった汚れ仕事を実行できる管理職経験者がいないのである。

結局、民間企業雇用の流動化がおきて賃金水準が低下すれば、当然、税収も減る。減った分だけ、公務員を削減していかなければならないのだが、その路線を、後継者達は進めなかった。それどころか、骨太の方針とさえ名づけておけば、どんな法案・予算案でも衆議院の3分の2が使えるという、悪弊だけが残ってしまっている。

次の選挙の為の公約が、おそらく、骨太の方針の最後となるであろう。小泉氏の政界引退と同時に、自民党議院における影響力も消え、誰も鼻にもかけない方針となるし、当然、敗北の責任をとって、自民党総裁選挙が行われるという事になる。誰が下野中の自民党をまとめて引っ張っていくかという点に、興味がある。

この問題は、民主党政権を担える政党ではなく、民主党単独ではダメ公明党を始めとするその他の野党との寄り合い所帯にして、空転させて1年くらいで政権を投げ出させるという展開にしなければならないのだが、その仕掛けが上手くいくかどうかにかかっている。

たとえば、宏池会+麻生グループ(81人)が自民党を離党して新党を結成し、野党連合政権に入り込むという展開もありえる。かつての小沢グループ新生党を作り、民主党に野合していったように。野党には政務次官経験者すらいないのだから、与党からの脱藩者がそれなりの人数でまとまっていれば、大臣ポストは象徴的にばら撒かなければならないが、実務は副大臣級でまとめてしまうというやり方で、実質的政権を維持できるのである。

細川内閣麻生内閣のように、首相になりたがる軽くて馬鹿神輿が見つかれば、実現する可能性は高いと思われる。

国民の所得が減少しているのに、歳出が減らないというのは、国民と苦楽を共にするつもりの無い層が、日本国内に発生しているという事である。大臣には人事権者として、公務員の首を切れる権力を与えているのに、それを使わず、軽くて馬鹿神輿にされている事に気がつかないというのでは、多選規制ですら手ぬるいのかもしれない。

2009-05-04

日本が終わっている本当の理由

日本が終わっている理由を個人的に書きます

名乗るまでもない者なので、匿名ですいません。

ちょっと勇気がいりましたが、偉い方、若者

一人でも読んでくれれば幸いです。

ブクマを期待してるわけではありません。

司法行政マスコミとも解決できない問題であるので

こちらに書かせて頂きます

問い合わせる機関相談する場がないんですよね。

誰も問題に対処しない…長年。

問題あったらすみません

予備校生として上京した中、3日で宗教団体につかまりました

白昼堂々、交番もある高田馬場という駅です

相手は早大生だったので、何度も断りましたが、弱い立場の予備校生

信用したというか。押し切られた感じですね。田舎出身の未成年なので、人間的にも未熟でした

信仰をしてる人で悪い人はいないだろうみたいな。警察の前で堂々と悪いことしないだろうみたいな。

その後、入るのになんだかんだとお金が20万くらい、かかりました

滋賀に行こうとも言われました

お金がないなら、「予備校の講座を取ると言って送ってもらえ」

などども言われましたが。

滋賀に行った際に、学校行かないで仕事やめて

布教しなさい」とかいわれ、学校に行かない決意、仕事しない決意

ができるまで、滋賀の山奥からバスが出発しないことにまで

なりました。(この団体では自己放棄という)

世界平和とかの大義、自分をとるか困っている人をとるか

情や人間関係良心や弱みなどにつけこんできます

何かしら悩みを持ってると、さらにつけいられます

有名商社出身の方も活躍してました伊藤忠商事

全員たたせて、自己放棄を決意したから座っていく。

最後に一人立ってたら、「なんでこいつ立ってんの?」

とか、いわれましたね。



結局、予備校にはほとんどいけないまま、入試を迎えました

その後、なんだかんだとつきまとわれ、

借金を抱え、禁治産者にされそうになり、地方に戻りました

逃げ切れないのは、なんでか?いろいろ手法・理由はありますが…。

ここでは割愛します。

借金献金でも有名な団体です。この団体は。それで建った美術館滋賀にありますよ。

ミホミュージアムっていいます。

http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20071016.html

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0117/index.html

だまされないでくださいね

ドロップアウトした状態のまま、ワープアになるか破産しますよ。

(ちなみに、そういう宗教にかかわったとなると

自分が悪いとされるんですよね。)

被害者加害者にして自己責任

ほんとの加害者は、蓄財し評価されてメディア活躍

そして、また被害者連鎖をつなぐ。

もうやめにしませんか?

こういったことが、白昼堂々、交番のいる前で、

起こっているわけです被害者は数百人を越えると

います。

そして、長年裁かれることなく、今年、学校建設許可が先日おりたそうです

政治家献金して集票マシーンになってるから変わるはずもないですが。

http://zara1.seesaa.net/article/114267878.html

文科省は何をしてるんでしょう。すごい国ですよね。


なんで滋賀県に行ったのかって?

なんだか、有名な建物があるんですよ。

NYワールドトレードセンター(9.11で無くなったビル

を作った人が、本部を作ったり、設計東大の人がしてたり。

芸能人、お偉いさんが来てたり。

最近では、美術館がありますよね。ルーブル作った人みたいです

そこも東大名誉教授が館長で、NHKの爆笑学問にも出てましたよ。

伊藤若冲がお好きな辻さん。ミホミュージアム 館長。

ミシュラン日本ガイドにも出てますフランスではカルト指定されてるのに?

白洲正子展とかもしてましたね。元首相細川氏来訪などもあった

ようですデザイン経産省の賞などもらったりしてます



そういう権威付けをうまく利用するんでわからないんですよね。

そういえば、初代館長は、京大出身の某有名思想家した

梅原猛

ここまで有名人とお友達ということは裏で何か

あるのかもしれませんね。

犯罪を犯しても裁かれない仕組みが。怖い国です

もう少し国というものを信用してました普通に安全に

暮らせるもんだと思ってましたけど。

気をつけてください。若い人たちは。

私みたいにならないように。消費者庁がんばってくださいね


できれば、その宗教団体の人も謝って補償してほしいですね。

偉い方々には丁重に謝ったという話は聞きます

本気で世の中よくしたいと

思ってるなら。

神慈秀明会

わけないですけど。

もう少し、普通若者普通に生きていける国になればいいですね。

借金を繰り返して経済的な余裕がないことを知りながら献金させたのは不当として、川崎市40代女性宗教法人神慈秀明会」(本部・滋賀県甲賀市信楽町)と代表者らに約2000万円の損害賠償を求めた訴訟判決が25日、京都地裁であった。中村哲裁判長は「(献金の)勧誘行為は社会的に相当な範囲を超えて違法」として660万円の支払いを命じた。

http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2008/01/post_e65d.html

2009-04-27

名古屋市長選で民主推薦の河村たかし圧勝

名古屋市長選で民主推薦の河村たかし圧勝

 

名古屋市長選は民主推薦の河村たかし圧勝

上野数馬2009/04/27  与野党対決の構図で総選挙前哨戦として注目された名古屋市長選は、民主党推薦の河村たかし氏が当選した。テレビなどでの知名度と庶民性が集票力となり、自民公明支持の細川まさひこ氏を圧倒した。河村氏は第1声で「市長年俸2,500万円を800万に減額し、本当の庶民革命をする」と約束した。

激戦を反映して投票率は50.5%で、前回の27.5%を大幅に上回った。4氏の得票数は河村たかし(60歳)民主党推薦・前衆議院議員514,514票、細川まさひこ(54歳)自民公明支持・元中経済産業局長282,990票、太田よしろう(65歳)共産党推薦・愛知県商工団体連合会会長73,640票、黒田克明(36歳)7,335票だった(敬称略)。

http://www.news.janjan.jp/election/0904/0904272252/1.php

 

当選したのは喜ばしいが、河村たかしは国政で活躍した方が良かったという見方もある。

いずれにせよ、民主選挙に勝てないという流れは完全に断ち切られたと考えるべきだろう。

 

増えた投票率

 

ザ・選挙/名古屋市長選 各陣営のマニフェストをよむ

http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0904/0904210896/1.php

 今回の選挙は、有権者の関心も高く、投票率も上がることが予想される。選挙戦も残すところわずかであるが、上記のような課題に対して、各候補者がどのような回答を用意できるかということをチェックし、自分の1票を託す先を考える必要があるだろう。

早稲田大学マニフェスト研究所次席研究員 林紀行

 

2005年名古屋市選挙投票率 27.5%)

2001年名古屋市選挙投票率 31.41%)

に比べたら50.54%は高い投票率だと思う。

というか、いままでの投票率が低すぎた。10人に7人は投票に行っていないってひどすぎる。

投票に行かなかった人はどこでなにをしてたんだろう?

 

2009-04-02

総理大臣とは、役割である

内閣支持率ニュースを見るたびに、いつから日本人は「総理大臣とは役割である」ことを忘れてしまったのだろう、と思う。


総理大臣とは、三権分立の現代において、実質的な権力者ではない。財務大臣の役割が財務法務大臣の役割が法務であるのと同じように、「みんなの意見を取りまとめてステージの上で発表する係」という1つの役割に過ぎない。だから、普通大臣程度に有能であればいいのだ。


少し前までは、みんな分かっていたはずだ。細川さんが総理大臣になったのは「他の専門的な仕事は出来なそうだったから」だったことも、社会党村山さんが総理大臣になっても日本社会主義になるわけないことも。知っていて、それでも役割さえ果たしてくれていればそれでいいやと思っていたはずだったのだ。


ところが、小泉さんの時代に、「総理大臣とはすごい人じゃないといけない」というイメージがついてしまった。(実際に小泉さんがすごい人だったのかどうかは置いておいて)

それ以来国民は、パーフェクト超人総理大臣を夢見て、現実総理大臣が少しでもそれと異なっていれば鬼の首を取ったように批判し、辞職を迫るようになってしまった。こんな国民ばかりの国家じゃ、そりゃ国会の審議に支障が出るのは当然だ。


総理大臣とは役割である。国民はその事実を早く思い出して、過剰な期待を抱くのはやめよう。正しい総理大臣とは、カリスマ的なリーダーシップで世の中を変革していく総理大臣ではなく、役割を果たしてくれる総理大臣なのだ。

2008-11-02

今、自分に対する課題決めた!

歴代総理大臣と、そのときの野党第一党の党首の書いた本について、最低1冊は読んでみることにしよう。

書かれた時期は任期中じゃなくてもいいや。

、、、自民党政治家は書いてそうだけど、細川とか村山も書いてるのかな?

アマゾンで調べりゃすぐわかるか。

2008-10-24

ホテルのバーが高いのなら

ふぐ料理店と聞いて、例の道新キチガイ記者が顔を真っ赤にして「庶民!庶民!」と叫びながら道を転げまわるところを眺めるのもまた一興かもな。

民主党幹部、小沢代表と連日会合「もう独りにしない」

13日夜、東京都港区内のふぐ料理店に小沢氏、鳩山氏、菅直人代表代行、輿石東参院議員会長が顔をそろえた。懇親を深めるためで、小沢氏を囲んでふぐ料理に舌鼓を打った。

ほぼ一年前の記事だな。

そういえば軽井沢の別荘で格差社会を論じたりバーベキューパーティー開いてたこともあったっけ。

当時の細川首相ホテルのバーを使い始めた時に「料亭の密談から成長した!」と誉めそやしてた連中とか、今どこで何やってんだろうな。

2008-10-14

今日はこんなことがあったよ

入社して約一ヶ月が経過、なかなか仕事を覚えない新人のノートを見せてもらったわけだが

仕事の内容は何ひとつとして書かれちゃいなかった。

ここまで見事に何も書かれていないと、逆に清々しさを覚える。

ノートにあった人名が目を引いた。

きた川→正)北川

ほそかわ→正)細川

え? 漢字じゃない?


仕事の内容を口頭で言うからそのまま書き留めてほしいと頼んでさっそく筆記してもらった。

ちゃんと書いてくれているのかな?と不安を覚えて本人のノートを見せてもらう。

記入はされていたが一切漢字が使われておらず平仮名の羅列がそこにあった。

一瞬私の目が少し大きく目開かれる。

が、日常目にするこの新人の常軌を逸した行動からすればこんなものは大変かわいいもの、とすぐに思い返した(パソコンの授業で先生がEnterキーを押してくださいと言ったときにクラス全員が押すなか、1人だけ押すことが出来なかったという。話をしていると逸話が出るわ出るわでとても書き表せない)

興味深かったのは”ステンれすのたな”という部分だ。何故”ステン”までカタカナで書いておきながら”れす”を平仮名で書いたのだろうか。いっそのことすべてカタカナステンレスとするか、平仮名して”すてんれす”と書くかどちらかに統一してほしいと個人的に思った。

3桁はおろか1・2桁の足し算をもよく間違う。

人間まちがいはあるが頻度が過ぎる。

そろばんが出来ないことは聞き及んでいたが書きも駄目だったとは。

そんな新人に本日付けでマンツーマン仕事を教えてくれ、とお達しがあった。

(教えたくないからと押し付けられたともいう)

とりあえずがんばってみるさ。

2008-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20081007022428

なわけない。

言ってみれば対処療法として一時政権を奪われてみろっつー話でしょ。

前の(細川)連立もそうだったじゃない。

せんたくには期待してたんだけどなぁ・・・何してるの?今。

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-06-01

第45回キリスト祭at青森・新郷村

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080602k0000m040041000c.html

雑記帳:青森・新郷村でキリスト

キリストが天寿を全うした地という説がある青森県新郷村で1日、恒例の「第45回キリスト祭」が開かれた。

キリスト遺言などが書かれているとされる文書が昭和初期に見つかり、十字架にかけられたのは弟の「イスキリ」で、キリスト日本へ渡り、村で106歳の人生を終えたという。村にはキリストとイスキリの墓もある。

祭りでは、神主が墓前でキリストを慰霊し、村民が南部地方伝統盆踊りナニャドヤラ」を奉納。神事を取り仕切った細川潤八郎神主は「八百万(やおよろず)の神の1人がキリストさんでもいいでしょう。教義的には問題はない」。【喜浦遊】

「あれ、戸来村じゃないの」って所もあるんだけど(合併しやがって新郷村になったらしい。由緒ある地名なくすなよクソ合併!)、

八百万の神の一人がキリスト」ってどんだけ一神教ケンカ売ってんだよってのもあるんだけど、

45回も行われてることに吹いたw

一年に一回だろ?45年!?www

合併後もやってるのはマジ偉い。

2008-04-26

長野聖火リレー走者のリスト

長野聖火リレーリスト

この人たちが将来選挙立候補したら今日の日のことを思い出そう。

長野聖火リレー 2008.04.26 8:26-12:30 曇・小雨 気温10.1℃

走者のリスト(80名中64名:50音順)

シュリー・ヘイズ, 阿部可菜子, 新井美貴子, 荒家遼太郎, 有森裕子, 板倉敏和,一橋忠之, 大槻計典, 大野豊, 岡崎朋美, 荻原健司, 北島康介, 窪田里江, 久保田寛, 黒岩隆, 黒山こずえ, 越和宏, 小林和幸, 小林恵子, 小林光一, 酒井登, 佐藤政子, 清水和江, 清水正洋, 末續慎吾, 杉山侑, 高橋准一, 高橋揚子, 高見澤靖,滝澤明美, 竹田恆和, 竹内忠雄, 竹内愛国, 玉井秀樹, 千葉真子, 勅使川原郁恵,寺島千代, 中原里実, 中山翔太, 西澤弘子, 野口みずき, 萩本欽一, 橋本聖子,林理恵, 林衛, 早田卓次, 福原愛, 藤澤純, 星野仙一, 細川佳代子, 堀内拓也, 松岡修造, 松本賢一郎, 丸山佳織, 丸山博明, 三澤拓, 皆川賢太郎, 宮尾啓子, 宮下智成, 宮林侑梨, 矢田雅子, 山岸重治, 雪入忠司, 吉田沙保里

辞退:青山祐子

2007-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20071111093831

MP3を保存していたHDDが飛んで、業者に頼んだ、とかあの時点でおかしいと感じた。

まずはFreeBSD細川さんがあれこれと日記に書いてたろう、とかが先に来るんだけどな。

それでBSD系がどうのと言われてもw 鵜飼さんが先輩うんぬんのくだりもなんだかな、とは思うのだが。

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