はてなキーワード: キャスティングボードとは
大きなかぶという昔話を知ってる?
あれ、不思議やん?
そしてねずみが加わったくらいでどうして抜けたのか。
そのあたりの謎を、参加者の戦闘力という観点で順番に考えてみた。
まずじじい。
メンツを一通り眺めてみると、もっとも戦力になってるように見える……、が、それが大きな間違い。
というか歳をとってるからじじいや。
じじいになるほど歳を重ねていればな、必ず人生で一度くらいは腰をいわしとる。
腰をグキィッといわせて悶絶し、数日寝込んだことがあり、その経験がトラウマになっとる。
ついでに肩の柔軟性も低下しとるやろね。
四十肩や。
こりゃ腕を使う作業には致命的や。
たしかにじじいはリーダーとしてがんばっとる、そこは認めなあかん。
が、心の底には、また腰をいわせてまうんやないやろかというビビリがある。
そうなると無意識のうちに手を抜く。
へっぴり腰になる。
そんな腰の入っていない手抜き仕事ではかぶを抜けるわけが無い。
次はばばあ。
じじいと同じ加齢による戦闘力低下の要因がもちろんあるやろね。
たとえ本気を出したところでせいぜい劣化じじいといった程度のパワーやろ。
せやけど他の問題もあるんや。
普通はそう思うやろ?
これが落とし穴よ。
ばばあっつうのはな、男に頼りっきりの人生を重ねとる。
どうせ最後はじじいが力仕事や汚れ仕事を引き受けるんや、という甘えがある。
ばばあという生き物は、男が一緒におると甘えが出て一人前の仕事をせんのや。
じじいをヌクのは得意でも、かぶを抜くのにはまったく役に立たん。
形だけ適当に参加したふりして力仕事をじじいに押し付け、かぶだけうまうまといただくハラや。
ばばあはだいたいそう、目の前の仕事に責任をもって真剣に取り組まず、かぶをどう食うかだけ考えとる。
一人前の戦力にはならんのや。
ねこは論外。
はっきりいって、このメンツでは最も役に立たん。
ネッコ=ザッコ。
じゃあなんでこいつがやってきたかっつうとな。
他の奴らが楽しそうに遊んでると思って、交じりたくて来ただけや。
チャラい参加や。
わっしょいわっしょい言ってるけど、お祭り気分で引っ張っとるふりしとるだけや。
やつはな、適当にちょろっとやって、そのうち飽きて疲れてやらなくなるに決まっとる。
みんなががんばっとるのをニヤニヤ眺めながら、屋台で焼き鳥喰ってビール飲んどる、そういうタイプや。
それがねこや。
戦力になるうちは、じじい、ばばあがケツモチになるから、ねこもおいそれとは手が出せん。
下手に手を出せば、うちの舎弟になにしてくれとんじゃい、ということになる。
そうなると晩飯はねこ汁うどんになるやろね、もちろんかぶの入ったやつな。
せやけどな、ねずみが戦力外通告を受けて一家から破門されればもうじじいやばばあは守らん。
督戦隊であるねこがいる以上、ねずみには死がかかっとるから、本気で戦うんや。
火事場のクソ力や。
まあ、ねずみ単体では小さいからさほど大きな戦力とはならなかったやろ。
自然界の常識は、でかい=強い、であり、小さいねずみは必然的に弱いんや。
だが、いぬがすでに全力で引っ張っとって、かぶとパワーの均衡を形成しとる。
弱小勢力が綱引きのパワーバランスの要になってなぜかキャスティングボードを握ってまう、そういうことあるやろ。
他は頭数だけ。
日本のIT屋は、こうやって無駄に頭数を増やして請求する人月を水増ししとる。
そうやって、その売り上げで実勢よりも株価を膨らませとる。
まさに、大きなかぶ、ちゅうわけやな。
整形外科はじじとばばあで混雑しまくってひたすら待ち時間、要は作文したくなるくらい暇なんや。
増田のみんなも、腰は大切にな。
ジャニー◯でもタカラヅ◯でも、クリエイター集団でも甲子園でも劇団でも、サッカーでもアイドルでもオリンピックでもなんでも、問題はあるんだよ。みんな目を逸らしてるけど。
自分も世の中で「凄い」って言われる表現する集団にいたことある。めちゃくちゃ才能ある子が毎年湧いてきて、切磋琢磨と言えばいいが悪く言えば蠱毒で、そこにキャスティングボードを握ったカリスマ指導者がいたら、閉鎖的な独特の場所になる。どうしても一定の価値観による洗脳であったり、置き屋の女衒的な事も含め、一定のパワハラやセクハラや人権侵害は、起こる。そうしないと、そのくらいしないと、人を熱狂させるようなパフォーマンスをコンスタントにやれる集団にはならない。
誰もが何者かにならなきゃとキラキラした世界に憧れる。でも、才能ないからコロッセオの観客で居られるんだよ。消費されて交換される側にはならなくて済む。アイドルビジネスとかってむしろ競争を見て愉悦、まであるよね?推し活も、ただの自分からの逃避と紙一重の面があると報じられた。
キラキラの中で、競争とかパワハラセクハラで壊されていく子達の事、見ないフリして無邪気に楽しんでるんだよ、我々は凡人は。そしてフレイザーの金枝篇よろしく、才能を持つ王が弱体化すればそれを殺し新たな王を戴くわけだ。人類、いつまでやるんだろうな。いつまで才能ってものをありがたがり続けるんだろう。
あまり言いたくはないが、立憲民主党に入れるしかないでしょう。
女性・女系天皇を公認する政治家は立憲民主党の中にしかいないんだから、立憲に入れるしかないんだよ。
もういいかげんに「少数安定政党」の乱立を終わらせなければならない。
自民党ばっかりが得をするんだ。
何もしなければ自民党が大勝する、それが「少数安定政党」乱立のカラクリだ。
保守系の政党も、「男系」と言いさえすれば、頑迷ホシュから票が取れると思っていて、なんと国民民主党は「男系」に転向してしまった。
山尾(菅野)志桜里がいたときは「女性・女系公認」だったのに、裏切りやがった。
結局、二大政党制なんだから、自民党か立憲民主党で権力の奪い合いをするしかない。
キャスティングボードを握ろうとか、卑しい夢を抱くのは馬鹿馬鹿しい。
いかに日本語が流暢な論客のふりをしていてもこのザマ。もしかしたら日本人でも日本語に不自由な人なのかもしれない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/345907619/comment/Midas
いかにキチガイババアでこのさき目論見が外れ弱小野党に落ちぶれようがはたまたキャスティングボードを握る存在にまでのしあがろうがあの発言「政治家としての私は人工知能を模倣する」は天才しかできない
はてなキーワードにすら、
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AD%A5%E3%A5%B9%A5%C6%A5%A3%A5%F3%A5%B0%A5%DC%A1%BC%A5%C8
キャスティングボード(casting board?)ではない。
と書かれているのにこの有様。
http://b.hatena.ne.jp/entry/349526030/comment/Naotoh
小池のプレーンに碌なのがいないという。「全員嘘つき」
あなた今、キャスティングボードと言いましたね?
とりあえずすべての政策を考えるのは無理だからいくつかテーマ決めて消去方をとってるんだけど自分にとって一番大事なのは医療や介護政策で
それは自分は発達障害で家族にもうつ病を長く患っていて最終的には精神障害者手帳とるんじゃないかって言う話しになってる、それに可能な限り回避すると言われているが妻の側の親の面倒を見る可能性がある、っていう話が第一にあって、第二に家族には医療従事者が多いから医療の市場開放と代替療法に近すぎる人は消去ってのがあって。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20160627/1467042320
これを見て家族とおおさか維新だけは絶対に無理だわみたいな話にはなっている(まあ一応幸福も)
なので今の民進が右旋回して都民ファースト-おおさか維新-民進ってライン組んだらその辺の事がグダグダになるんじゃないかなあ嫌だなあとは思ってる。
となるとまあ国会でのキャスティングボードは取れんけどとりあえず左派に入れとくかみたいな感じになり残り3党を見た時に
自由党は
山本太郎×ひとびとの経済政策研究会presents 「全てのひとびとのための経済学講座」第3回
https://economicpolicy.jp/2017/08/19/932/
この辺見ると山本太郎って案外まともなのかなと一瞬思うけど、彼が支援してた三宅洋平は
https://twitter.com/MIYAKE_YOHEI/status/695437681409392641
って感じで平然と代替療法を支持してるから第二ルールに従って絶対無理ということになって。
あとは社民と共産なんだけどどうなのかなぁ一応共産の方がその辺はキチっとしてんのかなとは思うんだけど
豊洲の時の騒ぎ方を見ると化学的でなくても火をつけれればどうでもいいみたいな空気を感じたし
とりあえず反医療に首をつっこまない限りは共産に入れとくけど正直いつまでもつかなとも思ってる。
医療という面を見たとき右からは新自由主義による小さな政府論に基づく削減の圧力が来てて、左からは反原発だとか自然保護とかにのめりこみ過ぎて代替医療が来てて、どっちにしても行く先は厳しいよなぁという感がある。
今、話題の恵方巻きですが、加盟店は本部の圧力に屈し、愚かことをしたなと世間様に申し訳ない気持ちです。
皆さんはわかってらっしゃるかもしれませんが、恵方巻きに限らず、日々、本部のプレッシャーはすごいです。
再契約のキャスティングボードを握っている彼らは、私どものことはいいように搾取できる奴隷くらいにしか考えておりません。
この問題の根源はやはりコンビニ会計にあると思います。コンビニは廃棄負担は基本的に加盟店負担となっており、本来
加盟店は廃棄を必要以上に出したくありません。しかし、コンビニの会計方式では事実上、廃棄にチャージ(本部取り分)が掛かっており、
廃棄が出ると本部は儲かる仕組みなのです。ですから、あの手この手で廃棄を加盟店に出させるように圧力を掛けるのです。経常利益の
半分は廃棄なんて話があるくらい食品廃棄にコンビニ本部は支えられているのです。
例えば恵方巻きを本部に目標設定されて、再契約間近なんて状況だったら、本部が何も言わなくても頑張っちゃいますよ。
契約切られたら、生きていけませんから。廃棄も同様なのです。加盟店も生きていかなければなりませんから、再契約されるように
本部が設定する月額の廃棄金額を達成しようとわざと必要のない廃棄をだすのです。チェーンによって多少の負担はあったりしますが、
元々は加盟店の取り分だったり、変な条件があったりします。それに負担する位だったら、コンビニ会計を是正すればいいのです。
そうすれば、アルバイトの方の時給も変わります。オーナーも本来もらえる金額が支払われれば、経営資金に余裕が出ますから。
兎にも角にも国が法律をちゃんと作って、コンビニ会計などの悪魔の所業をしっかりと取り締まるのがまずは必要なのです。
公正取引委員会ももっと、本部に是正を促すようしっかりと機能しなければ、世の中は良くなりません。
食品廃棄から利益を貪り、コンビニ本部は会社として、組織として、人の集まりとして恥ずかしくないのでしょうか。
世間の小沢一郎に対する評価を見ると大体こんなものばかりだ
一つ目は個人的にはあまり気にしていないので、ここでは触れない。
金に汚いのも事実だろうし反論も難しい。
政治が愛国とか売国の善悪二元論で語れればもっと簡単な世の中だろう。
小沢一郎の評価で多いのは「自分のことしか考えていない政治屋」というもの。
だが、政治で最も難しいのは「政策を考える」事ではなく「考えた政策を実行に移すこと」である。
そして小沢一郎がかねてから言っているのは、「官僚主導から政治主導へ」ということ。
現在のシステムでは実のところ誰が権力を持ってもさほど大きな変化をもたらさない。
時の権力者が独りよがりで大きな変化を起こそうとしても、すぐに潰される。
潰される理由は簡単である。
現行のシステムを変えることに対する反発が仲間内から出てくるからである。
何故仲間内から反発があるかというと、「現行のシステムを変えることによる旨みがない」からである。
だったらどうするか?
「それが仲間内全体の旨みに繋がる」ようにすれば良い。
これまでの小沢一郎の行動は全て「二大政党制のため」の一言で片付けられる。
二大政党制とはどういうことかというと、
「選挙前に各党がマニフェストを掲げる」⇒「その党が与党となった場合にマニフェストを実行に移す」
これだけである。
もしも実行に移せなかったら、実行には移したけれども成果が挙げられなかったら、国民は失望してその党は次の選挙で大敗する。
つまり「一度掲げた政策を実行に移す」事が自分達の利益に繋がる(実行できなかった場合には不利益だけ)。
だから死に物狂いで政策を実行に移す。
更に、生ぬるい政策を掲げても選挙には勝てない。
そうなると選挙前にはかなり無茶な政策を掲げ合う事になる。
勝ってしまったら実行に移すしかない。
利害関係なんてそっちのけ、必死に実行する、でないと自分自身の政治生命が終わるのだから。
現在の与党にそこまでの必死さが感じられないのは、「どの程度本気でやれば国民が納得してくれるのか」がわかっていないからであろう。
これが選挙の大敗に繋がって痛い目を見たときに初めて努力が足りなかった事に気付くであろう。
そう考えると、前の総選挙で大敗したあの党の方が先に目覚めるかもしれない。
だが、政治主導になった場合、選挙で選ばれた人間が官僚を動かす。
これは民主主義国家では普通の事であるが、とても危険な事でもある。
「国民に有益そうな政策を掲げる人間」「外国に対し強気の人間」
色々と挙げられる。
日本ではこれまで海外と比べ政治家が「国民に対する人気取り」のようなパフォーマンスをした事は殆どない。
そう考えれば政治主導というのは政治家が「自分の愛国心をアピールいかにするか」が主体となり、永田町も右派の集まりに変貌するのではないかという期待もある。
日本の経済がそこそこ上手く行っているうちはそれで良いかもしれない。
上手くいかなかった場合にどうなるか?
「今の低迷が外国によるものだ」という事が次第に信じられるようになっていき、国民が戦争に駆り立てられていく。
勿論これは極端に国が低迷した場合の極論である。
今の日本は不景気ではあるが、外国への敵意を煽るような発言が馬鹿にされているので、まだそこまで追い詰められているわけではない。
もう一つはマスコミの影響力である。
マスコミによって選挙の結果が左右されるような状況のまま政治主導になった場合、国家の政策のキャスティングボードをマスコミが握る事になる。
そうならないようにする為には、現在の政治無関心の国民が少しでも多く政治に関心を持つことなのではないか。
別にどの党に入れても良い、ただ自分で考えて入れるだけ。
そう考えると、「今の日本に政治主導はまだ早いのではないか?」と思ってしまう。
「二大政党制が日本に合わない」という意見もあるが、一理ある。
これらを踏まえたうえで、小沢一郎を支持するかしないかを考えるべきではないかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100324121133
こんなの悪魔の証明だから、永遠に無理でしょ。そもそもキャスティングボード握っている人じゃないとこのせりふ意味ないよ。
つか反対派の側から「ゾーニングの徹底で十分」っていわれても説得力ないし。それで解決できるならここまで大事になってないよ。
同意、共産党ってイメージ悪くて軽い宗教みたいに思ってるけど、それだったら公明のほうがヒドイし、
民主党なんて政治的には自民党の劣化コピーで、政策的には打ち上げ花火みたいなのの寄せ集めか足引っ張るだけなので、
共産党って左向きな人にとってそれなりに魅力的だよね。
政権とって共産革命するわけじゃあるまいし(これもかつて党の方針にあったのなくしたみたいだし)、
議席はもっと伸ばしていいと思っているけれど、自民に批判的な層では死票になるのをおそれているんじゃないだろうか。
あと、他の政党みたいにお金ばら撒いたり、汚いことやらないから、組織力や広報効果も上がらないんだと思う。テレビにもあんまでないし、有名人いないし(得票なんてメディアへの露出回数デスヨ)
労組とか日教組的な人以外の潜在的な支持母体がレイバー階級でたいして組織化もされていないので、テレビとか宗教に流されやすそうだし、頭悪そう。てかそもそも選挙いかなそう。
自分的には公明はうざいから崩壊して、自民 vs 民主+(ありし日の)社民 連立の二大政党で、是々非々な共産党がキャスティングボードを握る的なポジションが政治的に緊張感があって良いのではないかと思うのですが。もう村山政権がダメだったあたりでもう日本の左派はおわったなと思ってる。おかげで自民までが共産圏にたいした気遣いしなくちゃならないじゃないですか。
公明党の幹部が、自民党の議員に対して、"総裁選の前倒しを主張する者は選挙で支援しない"と公言したらしい。
総裁選前倒しの圧力がかかると、衆議院を解散に打って出る可能性が高い為であり、どちらかというと"満期前に解散したら支援しない"と言った方が正直であろう。
なぜ満期解散でなければならないかというと、選挙権は、投票日の3ヶ月前以前に、住民票を登録し、投票日まで動かさなかった人に与えられる為である。
都議選の投票日が7月12日であり、この日まで、公明党の支持者の大部分が東京都民になっている為に、衆議院選挙の投票日が10月13日以降にならないと、公明党の支持者の票を地方の選挙区に戻せないのである。
衆議院の満期は9月10日で、選挙は解散後40日以内に行われれば良いということだから、都議選の投票日の翌日に、東京の信者同志の家から地元に戻ったと住民票の移転届を出せば、ぎりぎりの日程になるが、衆議院選挙の投票権を地元で行使できるのである。
住民票の移動には居住の事実が必要であるが、東京の信者同志がホストファミリーとして確かに居住していると答えたら、それ以上の調査は出来ない。抜き打ちで訪問調査をしても、学会本部で修行中とでも答えられたら、修行中だから面会できませんと答えられ、出直しになり、その隙に本人を呼び出して修行のアリバイ作りをするだけとなる。
虚偽の住民票の移動による投票権の行使は、厳密には選挙違反なのだが、それを立証することが、事実上不可能なのである。
政治団体化した宗教団体が地方議会選挙において意外と強いのは、このような票の移動を日常的にやっているからである。当然、小選挙区制の衆議院選挙においても、同じような事は行われる。
勝たせたい人の選挙区に支持者の住民票を移動させて、票を水増しするのである。当然、取れない選挙区が出てくる。地方議会の選挙は、かなり日程にばらつきがあるので議席を確保できるが、国政選挙だと全国一斉なので、重点選挙区だけしか取れない。地方議会の議席の占有率や得票率に比べ、国政選挙に弱いのは、こういう仕掛けになっている為である。
さて、こういう票でも票は票であるとして、すがりつくか、それとも、そんな票は要らないと突っぱね、選挙後の国会で投票日前3ヶ月間という基準を1年間ぐらいに伸ばして、住民票の移動による票の水増しを制度的にやれないようにして、きっぱりと手を切るという手段がある。
票は票としてもらっておいて、選挙後の国会で裏切るという手も無いわけではないが、そのくらいは向うも読んでいるであろう。
自民党が自力で単独過半数を取るか、自民公明あわせて過半数を取れない限り、公明党は裏切る。自民党が単独過半数や比較第一党を取って直近の民意という錦の御旗を手に入れてこそ、当選できたのは我々の協力があったからと言い募ってキャスティングボードを握る価値が発生するのである。
時代の徒花じゃない政治思想なんてあるのか?
「ミンシュシュギ」だって、たとえばアメリカの新保守とか日本のソウカ党のように「二代政党が拮抗する状況に便乗してキャスティングボード握る少数派のフリーライド現象」とか、苦労しても情報が行き渡らないのでものすごいリテラシーが全員に無い限り劇場型政治になって広告宣伝屋とマスコミが権力化するとか、近代国家の中ではだいぶ分かりやすい弊害が出てる。ただ、だからといって今のところ「それよりマシな政治システム」は開発されてないから仕方なく残ってるだけ。
とはいえ、「それよりマシな政治システム」がこの先発明されるかというと、若干疑問ではある。たとえばミンシュシュギだって二千年以上前から知られて(実際に行われたりもして)いたけど、それなりの世界的広がりを持ちはじめるのはそれから千年以上経ってからだ。人類全体が「天才」たちの思考に追いつくにはその程度の時間がかかるみたいだ。だから、今後ミンシュシュギ以外のシステムに移行するにしても、実現出来るシステムがあるとすれば、それは既に発見され知られているシステムでないと無理なんではないだろうか。
日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。
創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。
しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織の宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在は日蓮正宗と創価学会の関係はありません)。
そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。
戦時中の宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教も危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神的指導者として処刑されてしまうわけです。
いずれにせよ、政治の実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔な存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。
このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕・起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム・軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会・公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。
戦後、民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会のナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。
戸田は敗戦後、学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。
折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世帯折伏」を実行するよう呼び掛けます。
とほうもないように見えた計画でしたが、戸田が1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。
強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本の人口構造の転換に求めることができます。
農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。
そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。
こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長の戸田はまず1955年の統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。
これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田は政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗の開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。
1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員の社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。
折しも創価学会は特に左翼・革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼・革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会や学会員の社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。
いろいろ言われているように、戸田が国立戒壇、要するに僧侶に日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。
しかし戸田は学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年の衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。
この間、会長は池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選で公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。
この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さで頭角を現わすことになったのです。池田の会長就任は実に32歳の時です。
そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院の議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音(民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。
こうして創価学会と公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。
公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。
しかし1969年、公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。
このとき活躍したのが、当時自民党の幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。
自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者・市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党か共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。
さて、田中角栄は地方への「利益誘導」政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。
もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党=田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派と公明党、学会の関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。
また1972年には、竹入義勝・公明党委員長が首相となった田中の依頼を受けて訪中、田中訪中→日中国交正常化の地ならしを行っています。
さて、「事件」でバッシングされた公明党と創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会と公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙で議席を半数近くまで落とします。
もちろん公明党と創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田と創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日の池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。
また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。
学会・共産党は支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中のファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家の松本清張で、彼は池田と宮本顕治・共産党委員長を引き合わせ、この学会・共産党の「同盟」を実現させたのでした。
もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党は学会なしには存在し得なかったからかもしれません。
また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。
結局、これで公明党はイメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。
結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党の顧問弁護士が宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党と共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。
新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党→新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。
1992 年、公明党と民社党は社会党が議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党が田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。
また1980年代から地方議会でも公明党が都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党は連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。
公明党の与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕・起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄で逮捕される国会議員も出てしまったといえます。
もっともこの不祥事には創価学会・学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党の国会勢力は1989年の参院選では前回比1議席減、1990年の衆院選では11議席減となっています。
1993 年、総選挙で自民党が過半数割れすると、公明党は非自民・非共産の連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。
その後、公明党は小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員と参議院議員の1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。
結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。
その後、旧公明党の衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在の公明党が誕生することになります。
新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党の誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。
こうして小渕内閣(小渕首相も田中派を源流)のとき、公明党は自民党と本格的に連携、地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党が2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上の自公連立政権がスタートすることになります。
そんななかで小泉政権が発足。公明党は小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民に政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。
しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会を母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。
また先のページで述べた「地方:自民、都心:公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。
微妙になりはじめた自公連立、公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。
この間、創価学会会長だった池田は1979年、日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在の会長は原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長が創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌・新聞などをみても明らかです。
「政教分離」をした今、創価学会は公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員が公明党や公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。
ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会の壮年部長は読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会は公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。
公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員は学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会は公明党なしでもやっていけるが、公明党は創価学会なしにはやっていけないわけですから。
さて2008年で池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会副理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。
いずれにせよ現在の創価学会の組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。
※人名について一部敬称略とさせていただきました。