はてなキーワード: 完了形とは
サウスパークの有名なフレーズ "Oh my God! They killed Kenny!"(オーマイガー!奴らケニーを殺しちゃった) というのがあるが、実はこれは、少しおかしい英文だ。They killed Kenny.だと、今は死んでない、というニュアンスが生じかねない。(あと"Oh my God"はバチ当たりなフレーズで、本当は"Oh my goodness!"とか"Oh my gosh!"といった形でぼかして使わなければいけないということも周知されるべき。外国人の前で気楽に「オーマイガー」といってしまう日本人が多すぎて怖い)。
They've killed Kenny.の方がより正しい。They've killedなら、殺して、生き返っていないという意味がはっきりする(ケニーは次の話では生き返っているのだが、発言時点ではまだ生き返っていない)。よく聞くとThey've killedと言ってることもある(たとえば http://southpark.cc.com/full-episodes/s02e04-ikes-wee-wee の13:30あたり。字幕を出すとよく分かる)
特にアメリカでは、現在完了形を厳密に使わず、過去形にしても、文脈から読み取ってくれる。死んだら生き返らない、というのは常識だから、過去形の"They killed Kenny."でもかまわない。しかし"I had a pen."(私はあるペンを持っていた)なら、日本語でも、今は持っていないと類推されるだろう。「私はあるペンを持っていた、そしてそのペンを、今でも持っている」という表現を、日本語では一言では言えないというところに、現在完了形の難しさがある。
I saw him.(私は彼を見た)なら、今は見ていないのは明らかだろう。I've seen him.の場合、今でもずっと見続けているというのは変なので、「私は彼を見たことがある」とか「彼と何度も会っている」といった感じになり、文脈から何がいいたいか感じ取る必要がある。I've just seen him.だと「ついさっき彼を見たところだ」という意味になるが、アメリカ英語では"I just saw him."と過去形の方が自然になる。今は見てないわけだから、過去形の方が自然じゃないかという気がする。
She went to America.(彼女はアメリカに行った)だと、その後どうなったのかはよくわからない。完了形では、She has been to America.(彼女はアメリカに行ったことがある) She has gone to America.(彼女はアメリカに行って、まだ帰ってきていない) She has been in America.(彼女はアメリカに住んでいる)といった使い分けができる。
She went to America.のような文を書くと、過去形なので「今はもうアメリカにはいない」というニュアンスが生じる。でもまだアメリカにいる場合は、その表現では不正確だ。なのでShe has gone to America.と書く方が良い。
昨日の文章を要約すると、日本語はメンタル主体に発せられるものに対して、英語はフィジカルを主体とした表現で組み立てられているのではないかということだ。
I have lived in Tokyo for three years.
もしこの英語を直訳したのであれば、”わたしは東京に三年住んだ経験を持っている。”ということになる。
これがわたしが完了形の学習に対して最初に感じた他人事であるという違和感だった。
そこで、英語の訳に対して”フィジカル”という言葉を加えてみたらどうだろう。
”わたしのフィジカルは、東京に三年住んだ経験を持っている。”というふうに、メンタルが今のフィジカルがもつ情報を説明している内容であることがわかってくるのだ。
つまり日本語は、自分自身が自分自身の今の状況を説明しているのに対し、英語は自分自身が自分のフィジカルの状況を説明していると言えるのだ。
詭弁と取られるかもしれないが、”今現在のフィジカル”を主体に考えてみた場合、現在完了、過去完了、未来完了も、全て自然に納得することができる。
少なからずわたしは、これでhaveとhadとwillの使い分けは間違えなくなった。
そこで昨日のLeave it to me.を考えてみる。
”わたしのフィジカルに対してそれをそのままにして”と考えてみるとどうだろう。
”わたしに対してそれをそのままにして”よりは、いくらか”わたしに任せて”といったニュアンスが強くなったように思えないだろうか。
Is it possible~?に関しても、メンタルに直接”ありえますか?”と問いかけていると考えるより、”フィジカルがそうしてしまった可能性がありませんか?”と聞いていると考えたほうが納得がしやすい。
さらに決定的だったのは、英語ではI want が日本語に対してそれほど使われないということだ。
欲しい時はI would like toを使うが、これも日本語がわたしというメンタルが欲しがっているのに対し、わたしのフィジカルが好むだろうという言い方をしていると考えればすんなりと納得ができたのだ。
今のわたしから見て、フィジカルがどのような状態にあるかを考えれば、多くの前置詞もすんなりと理解できそうな気がするではないか。(さすがまだできるとはいいきれないが。)
ここまで考えて英語に対するつかえが取れたというのは、そうした表現だけでなくアメリカ人(あくまでわたしの観測範囲であるが)とのコミュニケーションは、基本的に相手のメンタルに直接語りかけるのではなく、あくまでお互いがフィジカル同士に語りかけるものだったという理解に対してだった。
だから彼らは人の行動に対して何の躊躇もなく批判(評価のほうが適切かな)をしてくるし、されることに対してもいやと思わないのだ。
自分のフィジカルであってもまるで他人事のように無責任に話をしているのだから当然だ。
日本人のようにちょっとした間違いの指摘をすぐに人格否定とは捉えないのだ。
ただ、かといって彼らが無責任かどうかは別だ。バカな行動はするがそれによって生じた結果に関しては常に真摯に受け止めてくれた。(これもあくまでわたしの観測範囲であるが、だからこそ彼は未だにわたしを大事にしてくれているのだろう。)
ただ、勉強法について何かしらの理解を行うにあたって、そこに至るプロセスをストーリーとして仮定しておくと理解しやすいというのがわたしは勉強法として有効だと考えている。
そういえば過去に一度まだ英語も全然話せなかった頃、立派に成人した男性に一度だけ”Good boy”と評価してひどく怪訝な顔をされたことがあった。
その時は確かに男子と呼ばれたら嫌だろうなくらいに思っていたが、これも彼らがフィジカルに重点を置く文化であればこその嫌悪感だったのかもしれない。
そう考えれば、彼がいまだに人の迷惑を考えず、毎朝早くから筋トレを欠かせないのも納得ができるというものだ。
英会話を勉強して3年くらいになって旅行と日常会話なら支障がないレベルになったのだけど、完了形(have+過去分詞)の使い所が今ひとつ理解できないでいた。
どこそこにいったことある?(have you ever been to)とかなら定型で使えるんだけど、それ以外ともなるととっさにはなかなか出せないでいたのだ。
それが、とあるところでアメリカ人には肩こりという概念がないという話を聞いて、妙に納得できるようになった。
というより、日本語に住み始めたアメリカ人は肩こりになるという話といったほうがいいかもしれない。
例えば、makeの使い方なんかがそうだ。
make sureは今でこそ確認するという意味で理解できるが、この単語が二つならんだだけでは今ひとつ意味が理解できない。
それ以外にも興味深いのはpossibleやleaveといった言葉だ。
is it possible~なんて、普通に考えて日本語では登場しない言葉だし、leave it to me.で”私に任せて”なんて意味になるだなんて言葉からは想像もできなかった。
なんと表現していいかわからないのだが、どれも自分にとっては他人事に思えてしまえるのだ。
そこでひらめいたのは、当然環境も異なるが最も異なるのは言葉ではないかということだった。
それをもとに考えた結果、英語はどの表現もフィジカルなものに対して使われるのに対し、日本語はメンタルを表現する使われ方が多いことに気がついたのだ。
自分は敬虔なクリスチャンではないが、祖母はことあるごとにわたしのことを神様からの預かり物だと話をしていた。
また、懺悔というシステムを改めて考えてみると、間違いを犯しているのは自分ではなく自分の肉体であることが前提になっているようにも思える。
「罪を犯してしまったわたしの肉体をお許しください」といった趣だ。
少なくとも日本では、罪を犯せば人格が疑われる。犯罪に至った心理が掘り下げられ、それによって罪の重さが決められる。
当然アメリカ人においても凶悪犯罪者は厳罰を受けるが、100年を越す懲役はそれこそ肉体そのものに課せられている象徴のようにすら感じられる。
多少ならず乱暴な理論だということは承知した上で、もし英語の概念につまづいている人がいるなら是非参考にしてみてもらいたい。
英語はフィジカルを中心に表現が組み立てられているということをだ。
少なくとも、わたしはこの考え方で英語(または英語圏に暮らす人の考え方)に対する多くの胸のつかえが取れた。
もうすこし勉強が進むとまた違う考えになるかもしれないが。
さらに少し飛躍した考えだが、もし重い肩こりに悩む人がいたら、それは肉体の仕業だと切り離して考えてみるのも手かもしれない。