2016-04-08

英語完了形理解できたことに対してもう一度解説を試みる

昨日の文章を要約すると、日本語メンタル主体に発せられるものに対して、英語フィジカル主体とした表現で組み立てられているのではないかということだ。

I have lived in Tokyo for three years.

わたし東京に3年住んでいる。

もしこの英語を直訳したのであれば、”わたし東京に三年住んだ経験を持っている。”ということになる。

これがわたし完了形学習に対して最初に感じた他人事であるという違和感だった。

そこで、英語の訳に対して”フィジカル”という言葉を加えてみたらどうだろう。

わたしフィジカルは、東京に三年住んだ経験を持っている。”というふうに、メンタルが今のフィジカルもつ情報説明している内容であることがわかってくるのだ。

まり日本語は、自分自身自分自身の今の状況を説明しているのに対し、英語自分自身自分フィジカルの状況を説明していると言えるのだ。

詭弁と取られるかもしれないが、”今現在フィジカル”を主体に考えてみた場合現在完了過去完了未来完了も、全て自然に納得することができる。

少なからわたしは、これでhaveとhadとwillの使い分けは間違えなくなった。

そこで昨日のLeave it to me.を考えてみる。

わたしフィジカルに対してそれをそのままにして”と考えてみるとどうだろう。

わたしに対してそれをそのままにして”よりは、いくらか”わたしに任せて”といったニュアンスが強くなったように思えないだろうか。

Is it possible~?に関しても、メンタルに直接”ありえますか?”と問いかけていると考えるより、”フィジカルがそうしてしまった可能性がありませんか?”と聞いていると考えたほうが納得がしやすい。

さらに決定的だったのは、英語ではI want が日本語に対してそれほど使われないということだ。

欲しい時はI would like toを使うが、これも日本語わたしというメンタルが欲しがっているのに対し、わたしフィジカルが好むだろうという言い方をしていると考えればすんなりと納得ができたのだ。

前置詞(in,on,at,by,etc)についてもそうだ。

今のわたしから見て、フィジカルがどのような状態にあるかを考えれば、多くの前置詞もすんなりと理解できそうな気がするではないか。(さすがまだできるとはいいきれないが。)

ここまで考えて英語に対するつかえが取れたというのは、そうした表現だけでなくアメリカ人あくまわたし観測範囲であるが)とのコミュニケーションは、基本的相手メンタルに直接語りかけるのではなく、あくまでお互いがフィジカル同士に語りかけるものだったという理解に対してだった。

から彼らは人の行動に対して何の躊躇もなく批判評価のほうが適切かな)をしてくるし、されることに対してもいやと思わないのだ。

自分フィジカルであってもまるで他人事のように無責任に話をしているのだから当然だ。

日本人のようにちょっとした間違いの指摘をすぐに人格否定とは捉えないのだ。

ただ、かといって彼らが無責任かどうかは別だ。バカな行動はするがそれによって生じた結果に関しては常に真摯に受け止めてくれた。(これもあくまわたし観測範囲であるが、だからこそ彼は未だにわたし大事にしてくれているのだろう。)

しか肩こりから宗教観までは飛躍しすぎたと反省している。

ただ、勉強法について何かしらの理解を行うにあたって、そこに至るプロセスストーリーとして仮定しておくと理解やすいというのがわたし勉強法として有効だと考えている。

いわば自分自身を納得させるための自分による詭弁だ。

それが多くの方を悩ませてしまったのは申し訳ない

そういえば過去に一度まだ英語全然話せなかった頃、立派に成人した男性に一度だけ”Good boy”と評価してひどく怪訝な顔をされたことがあった。

その時は確かに男子と呼ばれたら嫌だろうなくらいに思っていたが、これも彼らがフィジカルに重点を置く文化であればこその嫌悪感だったのかもしれない。

そう考えれば、彼がいまだに人の迷惑を考えず、毎朝早くから筋トレを欠かせないのも納得ができるというものだ。

どうだろう。もし間違いがあれば英語が堪能な方にぜひご指摘いただきたい。

なぜならわたし先生日本語がろくに理解できないという問題を抱えているからだ。

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