漫画の女神様であった萩尾望都は生涯独身です。一方漫画の神様たる手塚治虫には、妻子も家庭もあったんですよ。この差がわかりますか。これがこの社会の性差だと思ってますよ。別に家庭を持つことが人間の最大幸福だとは言いませんけど、でも結局、そういうことなんです。
と言われると何の引っかかりもなく読めるので、まあそれ以上でもそれ以下でもないかな。
おそらく多くの人はそんなことはわかっているが
しかしネットは匿名で発言できるので有効活用すべきではないだろうか
数百万人いる観光・外食産業の人がTwitterなどのSNSやネット掲示板に以下のように毎日書き込み続ければネット世論は圧倒できる
#GOTOイートよかったです#GOTOトラベルよかったです
もりくぼかな?
オタク歴もネット歴も長いけど二次創作を投稿したいって気持ちになることがなかった
公式の円盤やグッズを買ったり人の二次創作を見たりツイッターや5chに感想を書いているとそれで満足してしまうから
しかし最近ハマった作品はグッズも二次創作も少なく、5chに専用スレもなかったので気持ちを発散させられない
ツイッターにいるのは雑食者ばかりで(「雑食」→ざっくり言うと「主人公×メインヒロインのカップルも主人公×サブヒロインのカップルも好き!」みたいな何でもいける人のこと。逆にこの組み合わせじゃないと駄目って人は「固定」)推しの話を見たければ苦手なものも同時に目にしなければならない
うっかり固定厨になってしまった私は苦しみ悶え己の解釈をぶつけるべく先日初めて二次創作を投稿した
でもブクマは5個も付かなかった
ゼロではなかっただけ大変ありがたいけど
普段5chやここに書き込んでいるとたくさんの人から肯定されることもあれば怪文書だと引かれることもある
あっこれは怪文書の方に行ってしまったなと早くも投稿した物を消したくなってきた
ネットのオタクは創作できるのが当たり前みたいな雰囲気があるけどみんないつもこの恐怖に耐えてるの??強すぎない??
いつかまともに投稿したら数少ない同士の鍵垢にフォロー申請したいと思ってたけどROM専のわけのわからない奴から怪文書の綴り手になっても意味ないよ
一刻も早くもっとマシな作品を投稿して上書きしたい、そして神にフォロー申請通してもらいたい
今年の抱負にしようかな……
ワイは揚げ足取られたことないやで
✋(👁👅👁)🤚クンニしたいな
開き直ってて草
結局は、どんな結末なんすか?
合わないんだったら別れたらいいと思うけど文章の端々に溢れる小物感がすごいよな。。
40過ぎぐらいに自分の見る目のなさに気付いて後悔するけど何も手に入らないタイプだろうなー。面白そうだから別れなよ。彼女もいい人生になると思うよ。
感情が表に出る時、「〇〇なんですけど!」って言う癖がある。
例えば、
「ありえないんですけど!」
とか。
若者が使ってる形跡が2007年から2008年、私が大学生だったころで
今でも使っている人がいると思ったら、30代半ばで私と同世代。
ゾンビ🧟♀️🧟♂️かな?
もしも、主人公と同じ高校生の頃の自分が天気の子を見てたらそういう感想になったのは、多分間違いない。
その頃の自分は、皆が協力すれば皆が幸せになるし、そうして協力によって生み出された利益は自分にも返ってくるから自分も幸せになると思っていた。
ゲーム理論の一番簡単な部分を、上っ面だけで理解してそういう風な事をホンキで考えてた。
でも実社会でそれなりの時間を過ごして、功利主義を通用させられる状況の限界を知った。
自分が誰かのために犠牲になったとして、それが一時の不利益でしかなく最終的にはプラスに転じると言えるのは不利益の規模によるということだ。
友人のためにコーヒー代を貸す(おごる)ぐらいなら、すぐにそれは返ってくる。
でもそれがある程度の現金だとか、身分だとか、ハンコだとか、そういった物になっていくにつれて、巡り巡っても返ってこなくなる可能性が高くなる。
そして、そういった行為に対して返ってくる感謝ですらも、ある程度の上限はあるのだと。
特に、犠牲によって成された善行が人の記憶から消える速度は早いのだ。
自分が犠牲になって他人のために何かを為しても、捧げた自分自身に対して戻ってくるものは少なく、そして他人が同じように犠牲になってくれる保証もない。
そもそも、どこかで大きな犠牲を誰かが払うことになるロシアンルーレットじみた社会は、結果としてその構成員全員に強い不快感情を及ぼすことになる。
犠牲になるのなんて、ある程度まででいい。
全世界の人間と一人の人間の命が交換になるような状況であったとしても、本人や知人がその選択を選ぶ必要なんて無い。
世界規模のロシアンルーレットを回すしか生き延びる手段がなくなった世界なんて、滅ぶほうが正解なんだ。
今ならそう考える。
あの結末は「子供の理論」として作中では描かれている節もあるが、同時にすべてを自分たちで背負いこもうとするのも「子供の理論」であるという自己矛盾が意図的に仕込まれている。
じゃあ大人はどういった答えを選ぶべきなのかと言えば、それはラストシーンで語られているのだから私がわざわざ口にするわけもないわけで。