「その気になればだいたい何でも殴れる棍棒」を「気に食わないものだけに振るおうとする」ってあたり、あの人らが必死に反対してる共謀罪やら何やらとどう違うんだろうという感じではある
七味唐辛子って知ってる??
私はこれまで、自分を無能で、ダメで、最低で、クズな人間だと考えていた。
いや、厳密には、自分のことなんてどうでもよくて、どうでもいいと思うほど優先度の低い存在だと考えていた。
そう考えていた時期の私は、思ったときに風呂に入れず、飯も食えず、眠れず、学校にも行けず、課題もできず、仕事も手につかず、PC の画面ばかりを眺めている、廃人だった。
精神科には、行けなかった。
「僕にはなんらかの精神疾患があるだろうけど、そう思うのも自分の考えだし無視していいや。精神科に行こうと考えても無駄だよ。」
苦しい日が、何ヶ月と続いた。
「自分の考えなんてどうでもいい」という強迫観念は、どこまでも私を蝕んでいった。
次第に、他人に助けを求めるようになった。
精神科に通う人のブログを見て、友人に「僕はね、自分のことなんてどうでもよくて、自分の考えなんて無視していいと思っているから、精神科に行こうにも行けないんだ。誰か、僕に精神科を勧めてくれないかな。勧めてくれたのなら、自分の考えを信じることができるから。」と言っていた。
一方でこの時期の私にも、たまに元気なときがあった。
元気なときは、「できたらいいな」と思うことは「よし、やろう」と意気込んで行動できていた。
「いや、自分の考えをどうでもいいと思っているなら、自分の考えを尊重できるわけないだろ」
と思うかもしれないが、いや、「自分の考えをどうでもいいと思っている状態」がそもそも異常だったのだ。
精神が正常な状態では、自分の考えがどうでもいいとは思わない。
つまり、ときには「自分の考えをどうでもいいと思わない状態」があったということだ。
このことに気づいてはいたが、「本当にそうか?」と疑い、「それもまた自分の考えだから信用できない」と考えている自分がいるのも確かだった。
気づきを大事にする自分と、気づきを隠そうとする自分、双方が存在していた。
ある日は気づきを大事にする自分が自分を大事にするためのメモを残し、またある日は気づきを隠そうとする自分が自分の考えを否定するメモを残していた。
そう、私が元気になりつつあるのも、自分を大事にするためのメモを大切にすることが多くなったからだ。
もちろん、疲弊し余裕がなく、自己否定ばかりする日がほとんどだった。
その中でも、例えば週に一日でも、気づきを大事にするためのメモを残していった。
そして、まず週に一日の自分を大切にする日を作り、次第にその一日一日を増やしていった。
自分を大切にする日が増えていくと、疲弊していた精神も楽になっていくのを感じた。
自分を否定するのが大好きで希望を失っていた私は、自分を大切にすることによって生きる気力を取り戻した。
これ、まさにここ。リベラルが嫌われてるんじゃなくて、説教臭さが嫌われてる。
アレをやっちゃいけません。
これをやっちゃいけません。
どうでもいいところまで口をだしすぎた。
それは逃げるよね。
ネトウヨも、アレは反日、これは反日、と言いすぎたからおかしくなったんじゃないの?
何でもかんでも、あれはよい、これはダメ、と区別したあとで、説教したがる人がいるとそれは逃げるよね。
面倒くさいもの。
ご飯あげたりはしていない。
おれ「おはよー」
ネコ(……ちら…おまえか、みたいな顔)
おれ「寒いねー元気かー?」
ネコ(……ちら)
おれ「えらいなあ。じゃあな、行くわ」
おれ(やったー!と内心ガッツポーズで無言なでなで)
このままじゃ日本の研究はダメになる? 睡眠学の最先端に聞く資金不足の裏側 | フミナーズ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/fuminners.jp/journal/entertainment/15638/
一方的に女性の聞き手が男性の専門家から話を聞かされて、相槌打つだけの形式じゃないか。
しからばすなわち現今の日本は封建時代先天の日本と、明治時代後天の日本との大激闘の戦場といわざるべからず。(中略)されば今日のわが清鮮爽快なる日本の新天地においてすらなお旧分子の冥々隠々裏りに飛揚跋扈の威勢を逞しゅうするもまたゆえなきにあらざるなり。
抑も明治の維新は、我国未曾有の大改革にして、万国にも殆ど比類なき所なり。封建の制変じて郡県となり、衣冠束帯変じて洋服着用となり、藩兵は変じて鎮台兵となり、孔孟の教衰へて西哲の道行はる。その他、制度風俗より農工商に至るまで、昔日の旧慣地を払ひ、明治の新天地となれり。
このあたりの「天地」というのは「天と地のあいだにあるもの=世界」という意味で、