君も大人になればわかるさ
Twitterとかみるとクリぼっちとか何とか言ってsiriに色々いう人がいるじゃん。
その反応UPされてると思うことがあるよね
いや、中の人がいるのは分かってるし、パターンとかあるのも分かってるんだけど、
なんていうかさ、同じものが上がっていないからsiriは個々独立して何かを考えるようになってるのかな、と。
あのsiriは従順で、そっちのsiriはツンデレで、あっちのsiriは年上属性かもしれない。
そうなってくると、ディープラーニング云々以前に、身近にすンごいやつがいるのかもしれない。
要するに何が言いたいのかというと
彼女が欲しい
広告のおかげで無料で楽しい記事を読めたりするから今までガマンしてきたけどあまりのうざさでトサカにきたぜ。
しかも勝手に音声が流れる広告が同じページに複数個あって同時に流れるもんだから何言ってるか分からないし音デカイし最悪でしょ。
割と長くつきあってて、10年以上一緒に住んでいる人が居るんだけど、お互い名字を変えたくないから結婚していない。
お互い子供もほしくない。
表向きは、ちょっと話題になっている「選択制夫婦別姓」を望んでいるんだけど
実際の所、そのおかげで結婚しないですんでいるとちょっと安心している自分も居る。
でも、相手のことを大事に思っていないわけではない。とても大事な人。一晩離れるだけでさみしくなる。
いったいどうすれば良いんだ。。。
前世の記憶は持ち合わせてねーんだけど、生まれる国と時代は選んだ気がする。親はリストが多すぎるし、正直検討のしようがないから選んでない。けどほんとになんでもいいって言うと人気ないひどい親ンとこに振り分けられるので、最低限普通の生活ができるとこは要望した気がする。地球の外は出る気なかった。人でいいって言われたから人にした。あ、生まれる前の魂の話な。
信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいいってのは一つのスタンスなんだから分からないなら分からないでいいじゃん。当然逆のスタンスの人もいる。人を信じたばっかりに地獄に堕ちたような人もいるでしょう。
振られて惨めに感じるってのが分からない。悲しいとか辛いのなら分かるけど。振られたことを他人から笑われると思ってる?人目を気にしすぎなんじゃ?もしくはこっちが付き合ってやってたのに振られるとは信じられないってこと?人を上下関係でしか捉えられず対等な関係を築けない性格してるんじゃない?恋愛という超個人的な関係の中で惨めに感じるのがよく分からん。
そういうの見てると殺人も暴力も窃盗も放火も全部許される気でいるんじゃないかって思う。何しても解雇されないって最高の寄生環境だよな。
2010年頃、私は、いくつかの不思議なビジョン(光景)と声、不思議な音などを感じた(見た?聞いた?)。
どこにも書けないのでここに書く。
家の近くのデパートに出掛けた帰りの事だった。
厳密には、今の実際の建物と重なるように2重写しで見えていた。
目を何度こすってもその廃墟の街が目の前に広がっている。
私は、焦りまくった。恐怖に刈られた。
あの感覚を今でも忘れない。人がどこにもいない。無人の町。頭のなかには轟音が鳴り響いている。ああ、何もかもが失敗してしまった…。遅かった。私の帰る場所なんてどこにもない。
まさに、聖書の中に書かれているアルマゲドンがあるとしたら、こんな感じだと思った。
こんなことをしている場合じゃない。私は何かしなくては。周囲に叫びたくなった。
「やばい!あぶない!ここにいては危険だ!」と、少しパニックになりながら。気持ちが高ぶるのも当然だった。それぐらい私の中でリアルだったのだ。
けれど、もちろんだけど周囲の人間は誰も信じなくて、「はいはい。落ち着いて」と私をなだめた。それでようやく私の興奮も覚めた。
そして本当に、あれから時間が経って何事も起こらなかった。私の街は今も健在で廃墟ではない。あんなにリアルにはっきりと見えたのに…。
小さいときは良い子にしてたらサンタさんが来るよ〜って言ってプレゼントを枕元に置いてあげてさ、何年か騙し続けてさ、ある程度大きくなったらサンタさんは実は親でしたーってネタばらししてさ。
最初から親がクリスマスプレゼントあげりゃいいじゃん。
だいたいクリスマスの何がめでたいのかもよく分かんないんだけど。
(追記)
私は今年出産した子持ちです。来年から騙さなきゃいけないの納得いかないなと思いまして。
前に夫に同様のことを言ったら賛同は得られず、彼はむしろ積極的に信じさせたい派です。理由はやりたいから!だったかな。まぁやりたいなら付き合うけどさ。
どいつもこいつも社内勉強会を開ける程に会社全体の意識が高く, 時間的な余裕があり成果を業務で使わせてくれる柔軟な会社に勤める高給取りなんだが.
お前の頭のほうが終わってるわ、ボケ。
読書感想文が嫌いだった。
中学か高校の頃「自分のことを作文しましょう」と原稿用紙を渡されてどうしてもかけなくて授業中泣き出した。
大学の頃、授業ごとの出席表替わりのコメントペーパーがなかなか書けなくて大抵最後に教室を出ていた。
物心ついたころには日記を書いていたし(しかし良く飽きてノートの途中で終わっていた)
一時期ブログも運営していた。しかも読んだ本の感想を書く形のものを。
レポートを書くのが好きで、レポートで単位が取れるものを良く選んでいた。
境目がどこにあるのかは私もわからない。
大抵はその場で要求されるなど、時間をかけられないものに対して感じることが多い。
書いた後ひどく落ち込んだ気分になるし、ひどいときは書いている最中動悸がひどく目がかすむ。
今一番困っていることは就職活動だ。
とても、つらい。
情けない話(他の要因もあることにはあるのだが)上記のことから就職活動を続けるのが困難になっている。
気になるのは、このように感じるのは私だけではないのではないかということだ。
もし同じように感想文が怖い人がいるならば
どうやって折り合いをつけて生きているか聞いてみたい。
疲れ過ぎとちがうか…?
絵に描いた餅にむかって何を言ってるんだ?