はてなキーワード: エコノミークラス症候群とは
https://note.mu/enkykliospaideia/n/nc971ac77b96c
この話ね。まず、
1 技術が活かされてないと感じる
テレビというメディアは単純な受身型のメディアという面がありますが、最近は地上波デジタル放送によって双方向に対応したり、サブチャンネルによって各局複数の情報を同時放送できるようになってます。でも、そういったことが災害報道では全く活かされないのはどうしてなんでしょう?
なっているのは規格だけ。双方向で送れるのは5つのボタンを押したかどうかだけだし、その情報はインターネットがつながってないと送れない。停電しているところに「無事ですか?」ってアンケート送ってそれに対する返事があったりなかったりすることが災害報道で活かせるかというと、ないよりましな程度。
地上波デジタル放送になって、テレビのチャンネルは複数放送できるようになっているのに、それを活用しないのはどうしてなんでしょう?
サブチャンネルは、リアルタイム動画エンコーダを複数持っていないと放送できない。MXは複数チャンネルを活用しているね。あとは、関東地区のキー局と関西地区の準キー局、あとはプロ野球のホームチームが強いところだと複数エンコーダをもってる可能性があるけど、熊本は微妙。使うかどうかわからないSD動画エンコーダを入れるってかなりの経営判断になるし、これを書いた人は2006年位に佐々木俊尚が「2011年、新聞・テレビ消滅」とまで煽っていたことを忘れているんじゃないかな。実際5年間の移行期間の出費とデジタルTVの普及率次第ではそうなる可能性もあってどこもなるべく安く導入しようと必死だったから。たぶん、双方向データ放送の制作設備なんか、もってるところのほうが少ないと思う。
そのアイデアは面白い。HD化しているのでもしかしたら映るかもしれない。ただし、筆者はたぶんお役所が出している資料がどれだけ読みにくいものか認識の外にあるんじゃないかとも思う。資料はPDFで役所のwebサイトに公開されているし、それを再生紙に印刷したら、手持ちのカメラを使って録画して見てみるといい。
ちなみに、「どのチャンネルも同じ絵を映している!もったいない」はたぶん担当者も同じことを思っていて、記者会見なんかは余裕のない地方局を中心に代表でカメラを出してあとはそれを分配、なんてこともしているけど、これその代表者が撮影に失敗しても泣かない、ということとトレードオフなので重要なところほど他に任せられなくなるという問題がある。
2 センセーショナリズムから抜け出していない
被災地の悲惨な状況や、困窮、資源の不足を取材したのなら、そこにうまくそれを助けるために私たちが何ができるか、義援金のお願いや救援物資の送り先といったものの情報をうまくセットにして常に伝えるといった工夫が足らない
義援金のお願いは普通にしている。ニュースの〆に流れているカンガルー災害募金(今は別の名前になっているけど)とか、ドラえもん募金とか聞いたことないとは思わないけれど、それがセットになって伝わっていないとなるとちょっと厳しいかもしれない。
救援物資の送り先は基本的には流さない。なぜかというと、救援物資が足りない、と言われてから個人に用意されてもどうにもならないから。そもそも、困窮とか資源の不足の話、今回の熊本の地震では、東日本大震災の時の教訓もあってかなり抑制的になっているというか「(届けてくれるところはあるけれど)それが来るまでの数日が足りない」っていう話とセットになっていたはずで、本当にこの人、災害報道見ているのかちょっと怪しいと思った。
延々テレビ局のスタジオから放送しているのに、出てくるのは切迫した雰囲気で伝えるアナウンサーと、わずかな地震学者や地質学者系の専門家だけという感じなこと
バラエティ番組や情報番組であれほどコメンテーターやら、何やら評論家やらをたくさんテレビ局に呼んで並べているくせに、こういう長時間の放送の時にこの人の少なさはなんなんでしょう?
もっと役に立つ人がいるなら呼ぶから、こういうのはその役に立つ人の名前を出してほしい。ちなみに、エコノミークラス症候群とか、避難所がそもそも危ない場合もあるとか、そういう話については専門家を呼んで話してもらうまでもなく共有されている情報だったので、キャスターから直接語りかけられていたよ。
4 正確性が疎かになっていること
テレビはその速報性やリアル感といった部分での競争を意識するあまり、ネットで流れる情報をあまり確認せずにテレビでも取り上げるという愚を犯すようになり、自ら信頼性を下げているのは嘆かわしいことといえるでしょう。
これ、具体的にはイオンモール火災の話だと思う(マンションの接合部はそこがもともと計算した上での設計であろうと今回の地震で壊れたことに変わりはないし、熊本城の瓦は加藤清正の設計じゃないよね?)けど、そこは確かにどうにかしないといけない。
とはいえ遠隔中継できるカメラを持っている人が山ほどいる時代にそれを使わないのは流石に微妙なので、誰を信用するか、みたいな部分で担保するしかないのだろう。
正直、正確性と速報性はどちらも求められることで、そのバランスは難しい。新聞とテレビと比べると、テレビは若干速報性にバランスを振っているし、新聞は正確性にバランスを振っている面はあるので、そこは新聞と併用してほしいとも思う。
震度6の揺れが来たこともあった。
4/14の最初の地震があった時点では、震源地の益城とその近くでは大変な被害があったけど、その他の地域への影響は限定的だった。
一部地域で水道水が濁ったり断水になったりというライフラインへの影響と、スーパー・コンビニから水とパンが消えたというのが主な被害だった。
余震は続いたが、本震は過ぎたことだし、徐々におさまってまた日常が戻ってくるだろうというのが大半の人の考えだったに違いない。僕もそう思っていた。
そして、その不意を突くように、4/16未明、あの大地震が起きた。
南阿蘇村を中心に大きな被害があったことは周知のことだと思う。
この地震以降、僕の周りでも状況の深刻さの度合いが変わった。
ほとんどの店がクローズしており、営業している店を見つける方が難しくなった。当然、営業している店には長蛇の列。
炊き出しや給水場などが増え、そこでお世話になることが普通になった。ああ、ここは被災地で、僕も被災者なんだなと実感した。
事態が完全に回復することの見通しが立たない中、これじゃ生活がままならないなと思った僕は県外の実家に一時的に帰ることにした。幸いにも僕の実家は熊本からそう遠くない。
僕の友人にもそうする人はいたし、テレビでもそういう人たちのことが写されていた。
高速道路が一部閉鎖されたりと多少の交通規制はあったが、通常の1.3倍程度の運転時間で実家に帰りつくことができた。
実家では、スイッチを押せば電気が点いたし、蛇口をひねれば水もお湯も出た。
快適だ。僕はあっさりと快適な生活を取り戻すことができた。
こんなにも簡単に元の生活を取り戻すことができたことに、僕は言いようのない違和感を覚えていた。
そしてその違和感が、熊本に漂っていた雰囲気としての深刻さと、そこから簡単に抜け出すことができたこととのギャップだということに気づいた。
もちろん、阿蘇大橋が落ちて身動きがとれない阿蘇の人達や家が倒壊するなどの大きな被害を受けた人達を始めとした「どうしようもない理由」を抱え、支援に頼らざるを得ない人達はいる。
だがそれ以外の人達は、案外簡単にこの状況から脱することができるんじゃないか。
僕は実家に帰ったが、友達の家でも、親戚の家でもいいし、宛がないならしばらくビジネスホテルに泊まるでもいい。
緊急事態だし、ゴールデンウィークの代わりの旅行とでも思えば出費のことは我慢できるだろう。
熊本は車社会だから大半の人は自家用車を持っている。車を使えば簡単にこの被災地から抜け出すことができるのだ。
仕事は、電気が来てないんだから大半の職場では休業だろう。僕の会社も数日間は臨時休業となった。有給をとってもいいだろう。
地震が起きたのは土曜日の未明だから、土日の間だけでも避難するという選択肢もある。
もちろん県外に出ることを強要することはできないが、何かそこにとどまらなければいけないという思い込みがあるような気がする。閉じ込められたという勘違いがあるような気がする。
ライフラインが機能しない状況では、金銭的に余裕がある人でもその場所に留まる限り、支援に頼らざるを得ない。
余裕がある人は、県外へと出て、自分が支援を受けなくてよい状態にすることが、「本当に支援に頼らざるを得ない人」を助けることにならないだろうか?
その方が、不自由がないからその人自身も時間を有効に使えるし、win-winな結果になると思うのだが。
[追記]
ついにエコノミークラス症候群で死者が出た。
熊本を出さえすれば、あっけないほどに、いつも通りの生活を送ることができるのに。
一度も経験した事ないけど、ビジネスクラス以降はワインとかパンケーキがサービスで食べ放題なんだってね。
この間ヨーロッパ旅行計画した時のパンフで宿泊できる個室みたいなのもあってすげえなって思った。
確かにクソ高いけど、快適な旅を愉しめそうだった。
エコノミーじゃあ、エコノミークラス症候群必至な狭い座席で何時間も拘束されて息も詰まりそうだった。
申し訳程度の紙コップにビールとサンドウィッチが食べ放題でなく提供されて、
アナウンスで「ご利用の皆様へ~中略、良い旅を」って皮肉かな?
映画も一昔前に見たようなのばっかだし、ビジネス以上のホントの意味で快適な旅が出来ると
あ、今度寝台列車で5泊するんだけど、これも一等車、二等車っていうのがあって、
あいにく満席らしくて二等車に乗るんだけど、やっぱりサービスの質も全然違うのかな。
寝台列車は飛行機に比べるとまあまあ安価だから快適さを求めたらやっぱり一等車に限るんじゃないかと思うの。
http://anond.hatelabo.jp/20100214143823
お前らドレスコードってやつを知らんだろ。
式典ならともかく、移動中の空港で、シャツをズボンに入れてネクタイきっちり締めなきゃいけないっていう決まりはない。
お前ら移動のときどんだけきっちりした格好してるんだよと。
飛行機乗るのに血流悪い格好したら、エコノミークラス症候群になるわ。
JOCがそういう通達出してたってんならわかるけど、たぶんJOCは出してない。
なぜなら、他の選手やコーチや役員も、空港ではノーネクタイでカジュアルな格好だったから。
つまり、国母のあの格好は、移動時の空港においては何らルール違反ではない。
タキシードと燕尾服とモーニングの違いもわからないような奴に限って、したり顔で国母の服装に品格(笑)とか社会のルール(笑)を説いている。
キーワードより
いろいろあるなー
ゆったりシートとエコノミークラス症候群の境目。
タダでカップ麺が食えるか、食えないか。
トイレには自由にいけるか。
食後のチョコがついてくるか、ついてこないか。
スリッパ。電源。
まずい飯さえ我慢できれば、こんな面白い場所は他にない。
誰かが突然床に突っ伏して痙攣しはじめる。
「お客様の中にお医者さんはいませんか?」のアナウンスを期待したが、無い。
隣の席のビジネスマン風の青年が機内放送の映画を見ている俺を横に、
確かに今期の映画のラインナップは新作から旧作に至るまでクソ揃いだったけれど、
狭い機内ではきわめて面倒くさい行為である「パソコンの出し入れ」をしてまで
観たい映画ってのは一体なんだろう?
と思ったらハルヒ。
高度何千フィートもの空の上で、長門を食い入るようにみつめて、ハルヒ。
泡吹いたおっさんは死ななかった。医者を呼ぶアナウンスもついに聴こえなかった。
本当に、この席は面白い。