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はてなキーワード: アスペルガー症候群とは

2011-12-19

アスペルガー症候群てんかん運転手の事故

アスペルガー症候群の特徴として

  • 頑固・変化を嫌う
  • 冗談比喩、ほのめかし、皮肉などを理解できない
  • 自分の好きな話題(いつも同じ話題)に戻っていく
  • 主観が強すぎて客観的思考ができない
  • とても些細なことで揉める

こういうものがあるようだけど、こういう人に居られると正直迷惑だと思うんだよね。

本人のせいではないし、薬も無いからどうしようもない、かわいそうな話ではあるんだけど、

周囲が迷惑するのは事実だよね。

これについてアスペルガー症候群の人たちはどう考えているのだろう?

病気から仕方が無い」という考えなのかな?

では、運転中にてんかん発作を起こして小学生6人をひき殺した人についてはどう思う?

彼は望んでてんかんになったわけじゃなく、病気のせいで人殺しになってしまたかわいそうな人だ。

あなたは彼を罰するべきだと思う?

極端な例だけど、同じ種類のことだと思うんだよね。

2011-11-03

発達障害者は殺処分しろ。

発達障害は怖いなぁ。

発達障害の人って、周り中がシャーロック・ホームズマイクロフトばかりの世界に紛れ込んだトロワトスン君みたいな気分?

「遠回しな表現を理解できません」「否定的な言葉かけに過剰反応します」” こんな人が職場に来たら… 迷惑。迷惑。

発達障害者恐るべし

「誰か、あるいは何かに対して、強い恨みを持っていることはありませんか?」の問いには、「ある」と答えた人は112人。全体の33.9%に上った"  恐るべし。

「俺は発達障害だった」... だって近年は単にちょっと頭が悪い程度の事にまで病名っぽい大仰な名前が付くのか。

福祉大国スウェーデンにおいては、発達障害含む精神病患者は、犯罪を犯す前から全員政府監視下に置かれていると聞く。

教え子に乱暴、「嫌がらないと思った」と元教諭  - MSN産経... "奥田哲也裁判長は、被告広汎性発達障害の傾向があるとする弁護側の犯罪心理鑑定書などを証拠採用した。" 広汎性発達障害者恐るべし

知障は幼女への性犯罪多いそうだしな。予備拘束すべきかもな。発達障害もヤバげじゃね?予備拘束だな。

発達障害精神分裂病予備軍らしい。発達障害者恐るべし。

自称欝の次は自称発達障害か。

広範性発達障害人間というのは刑務所に入れた方が治るのか少年院に入れた方が治るのか、どっちなんだろう。

生前の脳の異常である故、改心の見込みは皆無、我々健常者に出来る事は、力関係に応じて逃げるか追い出すのみ。

町田・高1殺害事件、元同級生の少年に2審も懲役11年 : ... 発達障害は怖いなぁ。

所詮は知障の一種に過ぎぬと。

只の我侭で能無し嫌な奴。

異常者恐るべし。

ところで健常者の事を定型発達者と表記すると、あたかもこれは機能不全ではなく只単にタイプが違うだけの互角並列同格の関係であるかのような誤解を与えかねない。

アスペルガー症候群ハッカー中年での診断が増加 | WIRED... こんなのが我々健常者の間に何食わぬ顔で紛れ込んでいるのか…

おいおいIT業界も他人の気持ちを推し量るの結構重要偏見助長は如何なものか。向いてるのは「芸術家」とかにしといて。ちなみに特定の分野に於いても秀でた能力を持っていない人の方が多いんじゃね?

頭脳労働は向かない奴だったなぁ。思い出すだに腹立たしいあの薄馬鹿は。

ミスタースポック的に視野が貧しい病の人から見た健常者の世界

アスペルガー社会人Blog : 何故こんなことしたの? ← 馬鹿と働かざるを得ない上司は大変だなぁ。常人なら1分の説明で判る事を30分説明させられたり。しかも往々にして判ってなかったり。/いや、原因が何であれ馬鹿馬鹿

広がりを見せる自閉症ソフトウェアテスター育成プログラム... ”現在、同社の収入の60%は寄付によるもので、売り上げは40%に過ぎない” ← やっぱ使いものにならない模様。

お父さんの[そらまめ式]自閉症療育: 今般のトラブルについて... ← 自閉症は怖いなぁ。絶対に関わりあいにならないようにしないと。

常時ゼッケンつけるのはどうだろう。黄色地に黒で「単鬱」「統失」「自閉」とか。私なら見かけたら道を譲る等の配慮をする。10m離れて

2011-10-30

愚痴書いた

はずだった。

んだけど、なんだか投稿されてないね

母がアスペルガー症候群か、私がアスペルガー症候群か、もしくは両方アスペルガーだと思うんだけど何ともならない

から言葉のDVひどい母だとは思ってたけど最近アレは私以外ほ弟を除くすべての人に適用されていると知った。

そしてどの暴言も忘れているのだ。母には私を可愛がっていた記憶しかない。そしてそれを詩にして公衆の面前で発表している。

してもらった覚えのない「いい母」像の詩の朗読を聞かされた私は本気で寝込んで自殺未遂をした。

そんな風に愛されたかった、愛されないものと割り切っていたのに覚えていないなんて辛くて頭が真っ白になった。首を吊った前後のことはほとんど覚えてない。

小学生の時からメシ作ってて中高メシ作ってて、老後の世話まで見れるか!

とか思ってたのに弟はなんだか遠距離恋愛半年()の恋人結婚するらしい。

あのね、私、彼氏と逃げるとかできないんだ処女なんだ。異性と親密な仲になったことがないんだ。母がずーっと男はくそだってつぶやいてたからさ。

でもそれが原因じゃなくて私もアスペルガー症候群なんだろうかね、それで彼氏できないんかね?容姿はそんなに悪くはなかったと思うんだけどね

明らかに弟のは逃げなんだけど私は逃げられない。同居してんのあっちなのに、ずっと普通の家庭のように甘やかされてきた弟なのに

母のことは嫌いになれない。愛されたいと思っているし愛したいと思っている。でもそれ以上に自分の命は大切だ、自分が好きで嫌いになりたくない。否定されたくない。何よりもう前後もわからないほどの混乱をしたくない

離れてる期間が長いと非常に「私に対する当たりは」いい母親だけどけしてもう近くで母の面倒なんか見たくない。この先一生解決しない、さらにひどくなる人間関係を続けいていたくない

失踪したい。できないなら死にたい

2011-10-13

発達障害の診断が無茶苦茶になっている件 http://anond.hatelabo.jp/20111013092320

検索してわかった。yahooじゃない質問サイトでも無茶苦茶な答えがある。本当に専門家だろうか?という自称専門家もいる。

アダルトチルドレンどころじゃないw

ほんとに無茶苦茶だwww



だいたい、ブームになるのがおかしい。急に増えるわけが無いものなのに。

専門家のように書いている人でも、医師じゃなく心理の何かをかじってしまったような人なのだろうか?適応が良くなるような訓練や心理療法の研究をしているのを、かじったとかか?

しかし、その前の診断に関する知識が間違っているのは、なぜ?!

だって発達障害という言葉で現されるのは、前頭葉の働きに問題がある人たちの事で、自閉症の一種なのに!!!

問題と書いたのは、障害は障害だけど、問題が無ければ、それはそういう状態というだけの事だから、悪いとも言えないので、障害とも言いづらいものから

二次的に問題が起きていたら、それに対処する事はあるだろうけど



MRI検査をやっているような病院の中で大きな病院に聞いてみたら、そう言うと思うけど・・・

発達障害というものの、定義を変えました、とかうちは独自の解釈でやってます、と言い出されたらわからないけどw



追記

wikipediaには、アスペルガー症候群は、日本アメリカでは公的文書では自閉症と区別していると、出ているが・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

wikipedia発達障害のところでは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3

家庭での虐待や抑圧によるものは含まない、先天的ものだけという内容



自閉症を含まないというのは、従来のと区別しているという事だと思うし、従来と違って、自分で生活したり社会に役立つ事をしている場合もあるからだろう。発達障害というものの、障害ではなく状態と書いている本もあるのはそのせいなんだろう。

発達障害は、情緒の発達に先天的に障害がある人を表す言葉勘違いしてませんか?

http://anond.hatelabo.jp/20111013092320

発達障害自閉症の一種なので、脳の機能的な問題です

から、脳を検査して診断されます

それ以外は、発達障害の人に類似した状態を示す人、でしかありません。

その人たちの脳を調べて、前頭葉の働きに問題があれば、発達障害になるかもしれませんが、検査してみないとわからないはずです

詳しくは、MRIや脳波の検査をしている病院に聞いてみて下さい。そう言いますから



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タイトル情緒のを付けました。情緒の発達に障害がある場合もあると思いますから、語弊がある言い方かもしれませんが、結果としてそうなっているだけです

子供の頃を見なければ、情緒の発達に障害があるのは、虐待的なものや抑圧的な接し方や、その他の問題でそうなったのか、先天的ものかわからない、というつもりで書いているのかと思ったので、タイトルしました。

情緒社会性に問題がある人もいるかもしれないけど、発達障害というのはアスペルガー症候群という自閉症の一種の人たちを表す言葉で、その診断方法は脳の機能的なものを基準にしている、という事が言いたかったのです

それに、騒ぐほど、アスペルガー症候群の人はいないと思います統合失調症の人の比率と全然違いますから

2011-10-11

人を呪わばアスペルガー症候群

自分ってアスペルガー空気読めない人の間くらいなんじゃないかって悩んでる人って結構いるんじゃないだろうか。

私はアスペルガー症候群存在を知って、自分ってもしかしてって思ったし、友達にもそんなのはいる。にちゃん見てても自分は障害とか言い出して叩かれてる人って結構いた気がする。

自慢だけど父親は賢い。京大出て研究職してるし、小学生の時には微分積分わかってたとか自慢された。ただ空気読めない。急に出かけるとか言い出して、すぐに支度しろあと5分とか言い出す。出かけたくないっていうとメチャクチャ怒る。

母の買ってきた棚をノコギリで切り始めたりしたこともあったっけ。

最近分かったけど、どうもこちらを威圧したいわけじゃなく、なんかもう本人もわけがわかってない様子。自分が怒ってる時の相手の表情なんか絶対見れてないし、こっちが怖がってることも気づいてなかったんじゃないだろうか。

×空気を読む

空気を見る

みたいな記事読んだけど、ほんとにそうだと思う。

私自身について言えば中・高の時は男子の顔は全部同じに見えて、女子髪型や体型が似通ってると無理。酷い時は1年経っても同じクラス人間の8割の顔を覚えてなかった。写真どころか本人を見ても自分と同じクラスの人かどうかすら分からない。

大学入ってからは加えて先生の顔もわからない。しっかり毎回真面目に授業受けてたのに、その先生の部屋にレポート出しに行って、それが授業してた先生かどうかわからない。

××先生ならあっちのほうで見かけたよとか言われるとかなり困った。

ずっと自分は人の顔が覚えるのが苦手だと思ってた。

覚える前に見てないだけだった。

意識して目を見るようにしてみたら急に色々わかるようになった。今まで自分が相手の声色でしか反応を測ってなかったことに気付いたし、2・3回頑張れば顔の見分けがつくこともわかった。

相手がどんな人なのか憶測して噂話する面白さがわかった。

自分アスペルガーなんじゃないかかいうと、すごく怒る人の気持ちもわかる。

ほんとにアスペルガーだと、もっとすごい空気の読めなさなんだと。お葬式中に人間を焼いた煙がどうして灰色じゃなくて白色なのか気になってしょうがなくて、きちんと答えてもらえるまで周りの人に聞くのをやめないとか。

NHK教育アスペルガーの子供向けの番組をやっているけど、黙って隣の子消しゴム取ったらダメとか、ものすごくあたり前のことをやっててびっくりした。

ちょっと困るどころじゃなく周りの人全員から関係を断たれかねない言動をしばしば起こしてしまったら、確かに生活に支障を来たすし、障害と呼ばざるを得ないと思う。

しかし私だってずっと困っていたんだ。芸能人だと誰がタイプ?とか聞かれてアイドルは全部同じに見えるとか言えない。(顔は整ってるほど見分けが困難だ。)

話について行けなくて何度寂しい思いをしたことか。

みんなしっかり顔を見て覚えていたなら教えてくれたら良かったのに。というかそれまで自分が見ていなかったことに気づいて愕然としたというか。

顔の作りや表情を意識して見るようになって急に世界が広がった。

もし顔がさっぱり覚えられないという人がいたら、ぜひ一度周りの人の目を見て生活してみて欲しい。

2011-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20110920211329

アスペルガーも、こういうのあるよな


発達障害


アスペルガーも、医者が読んだり参考にする本と、庶民が本屋で手にする範囲にある本とでは、ずいぶん違う。

本当は、脳波や血流を計って、前頭葉がどういう状態か調べて診断しないと、わからないのに、保健所でも心理テストや心理診断で、幼児を判断したりしてるという書き込みを見た事もある。これは医者に診せる前段階としてやってるのかもしれない。設備がある精神科じゃなくて、心療内科でも診て正確な脳波の検査など行わないまま、診療を続けている事もあるらしい。

巷の本屋に並んでいる本や、図書館にある本でも、特徴として医師治療者(心理何ちゃらの人)が、書き連ねているものは、彼らの主観に過ぎず、前頭葉機能的な障害がない人でもある事でも、特殊な事のように挙げている。

こういうのは、自分の観察力を見てほしいのかなぁ、何なんだろう

そして、更に怪しい!!!まるで流行ってた時の全盛期ACのようだっwwと思ったのは、自閉症スペクトラムかいうやつ。これは拡大解釈自体を肯定する考えを持ち出したという事で、この手のものとしては画期的だったかも。自閉症と健常者(定型というらしい)の間には、無限の段階があり、完全に正常な人はいない、ごく薄くはどんな人でも自閉の元みたいなものがあるとか   当たり前だろwww

白いミルクの中に、一滴何かのジュースを入れたとしたら、どれだけ薄まったとしても、ごく僅かはそのジュースが入っている状態になる。健常者がそれだとしたら、自閉症と言われる人たちは、そのジュースが濃い状態の人、とかってまことしやかに説明されていた。



アスペルガー拡大解釈わざとさせる人がいるせいか、その特徴だけ一人歩きしてしまっている。

ネットで相手の人格否定する煽り用語として、アスペアスペ言ってる人もいる。


アスペアスペ言っても、前頭葉に障害がないとアスペルガー症候群ではないのに。



ネット荒してた人がアスペだった。家は書き込みどおり医者だった。そこの母親は脳波や血流計ってもらったと言っていた。

アスペルガー症候群の人に、周りが困るのは、変わった部分があるからではなく、変わってない健常者と同じ部分が困るのではないだろうか? 問題は隠すか隠さないか隠せるか隠せないかの差だと思う。 アスペルガーの人は純粋でも何でもないけど、人が隠しているものを白日の元に暴き立てる傾向がある。 だから迷惑なのではないか

2011-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20110915210033

知ってる人かな?会社の機密はもちろん、個人の特定につながる情報を一切書いてなくてもダダ漏れなのは知ってるよ。

でも、公にしちゃうとこっちが妄想癖が強いキチガイ統合失調症のように病人に仕立て上げられるのがオチから

(今は俺を発達障害アスペルガー症候群に仕立て上げる方向で動いてそうな気がするね。)

誰に何を話したか、どこで何をしたか、一つ一つ着実に押さえると気持ち穏やかに生活できる。



世の中のグレーな部分、ブラックな部分を知りすぎちゃった人間は大変大変。

2chにはもう書き込みませんから、ご安心くださいませ。

男女共同参画社会には基本的には賛成ですから

女性に負荷がかかり過ぎてる今の男女平等と、長期的に見て、女性人生犠牲にする形での流行作り(セックス特集)を批判する処女厨はもう引退しときます

個人的にフリーセックスはやっぱり日陰に押し込めておいたほうがいいと思いますけどね。

発達障害者当事者会に参加しての感想

私はアスペルガー症候群だ。

最近発達障害者当事者会が多くなってきている。

だいたい、発達障害者当事者会に参加する理由は

さびしさを紛らわす。 

自分と似たような境遇の人がいるか確認したい。

③他の発達障害者はどうやって障害とともに生活しているか知りたい。

この3点ぐらいだと思う。

ではその当事者会に実際に参加してみて、感じたことを書いてみる。


さびしさを紛らわす。

発達障害者といってもさまざまな人たちが存在する。活動的な人もいれば内気な人もいる。

趣味だってまるで違う。こういったところは発達障害者以外でも同じだと思う。

問題は話がまるでかみ合わないということだ。

他人の話を聴こうとせず、自分趣味の話ばかりしてしまう人が多い。

たぶん、この文章を読んでいる人は自閉傾向を持っていたとしても比較的軽い場合が多いだろう。

私は同じ発達障害者であっても、ここまで違うのか、話が通じないのかと孤立感を味わった。

よって、さびしさを紛らわせることはできなかった。


自分と似たような境遇の人がいるか確認したい。

この点については確認できる。

参加している発達障害者の1割ぐらいはある程度会話することが可能だ。

ただ、だれもかれも自分コミュニケーション能力の低さによって

社会から孤立しているという話ばかりでワンパターンで嫌になってくる。


③他の発達障害者はどうやって障害とともに生活しているか知りたい。

これについては話さない障害者が多い。

話したとしても、飲み会上司が部下に話すような説教の内容くらいのもので、

発達障害者なので特に○○について気をつけよう」といったような具体的なものではなかった。

あとはそもそも社会と折り合いをつける気のない発達障害者が多いことに驚いた。

発達障害者のいいところを伸ばせばいいと考えている当事者や支援者が多く、

障害を個性と言い切ってしまっている人すらいる。

なので、障害とともにどのように生活をしているかについては知ることができなかった。


あと、問題点として感じたのが、

多くの発達障害者当事者会で未診断の人も参加を受け入れているという点だ。

参加人数が集まらないのはわかるが、未診断の人を参加させる前に

まず発達障害者支援センターに案内するべきではないかと思う。


また、発達障害者当事者会に参加しても、一度きりで何度も参加する人が多くないのは、

・他人の話を聴かず一方的に話してしまう人がいる。

自己評価が異常に高く、自慢ばかりをしてしまう人がいる。

・単なる傷の舐め合いになってしまう。

こういった参加者が多いため、一回行けばそれで十分だと思ってしまからだろう。

2011-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20110804113247

兄がアスペルガー症候群だと分かっていたら「おもちゃにちょっと手を出し」ていたか

「本気でボコボコ」にされたのは「兄が暴力的だから」ではなく、

あなたも含めて周囲が「アスペルガー症候群のことを理解していなかったから」だよ。

そう、誰も悪くなかったんや。

兄を暴力的と思ってしまっても、別に悪くは無いんやー。

http://anond.hatelabo.jp/20110804112855

それは、「癇癪」=「喘息の発作」というたとえ話だよね。

から「癇癪は疑え」って事でしょ。

程度の問題を話すのなら、「酷い発作が目の前で起こった」になると思うけれど、それに相当するのは「ボコボコになるまで殴られた」かな?

この場合自分加害者であるか、被害者であるかの違いがあるが、「双方ともに病気を原因とする発現であるのだから、同じく扱われるべき」となるよね。

相手がアスペルガー症候群場合ボコボコに殴られた方が、「私が悪い」と自省して、相手のアスペを気にするべき、となるよね。

http://anond.hatelabo.jp/20110804105846

でも君みたいに「アスペルガー症候群を正しく理解させられる素晴らしい家庭であるべき」なんて素敵な発想にはとても行き着かないなwww

なんだけど

兄がアスペルガー症候群だと分かっていたら「おもちゃにちょっと手を出し」ていたか

「本気でボコボコ」にされたのは「兄が暴力的だから」ではなく、

あなたも含めて周囲が「アスペルガー症候群のことを理解していなかったから」だよ。

なんですよね、わかります

http://anond.hatelabo.jp/20110804104501

そこまで酷い癇癪なのであれば医者に見せるべきだと思うよ。

疑うだけで何も行動しないのは問題だよね。

でも君みたいに「子供の癇癪はすべて見せるべき」なんて素敵な発想にはとても行き着かないなwww



アスペルガーが原因で起こった事故なら兄を恨まず理解してやろうぜ、とも思うね。

元増田は兄のことを「ただの暴力男」だと思ってるようだから尚更ね。

でも君みたいに「アスペルガー症候群を正しく理解させられる素晴らしい家庭であるべき」なんて素敵な発想にはとても行き着かないなwww

http://anond.hatelabo.jp/20110804093602

横だが

兄がアスペルガー症候群だと分かっていたら「おもちゃにちょっと手を出し」ていたか

「本気でボコボコ」にされたのは「兄が暴力的だから」ではなく、

あなたも含めて周囲が「アスペルガー症候群のことを理解していなかったから」だよ。

そりゃ、兄がおもちゃで遊ぶ年代の妹に対して、アスペルガー症候群を正しく理解させられる素晴らしい家庭なら、こんな問題は起きないでしょうね。

どんな問題でも、難易度や障害、リソースなどの条件をすべて排して、人々が必ず最善を尽くす生き物だと仮定するのは素敵ですが。はて、それに何の意味が?

あなたの発言は、単に「子供の癇癪はすべてアスペルガーを疑い医者に見せるべき」にしかなりませんよね。

http://anond.hatelabo.jp/20110803235536

アスペルガー症候群は、まさに「変わった子」程度に見えるというところが一つの特徴で、

それが故に「私たちと同じ理由で癇癪を起こしている」と思われてしまうことが問題なんだよね。



発達障害」に「?」がついているあたりから推察すると、

おそらくあなたアスペルガー症候群についてほとんど学んでいないんだろう。

というか、「アスペっぽい」だから、兄を医者に見せてすらいないのかな?



兄が遊んでたおもちゃにちょっと手を出しただけで、泣いたり叫んだりする気力もなくなるくらい本気でボコボコにされたこともある。

兄がアスペルガー症候群だと分かっていたら「おもちゃにちょっと手を出し」ていたか

「本気でボコボコ」にされたのは「兄が暴力的だから」ではなく、

あなたも含めて周囲が「アスペルガー症候群のことを理解していなかったから」だよ。

2011-08-03

彼氏アスペルガー症候群っぽいことがわかった

彼氏アスペっぽいことを友人から指摘されて

色々調べてみたら特徴にガチまりしてたんだ。

遠まわしに診断っぽいことしてみたらほんと違わずアスペで笑った。

本人は気づいてない。ただちょっと変わった人間だという自覚があるくらい。

それっぽかったわーって指摘してきた友人に言ったら別れるんだよね?

って同情顔で言われたけど、すぐに決断は出せなかった。

私は彼のことがわからなかったんだ。

どうして私を好きだと言いながら何ヶ月も仕事が忙しいって理由で

わずにいられるのか、どうして友達がいないことを寂しいと思わないのか

どうして酒も煙草ギャンブルもやらない、特に趣味もない状態で

息苦しくならないのか、どうして異常なまでに人見知りするのか、

どうしてどうでもいいことに妙にこだわったりするのか、どうして

自分の好きなことには一生懸命なのに私が薦める映画絵画読書

マンガなんかに一切の興味を示さないのか、どうしてものごとに感動しないのか、

どうして私の気持ちをわかってくれないのか、わからなかったんだ。

でもさ、その大部分は「症状」だったのかもしれないって

ちょっとホっとした感じさえあったりする。

わかってるけど◯◯しなかったとかじゃなくて

ああ、ほんとうにわかんなかったんだなって。

うまいこと言えないけど。

それってある意味で強烈な個性よなあ。

それを全て受け入れることができるかは私次第だと思うし

このままずっとうまくやってけるかなんてわからないし。

きっと色々難しいこともあるだろうさ。

それでも私は彼を大切にしてあげたいと、今は思ってるさ。

アスペっぽい人と付き合ってる人の苦労とか、逆に面白いとことか知りたいなあ。

あと、アスペっぽい人が付き合いやすい人間ってどんなんなんだろ。

感情的になりやすい典型的文系のいわゆるサブカル女(笑)だけど向こうはやっぱ似たような理系人がいいんだろうか

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増田だけどね、彼氏に言ってみたよ。

「たぶんっていうか高確率でこれだと思う、ごめんね」みたいな感じだった。病院行ってみるって。

アスペっていってもいろんな型というか種類があるみたいだけど、受動型ってのが近いと思う。

暴言とかはないなあ…むしろあんまり気持ちとかを外に出さない感じ。内向的というか天然っぽいっていうか。

もう、性格アスペって名前がついてるのかなあって思った。難しいな。

彼氏アスペからどうこうってわけでなくて、自分の中で彼氏カテゴライズできないタイプ人間

戸惑う面とかもあったのが、納得いったって感じ。お互いそれで若干肩の荷が下りた感じだなあ。

彼は美しいコードを書く。私の知らないことをたくさん知ってる。優しい人だと思う。

できないこともできることもあって、それは私にもたくさんあって、補い合えたらいいと思う。

結婚とか子供とかはまだまだ先だろうけど、色々一緒に考えてみようと思うよ。反応とかありがとう

2011-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20110727000932

妊娠してみないと生まれてくる子供が正常であるかそうでないかからいかです

出生前診断妊娠14週ごろから行われますが、この時期は丁度胎児の脳ができ始める頃です

この頃の胎児感情いか、あっても快/不快で、良心の呵責がなきにしもありませんが、

生まれてから育てられず殺したり、かろうじて出来たとしても親子三人でストレスを重ねながら生きて行くくらいならば、

この時期に中絶決断するのはやむを得ない事ではないでしょうか。

ちなみに俺はアスペルガー症候群ですが、この程度の軽い障害でも親はかなり苦労していましたよ。

小学生の頃には周囲に迷惑をかけまくる自閉症児が居たりして……(普通の公立なのに)

この自閉症児の親みたいに、後ろ指を指されながらわが子のために人と世間に迷惑を振りまき続ける人生は、かなり辛いと思いますよ。

ダウン症のような身体障害ならそれ以上でしょうね。


それでも、あなたは障害児の出産強要するおつもりですか?

2011-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20110725004759

こんにちはアスペルガー症候群当事者です

ちなみにアスペルガー症候群とはご存知の方も多いと思いますが、

簡単に言うと、先天性の知的障害を伴わない自閉症です

結論からいうと、先天性の障害を理由にした堕胎は止むを得ないと考えています

我々障害者が受けるいじめ就職差別などさまざまな人生上の障害。

また、障害者家族が受ける差別

状況は徐々によくなっているとはいえ、

我々障害者が生きるうえで大きな問題があるという現状があります

そういった状況下では堕胎という選択肢も止むを得ないと思います

2011-07-25

ダウン症児の子育て本を買ったアスペルガー症候群主婦です

夫はずっと子供がほしいと思っているけれど、私はずっと子育て不安があって長い間妊娠を避けてきた。

 

理由は主に十代で発病した持病による体力的な問題。これは下手したら命を落とすもの

持病があるといっても上手に付き合えば長生きもできるし、生活に支障を及ぼすこともあまりない。妊娠出産も可能。

はい現在医学では一生治ることはないので、普通医療保険にも入れない。

免疫を下げないように、体力を消耗しないように、休み休みそっと暮らしている。

 

そうこうする間に生物学的に妊娠出産の条件は年々厳しくなってくる。

「治る病気なら『もう少し状態がよくなってから』っていう考え方もあるけど、変わらないなら少しでも早い方が楽だよ」

医者に言われてはっとしたときには、もうタイムリミットが目前だった。

 

実は子供を持つの不安な理由の一つに、子供に障害があった場合どうしたらいいのかわからないということがある。

根拠はないけれど、もしも自分子供が生まれてくるのなら、その子はダウン症なんじゃないかという予感がずっとある

障害を持つ子供を育てるのは普通以上に体力が求められると思う。

それにどう対処していいのかわからない。

 

この根拠のない予感のせいか、私は日ごろ街でダウン症の方にお会いするとハッとする。

いまどんな風に暮らしていらっしゃるのか、これまでどんなことがあったのか、色々とお話を伺いたいと思う。

実際私は知らない人に声をかけて話し込むことが時々あるのだけれど、ダウン症の方には一度も話しかけたことがない。

思い入れが強すぎて話しかけられない。だから知り合うこともない。

 

私はダウン症について何も知らない。

知的能力や感じ方、体の状態や障害についてまったくの無知だ。

気まずい思いをさせないで会話をするにはどうしたらいいんだろう。

 

先日書店で「ダウン症病気じゃない」という本を買った。とても読みやすくわかりやすい本だった。

そしてダウン症発達障害についてたくさんの共通点があることに気が付いた。

どちらも誤解されやすく、共通の特徴はあるけれど、知能や症状、健康状態は人それぞれ。

多数派向けに作られた社会でぶつかる問題はあるけれど、対処法もたくさんある。

 

何より、ダウン症の方とはけっこう気が合うような気がした。

アスペルガー症候群と共通する感じ方や表現の仕方がある気がした。

私は大人になってから自分発達障害とされるタイプだと知ったけれど、

ダウン症は外見に影響が出るので、早いうちに周囲に明らかになることが大きな違いだと思った。

 

結婚前に夫と話していたとき、何かの話で私たちの子供全盲だったら、という話になったことがあった。

「精一杯愛して育てよう」

と夫は即答した。

 

はいつも具体的にかかる費用時間など諸経費を考えずに物事を計画する。それでよく喧嘩になる。

でも、だからこそ私みたいに色んな点でコストのかかる妻を、周囲の反対を押して選んだのだと思う。

よく考えてみると、人の一生のコストをあらかじめ計算するなんてかなり難しいことだ。

 

夫は今も精一杯私を愛してくれている。この人の子になる人は幸せだと思う。

やっと少し準備が進んだから、ここでよければ私たちのところに生まれてきてくれたらいいなと、今は思う。

 

http://anond.hatelabo.jp/20110725004759

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-07-13

発達障害ないし知的障害をお持ちのお子様連れのお客様各位

大変申し訳ないのですが、公共の場へ外出なさることはお控えください。

いらしたとしても、お子様の管理を徹底して頂くようお願いいたします。

発達障害知的障害を持っている姿が不憫だからだとか醜いなどといった見下した思いからこのような文章を記しているわけではございません。

甚だ申し上げにくいことではございますが、安全性に関する問題の一つとして提言させていただいた次第でございます

我々といたしましては、公共の場にいらっしゃるお客様方に、公平公正に開かれた場というもの提供差し上げたいというのが第一の願いであます

公共空間として、不自由なく安心して過ごしていただきたいのです

しかしながら発達障害知的障害というものは、自閉症アスペルガー症候群といった症状を発症している方々は、往々にして初めて見る人には予測の取れない行動を起こすことがあります

人によっては周囲の人々の迷惑になることもあるかと存じます。最悪の場合、見ず知らずの方に暴力を振るうなどして刑事事件にまで発展するおそれだってあるかもしれません。

多種多様な方々が共に利用出来るはずの空間で、安全性に疑問が生じるような出来事が起こってしまうことは、我々の本意ではないのです

苦渋の決断ではありますが、より多くのお客様にとっての公共の福祉提供するためには、今回の決定をする以外に方法がないと至った次第でございます

何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます



http://anond.hatelabo.jp/20110713212805

2011-01-24

30で発達障害と言われた

発達障害と言われた。

会社倒産失業。年齢30前半。都内有名私立卒

失業してしばらく引きこもって生活してたら、親が心配して心療内科を進めてくれた。別に、うつでもなんでもないので、行く気もなかったが、しつこいので根負けして受診してみた。

2回目の受診。親同伴で、いろいろ生育歴とか聞かれて、その後いろいろな検査を受けた。知能検査というやつも受けた。結果はIQ120半ば。学歴から考えて妥当だと言われた。ただ、検査項目でいくつか妙に低い項目があった。(codingという検査であるのをあとで調べた)

結果、発達障害といわれた。

厳密にはアスペルガー症候群

今後の対応で、医師が言うには、なにやらそういう人を受け入れるNPOがあるというので、そこへ入ってみてはどうかというものだった。とりあえず、そういうものなのかと思って行ってみることにした

そこで受けた扱いは衝撃だった。知的障害精神障害の人たちと一緒にクラッカー詰めの作業をさせられた。それで月に数千円の「給料」を貰うのだという。猫なで声で職員の人からあらー作業早いですねー」とかいわて、答えに窮した

失業して、それなりにきつい時に、追い打ちをかけるように障害者施設に入れられるとは(別に強制じゃないが)夢にも思わなかった。

心療内科で、それを言うと、発達障害者支援センターというのを今度は進められた。今度は行く前に色々ネットなどで情報を収集した。その結果、なにやら社会生活を送る上で重要な規則正しい生活をおくれるための訓練をする。みたいなことがかいてあった。これはやばいと感じた。ネットの書き込みを見ても明らかに職業訓練所とは違うようだった。否定的なことを書いているが、これで救われている人も多いのだろう。

いろいろ調べて、そもそも「発達障害」という概念がすごく胡散臭く感じた。こんなもの認めると人類の半分は障害者になるだろ。

こんな扱いを受けるのは嫌なので、働いたときに貯めた500万があるので、この福祉という名の「牢獄から逃れるために海外へ行く。

別にアスペルガーと言われただけで知的精神などの障害者認定を受ける気はさらさらない。

2010-10-30

悪いアフィリエイトサイトを、具体的にたくさん見せます。

アフィリエイトで成功して、社会的地位を得る方法。」を書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20101029125747




が、今から書く記事が本命です。

一個人では影響力がないので、支援のブクマツイートなどお力添えしていただけると、うれしいです。





「かるてぽすと」(http://www.kartepost.com/)の木下さん、串岡さんは、

NPO法人 キャンサーネットジャパン」(http://www.cancernet.jp/)と、組んで様々なイベントをやっているそうです。

がんに悩む人たちのために、懸命に活動をする、とは素晴らしいことですね。表向きはね。





でも、かるてぽすとさんたちって、医療について正確な知識もないのに、

裏では、メディラシージャーナルと名乗り、(合っているのかも分からない)病気に関する情報を載せた、

アフィリエイトサイトを量産しているんですよね。言ってしまえば、病気に苦しんで藁にもすがる気持ちの人を、利用した行為。

1年ぐらいまえに増田を使って忠告したのに、今度はがんに悩む人たちを巻き込むとは、さすがにタチが悪いと思います。





NPO法人さんと組んでイベントを行っているのに、裏では合っているの分からないような知識を元に、

アフィリエイトサイトをやっているなんて、NPO側としても信用、信頼に関わるんじゃないの?

そういう人たちと組んでいる、NPO法人 キャンサーネットジャパンって、大丈夫なのかな?と、個人的には心配です。

当然、きちんとした組織だったら、対処してくれるとは思いますが、「上記の行為を知りながら黙認している」という

可能性がないことを祈るばかりです。





かるてぽすとさんたちの、アフィリエイトサイトを公開します

ザーッと書きだしたので、いくつか、かぶっているかも。あと、あくまで以下は「一部」です。

数が多いので、下のほうまで一気にスクロールしても構いません。



乳腺炎.com

www.nyusenen.com/


胃炎.com

www.ien-g.com/


動脈硬化.com

www.domyakukoka.com/


下痢.com

www.geri-g.com/


尿道炎.com

www.nyodoen.com/


悪性リンパ腫がよくわかる

www.rinpashu.com/


貧血.com

www.hinketu.com/


発毛の悩み.com

www.growth-g.com/


はげの悩み.com

www.baldie-g.com/


めまいの悩み.com

www.dizzy-g.com/


視力回復の悩み.com

www.eyesight-g.com/


脳腫瘍がよくわかる

www.noshuyo.com/


はげの悩み.com

www.baldie-g.com/


頭痛の悩み.com - 片頭痛偏頭痛 -

www.headache-g.com/


白内障の悩み.com

www.cataract-g.com/


耳鳴り難聴の悩み.com

www.ear-g.com/


薄毛の悩み.com

www.thinning-g.com/


水虫の悩み.com

www.foot-g.com/


ED(勃起不全・インポ)の悩み.com

www.impo-g.com/


口内炎の悩み.com

www.stomatitis-g.com/


緑内障の悩み.com

www.glaucoma-g.com/


かつらの悩み.com

www.wig-g.com/


口臭の悩み.com

www.mouth-g.com/


歯のホワイトニングの悩み.com

www.whitening-g.com/


歯周病の悩み.com

www.periodontal-g.com/


抜け毛の悩み.com

www.loss-g.com/


心筋症.com

www.shinkinsho.com/


植毛の悩み.com

www.implant-g.com/


ポリープ.com

www.iporipu.com/


脳出血がよくわかる

www.noshukketu.com/


脳腫瘍がよくわかる

www.noshuyo.com/


甲状腺がんがよくわかる

www.kojosengan.com/


川崎病.com

www.kawasakibyo.com/


脱毛症の悩み.com

www.alopecia-g.com/


脳性麻痺がよくわかる

www.kyokaise.com/


アスペルガー症候群がよくわかる

www.asperger-g.com/


すい臓がんがよくわかる

www.suizo-gan.com/


肺がんがよくわかる

www.haigan-g.com/


ADHDがよくわかる

www.adhd-g.com/;


水いぼ.com

www.mizuibo.com/


強迫性障害.com

www.kyohaku.com/


おたふく風邪.com

www.otahukukaze.com/


網膜剥離.com

www.moumaku-hakuri.com/


喘息.com

www.zen-soku.com/


突発性発疹.com

www.hosshin.com/


風疹.com

www.huushin.com/


卵巣がんがよくわかる

www.ransogan.com/


ネフローゼ症候群.com

www.nehuroze.com


肝臓がんがよくわかる

www.kanzogan.com/


乳がんがよくわかる

www.nyugan-g.com/


脂肪肝.com

www.shibokan.com/


膀胱炎.com

www.bokoen.com/


食中毒.com

www.shokutyudoku.com/


シェーグレン症候群.com

www.sheguren.com/profile/


心筋梗塞.com

www.shinkinkosoku.com/


前立腺肥大症.com

www.hidaisho.com/


膀胱がんがよくわかる

www.boko-gan.com/


血圧.com

www.teiketuatu.com/


急性腸炎.com

www.chouen.com/


胆石.com

www.tan-seki.com/


悪性リンパ腫がよくわかる

www.rinpashu.com/


チック症.com

www.tic-g.com/


VDT症候群.com

www.vdt-g.com/


月経前症候群PMS).com

www.gekkemae.com/


てんかんがよくわかる

www.ten-kan.com/


パニック障害.com

www.panic-g.com/


くも膜下出血がよくわかる

www.kumo-makka.com/


子宮がんがよくわかる

www.shikyu-gan.com/


脳梗塞がよくわかる

www.nokosoku-g.com/


心筋症.com

www.shinkinsho.com/


発達障害がよくわかる

www.hattatu-shogai.com/


PTSD.com

www.ptsd-g.com/


咽頭がんがよくわかる

www.intogan.com/


斜視.com

www.syashi.com/


肝硬変.com

www.kankohen.com/


狭心症.com

www.kyoshinsho.com/


白血病がよくわかる

www.hakketsu-g.com/



根元を潰すしかないのでは

こういう記事を書くと、真似する人とか出てくるんじゃないの?とか言う人が出てきそうだけれど、

根元を潰さない限り、いくらでも沸くだろうし、どうしようもないと思います。




素人病気サイトを作ることを、法律で禁じれば良いのに。

場合によっては、命に関わるんじゃないの?国って馬鹿なの?とも言いたい。




それが無理なら、googleAmazon、ついでに楽天もそうだけれど、

病気サイト広告を載せる行為」を禁じてくれないでしょうか?

お金目当てのサイト運営なら、根っこの部分を引っこ抜けば良い方向に向かうはず。

アドセンスって、エロサイトは禁じるくせに、上記のようなサイトは禁じないですし。



さいごに

別に、アフィリエイトサイトをやるのは個々の自由なんだけれど、

今回のは、少しばかり「裏と表」が気持ち悪かったというのもあります。




裏では、合っているのか分からない病気関連のアフィリエイトサイトを無数に作って儲けて、

表では「がんの人たちに向けて活動しています」か。

ふざけすぎでは?




他に、ハナヒトと称して「チャレンジド・ピープル」障害と共に生きていく方々のためのサイト

www.challenged-people.com/

も、運営している且つ他の案件も進んでいるようですが、信用できるのかは計りかねます。




個人的には、「現在運営している病気サイトを全て止めて欲しい」と思っています。

再開や、形を変えて、というのもなしです。あとは、関係者に対する謝罪が誠意かな、と。



追記

あらためて、関連リンク



NPO法人 キャンサーネットジャパン

http://cancernet.jp/

NPO法人 キャンサーネットジャパン(公式ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/cancernet_japan/

NPO法人 キャンサーネットジャパン(事務局のTwitter

http://twitter.com/CancerNetJapan

NPO法人キャンサーネットジャパン(事務局長Twitter

http://twitter.com/AkiYanagisawa

Twiterやブログを読む限り、事務局長との交流が深そうです。

http://twitter.com/ShingoKushioka/status/14266318665

http://twitter.com/AkiYanagisawa/status/14106490237

http://www.kinoshitashigeo.com/blog/archives/4349





がん掲示板「かるてぽすと」

http://www.kartepost.com/



株式会社かるてぽすとの代表取締役木下茂雄」

ブログhttp://www.kinoshitashigeo.com/blog/

Twitter日本語):http://twitter.com/KinoshitaShigeo

Twitter英語):http://twitter.com/ShigeoKinoshita



株式会社かるてぽすとの代表取締役「串岡慎吾

ブログ: http://kushilog.blogspot.com

Twitter: http://twitter.com/ShingoKushioka



さらに追記

記事中で、他の方が作った闘病サイトを一例として、取り上げていましたが、

闘病の方のブログを読んだ後に、そのサイト自体の良し悪しの判断がつかなくなったので、削除いたしました。




あとは、NPO法人キャンサーネットジャパンが、どこまで把握していたのかどうかが、気になるところです。

例えば、

膀胱がんがよくわかる」www.boko-gan.com/

子宮がんがよくわかる」www.shikyu-gan.com/

など、がん系のアフィリエイトサイトから、かすてぽすとへのリンクが目立つところに貼ってあるのに、

「がんに関わる関係者が、誰1人気づかない、関連性を気に留めない」なんて事態はあるのかな、と。



さいごの追記

支援ブクマツイートなど、ありがとうございました。




記事内容(以前書いたものを含め)についても、色々なご意見があるかと思いますが、

真面目な口調で真面目な記事を書いたところで、誰の目にも触れなければ何の意味もないので、

使えるカードを全て使って、最後に直球の記事を投げただけです。




医療に関わる者としてのモラル

また、Googleなどの広告規約変更につながらないかな、という仄かな期待など、

石を投げないと、波紋は広がらないので、放りました。




今後、私自身が現れることはありませんが、何か良い方向への変化につながると良いですね。

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