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はてなキーワード: 演習問題とは

2018-02-18

anond:20180218122025

これはすごく大事

例えばプログラムなら、目的を実現するプログラムを、遅くても良いし、人に見せられないスパゲッティでも良いし、とにかく動くコードを書いてみる。

数学なら、演習問題の解答を1行1行追えるようになる(自分で解けなくて全然構わない)。

少し上の目線になって初めて見えるコツや方法がある。

2018-02-13

勉強なんか出来なければよかった

義務教育ときの話だ。

小学生時代、私のクラスメイト個性的な子ばかりだった。

やたら計算が早くて算数が得意な奴、誰よりも漢字を知っている奴、国と首都を全部言える奴、作文を書くのがとてつもなく上手い奴、喋るのが得意で説得力が物凄い奴、とにかくいろんな子がいた。勉学において突出した何かを持っている子が、私の友達には多くいた。

かく言う私もどちらかといえばそちら側で、特別な何かがあったわけではないが勉強だけはできた。一応。この広いネットの海からすれば井の中の蛙しかないけれども。

結論から言うと、彼らは後にグレた。ほぼ全員がだ。

グレたといっても夜露死苦とか書いた短ランを着るようなアレではなくて、教師に反抗したり徹夜ゲームしたり、その程度。

その結果(一概に100%そのせいと言い切るのも危険だけれど)、学年でもトップクラス学力能力を誇った彼らは、高校受験の際にいわゆる地区トップ校には行けなかった。では誰がトップ校に行ったのか。

答えは「優等生」だ。

優等生トップ校に行くこと自体は何も不自然なことではない。問題なのは、幼少期から突出した能力を持っていた子達(変人とも言う)が軒並み途中でドロップアウトしていったことだ。

実はこれ、学年が上がるごとに変人の成績が下がって優等生の成績が上がっているのだ。少なくとも私の観測範囲では。

これは私の体験談だが、「終わった人から帰っていいよ」タイプ課題が出た際にとにかく早く帰りたくて全力でそれを終わらせて一番に提出した。すると教師は、早すぎる、本当にちゃんとやったのか、と怒った。ちょっと理不尽すぎて書いてて腹が立ってきた。

他にも、演習問題が終わったからと宿題範囲をやっていたら宿題は家でやるものだと怒られたりもした。一理あるが、ならば演習が終わったらただ黒板を見つめていろとでも言うのだろうか。

……私が怒られすぎなだけな気もしてきたがまあいい、続ける。

こんな感じで、特に小学生時代は「周りと足並みを揃えること」を強要された訳だ。

の子と違うことをしてはいけない。他の子と同じことをしなければならない。他の子より早く終わってはいけない。他の子より上手く出来てはいけない。最早これは呪詛だ。今でも私から離れない強迫観念

特に私が小学生の時はまだゆとり教育時代だったから、競うことは良しとされていなかった。みんな同じが平和だとされていた。みんな同じでなければ平和でない、と言い換えてもいい。

そういった価値観だったから、出る杭は打たれた。突出した能力がある子達は皆そうだった。彼らは頭がよく切れたが、それも教師の癇に障ったのかもしれない。出る杭たちは打たれて打たれて、その多くは折られてしまった。周りに好かれることが得意な優等生たちは折られずに済んだ。その結果が前述した「変人ドロップアウト優等生トップ校に行った」ということだ。

私自身も当時は出る杭だった。例に漏れドロップアウトした。教師同級生から同調圧力に耐えられなかった。今でも出る杭になるのが怖くて何も出来ずにいる。

あのまま伸びていたらとんでもなく凄い奴になっていただろうなという子もいた。本当に勿体無い。

どうして出る杭がここまで執拗に打たれなければいけないのか。生徒の能力を平らにならそうとして、折角の能力を削ぎ落としてしまってはいいか。心を折ってしまってはいいか先生に好かれ、周りの生徒に好かれることがいい生徒の唯一絶対の条件になってはいいか。多少模範から外れていても、秀でた能力をせめて認めてあげることはできないのか。

折れた心は元には戻らない。騙し騙しやってはきたが、義務教育を終えた頃から小学校後遺症が目立つようになった。何がやばいかって受験がとてつもなく苦しい。出る杭は打たれる、終いには折られると刷り込まれた頭でどうやって受験しろと?

勉強なんか出来なければよかった。

できなかったら、きっともっと生きやすかった。

カッとなって勢いで書いた。支離滅裂申し訳ない。

2018-01-29

anond:20180128230623

大人が学び直ししようとして探すと見つかるのは、学校で授業受けてることが前提の「10点アップ!」みたいな叩き込み記憶子供用教材と、大人が学び直し(ごっこ)するための「後で読む」ってタグつけるためにだけ存在するような教材風の自己啓発ポルノみたいなものばっかりで辟易するけどスタデサプリはすごいよスタデサプリはえらい

要は塾講師が授業をやってそのあと確かめテストを受けるという手順が延々と続くアプリだけどこれの偉いところは間違ったら間違ったとちゃんと言ってくれるところ

間違ってたら間違ってると教えてもらえる子ども特権と、間違っても間違ってないですよと愛想笑いで見過ごされてしま大人あいだの正しい階段上り方を見失って詰んでるみんなはスタデサプリにいこう月額980円、毎月「なんか勉強したほうがいいかなー」ってなんとなく本を買っては読まなくなるクソみたいな私たちには最良の手段

私はこれをするためにiPad Proを買った、馬鹿な買い物だと笑ってくれれば良い 画面の左で授業を受けながら右でノートを取るんだ。動画ごとにPDFが用意されてるからダウンロードするだけ簡単 まるで学校に行ってプリントを貰ったみたいな感じがする

後ろの席まで回ったかー?先生余りましたーってな、そういう、そういう生活が私は送りたかった でも送れなかった どうするか?スタデサプリです

私はスタデサプリ民間企業がする仕事じゃないと思ってる これは国が買い取って全国民動画を見る権利が与えられるべきだと思っている

うそろそろ休憩時間終わるからタデサプリ見に行くわ、じゃあな

(追記)

教科書を勧めてる人がいるけど、教科書というのは授業をする上で手元に置いておくテキストなので、あれだけでわかるはずがなかったのだよ 参考書も同様 それだけを頼りに勉強しようとするのはあれだよ、用法用量を守れてないんだよ 必ずプロの指示を受けながらテキストはご覧ください テキストだけ読むと、酔う。

教科書には演習問題が載ってないから、じゃあ問題集を別で買って上手いことやろうとするじゃん、そしたらな、習ったことがどこに対応するのかわからなくて詰むんだよ

これ教科書で読んだやつだーって突進していったらもう少しで解けそうなところでわからなくなる。それが自分練習不足のせいなのか、問題の選び方を間違えたのか分からない。いずれ人は自分の尾を追う犬のようになり、衰弱し死に至る。一方スタデサプリは、講師理屈を教えてもらって、講師と一緒に例題を解いて、次は一人で解けるかな?ってやってみると、その後の授業で一問ずつを解説してくれる。一人で山登りするのと、ガイドの後ろをついて歩くのは、苦痛レベルが違う。

2018-01-12

自分に合った勉強法を知ろうという話

大学二年後期、定期試験やばい

一年次や二年の前期もやばいやばいと言いながら試験に臨み、ギリギリのところで単位を取得してきたが、今回は特にやばい

かつての私はコツコツ勉強するタイプであった。課題が出ればその日のうちにこなし、授業で出された演習問題はこまめに解くようにしていた。私はもともと地頭がよくない。大学受験問題暗記で乗り切っていた。根本的なところは何も理解していない。講義を聞いただけでは微塵も理解できない。しかし、その後には必ず時間をとって、たとえ自分の頭で考えてもわからない内容でも、復習に努めた。

しかし、次第に周囲の影響を受けるようになり、期末の時期に過去問だけ解けばいいや、と思うようになった。実際、それで乗り切れてしまった。

そして来たる二年後期、なぜかこれまで全く興味のなかった読書にどっぷりとハマった。どうせ授業を聞いてもわからないという考えから、授業中もひたすら読書に耽っていた。自分の専攻する内容とは何ら関係のないものばかりだ。

私がいま思うのは、日頃からの復習をしておくべきだったということだ。二年前期まではそれなりに頑張っていた。考えてもわからないとはいえど、この過程を経ることによって、期末の勉強スムーズに進んでいたのは明らかだった。しかし、今期は日頃の復習を全くしていない。授業の内容はますます高度になっていき、ノート過去問を見ても何のことだかさっぱりわからない。

友達もいないのに周囲の影響なんていうのは自分でも滑稽に思えるが、とにかく私は周りに流されてしまった。単位なんてのは過去問を解くだけで取れるもの、と考えるようになってしまった。しかし私には過去問を解くだけで単位を取る能力はなかった。これまで単位を取得できたのは、わずかながらの日々の復習とこれまでの積み重ねによるものだったのだろう。現時点でその積み重ねは途絶えてしまった。宙ぶらりん状態である

結局、私に合っていたのは日頃からの復習を怠らない勉強法だったのだ。周りの彼らは直前に一夜漬け過去問を解いてエナジードリンクを飲んで臨めば単位が取れてしまうのかもしれない。しかし、私は試験前に一夜漬けなどしたことがないし、毎日時間以上の睡眠を取らなければ次の日には全く頭が働かない体質だ。直前に詰め込むのは苦手であったし、コツコツ身につけていくのがこれまでのやり方であったはずだ。しかし、周りができるなら自分にも、という安易な考えからこの習慣を壊してしまった。自分のことは誰よりもわかっていたはずなのに。

自分に合った勉強法無意識のうちに身についていたのだ。しかし私はそれに気づかず、自ら手放してしまった。自分のことは自分しかからない。周囲との違いを認識し、自分のやり方というもの発見しておくべきだったのだろう。

定期試験まで二週間弱、こんなことを考えながら、今期の履修科目を一から辿っている。

2017-09-28

教科書文章を読んだ覚えはあまりない

板書を写して、模式図で理解して、演習問題を解いていた。

2015-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20150528142634

勉強なんて社会人になっても出来るから適当ええんやで。

資格取得とかそういうしょぼい勉強ならできるが、集合と位相から始めて演習問題全部解きつつ線形代数くらいまででも身につける、とかはそうそうできねーぞ。

2014-09-13

内と外

「私には自分がないのです。自分が何をしてよいかがわからない。いや、もっと根本的なこと、ようするに自分が何が好きで、何がしたくてといった基本的な欲求ですらわからないのです。」

「そのわりには、君はちゃんと大学にかよっているし、留年もしていない。もっと言えば現役で合格もしているし、しかも第一志望だ。今年は大学院受験で、今いる大学よりもレベルが上と言われているところにも合格している。周りの大人たちもさぞ喜んでいることだろう。それなのに未だそんなことを言っているのかい?」

「そういうことではないのです。私は、世間一般が求めることに対して答えることは苦手ではないのです。例えば、数学二次方程式があったとして、二次方程式の解が必ず-1から2の間に収まるように、係数の範囲を答えなさいと言われれば、必死チャート式なり教科書なりを読んで理解して、演習問題を解き、テストで答えることが出来るようにすることは割合出来てしまうのです。もっと言えば、こと数学に限らずに、この問題ができれば、周りとの相対評価を行えることに関しては、やる気が出るのです。

要するに、世間一般で評価されることがそのまま自分の中で評価されることになってしま人間なのです。ですから、周りとの評価が出来ないこととか、評価の指標が簡単ではないものに対しては、価値を見出すことが出来ない。だから僕はテストが好きなのです。あれはだって高い点数を取ったほうが合格するという単純かつ社会的評価も点数が高いほうが獲得するとても簡単なものでしょう?

でも実際の世の中で価値が有るのはそんな単純なものだけではないことに、たとえば美しい旋律を奏でる能力であったり、読む人を魅了させる不思議文章を綴れる能力であったり、評価の軸はいくらでもある。それに気づいてしまった。いや気づくのが悪いとは言いません、むしろ遅すぎるぐらいなのですが、あまりにも自分の周りの環境が、社会的評価の高い人間価値を得る世界であったので、そのことに対してあまりにも無自覚だったのです。それに絶望しました。ああ僕はなんて狭い箱庭の中で、それなりに必死に頑張っていたのだろうと、虚しくなるのです。」

「確かに君の学校はいわゆる進学校とよばるやつだな。教員ほとんどが学生受験マシーンに育てるための最短ルート勉強を教える。そのために学問の深さであったり、本来悩まなければならないところを、テクニックによって誤魔化し通過させることしか考えていない。」

「そうなのです。ですから、私も勉強というもの殆どやってきたように思えません。やったのは受験で良い点を取る方法です。数学が得意ということになっていましたが、やっていたのは数学ではなく唯の算数です。何も自分で生み出しては居ません。すべては周りから与えられた情報を飲み込んで吐き出す。そういうマシーンなのです。

そんなマシーンが大学に入って出会ったのは”自分の好きなことをやるべきである”という思想でした。現代人は、生まれつきの素養で将来が決まってしまうことを嫌います。すべての人類平等だ、皆好きなことをする権利があるとのたまいます。確かにそれは理想だ、素晴らしいことだ。でも、現実はそうではありません。日本に生まれていなければ私もここまでのうのうと睡眠と惰性の生をむさぼることは出来なかったことでしょうし、日本に生まれていたって家庭環境や生まれ年代が違えば、同じことは出来ません。要するに私は運が良かっただけなのです。そして、自由生活する権利があるとのたまう人たちも恐らくは恵まれているのです。だって現代だってまれていなければ、自由生活なんて出来ない。当たり前です。自由に暮らせるからといって皆海外留学にいけますか?バイト代大学に通う大学生に、国内自転車旅行する余裕がありますか?全ては欺瞞なのです。エゴです。あゝ気持ちが悪い。

要するに、私は好きなことをスべきと言われて戸惑ってしまったのです。先ほど並べた御託もただの屁理屈です。後付け設定です。自分に中身が無いことを必死カバーしようとしているだけなのです。だって自分は恵まれています大学院を移ることも許可されています私立高校に通うことも許されました。塾にだって予備校だって通わせてもらいました。だったらその自由行使すべきなのです。でも出来ない。何をしてよいかがわからないからです。ああぼくは何をすれば良いのでしょうか。」

「難儀な人だなぁ、そんなに言うのなら、最近流行りのというともう時代遅れかも知れないが、自分探しとやらをしてみてはどうだい?」

自分探し?自分を探す?そんな20年以上生きてきて見つからないと言っているものがホイホイ見つかるとでも本気で思っているのですか?

自分が産まれてきた理由などというもの存在し得ないことぐらいは理解できています問題はそこではないのです。自分が産まれたからにはやってみたいと思えることが合ってしかるべきでしょう、普通は。それがないから困っているのです。しかもそれを考えようにも、僕の中にあるのは僕の外側をちょうどひっくり返したようなものなのです。要するに、僕の外側も内側も、どっちも他人なのです。僕はどこに行ってしまったのでしょう。」

「気持ちが悪い」

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