はてなキーワード: 岸辺とは
『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』みたいなタイトルだなーと思ったけど、
『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』の方が長かったわ
瓶の底で、蛍は微かに光っていた。
しかし、その光はあまりにも弱く、その色はあまりにも淡かった。
僕の記憶の中では、蛍の灯はもっとくっきりとした鮮やかな光を夏の闇の中に放っている筈だ。そうでなければならないのだ。
蛍は弱って死にかけているのかもしれない。僕は瓶の口を持って、何度か振ってみた。蛍は瓶の壁に体を打ちつけ、ほんの少しだけ飛んだ。しかし、その光は相変わらずぼんやりとしていた。
多分、僕の記憶が間違っているのだろう。蛍の灯は、実際にはそれほど鮮明なものではなかったのかもしれない。僕がただ、そう思い込んでいただけのことなのかもしれない。あるいは、その時僕を囲んでいた闇が、あまりにも深かったせいなのかもしれない。
僕には思い出せなかった。最後に蛍を見たのが、いつのことだったのかも思い出せなかった。
僕が覚えているのは、夜の暗い水音だけだった。
煉瓦造りの、古い水門もあった。ハンドルをぐるぐると回して開け閉めする水門だ。岸辺に生えた水草が、川の水面をあらかた覆い隠しているような、小さな流れだった。辺りは真っ暗で、水門の溜まりの上を何百匹という蛍が飛んでいた。その黄色い光の塊が、まるで燃え盛る火の粉のように、水面に照り映えていた。
あれは、一体、いつのことだったのだろう。
そして、一体、どこだったのだろう。
上手く思い出せない。
(不倫じゃなくて)ミルトンの方の失楽園は比喩表現にクソデカ要素が詰め込まれているので面白いという話。
かっこいい平井訳を適当に抜粋していく(怒られるかな?この長さなら大丈夫だろう。あと改行は無視しているのでちゃんと楽しみたい人は買って読むように)
彼[=ベルゼブブ]がそう言い終わるか終わらぬうちに、早くも天使の長[=サタン]は岸辺に向かって歩いていた。天井の火で鍛えられたずっしりと大きく丸い彼の楯は、いかにも重々しく背後に投げかけられていたが、両肩に懸っているその楯の茫々たる円形は、さながら月そっくりであった−−そうだ、例のトスカナの科学者[=ガリレオ]が、斑点だらけの表面に何か新しい陸地か河か山を発見しようと、望遠鏡を通し、夜ともなればフィエゾレの山頂から、というよりヴァルダノから眺めているあの月の球面そっくりであった。
そしてガリレオを出しくるあたりのスケール感も別の意味ででかい。学説が異端視されて自宅に囚われの身となっているガリレオが遥か遠くの月にを眺めて自由に思索を巡らせる、というなかなか情緒ある描写。でも、その天才ガリレオの自由な思索の動き回る領域である月、これがただの楯!サタン、あまりにデカい。
彼は携えていた槍を(これまた、これに比べれば、巨大な旗艦のマスト用にと、ノルウェイの山中から伐り出されるいかなる亭々たる松の大木も、小さな棒切れにしか過ぎなかったが)、杖代わりに用いて身を支えながら、
息もつかせぬクソデカ描写が続く。この時代は、西欧諸国が帆船で全世界に進出した大航海時代の後、軍艦としてよりゴテゴテとしたでっかい船が作られて、各国の主要な戦力として重視されていた頃。その中でも旗艦と言えば大将とかが乗る船で一番デカイ船。それが棒切れになるようなデカイ槍、それをサタンは杖にしちゃう。サタン、強そ〜〜。
炎炎たる地面を、かつて紺碧の天上を歩いた時の足取りとは似ても似つかぬ不安な足取りで、歩いていった。円蓋のようにただ火、火、火で掩われた灼熱の世界が、これでもかといわんばかりに、彼の体を苛んだ。にもかかわらず、彼はこれに耐えに耐え、ついに、焔をあげて燃えている火の海の岸辺に辿りつき、すっくと立ちはだかり、依然として天使の姿を保っている麾下の軍勢に、大声で呼びかけた。
一面火の灼熱の世界(地獄)、きびし〜〜。その中を歩き抜くサタン、つえ〜〜〜。
虚脱したもののように、累々と横たわっている彼らの様子は、亭々と聳えるエルトリアの森がこんもりと樹形をおとす当たり、ヴァロムプローサの流れに散りしく秋の枯葉、さながらであった。それとも、−−かつてエジプトの王プシリスに率いられた軍勢が、約束に背き、憎悪にかられて、ゴセンに住んでいたイスラエル人を追跡し、結局紅海の怒涛に飲まれてしまい、その漂う死骸と破壊された戦車の残骸を、安全に対岸にたどり着いていたイスラエル人が眺めたことがあったが−−その航海の岸辺を荒れ狂う疾風を武器としてオリオンが襲ったとき、その一帯に散乱詩流れ漂った菅の葉のようであった、とでもいおうか。意気沮喪した敗残の戦士たちが、火の海を蔽うて幾重にも重なり合い、横たわっている姿はまさしくそのようであった。そして自分たちの無残な変化に、ただ驚愕しているのみであった。
サタンは大声で叫んだ。地獄のうつろな深淵は、隅々までそれに反響した。「王者よ、権力者よ、勇者よ、今でこそ失われたりといえども、かつてはお前たちのものであった天国の栄華よ!そうだ、天国は失われたといわれなければならぬ、もしこのような恐慌状態に永遠の霊を有するお前たちが陥っているとすれば!............目を覚ますのだ!起き上がるのだ!さもなくば、永久に堕ちているがよい!」
もう単にアジとしてかっこいい。「永遠」ないし「永久」(eternal)という時間的クソデカの天丼もある。
彼らはこの声を聞き、恥じ、翼を拡げて飛び立った。
その有り様は不寝番の任務についていた連中が、つい眠り込んでいるところを恐ろしい上官に見つけられ、未だ目を覚ますか覚まさないうちに、慌てふためいて起き上がり、右往左往するのに似ていた。彼らも、自分たちの置かれている窮状を認めないわけではなく、痛烈骨を噛む苦痛を感じていないわけでもなかった。だが、統率者の声に翕然として直ちに従った
すげ〜数のすげ〜奴らをここまで恐れさせるサタンさんまじぱねえっす。
−−その数、実に無数。エジプトを災禍が襲った日、アムラムの子[=モーセ]がその力強い杖を国土の四方に向かって揮い、東風の流れに乗った国運のような蝗の大軍を呼び寄せると、その大群は神を冒瀆して憚らぬパロの全領土を黒々と夜の如く蔽いかくし、ナイル河の全域を暗黒に包み込んでしまったことがあるが、その時の蝗の大群と同じぐらい、悪しき天使たちの群れも無数であった。それが、上から、下から、四方八方から、吹き出す焔に囲まれながら、地獄の天蓋の下を匆々に飛び回っていた。
はいはい、多い多い。はいはい、焔ね。はいはい、みんな元気元気。まーたモーセ、話がデカイ。でも蝗。
やがて、彼らを統率していた偉大な大帝がその槍を高く掲げ、所定の進行方向を示すかの如く幾度かそれを打ち振ると、それが合図となって、天使の軍勢は整然と均衡を保ちつつ硬い硫黄の上に降りたち、あたり一面の平地を埋め尽くす…。この雲霞の如き大群に比べれば、繁殖力豊かな「北国」の冷たい腰から生まれた蛮族が、ライン川を超え、打ニュー部側を超え、さらに怒涛のように南下し、はてはジブラルタルの南から灼熱のリビアの砂漠地帯にいたるまで展開して行ったときのあの大軍などは、とうていものの数ではなかった。地上に降りたつや否や、直ちに、あらゆる軍団、あらゆる隊から、その司令や隊長が一斉に最高指揮者の立っている場所へと急いで集まってくる。いずれも、人間の姿を遥かに凌ぐ神々しくかつ英雄然たる姿、格好で堂々たる王者の風を示している。かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だったのだ。
日本 | 織田信長 | か坂本龍馬か。戦前なら楠木正成とか。他国と比べて「民族独立の英雄」「侵略者を撃退した英雄」が少ないのが日本の特徴か。北条時宗もそれほど人気ないし。 |
韓国 | 李舜臣(1545-1598) | 李氏朝鮮の名将。文禄・慶長の役では水軍を率いてゲリラ的に戦いを進め日本軍を苦しめた。一度は更迭され一兵卒にまで身を落とすも後に復帰し、露梁海戦で戦死した。 |
中国 | 岳飛(1103-1142) | 南宋の名将。農民出身ながら、私兵を率いて金に対抗し、幾度も勝利を収めた。しかし岳飛の存在が和議の邪魔になると危惧され、罪を着せられて処刑された。 |
モンゴル | チンギス・カン(1162-1227) | 言わずと知れた世界史上最凶の侵略者。 |
ベトナム | 李常傑(1019-1105) | 大越の名将。特に北宋との戦いに勝利したことで有名。また国政にも関わってその手腕を讃えられ、後に神格化されて崇敬されている。 |
フィリピン | ラプ=ラプ(1491-1542) | マクタン島の領主。イスラム教徒。世界一周中のマゼランがフィリピンに上陸し、各部族にスペインへの朝貢とキリスト教改宗を要求したとき、ラプ=ラプだけがそれを拒否し、その後の戦闘でマゼランを討ち取った。ヨーロッパの侵略に対抗した最初のフィリピン人であるとされる。 |
インドネシア | ガジャ・マダ(?-1364) | マジャパヒト王国の名宰相で、その領土を現在のインドネシアのほぼ全域にまで広げた。そのためインドネシア諸島の統合の象徴と見なされている。 |
マレーシア | ハン・トゥア(?-?) | マラッカ王国に仕える無双の勇士だったが、冤罪で死刑を宣告された。ハン・トゥアが処刑されたと聞いた彼の親友は怒り狂って反乱を起こしたが、実は密かに生き延びていたハン・トゥアによって討たれた。死刑を宣告されても、親友を殺すように命じられても王に従った、ハン・トゥアの絶対的な忠誠心が称賛される。 |
タイ | ナレースワン(1555-1605) | アユタヤ朝の王にしてタイ三大王の一人。ビルマの属国となっていたタイを連戦連勝で独立へと導き、「軍神」として崇められるようになった。ムエタイの創始者とも言われる。 |
ミャンマー | バインナウン(1516-1581) | タウングー朝の王。当時の王の乳母兄弟で、その崩御のあとに分裂したビルマを統一した。タイのアユタヤを兵糧攻めで降伏させて支配下に置いた。ナレースワンの台頭はバインナウンの死後より始まる。 |
ラオス | アヌウォン(1767-1831) | ヴィエンチャン王国最盛期の王にして最後の王。当時、ラオスを属国としていたタイに独立戦争を仕掛けたが、敗れて獄死した。メコン川の岸辺にタイに向かって銅像が建てられている。 |
瓶の底で、蛍は微かに光っていた。
しかし、その光はあまりにも弱く、その色はあまりにも淡かった。
僕の記憶の中では、蛍の灯はもっと鮮やかな色を夏の闇の中に放っていたはずだ。
そうでなければならないのだ。
蛍は弱って死にかけているのかもしれない。
僕は瓶の口を持って、何度か振ってみた。
蛍は瓶の壁に身体を打ち付け、ほんの少しだけ飛んだ。しかし、その色は相変わらずぼんやりとしていた。
多分、僕の記憶が間違っているのだろう。
蛍の灯は、実際にはそれほど鮮明なものではなかったのかもしれない。ただ、僕がそう思い込んでいただけのことなのかもしれない。
あるいは、その時僕を囲んでいた闇が、あまりにも深かったせいなのかもしれない。
僕にはうまく思い出せなかった。
最後に蛍を見たのが、いつのことだったのかも思い出せなかった。
僕が覚えているのは、夜の暗い水音だけだった。
岸辺に生えた水草が、川の水面を粗方覆い隠しているような、小さな流れだった。辺りは真っ暗で、水門の溜まりの上を、何百匹という蛍が飛んでいた。その黄色い光の塊が、まるで燃え盛る火の粉のように、水面に照り映えていた。
あれは、いつのことだったのだろう。
そして、一体、どこだったのだろう。
うまく思い出せない。
ブックオフに見に行ったら1冊もなかった。人気だからすぐ売れちゃうのかな。佐島勤先生すげえええええええええええ
ちなみに今日ブックオフで買ってきたのは、『新潮日本文学8 志賀直哉集』(『暗夜行路』しか読んだことないし、全然好きじゃないけど、とりあえず買っとくかあみたいな。短編は面白いのかなという興味)、アレクサンドル・デュマ『王妃マルゴ』上下(デュマは定価で買う気がしなかったからありがたい)、絲山秋子『沖で待つ』(絲山はつまらなかった気がするけど、芥川賞のこれ読んでなかったから一応買った)、星野智幸『俺俺』(星野も好きじゃないんだけど、まあなんかしょうもない義務感というか)の5冊。全部108円で540円。なんか最近ブックオフにろくな本がない。むかしはウンベルト・エーコ『薔薇の名前』が105円で売ってたりしたのに。
で、しょうがないから、本屋で『魔法科高校の劣等生』の新品を買ってきたよ! 少女小説以外のラノベを新品で買うなんて何年ぶりだろう。びっくりしたんだけど、これ「入学編」で上下巻構成なのね。上巻だけ読んで判断するのは申し訳ないから、しかたないから2巻まで買ってきちゃったよ。大冒険じゃん!
俺 T U E E E E ! ! !
なんかすごいどきどきしてる。こんなに読むのが楽しみでわくわくしちゃってるのっていつ以来だろう。
いまちょうどジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』が岩波文庫で出たから、なつかしいなあとか思ってゆっくり精読するように読み直してるんだけど、全然わくわく感はないんだよね。ジャン・ジュネの『花のノートルダム』の新訳が光文社古典新訳文庫から出たときも相当うれしかったけど、でもなんかわくわくって感じではなかった(まあなんども読んでるからだけど)。大好きなドゥルーズの『差異と反復』が文庫になったときもひゃっはーって感じだったけど、やっぱりわくわくって感じではなかった。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感ははんぱない。相当すごい。
この感覚っていつ以来だろう。ゲームに関していえば、小さいころは年に数本しか買えなくて、ひとつのゲームを買うのが大事件だったんだよね(『ドラクエ6』にするか『ヨッシーアイランド』にするかで死ぬほど悩んだなんていったら年がばれるかw)。でもいつからか毎月のようにゲーム買うようになって、買ってはすぐにクリアしての繰り返しで、少年時代のわくわく感ってだんだん薄れてきちゃうんだよね。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感はすごい。なんだこれ。懐かしい感覚だ。涙が出てくる。
はじめてAV買ったときの、はやく帰って家でDVD再生したくてたまらず、例の芸術的とも卑猥ともいえる海綿体の先端に咲き誇る透明の液体が震えに震え、行き場を失ったエネルギーがいまにも爆発しそうで、猛禽類の力強い羽ばたきにも似て通りすがりのひとにとって致命的ともいえる旋風を巻き起こすものすごい加速度をもって走り出しそうな、でもいい年して街中を全力で駆け抜けるのはアホだからと必死に気持ちを抑えるがどうしても早足になってしまう、耳は赤いし、心拍数は上がってしまう、あのときの、ああいう感覚なんだよ!(謎)
っしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ
今年はじめて出産した。
男性が経験したら死んでしまうような痛さ、鼻からスイカをひねり出すような痛さ、ひどい便秘のような痛さ…などなど、人によってその痛みの表現はまちまちだった。
おおよそ陣痛はから出産まで16時間ほどかかると聞いていた。痛みがひどくなるのは後半で、はじめの頃は談笑もできるらしいとも聞いた。
いよいよ予定日になったが、陣痛のようなものは来なかった。その日の午前2時半頃、寝ていると突然お腹が痛み出した。腹を下した。トイレから出たあともお腹が痛い。何か変なもの食べたかなあと思った。少し寝ぼけていた。
もしやと思って病院に行くと、子宮口が開いていた。おどろいた。お腹はどんどん痛くなる。生理痛に似ていた。私は生理が重い時はお腹の内側から錐でメッタ刺しにされるような痛みを感じる。陣痛はその痛みに波があり、次第に強くなっていく感じだった。
分娩台にかじりついてヒーフー息をしながら、次は絶対無痛分娩にしようと思った。真剣に無痛分娩について考えていたわけではない。とにかく痛かったのだ。陣痛の痛みを舐めていた。こんなにハードだとは思わなかった。世の中のお母さん方はすごいと思った。涙目になっていた。
痛くて仰向けになれなかったので、体を横向きにしていたが、いよいよいきんでもよいということになったので、仰向けになった。助産師さんが足を持って分娩台の足置きにおいてくれた。その時、私の太ももに謎の青あざが四角の形でできていたことに気づき、みんな口々にどうしてこんな形のアザができたのかしらと話していた。私はそれはいきむ前、体を横向きにしてヒーフー言っていた時にできたアザかと思いますと言いたかったが、とても話せる状態ではなかった。岸辺に打ち上げられた魚のような私と、冷静な助産師さんたちのギャップがおかしかった。
いよいよ最後のいきみがはじまった。分娩室の窓の外が明るかった。助産師さんは自分のおへそを見る感じでがんばって!と励ましてくれた。私はふくらんだお腹のへそを見て、思いっきり下腹に力を入れた。顔の中央に目鼻が集まる感じがした。いきみながら、なぜか私の脳裡に青森のねぶたの山車灯籠が浮かんだ。険しい顔の武者の灯篭が、どんどん迫ってくる。もう一回いきんで!と助産師さんの声が聞こえた。私は思いきりいきんだ。ねぶただ!ねぶただ!と何故か自分に言い聞かせていた。意味がわからない。私は青森出身ではない。しかしおそらくねぶたの山車灯籠の武者のような顔をしていたと思う。
「お母さん、見て!」と助産師さんが武者を呼んだ。股の間にお医者さんに抱き上げられた真っ赤な赤ちゃんが見えた。いつの間にか産まれていた。頭が瓜のように縦長になっていた。鳥山明の描いた何かに似てると思った。
赤ちゃんは元気に泣いていた。私は助産師さんが枕元に運んでくれた赤ちゃんに「おはよう」と言った。赤ちゃんは本当に真っ赤で、とてもとても小さい人間だった。
時計を見ると7時前だった。
それから切れた局部を塗ってもらった。陣痛も痛かったけど、その縫合も痛かった。一針一針、注射器で刺されるようだった。
ともかく無事に産まれてよかった。私にとって出産の痛みはねぶたを思わせるものとなった。
まわりの人には安産だと言われた。たしかに時間的には短かった。トラブルもなかった。陣痛は24時間以上続く人もいる。帝王切開の人も大変だと思う。本当に世の中のお母さん方はすごいなあと、病室で横になりながらしみじみ思った。
瓶の底で、螢は微かに光っていた。
しかし、その光はあまりにも弱く、その色はあまりにも淡かった。
僕の記憶の中では、螢の灯はもっとくっきりとした、鮮やかな光を夏の闇の中に放っている筈だ。
そうでなければならないのだ。
螢は弱って死にかけているのかもしれない。僕は瓶の口を持って、何度か振ってみた。
螢は瓶の壁に体を打ちつけ、ほんの少しだけ飛んだ。しかし、その光は相変わらずぼんやりとしていた。
多分、僕の記憶が間違っているのだろう。螢の灯は、実際にはそれほど鮮明なものではなかったのかもしれない。僕がただ、そう思い込んでいただけのことなのかもしれない。あるいは、その時僕を囲んでいた闇が、あまりにも深かった所為なのかもしれない。
僕にはうまく思い出せなかった。最後に螢を見たのが、いつのことだったのかも思い出せなかった。
僕が覚えているのは、夜の暗い水音だけだった。
煉瓦造りの、古い水門もあった。ハンドルをぐるぐると回して開け閉めする水門だ。
岸辺に生えた水草が、川の水面を粗方覆い隠しているような、小さな流れだった。
辺りは真暗で、水門のたまりの上を、何百匹という螢が飛んでいた。その黄色い光の塊が、まるで燃え盛る火の粉のように、水面に照り映えていた。
あれは、いつのことだったのだろう。
そして、一体どこだったのだろう。
上手く思い出せない。
木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。安藤は”何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。1965年、安藤忠雄24歳のときである。
昔昔あるところに、アリスとテレスという、それはそれは可愛らしい姉弟がいました。
アリスには、お父さんとお母さんには言えない秘密がありました。それは、隣の森に住むウサギさんとの間に毎晩訪れる楽しい時間でした。
テレスは、夜になるとアリスがこっそりベッドを抜け出してどこかに行くのを知っていましたが、アリスのために黙っていました。
「ねえ、テレス。森の向こうには大きな湖があるのよ。その岸辺には、たくさん黄色い花が咲いているの」
テレスは訊ねました。
「アリスはその湖に行ったことがあるの?」
アリスは興奮したように頬を赤くして、しゃべりだしました。
「そりゃあ、あるわ! あんなに素晴らしいところは他にはないのよ! 黄色いお花畑の真ん中には小屋があるの。その小屋には小さなベッドがあってね。私たちがいつも寝ているような木の硬いベッドじゃないのよ。ふかふかでとても気持ちがいいの! そのベッドで、とんだりはねたり…。私とウサギさんは、朝まで遊ぶのよ。それはそれは、夢のような時間なの」
テレスはウサギさんとの遊びには興味が持てませんでしたが、そのベッドでは寝てみたいと思いました。
「僕もその小屋を見てみたいな。」
「いいわよ。今日の夜、一緒に行きましょう。」
そうして、二人はその夜、お父さんとお母さんが気付かないうちにベッドを抜け出して、森の方へと向かいました。
「ねえ、テレス。もしかして、私が毎晩ベッドを抜け出して森へ行くの、気付いてた?」
「うん。」
「そう。ゴメンね。もっと早く誘えばよかったわね。ほら、あのウサギさんの穴を抜けた先に湖があるのよ。」
二人は、子供がやっと通れるくらいの狭い穴を抜けて、岸辺に黄色い花がたくさん咲いている湖に着きました。小屋の前にはウサギさんが立っていて、アリスの到着を待っていました。
それは、お父さんと同じくらい大きなウサギさんでした。赤い目と、白い前歯が2本。じっとこちらを見ています。テレスは少し恐くなりました。
ウサギさんは、テレスから目をそらさずに、アリスに尋ねました。
「ごめんなさい、ウサギさん。この場所のことを行ったら、テレスも来たいと言ったのよ。」
「ごめんなさい、ウサギさん。でも、きっとテレスも一緒の方がもっと楽しいと思うの。」
ウサギさんはしばらく黙っていましたが、右手でそのひげを一本撫でてから、やさしい口調でこう言いました。