在職中に転職活動を始めたけれど、この分だと決まらないまま契約終了になってしまいそう。
しかし空白期間があると転職に不利という事は、一つの仕事に区切りがついてから次、というやり方では駄目という事だよな。
思えば同僚の多くは引き継ぎもそこそこにプロジェクトの途中でやめて行った。
あなたのお尻は石かなんかでできているのか?痛くて飛び上がるよ。周りびちょびちょだよ。
だけれど、この業界が無くなって、誰も困りはしないんでねーの?
って毎日思う
だっとそうだろ?エンドユーザーとメーカーが居たら何も問題はないはずでさ…
月末を迎える度にやれ数字が足りない、足りない、足りない、
あとね
なんでイチイチ購買(調達)を通る時にさ、あたかも当然のように
値引きをしないといけない訳?なんでそれが社会通例みたいに扱われるの
当然かのようにコンマキュウー、コンマキューって、コンマキューってなんだ?
奴らの顔色見ながら落としどころ探して、探して、探して、
一体わたしたちは何を探しているのだろう
もうさ
工学部出の人が、学部卒で就職せずに大学院工学研究科博士前期課程に進んだぐらいのことで
「研究者を目指す」と勝手にみなして正業を放棄しただの、リスクが高すぎるだの、人の道を踏み外しただの的なことさんざん言ってくるような人達
どうにかしてほしいんだけど。ある程度以上の理工系なら修士ぐらいは普通っていう自分の感覚は異常なの?
追記
すみません。トラバ返しで弁解したはずが、見てもらえてないようなのでこちらにも書きます。
「正業を放棄しただの、リスクが高すぎるだの、人の道を踏み外しただの」と自分が研究者に対して思ってるわけではないです。
ググってもそういうホームありそうにないんだよね。
地上に出たかったんだけど、階段登ったら誰もいない明らかに使われてないホームに出て、
向かいのホームは普通に人がいて、みんな電車待ちながらこっち見てたので、恥ずかしい思いをした。
何か知ってる人おりませぬか?
理系なんだから就職が良いんだって思ってバイオ系とか純粋数学とか理論物理とか
進んだら後悔するぞ。これは声を大にしていいたい。そういう所行くぐらいなら、経済学部とかのがマシ。
文系が就職が悪いってのも、工学部機電系とかの楽勝さに比べればの話であって
就職無理学部とかの不人気学科と比べてそこまで悪いってわけでもないとは思う。
あと、楽勝に就職するには、工学系は修士が基本ってのがネックと感じる人も考えられる。
というか文系のほうが出来る人なら、文系で上位大学行ったほうが
小学校の高学年のとき、ネットのとあるサイトで知り合った友達がいる。私よりひとつ年上で、都会にいて、いろんな知識や能力があり、なにより容姿がとてもかわいくて憧れだった。尊敬していた。趣味が合うということもあって仲良くさせてもらっていたが、ネットを使い始めて間もなかったわたしはありがちなトラブルを多発させ(いわゆる黒歴史)、その子と直接的に何かがあったわけではないもののコミニュケーションが取りづらくなりそのサイトを去った。その子とは他のサイトでも繋がっていたが、そのアカウントも全て消した。
だが彼女との関係をどうしてもやり直したい、コンタクトを取りたいと思った私は、また別の名前で彼女に近づいた。私は別人として彼女とまた友達になり、彼女はツイッターのリア垢で、私はサブ垢で交流していた。そうやって名前を変えては彼女の前に姿を表すことを3回はしたと思う。ツイッターに上がってくる写真やプリクラの彼女は本当に本当にかわいくて、異常なこととわかっていながら私はその全てをスクショし保存した。少しでも彼女に近づくためにいろんな努力もしたと思うが、何もかもが自分と違った。苦しかった。だけどそれ以上に大好きだったと思う。最近は写真を保存するまではないにしても、ふと思い出したかのように彼女のツイッターをチェックしたと思えばそれから毎日見てしまうときもある。そして落ち込む。だけど話しかけられると嬉しくて、それと同時に彼女が私の全てを見抜いてるのではないかという得体の知れない不安や恐怖も浮かぶ。そんなことあるはずがないのに。この春からめでたく大学生になるそうだ。卒業ツイートの写真を見て、頭のよかった彼女のことだから名の知れた大学に行くに違いないと瞬時に思ったとき、どうしようもない虚無感に襲われた。
こんな自己嫌悪馬鹿らしいことだともうずっと前から分かっていた。だけど地方でくすぶりしなくてもいい比較で、会ったこともないような人との比較でもがき苦しんだこの何年かがせめて報われますように、今度の春は私も笑えますように、この一年は彼女と繋がるすべてのSNSをやめようと思う。きちんとまっとうに第一志望を目指して頑張ろうと思う。それが達成できれば見えてくるものがきっとあるはず。絶対に絶対に諦めないといま自分に言い聞かせ、とにかく頑張る。
という、最高学年を迎えるにあたっての決意。
勢いランキング上位のスレッド名だけは毎日確認しているが名前を見るだけで中身は開かない。
スレの中に答えや自分では見つけきれない情報もあるのだろうけどそこまでわざわざ見ていく必要はない、その事に気づいた。
匿名掲示板をやめた事で少しだけ人付き合いの欲が増えたが、それは職場の人間と前よりコミュニケーションしたりして解決している、と言えたら格好いいのだが実際はあまり変化はない。
代わりにツイッターのフォローを50人ほど増やしてバランスを取った。
もっと増やしたい気持ちもあったけど再現がなくなりそうだったのでこれぐらいで十分だ。
可処分時間の2割~5割ほどを今まで使っていたのだから当然と言えば当然だ。
そもそも元から5割も時間を使う気は無かったのに複数のスレでリロードとレスを繰り返すうちに気づけば時間が経っているのだから恐ろしい。
それとなんだか心がささくれ立たなくなった。
今まではネタにするために他人の弱みを見つけようと血眼になっていたり、他人からレスバトルをしかけられるんじゃないかと気が張っていたり、健康的じゃない心の使い方をする時間が多かった。
今は前不健康な事を考えていた時間はゲームをしたりテレビをみたり勉強をしたりと適当に過ごしている。
普通の人間がやるような普通でつまらない時間の使い方だが、多くの人間に指示されるだけあってなるほど無駄な心の疲れがない。
ゲームやテレビを見たときの感想を人と語り合う機会はほとんどないが、そのおかげで自分の感想を素直に持てるようになった。
批判する側と賞賛する側に別れてバトルしていた頃はまず最初にどちらの陣営につくかがあり、そして陣営についてから自分がそこについた理由をいちいち洗い出したりもしていたが、そういう無駄な堅苦しさはなくなった。
私生活で無駄に精神力を浪費してないおかげか仕事も最近はスムーズに行くようになった。
不特定多数が情報交換を刷ることで自分では思いつかなかった切り口からの情報が入ってくることがあるし、誰かがニュースを手に入れたらそれが一気に拡散されるので自分でアンテナを常に強く貼っている必要もない。
だけど使い方がとても難しい。
情報を歪めるために使われる事があったり、取捨選択のタイミングを鈍らせられることも多い。
なにより雑談のために使われだすと、話しのネタを求めて話題がセンセーショナルと下卑た物へと傾いていく。
それに呑み込まれてしまわないように歩むためには最初に自分が何の情報を取りに来たのかを見失わない気持ちが必要だ。
そしてその気持ちは匿名掲示板そのものに入り浸る気持ちとは相反する物なんじゃなかろうか。
もしもそうならば匿名掲示板を本当に使いこなすのには、匿名掲示板の事をよく知っていてかつ入り浸っていないという矛盾すら感じさせるバランスを実現させる必要がる。
それはとても難しく、自分にはそれが出来るほどの技量はなかった。
後悔の気持ちがないわけじゃない。
今でも匿名掲示板に戻れば楽しく下品に話し合いながらネット中に散らばる話の種が自然と集まってくるのを楽しめていただろうから。
だがそれよりも匿名掲示板をやめた事によって手に入った穏やかな気持ちの方が大事だ。
大いに賛成したい。
自分や家族が病気になって病院や医師、看護士に凄くお世話になった人じゃないと
そこら辺わからないので調べてね。
未だに死んだ友達の歳を数えている。
先に言っておくが、これはポエムだ。
15歳で死んだ君は今日30歳になるはずだった。
15歳だった俺は来週30歳になる。
15年経った。
15年も経ったのか。
君が死んだとき、
15歳だった俺は、
毎日途方に暮れ、
挙句、
あの世で君と久しぶりに再会し、
すぐに答えられるよう、
「実はさあ」といつものようにこたえられるよう、
毎日を楽しく生きることにした。
それから15年経った。
早い。
色々あったよ15年。
新しい友達ができて、
新しい家族も増えて、
行ったことのない場所に行って、
食べたことのないものを食べて、
好きな人ができて、
君に話したいことがたくさんあったけど、
ずいぶん忘れてしまった。
とりあえず今話したいことは、
なんだろう。
家を買ったこと。
君が死んでから。
結婚したこと。
俺はまだ少年ジャンプを買っていて、
ワンピースの連載は続いている。
そろそろまた解散すると思う。
来年の今頃には、
君が生きていた人生よりも
信じられないけど、
住宅ローンはまだ34年も残っている。