はてなキーワード: 強風とは
普通見知らぬ他人から唐突にDisられたら反応できねーよw それに他人の話に割り込むのは下品だからね。
大事に育てられたお嬢さんにありがちだが、大人の話に首突っ込むなってことで、自分のことが話されていてもまるでいないもののように振る舞う事を求められるんだ。
お前がお城に住んでようと宇宙ステーションに別荘持ってようと関係ないさw
お前は、自分が八つ当たりとやっかみに憎悪で応戦して戦い抜いてやっと生きてるってのに、野に咲く花のように繊細で強風でぽっきり折れそうな人間がいるという事実が許せないんだよ。
本当はお前だって戦う必要なんかないのにな。
原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)
裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋な学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。
大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会で成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラーの仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学の教育・労働力センターが最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴と収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人の生涯賃金は360万ドルだが、高卒の場合はせいぜい130万ドルでしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年の研究では、大卒は高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。
しかし、過去というガイドは未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事と教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会の大卒需要低迷という事象も構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造的破壊の強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。
大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジアの大学に在学している。経済的新興国、中でもとりわけ中国は欧米のエリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社は新卒生を世界クラスのコンピュータープログラマやコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。
同時に、教育を受けた労働者の需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀に工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアにプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語的曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。
Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業化社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金の仕事よりも、大卒が伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマの仕事ならインドに頼むことができるからだ。
大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルドは前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益を目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞はブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインでアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。
MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミスの工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業はますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderはITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスのコーダーに分配するという方式を採用している。
このような変化は間違いなく知的労働者の生産性を高めるだろう。消費者はサービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事を外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。