まずはじめに断っておくが、自分はアスペなので嫌いな人はこのエントリを読まないでほしい。
私はアスペルガーという理由で医師から精神障害者の認定を受けている。
障害者であるかどうかという事自体は自分で決められる事ではないし、避けて通れない問題として割り切って生きていくつもりだ。
ただ思う事がある。ナチスドイツが障害者を排除しようとした様に、現代でも少なからず障害者を忌み嫌う人がいる。
それはそれで結構だし、個人個人がどう思うかという感情にまで一障害者である私が干渉しようとは思わない。
その人たちが私に対して死んでほしいだとか考えているのと同じように、私もその人たちの事を嫌いだと思っているし考えたくもない。
しかし、社会の一員として外に一歩踏み出してみると様々な人達と関わりをもたなければならない。それが嫌でしょうがない。
障害者という身分上、どう転がっても健常者と同じ土俵で生活できないからだ。
人間関係で大きなハンデを背負っているに等しい私が一体どの様にして一般的な人たちと同じように暮らせるのだろうか。
私の場合現実から逃避してきた。好きな事だけをし、障害者年金で飯を食い、適当に勉学をして、あとはやりたい放題で、本来の福祉の意味として社会復帰のために与えられた金を使ってのうのうと暮らし、社会活動に参加しようとは微塵も思わなかった。今後もこの考えは変わらないだろう。
私は敵意を感じる。もし今後時代が逆行してまた障害者を排除する流れになったら、私は必死になって最後まで抵抗するだろう。
往生際が悪いと思われるかもしれないが、私は私の都合で簡単に殺される訳にはいかない。
もちろん、上述した例は極論だが、様々な場面において私は誰にも邪魔される筋合いはないのだからそこだけは分かってほしい。
終わり。
定型(と呼ぶのでしたっけ?)と違って、何らかの感覚的なものが欠如しているのがアスペルガー、という私の認識。ちょうど、生まれつき視覚障害者が風景を見ることができないよう...
元増田みたいな人なら良いのだが、元増田みたいな常識あるアスペの人は、他の困ったアスペのあおりを受けて、一緒に偏見の目で見られてしまうと気の毒だと思った。 何とか区別でき...
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