はてなキーワード: ルワンダとは
http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded
1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。
1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発
1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用
1916年2月16日~1916年12月20日 ベルダンの戦い
1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点
1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞
1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニのローマ進軍
1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行
1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)
1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日」
1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップ(ウルグアイにて)
1932年 ワイマール共和国崩壊
1934年10月27日 毛沢東の長征
1939年9月1日 第二次世界大戦勃発
1942年9月13日~1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い
1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)決行
1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判
1951年 朝鮮の人口?
1954年6月4日 西ドイツがワールドカップで西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」
1956年10月29日~1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争)
1959年1月1日 キューバ革命の勝利
1961年10月27日 チェックポイント・チャーリーでの対峙(ベルリン危機)
1964年8月2~4日 ベトナムでアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)
1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争)
1970年4月 カンボジア侵攻
1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件
1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)
1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)
1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発
1985年3月11日 ミハエル・ゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任
1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)
1990年8月2日~1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争)
1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸
2000年1月1日 ミレニアム
2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件)
2005年8月29日 ハリケーン・カトリーナ ニューオリンズを破壊
2008年10月 金融危機
2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故
2012 ?
10分どころか、6時間くらいかかったorz
それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。
(調べてみたら、どちらもM7クラス)
ルワンダってドイツの次はベルギーでは?英語にしたのも最近英連邦に入ったからという政治的な理由で周辺植民地に影響されたからってものでもないはず。
そこについては、確かに感覚的なものでしかないよ。なんせ英語が最有力になったのって高々この5,60年だし、国際共通語の重要性が高くなったのなんて、せいぜいここ2,30年の話だからね。あくまでからこれからの話。
あえて例を挙げるなら独領>白領なのに英語を仏語と並ぶ公用語にしてるルワンダ。逆に英領なのに、英語と並んで西語を公用語にしてるベリーズ。どっちも周辺植民地と宗主国が違ったために、植民地行政が押し付けた言語と並んで、周辺植民地の共通語に影響されてしまった経緯。個人的には、西アフリカの仏語圏や中央アジアの露語圏では(周辺国じゃなくて「世界」の影響を受けるという違いがあるけど)これと同じことが進んで英語化が進むと思ってるよ。
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悪い奴ほどよく眠る
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ブルース・ブラザース2000
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さまよう魂たち
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オペラ座の怪人〔2004年〕
夢
悪魔を憐れむ歌
HANA―BI
明日に向って撃て! 特別編
ザ・ガーデン
シザーハンズ 特別編
ロッキー・ホラー・ショー 特別編
書を捨てよ町へ出よう
ワイルド・ワイルド・ウエスト 特別版
2300年未来への旅
裸のランチ 特別版
痩せゆく男
ワイルドバンチ 特別版
虚栄のかがり火
カサブランカ 特別版
理由なき反抗 特別版
A2
ユーリ・ノルシュテイン作品集
イジィ・トルンカ作品集 vol.1
狂気のクロニクル
蟲師 其ノ1
リトルロボット/インベーダーがやってきた
スペース・レンジャー バズ・ライトイヤー/帝王ザーグを倒せ!
あらいぐまラスカル vol.1
ウォーリー
病気/笑いの不条理劇
ゲゲゲのげ/逢魔が時に揺れるブランコ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E7%B4%9B%E4%BA%89
「ツチ対フツ」の形成
フツとツチは元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。しかし、ベルギー人をはじめとする白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が作られた。ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系)」であり、対するフツなどは「野蛮」であるという神話・人種概念を流布(ハム仮説)し、ツチとフツは大きく対立し始めた。1948年に188万7千人だった人口が1992年には750万人と4倍になり、土地不足や土壌の疲弊が起こり[1]、農業が主だったフツには貧困が蔓延するようになった。
梅田望夫が日本のWebに対して行った一連のことは、ベルギーがルワンダで行ったことと同じである。
彼が「ほめる」場合、必ずその反対にいる人たちがいて、その発言は常に彼らを暗に貶めることで成り立つ。
そして、「ほめた集団」をハイブロウだとあおり、彼らのうちその扇動に乗ったものにその反対を攻撃させる。
だが、必ずその反対側から反感を買い、ほめた側は基本薄っぺらいためそこを突かれ反撃されるが、あおった本人はそそくさと撤退している。
その後に残るのは、大きな傷跡を残す対立だけだ。
スワト渓谷のタリバン壊滅作戦は政治基盤を弱め、原理主義を根付かせる
米国としては「こんな筈じゃなかった」と悔やむことしきりだろう。
パキスタンが無政府状態の混沌にある。ますます反米感情が激化している。核兵器の安全管理はむしろ危うくなった。ムシャラフ軍事独裁時代のほうが、核兵器は管理されており、国内にこれほどのテロリズムの嵐が吹き荒れることもなかった。
中国がパキスタンと半世紀にわたる「軍事同盟」を結んできた理由は地政学的に判断すれば、きわめて単純である。
インドとの間における絶対的な緩衝地帯であり、パキスタンもインドを敵視しており、軍事同盟の条件は揃っていた。中国と合弁の武器工場はパキスタン各地にあるが、戦車から戦闘機、機関銃まで量産している。
主として中国が援助したのだ。
中国のテコ入れは、両国にとっての共通の敵=インドをパキスタンが横腹から牽制し、もしインドが強ければ、代理に核兵器をぶっ放して呉れると結構とばかり、パキスタンに核兵器の技術も提供した。
美貌の女政治家、ブッドが首相をつとめていた時代のこと、核兵器開発を軍情報部が秘密に展開していた過程は首相にも知らされていなかった(ブッドが亡命先のロンドンで『TIME』とのインタビューで語ったことがある)。
まして現在のブッドの夫=ザルダリ大統領にも知らされていない。陸軍参謀長はカヤニだが、その実力は大変なものがあり、またシャリフ前首相とも天敵の関係。隙あらば暗殺される可能性がつねにあり、パキスタンの政治家は命がけである。
シャリフ元首相の再登場というシナリオも日々現実味を帯びてきている。
ならばパキスタン国民は悉くが「反米」「親中」かといえば、そういう単純で短絡的図解ではひどく誤解を招くだろう。
現地に行ってみるとよく分かるが、パキスタン人はかなりの程度、高潔である。そして狡猾・老獪である。昔も今も族長支配の封建政治がパキスタンを支配している。イスラム原理主義の猛威は、この封建制度のうえにこそ成り立つ。
むろんパキスタン人のなかには武器の密輸、麻薬に手を出す者もいれば犯罪者も多い。紛争が長引き、教育が遅れているため人々は道徳的に荒んでいる。
原因は貧困である。
貧困がアルカィーダの戦闘員を育てる。サウジアラビアやイエーメン、スーダンでなぜ、滅びたはずのアルカィーダが容易に息を吹き返しているのか。
繰り返すが、原因は貧困である。
実際にパキスタンやアフガニスタンでも、タリバンを支持する階層は三つにわかれ、!)指導層はイスラム原理主義だが、!)貧困による志願層(世直しを信じて志願兵になるから自爆テロはやりやすい)があり、そして!)タリバンが麻薬資金で得たカネで雇う傭兵である。
教育はイスラム教が牛耳っている。神学校は12500ケ所。タリバンは「神学生」の意味である。
実際にグアンタナモ基地(アフガンで捕獲した戦闘員をキューバの米軍基地へ連行)で尋問したアルカィーダ戦闘員容疑者のうちウィグル系の五人は、そのごアルバニアへ亡命を許されたが、まず傭兵といってよく、「良い働き口がある」と騙されて新彊ウィグル自治区からアフガンへ潜入したばかりだった。
パキスタンは同盟関係と武器援助最大のスポンサーでもある中国には、情け容赦なくウィグル系容疑者を引き渡したが、04年に引き渡した容疑者は中国ですぐさま処刑された。国際批判をもろともせず、パキスタンは09年にも七人を中国へ引き渡した(ワシントンタイムズ、4月24日付け)。
米国は普段の態度、原則と異なり、このことでパキスタンを咎めなかった。じつにいい加減である。
さてタリバンが猖獗する地域はパキスタンとアフガニスタンとの国境ばかりではない。
パキスタン政府の統治が及んでいない地区が多いが、西北部のスワト地区がとくにそうだった。同地区の38%が政府支配、残りの24%が武装勢力の支配下にある、とBBCが伝えた(09年5月14日)。
この地域はインドとの戦争のときにインドから逃れてきた難民が住み着いてきた。
ワジリスタン地区の南北も同様、人口密集のパンジャブ州(8200万人はパンジャブ州に暮らす)とて47%の住民は政府の遣り方に反対だという。
主流の部族はパシュトーン族、言語はウルドゥ語。ほかにインド系、タジク系、イラン系、ウズベク系など雑多な民族が混在、人口は一億七千万人!
そもそもパキスタン政府が国全体をおさめきれないのだ。部族中心主義のイスラム国家に於いてはアフガニスタン同様に西側民主主義なんていうのは、システムも発想も馬鹿の典型、部族長が決める政治である。
だからパキスタン軍はスワト地区に手を出さなかった。ザルダリ大統領は同地区に厳格なイスラム法の適用を認めるほどに妥協してきた。
まして軍情報部はタリバンのシンパが山のように潜入しているため、軍事機密情報が漏れる。攪乱情報や偽情報に振り回されるとパキスタン政府軍がタリバンに負ける恐れもある。
パキスタン政府のタリバン撲滅路線が曖昧さから強硬路線へと方針が180度変わったのは米国の変心による。
オバマ大統領は、5月6日にアフガニスタンのカルザイ大統領と、パキスタンのザルダリ大統領をホワイトハウスに呼んで会談した。会談内容は秘密だが、爾後漏れてきた情報は、核兵器の安全が米国の最大関心事ということだった。
つまりパキスタンが保有する60発から100発の核兵器がタリバンに奪取されるという空恐ろしき悪夢が現実のものになりつつあると言うのである。
これには前段がある。
ヒラリー・クリントン国務長官が議会証言で「パキスタンの核兵器隠匿場所は全土に拡大した恐れが強く、管理リスクが増大している。パキスタン政府が完璧に管理できないとなると、タリバンの手に渡らないとも限らない」(4月23日の議会証言)。
そしてヒラリーはこうも言った。
「われわれはイランの核をたいそう懸念しているが、イランはまだ核保有に至っていない。だがパキスタンは既に保有している」。
01年9月11日の同時テロ以降、米国はパキスタンに対して核兵器貯蔵場所の安全確保のために一億ドルを供与してきた。
それも水泡に帰す恐れがある。
幸いにしてザルダリ大統領はブッド元首相の夫君でもあり、欧米のウケがいい。
カルザイ(アフガニスタン大統領)は、米国あってこそ存在できる政治家であり、そのカブール政権の不正と腐敗に目をつむってくれる限りは米欧に協力するだろう。もともと米国の傀儡としてカブールに入り、しかもいまも依然としてカブールしか統治できない無能力政治家だが、タリバン退治には欠かせない人物である。
▲史上空前の難民が発生、こんな筈ではなかった
ザルダリは突如決めた。
タリバンが多く潜伏するとされたスワト渓谷への本格的攻撃を命じた。
パキスタン軍とて、2007-08年の戦闘で1400名の兵士が死亡、4000人が負傷している。
キラニ・パキスタン首相は「テロリストと武装勢力を壊滅させるまで闘う」と記者会見し、二月に合意したばかりの武装勢力との停戦合意を破棄した。
パキスタン軍の発表では爾来、1100名のタリバンを退治したという「成果」が声高に発表された。
大変な事態が付随しておきていた。
スワト渓谷の多くでは「水道が壊れ、電気がとまり、食糧が底を突き、猜疑心が交錯し、機関銃の乾いた音がそこら中に聞こえ、流れ弾でつぎつぎと住民が死んでいく。電話が通じなくなった。住民は着の身着のままで逃げ出す」(NYタイムズ、6月1日付け)。
難民は既に240万人、毎日8万5000人が難民となって周辺の集落からラホール、イスラマバード近郊の難民キャンプへ押し寄せた。すぐに食糧、医薬品不足に陥った。
西側の支援物資はとどかない、食糧支援は圧倒的に足りない。いや西側の援助団体がテロの対象となって警備が希薄なため、援助物資が届かない。
難民は暗闇の中で死の恐怖と闘っている。
「パキスタンのスワト地区で発生した難民の数もスピードは嘗てのカンボジア、スーダン、イラク、ルワンダのそれより早い」(英紙『インデペンダント』、5月31日付け)。
5月27日、ラホールで自爆テロ30名が死亡した。「パキスタンのタリバン運動」が犯行声明。この団体はブッド首相暗殺に関与したとされる。
にも関わらず5月31日にパキスタン軍情報部は「完全勝利」を宣言し、「ミンゴラを完全制圧した。治安回復はすぐだ」と豪語した。ミンゴラは武装勢力の拠点の都市である。
アルノー・ド・ボルシェグレーブは絶望的な近未来を語る。(アルノーは元NEWSWEEK編集長、アフガニスタンのロシア侵略を追求した国際的ジャーナリスト、作家)。
「神学校では毎年毎年二百万の若者が卒業する。パキスタンでは職がない。パキスタンは誰が敵か、誰が味方かも分別できない、戦争定義のない、戦争国家に陥った。タリバンは、かのロシアと闘ったムジャヒデンの子供たちである。ムジャヒデンは勇敢にロシア兵と闘い、そしてイランでは52人のアメリカ人を人質にとって米国大使館を444日間にわたって占拠した。パキスタンに猖獗するイスラム原理主義は同国政治の根幹をすでに奪胎している。イランがホメイニ革命前すでにイスラムの見えない統治があったように」(『ワシントン・タイムズ』、4月28日コラム)。
>さすがに、中国の属国になりたいという人が30%もいるとは思えんのだよね。
>つまり、そういう与太話を真に受けてる人ってほとんどいないってことで、意外に日本の大衆はまともだなあと安心した。
いやそれ以前にリアルでは「そういう与太話」自体が大して流通してない気がする。一般的には未だテレビと新聞の世界が支配的。
ネットとゴシップ誌にしか挙がらないような情報は、真に受ける真に受けない以前に、知っているかどうか危うい人々がかなりいる。
仮に知ったとしても、(様々な捏造事件の後でさえ)「テレビや新聞の情報だから」「偉い人の言うことだから」という理由で盲信し、他の情報について考えることさえしない人々がかなりいる。
多数決の原理の働く世界では、このような誠実な愚民・情報弱者(いつの時代も多数者であった)をいかに取り込むかが重要。そして、そのための最高の武器が大衆メディア(実例:ヒトラー、戦時広報、ルワンダ内紛等々……)。私たちのような猜疑心の強い阿呆が疑ったり、小数の賢人が気づいてしまったとしても、対抗するには同じく大衆メディアを用いるしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20081228195935
が、俺は社会学を学びたいと思ったことは全くなく、大学は理系の情報系に進んで今に至る。
俺が社会学を学ばなかった理由は、一言でいえば、普遍性が感じられなかったからだ。
>彼は居場所を探し続けて失敗した。僕は居場所を探すことをそもそも諦めた。
>代わりに、僕は「よそ者」になることを選択した。
いや、お前は「よそ者」になりきれていないと思う。
本当の「よそ者」であるならば、「居場所」以外にも興味の対象がいくらでも出てくるはずだ。
例えば、お前はソビエト崩壊に興味はあるか?
全部、日本人には他人事だが、当事者にとっては「居場所」がなくなる大事件だったんだぞ。
社会学が人の「居場所」について論じる学問であると仮定しても、「居場所」に属する人数からすれば、こっちの方が問題として重要そうだとは思わないか?
結局、お前の言っている「居場所」っていうのは、日本社会のどこかの学校のどこかのグループっていう、非常に規模の小さな人の集まりのことじゃないのか?
>社会学
>それは身の回りのモノ全てを客観的に説明しようとする。
>それは時に冷徹なまでにモノを他人事として受け止めさせる。
>それは居場所の無い僕に「よそ者」として生きる道を与えてくれる。
>だから僕は社会学を学んでいる。
感想を言ってやろうか。小さい。問題関心が小さすぎる。
お前は、「よそ者」になる、と言っておきながら、結局は、自分の入れなかった小さな小さな「居場所」を羨み、そこに何で入れなかったのかを考えて楽しんでいるだけだ。学問を自分の慰み物にするな。いつかバチがあたるぞ。
学問は、もっともっと冷徹だ。「そんな小さな集団は論じるに値しない」って言って、お前の問題関心そのものを切り捨てることだってできるんだぞ。
本当に「よそ者」になったのなら、社会学以外にも問題関心が向くはずだ。自分のいた「居場所」以外にも問題関心が向くはずだ。
社会学をやりたいなら、まず、「居場所」って何か、自分以外の人間にとっての「居場所」ってどこか、ちゃんと定義して記述してみろ。
http://anond.hatelabo.jp/20081025104047
日本は1979年にこれを批准しているが、その内の「中・高等教育の段階的な無償化(第13条)」については留保している。
第13条
1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。
2 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(a) 初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。
(b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
(d) 基礎教育は、初等教育を受けなかった者又はその全課程を終了しなかった者のため、できる限り奨励され又は強化されること。
(e) すべての段階にわたる学校教育制度の発展を積極的に追求し、適当な奨学金制度を設立し及 び教育職員の物質的条件を不断に改善すること。
ルワンダの大虐殺を生き延びたイマキュレー・イリバギザさんの言葉
父は銃によって殺されました。
母は家の近所の通りで切り刻まれました。
弟は手榴弾によって命を奪われました。
そして村には、まだ埋葬されていない兄の遺体が置かれていました。
皆は私にその姿を見せまいとしていました。
でも私は、父や母の代わりに見てあげたかった。
兄の身体は、胴体しかありませんでした。
悲しみ。
そんな言葉ではとても言い表すことはできない。
どうしてこんなことが起きてしまったのか?
私たちは何も悪いことはしていない!
絶望的な理不尽さ!
そこから抜け出す方法などあるのだろうか?
胸を引き裂かれるような憎しみが襲ってきました。
しかし、それを癒すものなど何もない。
もし憎しみのまま復讐したとしても、それは決して解決にならない。
ただ祈ることしか私には許されなかったのです。
本当に大きな痛みを受けたとき、人間は屈服するしかない。
私はそう思っています。
屈服してしまえば、必ず救いが訪れる。
「屈服」というと響きが悪いが、要は現実を受け入れろってことだよ。
誇大妄想が言説の前提としてあるんだから、だからトリアージからいきなりホロコーストに飛躍しても飛躍じゃないと信じることができる。権力の脅威だって言って。何でこれがわからんのかね。現実考えたら、天皇による国家幻想より(だいたいどの国も国家幻想を必要とするし、日本なんかはまだ穏やかなほうだ)、テレビみて納豆を買いあさる日本人の底の浅さのほうが、天皇よりもよほど危険なのに。
反日分子乙。メディアにあおられてホロコーストおきるのはナチスドイツやルワンダやらでもあったこと。中国の文化大革命や最近のアメリカのイラク戦争だってメディアが加担してるだろ。にもかかわらず何で日本人の底の浅さの話になるんだよ。「外国はさぞかし底が深いんでしょうね」といやみ言いたくなるわ。
しかも納豆買いあさるという行動だって日本人の多くがやってたわけでもなく、マスコミが面白おかしく切り取って誇張してるだけ。それを真に受けて日本人論語っちゃう奴の底の深さは何ミクロン?とりーあー時からホロコーストまで飛躍する人と納豆貝アサリ報道から日本人の危険性に飛躍するのにどの程度差異があるんかと。
さらに、誇大妄想を前提とした議論しかないから「左翼全体がトンデモ」認定されてしまうし、誇大妄想を共有する人間にしか通用しないことを言いあうしかないんだよ。右翼と同じようにね。
右翼左翼が自分たちの主張を誇大妄想と思ってないようにあなたも納豆貝アサリから飛躍するのはとんでも誇大妄想じゃないと思ってるだろうね。
右翼が異国・異分子に対しては過度の恐怖心・警戒心、左翼が天皇の権力に対する過度の恐怖心・警戒心、あなたは日本人に対して過度の恐怖心・警戒心ということですね。わかります。
一刻も早く底の深い人々の住む外国に移住したほうがいいんじゃねーの?
極論すると、権力にずぶずぶでやくざみたいな右翼と、本当は体制とツーツーだった癖に反体制を気取って大衆を欺瞞し続けたエセ権力童貞な左翼しかない日本って、どうにもつまらなすぎるでしょ。
民主主義下で権力とぶずぶずにならない政治勢力って極右や極左のような過激派になるしかないだろうね。いやいや外国では右翼左翼が権力とずぶずぶになることもなく、大衆を欺瞞することもない面白い政治をやってるんだよってことだろうけど。
与党が少数派にも配慮して野党もある程度主張をとおすため妥協するのは議会制ならあるべき姿。妥協したら「反体制の癖に体制側とずぶずぶだ、大衆を欺瞞した」とみなすって事なら野党と与党は折り合わず与党が一方的に意見を押し通すのが理想なのかも知れんけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080406172307
ちなみにこの契約の話も書いたんだけど、長くなりすぎたので削除した経緯があったりする。
まず、契約というのは必ず守らなければならない、というのは間違い。我々にそんな義務はない。
もし契約というのが破棄不可能なものであるなら、契約を結ぶことは非常に難しくなる。
だって将来どうなるかなんて誰にも分からないでしょ?
典型例が航空会社のダブルブッキング。我々がチケットを買うのは契約の一種。でも航空会社は我々の席を平気で別の人間にも売る。統計的に何人かはキャンセルすることが分かっているからだ。もし計算以上に搭乗客が来てしまった場合、会社は謝り倒して別の便を用意して我慢してもらう。
これだって立派な契約の放棄。「俺は絶対にこの便に乗りたいんだ!」と全ての客が言うなら、航空会社は今よりもはるかに高い料金を要求してくるだろう。そうしないと商売が成り立たないから。
契約を守るというのは大切なこと。尊重するのは当然で、そう教育されてもいる。でもね、契約に絶対はないんだよ。
我々が契約を守るのは何故?契約を破ると失うものが多いからだ。違約金を払ったり、評判を落としたり、契約を反故にされた相手から報復を受けることだってある。「だから」契約は守らないといけないんだ。商契約は「約束は守りましょうねー」という理屈抜きのモラルの話とは訳が違う。契約を守るのには理由があるんだ。
逆に言えば、これらのコストを甘んじて受ける覚悟があるなら、我々は契約を破棄していい。そのコスト以上に得られるものがあるなら、それは極当たり前で合理的な商取引だ。世の中にどれだけ契約の中途破棄が溢れてるか考えてごらんよ。それは社会が柔軟であることの証なんだ。この柔軟さを失って得られるものと失うもののどちらが大きいか、考えたことはあるかい?
多分プリンスホテルは(結果的に)予想以上に評判を落とした。最終的にプリンスホテルにとってこの判断が合理的だったのかどうかはわからない。でもそれはプリンスホテルの問題であって、我々がどうこう言う問題じゃない(株主でない限り)。逆に、「政治理念よりも顧客を優先した」ことを評価している人だっているかもしれない(politically incorrectだから大声ではいえないだろうが)。それもまたプリンスホテルの判断。それに、判断の正しさを後付でグダグダ言ったってしょうがないでしょ?
もちろん、契約の当事者である日教組は大いにホテルを非難すればいいし、今後は使わなければいい。それは当然の権利。プリンスホテルだってそんなことくらい覚悟の上だろう。でもね、それは第三者がモラルを云々する問題じゃないんだよ。我々が考えるべきことは他にある。
前のエントリーでこのことを書かなかったのは、学者の彼にそんな契約概念についての理解を要求するだけ無意味だから。
"平時にしたことを彼らが合理化できるなら、戦時においては同じふるまいを合理化することは一層容易である。"
彼はこの文章で悲憤慷慨しているつもりかもしれないけど、こっちにはほんのわずかにも響かない言葉なんだよ。わかってねーな、と思うだけ。ホテルルワンダという全く次元の違う問題を無理やりつなげて、自分の感情を正当であるかのように見せるあざとさは鼻につくけどね。それ以上に、その我田引水すら論理的に成功してないことのほうが腹が立つ。学者なら論理的にものを語れよと。
だから、ホテルマンの信条とか、そういう定義も良く分からないような便利な言葉で彼らに(日教組にとって有利な)モラルを押し付けるような主張には賛成できない。それが、前回書いた「社会の問題を個人の問題に還元してしまう」行為なんだよ。昔どこかの新聞が事故を起こした電車の運転手に「風の呼吸を感じるべきだった」みたいなことを書いて失笑を買っていたけど、それも同じ。医療関係者に「命を預かる聖職だから」と全力以上を要求する今の風潮も同じ。必要なのはより安全な運行システム、より有効な救急体制、それに「言論の自由に守られて他人の言論の自由を侵害する」今回のようなケースを排除する法整備だろ?
内田樹さんのプリンスホテルの議論(http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php)だが、http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの議論は、結論は正しいが過程が間違っていると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんによる内田さんの議論の再構成はこういうものだ。つまり、内田さんが
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
と述べていることから、以下のように組み立てる。
(1) 極限状態で客を助けないのは、卑劣ではない(Aから)
(2) プリンスホテルは、極限状態で客を助けないだろう。(B)
この再構成がおかしいのは、Aの翻訳である(1)だ。Aが述べているのは「ある人が極限状態で客を助けないからといって、その人が卑怯だとはいえない」ということである。つまり
(1') 極限状態で客を助けない人の中には、卑怯な人もいるかもしれないが、そうでない人もいる
ということ。したがって(4)のような結論は出てこない。
(「私は別にこのような超人的な勇気をグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーも持つべきだというような無法なことは申し上げない。」とあるので、本当に内田さんが「助けないなら卑怯」といっているかどうかには疑問があるが、一応議論の流れに乗っておく)
しかし(1')と(2)を組み合わせると、
(*) プリンスホテルは、卑怯かもしれないが、そうでないかもしれない。
という命題が出てくる。おそらく内田さんはこういうことを言いたいわけではないだろうが、これは内田さんの議論がちょっとずさんだから。というのは、内田さんは次のようなことを書いているが
もしグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーが内戦時代のルワンダでホテルのマネージャーをしていたら、彼はためらうことなくツチ族の顧客全員を政府軍に差し出しただろうということである。
...
だが、私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである。
これは結局
ということであって、(1')と矛盾してしまう。ということで、わたしはhttp://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの結論
この人ほんとに学者?
には同意してしまうのである。
たぶん内田さんがやるべきだったのは、戦時中であればプリンスホテルの中の人がやりそうな------しかしそれをしないには超人的な勇気を必要としないような------卑怯なこと(しかし、彼らはそんなことは人道上しないといいそうなこと)の例を挙げることで、そうすると、プリンスホテルの中の人がいかにひどいかと言うことを描写できたのだが、例を出すのをケチってしまったので、こんなことになってしまったのである。
http://anond.hatelabo.jp/20080404080752
個人的にはAのその解釈(後者)を「正しい」と感じる感覚はちょっと共有できないけど、それを言っても水掛け論なのでおいておく。
”「たいていの人は極限状態では卑劣だが平時には卑劣ではない」という前提のがAの裏に隠れている。”というのはどこから類推したの?不安になって今読み返したんだがどうにもそう解釈できない。なぜかというと、仮にこの前提が正しいとした場合、彼の文章は全く内容がなくなるからだ。
「平時に卑劣な人間は極限状況においても卑劣だということを覚えておこう」と彼は書いた。もし「たいていの人は平時は卑劣ではないが極限状況では卑劣だ」という前提も存在した場合、今現在卑劣であろうがなかろうが極限状況では人間を超えた例外的存在を除いて全員卑劣だということになる。もったいぶってホテルルワンダの例を出し、長々と「プリンスホテルは極限状態で客を見捨てる」という”推論”を彼は語っている。自身で推論というからにはそれは論理的な帰結であるはずだ。でも、君の言ったその前提を受け入れてしまうと、どういう状況であろうがプリンスホテルが極限状態で客を見捨てるのは自明の「前提」となり、推論の結果でもなんでもなくなる。
そう考えると、君の仮定した前提は蓋然性のある読解と言えるのかな?擁護するには結構無理がないか?
これはないだろ。ちょっと分かりやすくするために書き直してみよう。
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
B. プリンスホテルが当時のルワンダにあれば、躊躇いなく客を政府軍に引き渡した。
以上から導かれる論理的帰結。Aから、客を助けないのは卑劣とはいえない(超人にしか出来ないから)。Bから、極限状態で客を軍に売り渡すプリンスホテルは卑劣とはいえない。Cの対偶を取ると”極限状態で卑劣でない人は平時でも卑劣ではない”。よって、プリンスホテルは平時において卑劣とはいえない。なんだ、彼はプリンスホテルの擁護をしてたのか。
これは違う。君が後で上げた解釈が一部ただしいと思う。
無理やり彼の穴だらけの理屈を養護する方法を考えたんだが、以下の方法ならぎりぎりプリンスホテルは平時において卑劣であることを説明できる。Aの解釈を「客を助けないのは超人でないならしょうがないが、卑劣であることには変わりない」に変更する。そうすると「プリンスホテルは卑劣でありえる」という結論になるが、今度は「世の中超人的な勇気を持つ人以外は全員卑劣」なので、きわめて例外的な一部の人を除いてプリンスホテルを非難できなくなる。
ここの前半はあっている。ただ最後の
今度は「世の中超人的な勇気を持つ人以外は全員卑劣」なので、きわめて例外的な一部の人を除いてプリンスホテルを非難できなくなる。
というところが間違っている。
「たいていの人は極限状態では卑劣だが平時には卑劣ではない」という前提のがAの裏に隠れている。
Cでは「極限状態での卑劣」であることXと「平時の卑劣」であることYが別変数としてあって、Y=trueのときX=trueと言ってるだけなのだから。
イラクで何人死んで、パレスチナで何人死んで、フォークランドで何人死んで、カシミールでは、スーダンでは、ダルフールでは、アフガニスタンでは、モロッコでは、チェチェンでは、チベットでは、ユーゴスラビアでは、ルワンダでは、コソボでは、北アイルランドでは、カンボジアでは、東ティモールでは…
そんな知識いくら持ち出してきたとしても日本で生まれて日本で生活している限り「失礼じゃなく眠たくない人」なんて一人もいやしないよ。「俺はイラクに行ってきた」なんて自慢げに語ったテレビタレントさんもいるけどさ。
と小学生の自分が反応してみる。
だからもっとお前に身近な臨場感のある例え使った方が説得力あるよ
そもそも「単なる電気信号のやりとりを、さも実弾のやりとりであるかのように例えて本気の殺し合いのように語るのはアレ」という話をしてたんだけどなー。何が「ネット【紛争】」だ固羅と。そう意味では「事故紛争」とか「生活紛争」という言葉にも同じく突っ込みを入れたくてしょうが無くなる。