http://anond.hatelabo.jp/20081228195935
が、俺は社会学を学びたいと思ったことは全くなく、大学は理系の情報系に進んで今に至る。
俺が社会学を学ばなかった理由は、一言でいえば、普遍性が感じられなかったからだ。
>彼は居場所を探し続けて失敗した。僕は居場所を探すことをそもそも諦めた。
>代わりに、僕は「よそ者」になることを選択した。
いや、お前は「よそ者」になりきれていないと思う。
本当の「よそ者」であるならば、「居場所」以外にも興味の対象がいくらでも出てくるはずだ。
例えば、お前はソビエト崩壊に興味はあるか?
全部、日本人には他人事だが、当事者にとっては「居場所」がなくなる大事件だったんだぞ。
社会学が人の「居場所」について論じる学問であると仮定しても、「居場所」に属する人数からすれば、こっちの方が問題として重要そうだとは思わないか?
結局、お前の言っている「居場所」っていうのは、日本社会のどこかの学校のどこかのグループっていう、非常に規模の小さな人の集まりのことじゃないのか?
>社会学
>それは身の回りのモノ全てを客観的に説明しようとする。
>それは時に冷徹なまでにモノを他人事として受け止めさせる。
>それは居場所の無い僕に「よそ者」として生きる道を与えてくれる。
>だから僕は社会学を学んでいる。
感想を言ってやろうか。小さい。問題関心が小さすぎる。
お前は、「よそ者」になる、と言っておきながら、結局は、自分の入れなかった小さな小さな「居場所」を羨み、そこに何で入れなかったのかを考えて楽しんでいるだけだ。学問を自分の慰み物にするな。いつかバチがあたるぞ。
学問は、もっともっと冷徹だ。「そんな小さな集団は論じるに値しない」って言って、お前の問題関心そのものを切り捨てることだってできるんだぞ。
本当に「よそ者」になったのなら、社会学以外にも問題関心が向くはずだ。自分のいた「居場所」以外にも問題関心が向くはずだ。
社会学をやりたいなら、まず、「居場所」って何か、自分以外の人間にとっての「居場所」ってどこか、ちゃんと定義して記述してみろ。
疎外感を覚える。 身の回りのどのコミュニティにも居場所がない。 もちろん、自分を偽って道化や善良を演じれば、ある程度はそこで受け入れてもらえる。 でも、それは自分の居場所...
http://anond.hatelabo.jp/20081228195935 俺の親は社会学の教授だ。 が、俺は社会学を学びたいと思ったことは全くなく、大学は理系の情報系に進んで今に至る。 俺が社会学を学ばなかった理由は...
かわいいなぁ。 よそ者同士のコロニー、それが居場所。 私も頑張らなくてはと、勝手に勇気づけられる。