なんだかんだ外食はあまりしないし、回転寿司とかは実家とかに帰ったときに奢ってもらうこと多かったので、自分の家族だけで回転寿司に入ったのは久方ぶりだった。
シャリは小さくボロボロだし、ネタは甘ったるくて味が全部均一。魚というかタンパク質口にしている感覚だ。どちらかというと魚介よりサラダとかケーキとかのサイドに位置するもののほうが食べやすかった。
これで1皿100円なのか。なんかがっかりする。
今までは他の家族と一緒だったから味は二の次と思っていたけど、普通の外食と思うと美味しくない部類だと気づいた。
チェーン店にもよるんだろうけど、あの店はもう行かないかも。というか回転寿司はしばらくいいかな。
回転寿司がファミリー向けの大衆食堂になって、どんどん味よりキャンペーンとかで客を引っ張る時代。安かろう悪かろうがスタンダードになってしまったのかな。本当の寿司ってあまり食べたことないけど、たぶん寿司ってもっと美味しいものだと思ってた。自分の金で食べる寿司がこんなもんなのかって感じて少ししょんぼり。
新型コロナが「ただの風邪」ではない理由 コロナ病棟医師の見解(倉原優)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuraharayu/20210613-00242752/
かといって「お前は今から1年は生きる」って言われていい気分になるような教育は日本では施されていないしさ
損しないけどそれってどうなのよって思うハナシ
まだこの話するのか
ぜんぶそっちの妄想で、そっちが勝手に言葉を選んで決めつけているだけなんだし
そして勝手に妄想したことを議題にして答えさせようとしているって、逆に自己顕示欲むき出しだと思うよ
あえて答えるなら「おかしいとかおかしくないは君が勝手に言ってるだけでしょ」としか
こちらにはその質問に答えるほどの根拠や理由が存在しないが、そっちには明確なものがあるんでしょ?例えばどこならば自己顕示欲を露呈しても問題なく、どこから下は駄目なのかという明確な基準や客観的な根拠が。こちらにはないのでそっちで出してほしい。答えられないことを勝ち負けの判定にしているなら、そちらの勝ちでいいよ。
これで君の自己顕示欲は満たされたわけだし
人間の暦でいうところの2020年前後にこの意識をこの体に宿す理由がない
べつに私はあなたでもよかったはずだし、あなたは私でもよかったはずだ
よくわからない
今じゃなくてもよかったのになぜ今なのか
私じゃなくてもよかったのになぜ私なのか
朝起きた瞬間こそ(今日はいい一日にするぞ)と意気込むが結局持ち前の怠惰さや体力のなさや平日の疲れから二度寝三度寝を繰り返し夕方になってようやく布団から這い出すがそのころにはすでにやりたいこともできることもなくなっており仕方なく近所のスーパー銭湯に行って何かやった気になろうとするがそこでも正常に生きてきた親子連れや大学生集団を目の当たりにして劣等感を刺激されそのような自分が惨めで恥ずかしくいたたまれなくなり家に逃げ帰り睡眠薬を飲んでこれまでの人生の失敗やこれからの人生の不安孤独焦り恐怖にさいなまれながら就寝する。
最強のmRNAワクチンができてしまったために、結局は気合いで2年間耐えただけで、社会は何も変わらずに元通りになりそう。
コロナがどうだとかそんな話をしているのも年内か遅くとも来年初めくらいまでかなぁ。
あと10年くらいはコロナ社会の前提で今後の人生をプランニングしてたんだけど思ったよりも早く世界が戻りそうで逆に困惑してる。
自粛や気の緩みという言葉が、時に不当に批判的な意味を持ってしまうのは、確かにその通りだと思います。わたしも、以前の記事では感染者数の前週比のことを「緊張のバロメーター」と表現しましたが、自粛度よりも緊張度のほうが、いくらか印象はよいかもしれません。手洗いしない人や、たまに「まぁいっか」と思ってしまう人を、自粛度が足りないと表現するよりも、緊張度が足りない・自衛が足りないと表現する方が的確ですね。
わたし自身、あくまで理想論ですが、マスクの着用と適切な消毒、黙食の3点さえ100%徹底できれば、そのほかの日常生活や外出、娯楽(カラオケなどの例外を除く)や旅行に何の制限もいらないと思っています。または少なくとも、限りある人々のストレスや経済の負担は、効果の高いものだけに集中して投入した方が、人々のストレスもワクチンの普及まで持ちこたえやすいし、経済への負担も低く抑えられると考えます。
ふだんのマスクの着用はすでにかなりできていますが、問題は黙食です。おそらくあなたと同意見だと思いますが、大変残念なことに、政府や都は、「黙食」という感染対策の根源をあきらめて、そもそもの外食機会を減らすべく「自粛」を要請しているというのが実態だと思います。この点で、本来不要なはずの「自粛」というキャンペーン用語にわたしも乗っかってしまったのは、よくない言葉選びだったかもしれません。
とはいえ、人々の行動が、感染者の増加や減少に影響しているという点は、わたしもあなたも合意できるのではないかと思います。ひょっとするとそこに合意できないというのがあなたの主張かもしれないという懸念もありますが、もしそうであれば、なかなかわかり合えない壁があるかもしれません。