当たったやで褒めてや。
リボ払いの残金をパチスロで返そうとする女とか、馬油を信仰する女や個性的な面々で、やりとりを見ているだけでも面白い。
ある日、「休みの日に何をしてるの?」と職場で聞かれたとき、「アル中カラカラの動画を見ている」と答えたら、変な反応をされたというマシュマロが来ていた。
まず、アル中カラカラが、よくわからない。でも、休日にアル中の動画を見ているという時点で、おかしな目で見られるんじゃないの?
とマシュマロを受け取った方は、答えていた。
私はゾッとした。
このマシュマロを送った人は、アル中カラカラをエンタメとして楽しむことが一般的だと思い込んで、それに違和感がなかったのだ。
SNSは、自分が見たい情報だけをフォローすることで、偏った情報ばかりが流れ込んでくる。
その世界を、平等にサンプリングした結果としてではなく、偏ったところのみをサンプリングした結果だと認識してなければ、自分の常識がどんどん非常識になってしまう。
ステーキなんて肉焼いてるだけじゃん
学位を持った科学的な素養がある人が政治家になることはできるし、欧米では政党が普通に候補として選ぶ程度の社会の成熟度があるんですよねぇ
学べば学ぶほど生涯賃金が低くなる本邦とは違ってね
それでも政治家になった以上はバランス取りをする必要が出てくるのが民主主義社会の必然なんですが、政治家になったら自分の思った通りにできると思ってることがまずバカバカしいし、公衆衛生の話を「思想」とか言っちゃう時点でもう救いようがない反知性主義なんだよね
Love Me Tender?
何言ってんだ?
まとめてやることで効率化する要件なら、それようのメモ帳を用意してそこに積み上げる。
ゴミ捨ては玄関のじゃまになる所においてドアをくぐるたびにゴミ捨ての日かを思い出すようにする。
そういった「必要になったら思い出すので、忘れてしまって問題がない状態」に持っていかずに、「あとでやることにして、簡単だからメモにも取らずに覚えておこう」とするのはコスパが悪い。
リマインドを物理的に脳の外側にセットしなければ、その「あとで」にたどり着くまでにそのことをずっと覚えておく必要がある。
そのことでロックされる脳のメモリが10%程度だとしても、それまでの間ずっと10%性能が下がった脳みそで過ごすことになる。
こんな無駄はない。
朝玄関を出てから思い出して、夜帰ってきてからやろうとしたとする。
10時間の間脳の片隅で10%メモリがロックされれば、それは1時間分その1日が無駄になっていることになる(よっぽど自分の頭を使わない仕事や遊びでその日を過ごしたなら話は変わるが)。
だが、スマホを取り出してリマインダーやカレンダーに10時間後にそれを思い出せるようなメモを残せば、それでもう脳のメモリーロックは不要になる。
大昔であれば、なにか予定が書き込まれてないかと手帳を確認する手間を日々生み出すのは効率的なのかという疑問があったが、今はスマホが勝手に震えだして予定を思い出してくれる。
現代社会は脳への負荷率がどんどん高くなっている。
パソコンの影響で漢字が架けない人が増えたから現代人は馬鹿になったなんて戯言を言う輩はいるが、それは「漢字なんていちいち覚えてられないような忙しい時代になったのだ」と考えるべきだ。
この時代を生き抜くために、「忘れるためにメモを取る」のは必須の技術だ。
情報の洪水、加速する生活の速度、的確に忘れていく技術は必要不可欠だ。
まあ正直な、さっさとやってしまうのが一番コスパがよかったりするんだよな。
洗い物を台所に貯めてあとでやらなきゃとモヤモヤするぐらいなら、気になった段階でやった方がいい。
なぜなら「あとでやる」という選択はそのあとを「いつにするか」という決断を迫られることになるからだ。
さっさとやれば、一度にやるより少しだけ表面的な効率は下がるかも知れないが、決断力の消耗は抑えられる。
忘れても良いようにメモを取り、さっさとやれそうならさっさとやってしまう。
(著:増田増)
でもただのKKOじゃん
そこに現状を足し、その他の問題点も考慮し、選択肢はどれにするか、を考えて責任を負って
実行するのが政治家で、その政治家、つまり国民の代表を選ぶのが選挙。