よく考えてみたら、偽計業務妨害の線もある気がしてきました。
器物損壊の場合、塩入り袋設置時点で、①まだ作物が存在していないことと②作物が特定されていないこは、たしかに、問題になり得そう。
ただ、結局は、諸々の事情を考慮して、法益侵害の危険があるかを判断する際の一要素であり、行為時に、法益(今回の場合、作物[の所有権〕)が発生する可能性がある程度あり、法益侵害発生時までに法益が発生・存在していれば、問題ないのではないかな。
例えば、肥料泥棒が農家であり、毎年必ず作物を作っている、という事情があれば、実行行為性を認めるにあたって、作物が行為時に存在してないことはあまり問題にならないような気がする。
一方で、肥料泥棒は、農家ではなく、塩入り袋を盗むときには(嫌がらせなどの目的で)これを捨てようと思ったが、のちにふと思い立って作物を作り始めた、というときは判断が難しい。
②については、概括的であっても(肥料泥棒の所有する)作物一般、まで特定されていれば、実行行為性・故意について問題ない、というイメージ。
もっと踏み込むと、肥料泥棒が塩入り袋を転売して転売先に被害が出た場合でも犯罪が成立し得るのではないか。
以上を考えるについて、役に立つかもしれない事例として、「無差別大量殺人をしようとして、5年後に起爆する爆弾を設置したところ、5年後にそれが爆発して2歳児が死亡した」というものを考えてみる。
この場合、2歳児に対する殺人は当然認められるのではないだろうか。(爆弾設置時に2歳児の両親が子作りを一切考えてなかったとしても。)
検討する犯罪自体違うので怒られそうだが、無差別の器物損壊と爆弾設置後に作成された他人物でも同じ話である。
無差別殺人の意図という設定が本件と違うのがややずるいかもしれない。
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大元の器物損壊の実行行為性の話については、道端に毒入りジュースを置いたケース(宇都宮地判昭和40.12.9)とか参考になるかもしれない。
昭和40年頃の道端のジュースを拾う行為は、現在のそれとはまた意味合いが違うかもしれないが。
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プリパラでは「年頃の女の子のもとにプリチケが届く」という設定がある。
その届く時期はその子によって年齢もバラバラだったりするのだが、その設定上プリチケが届く=初潮なのではないかというそこそこ有名な考察が存在する。
正直、最初にその考察を聞いた時はキモイと思ったけれど、今考えると本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
自分が拒否しようとも女性性を獲得していく身体と、まだアイデンティティを確立していない心。
プリパラの中では、「普段は厳しい委員長だけどプリパラの世界では語尾をつけて話すポップなアイドル」「自分のことを”ボク”と呼ぶアイドル」「男の子だけどまるで女の子のようなアイドル」(この子に関しては例外的にプリチケが届き正規に出入りしているほぼ唯一の男子)「男のように振る舞うアイドル」など、たくさんの少女が登場する。それはある意味では成長していく自分への抵抗でもあり、自己表現なのだろう。
その自己表現の場が、自らが受け入れ獲得したわけでもない「女性」をもたらしたものだと思うと、皮肉でもありそれが一種の真実なのではと思える。
身体は女性になってしまったけれども、心はあくまで自分の好きなままでいい。
私が一番好きで、憧れている紫京院ひびきはまさしくその体現者だと思う。彼女は「男性性の裏に女性性を隠す」のようなアニメによくある男装キャラではないから。
自分がそうしたいから、自分にとってそれが当たり前だから、男性として生きている。そこに、自分が好きで手に入れた訳ではない「女性性」は関係していないのだ。だから、私は彼女が大好きだ。
こうして文にしてみるとプリチケ初潮説がちょっとガチっぽいことも見えてくるし、公式側が本当にそれを裏コンセプトとして入れたのか知る余地もないがそんな風に捉えられるこのコンテンツはなかなかキモイと思う。と同時に、自分の認識よりずっと早く女性性を獲得していってしまう「女の子」にとって、ある種の救いとなってくれているとも思える。だって自分がそうだったもん。
飲食店で横並びになったテーブルの隙間を歩いて長椅子に座るパターン多いと思うけど
その時隣のテーブルにケツ向けて進むのがいいのかチンコ向けて歩くのがいいのかいつもなやむ
隣の人はどっちが不快感が少ないんだろう
(おれはどちらかといえばチンコ側が許せる)
ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、アセクシュアル……などなどセクシャリティは多様に存在しているが、二次元のキャラを人として愛しているいわゆる俺嫁のオタク、これもまたセクシュアリティなのではなかろうか。つまり、二次元嫁wwwwとか、現実を見ろとか言うのは、同性愛が迫害されていた時代の同性愛者への仕打ちと同じことなのではないか?