「実物を見せてくれないとわからない」
四角いかたち、といわれたら四角いものをみせてくれないと何が四角だかわからない
優しい人間になれ、と言われたらどう優しくするべきかわからない
小学生のとき「いじめはダメ」と言われたからいじめられている子と仲良くした
いじめられたことがあったから「いじめ」とはなにかが分かっていた
「無視する」「悪口を言う」が「いじめ」だというのは親が教えてくれたように思う
恨めないかわりに、ただひたすらに人間に対する「◯◯」が植え付けられたように思う
最近、その「◯◯」に「恐怖」という言葉をつけられることがわかった
私は誰も彼もを怖いと思っていたようだ
確かに震えていたし、人と会いたくなかった
ある時、先輩に「あなた、怒られていたね」と言われたことがある
私はそれが「怒られていた」と認識できていなかったので驚いた
怒鳴られたら「怒られた」とわかる
だけど「それは違います、こうしてください」という普通の言葉は
実のところ、小さい頃から、怒られたことが一度しか無いと思い込んでいた
本当のところはめちゃくちゃ怒られてたんじゃないだろうか
今となってはよくわからない
こうして、他の人より十年から十五年遅れくらいで、感情や現象に言葉をつける作業をしていた
人間関係で無理をしていた時期に幻聴や幻臭、被害妄想、倦怠感が出た
統合失調症かと思ったが躁鬱だった。薬が効いているので多分あたり(お医者さんはすごいな)
単に病院の方針で診断名をつけないだけで、つけようと思えばいつでも診断名をつけてくれる感じだった
WAIS-IIIの検査結果を見たとき、あまりにもグラフがガタガタで「ウケる」と言ってしまった
あとはもう、色々ブンブンと高低差があった
見て落ち込む人もいるらしいが、私は不整脈の心電図みたいなグラフに爆笑してしまった
「こりゃないわ〜」と思った
これは普通じゃないなと、明らかに目で見てわかったから、面白かった
「ちょっと変わった子だけどいい子だな」と思ってもらえたらいいですね、と主治医に言われた
大学生になってまでひたすらいじめられるのも、無視されるのも、「アスペ」だからなんだろうなと思えた
でも、正直もう疲れた
自分すらさっぱり理解できていないのに、他の人間の「わからない」行動に振り回されるの、しんどい
私、どうやって生きていったらいいんだろう
とある日僕が気づいた革命的な事実とは、僕はステーキにステーキソースをかけて食べるのではなく、
いやそれはさすがに嘘ですけど安いステーキをおいしく食べておりました。
と、盛り上がったところで本題に行きます。
もしかしてステーキソースさえあれば、そもそも本体は肉である必要すらないんじゃ…?
ってことで、次に豚肉ではなく鮭肉でステーキ。ちょっと新ワードですが。
で、食べる!うわーこれもうまい!!
わかるわかる。そんな感じだよ。
自分も一人目が生まれた直後なんて、生まれた実感が全くなくて、変な生き物がいる。くらいの認識だった。とくに子供好きとかでもなかったし。
子供と意思の疎通ができるようになって(たぶん生後半年から10ヶ月くらいだった記憶)から、やっと父親の実感が出てきた感じ。
その頃から、めちゃくちゃかわいいって思えるようになって、さらにかわいいというだけじゃなくて、この子のためになら頑張れる!って実感できた。
たぶん、これが親の無償の愛情なんだなーって、やっと愛情を理解できたと思えた。
そうやって親になってみないとわからないことが1つわかって、大人になれたという認識。
横だけどやっぱり風俗女は穢らわしいだとか、実生活でもセックスしまくってるとか、性欲にまみれてるとか思ってるからこういうこと言えるんだろうな。低く低く見てるよね。
それが教養ってやつだよ。