元々子どもは産みたくなかった私だが、愛する夫が子を望むならそれもいいかと思って産んだ。結果、夫は仕事で全然育児なんかしない。休日も仕事を持ち帰ってきて、じゃあ激務かというと最低週2はお酒飲んで帰ってくる。母乳育児中で母親はお酒飲めないんですけど!夫は休日の調子のいいときだけ子どもと遊ぶけれど、30分ともたない。疲れたとかぐだぐだ言って、あとはスマホ見てる。私がLINEに子どもの写真載せても反応ゼロ。夫は自分のことばかりしゃべる。私への興味も子どもへの興味も、彼自身にとってなにか興味のあることがない時だけ。消去法的に私と子に向く。
子どもは可愛い。すごく可愛くて産んだ事に後悔はない。けれど夫の振舞いを見ると腹が立ってくる。遊びにきた友人の前では夫は率先して子をだっこする。で、「イクメンじゃん」と褒められてる。その場では夫をたててあげてるけれど、内心すごくむかついてるんですよ。母親は誰にも褒めてもらえないのに、羨ましい。だからイクメンという言葉が大嫌いだ。
仲良い友達とか、連絡をとりあっているとか、恋愛関係にあった人が、
「連絡する人が居ない」とか「友達がいない」とか「恋人が居なかったとか」いうのも、見たり人づてに聞いたりすると、とんでもなく空虚な気持ちになる。なんだかなぁと思う。
以前は、そういう扱いをされるたびに大変悲しい気持ちになっていたけれど、狭いコミュニティ内でそういう事話したり、SNSで書いたりしたら、ふとしたことで届く可能性なんて十二分にあるだろ、そんなことも考慮できないのかよ、って思うようになり、ふつふつと怒れるようになった。
言いたいことは大体わかった。
自分を正当化させるための防衛策の一つとして自分の失言は"問題定義であった"という後付をしたいだけの話だ。
最初から議論をしたい人間は「消費税率引き上げに対して庶民はどういった対抗策をこうじればいいか」とか
「税金対策のために赤字経営店を持つことは道義に反しているのではないか」とか
それは問題を最初に定義しなければ話の路線がブレてしまい着地点を見失ってしまうからだ。
自然に問題提起をするために誘うような狙いで書いたという場合でも、
話の軸がブレていかない保証はないし、そもそも話が多岐に及ぶような行為や
余計な誹謗中傷が挟む展開を容易に予期できる行為をするのは建設的とは言えない。
やる気がでぇへん
でもそうすると自分語りばかりしてって怒るじゃんお前ら
Aさんが差別発言を行う
→「いまどきそんな発言をするなんてバカじゃねえの」といった短文での批判が先陣を切る
→Aさん「見ず知らずの他人をバカだと罵るような人間とは議論ができない」
→きちんとした批判を仕掛けてくる人間も出てくるが、その頃には罵詈雑言も殺到しているので、
それらの批判を一緒くたにして「どうしてそんなに攻撃的なんだ」「よってたかって他人を叩こうとする」と逃げる
→最終的に「自分の発言がきっかけでこの差別問題に関する議論が深まったんだから良かった」と言って締める
みたいなのがテンプレかな。
田口くんの脱退を受けてTwitterでは様々な人が自分の感情を吐露していた。そもそもTwitterなんて元々そんな場所だから別にきにすることじゃないんだろうけど、あの異様な空気には吐き気がした。該当担でもないのにあたかも今まで応援してきたかのように振舞う人、みんなで支え合っていこうと呼びかける人、そしてそんな人達をなじる人。本当に泣いている人は「泣いてる」なんて呟かない。もっとも、私のフォローしている該当担の人はしばらく浮上していなかった。どれが正解とか、そういうことが言いたいわけじゃないけどただあの空気は気持ち悪いと思ったしめんどくさかった。田口くんのことを悲しんでいたはずなのに、いつの間にか自担の話にすり替わっていることに気づいていないのか、はたまた気づいていながらどうしても呟かずにはいられなかったのか。そしてすぐに文章に起こせる感覚も分からない。理解が出来ない。でもかく言う私は誰かを傷つけてしまうことが怖くて何も言えなかった。だから、こうやって自分の感情を素直に吐き出せた人たちに嫉妬して怒っているのかもしれない。
私自身、自担のことや今までのことを思い出さない訳ではなかった。それこそ10年くらい前に当時担当にしている人がいたグループから突然メンバーが活動休止しそのまま彼がグループに戻ってくることはなかった。だけど彼は事務所を辞めたわけではなかったから、今でも彼が踊ったり歌ったりする姿は見ることが出来ているのでそこだけは救われている。
そしてもう1人、私にはどうしても忘れられない人がいる。彼はもう事務所も辞めてしまったし、芸能界からも姿を消してしまったので現在のことは全く分からない。どこで何をしているのか。もっと言ってしまえば生きているのか死んでいるのかさえ分からないし、これから先もずっと分からないままだ。彼が踊って歌っている姿はもう永遠にディスクの中でしか見ることが出来ない。私はディスクの中の彼の年齢をとっくに超えてしまった。今でも当時の映像を見返すと胸が苦しくなって、泣きそうになる。本当はもっともっと彼の輝く姿を見ていたかった。なのにどうして叶わないんだろう。悲しくて、つらい。また戻ってきてなんて口が裂けても言えないけれどどうか幸せな人生を送っていてくれたら、嬉しいなと思う。
私はというと、昨日から情緒不安定すぎて仕事中でもふと涙がこぼれそうになる。田口くんのファンだったわけでもないのに、どうしてこんなにつらいんだろう。心が痛いんだろう。そしてその責任くらいは負って欲しいとずるいことを考えてしまっている。
実例とかないの?
これを前提として
そんなものはないってどういうこと?
そんな意味は付与されていない、つまり使い分けをする意味などないってことでいい?
あとマッチポンプなのはそうだと思うがビジネスの世界ではマジョリティかどうか、正しいかどうかって質問なんだけど、どっち?
それとビジネスマン?
「本気」の程度による。
自分でも本気で「議論を良くしたい」と思いこんでいるんだけど、
自分に都合の良い方向にならないと「議論にならない」と勝手に打ち切る、
みたいな人間は多い。