欧米の「怪しげな中国」のイメージって、ノックスの十戒とか見ても、その頃からずっとあるんだろうな、というだけでフー・マンチューはSFではないんだけどな。
他人に、人間に、自分に、感情があるかないかってのは哲学的分野なんだよ。
人工知能にそれがないとすることは可能なんだけど、じゃあ同じ定義を用いた場合、人間にそれがあるのかないのかってところに問題が飛び火する。
この場合「俺がそう思ってるから俺がこの世界の法だ」ってのは通用しない。
もしそっち方向に議論を向けた場合、「じゃあみんなで(自治体で、国で、世界で)人工知能に人権があるかないか投票しましょうね」ってなるだけで、それは「事実」のレイヤじゃなくて「同意」のレイヤになるって話だ。
もし増田が「(そんなこと議論するまでもなく世界全部は俺に同意してくれるはずなので)人工知能に人権はない」って言ってるんだとすると、そりゃ議論の態度じゃなくて、ただのおバカって話になっちゃうわけだ。
横並び、突出しない、意見を言わない。
それが、正しい時代もあった。
ただなぁ、そうやって周囲に合わせて突出しないようにしているうちに
いつのまにか、本当にできない子になっている。
まぁそれでも生きていけるし、そのほうが生きていけるのだけれども。
ですがやはりそれでも私は、twitterを再開して、話しかけてみられては、と思います。
もうtwitterを一度やめて終わっているのです。
なのでこれ以上終わることはないので、怖がることはもうないのでは。
人生は一度きりなのです。精一杯楽しみましょう ^ ^
まず、「新潟原発」っていう名前の原発は存在していない(新潟県にあるのは「柏崎刈羽原子力発電所」)。
そして、単純比較はできないにしても、福島第一原発事故と同じ規模の原発事故が起きたら、新潟市は余裕で事故の影響県内に入る。
なので風評もなにもない。
ちなみに、現新潟市の一部(西蒲区)である旧巻町には、原子力発電所を建設する計画があった。
地元の反対で没になったけど。
親にさっき電話で報告した。
「お前が良ければそれで良い。」
親の言葉は優しいようで突き放されているように感じた。
豚自身の肉汁、揚げ油、ソースを定義できなかった結果、見栄えを目標に置いていたのが原因だと思う。
つなぎに使う卵もないから、衣がついても肉汁るを溜めることができないんだと思う。
このような状態ではまずジューシーに揚がることはないと理解しながらも、
おいしいと思っている自分がいる。
なぜおいしいのだろうか。
豚肉好きだったからか、自分の納得のいくトンカツだったからか。
衣もろくに付いてないのに、肉汁は流れてしまったはずなのに、おいしいのはなぜだろうか。
揚げ物は苦手で、エプロンをしてもうまく行かなかったし、そもそもエアフライヤーもあったし、トンカツのソースもわかっていなかった。
しかし自分はその場その場で可能な限りの最善を尽くしてきたと思っている。
そこに後悔する要素はないと思う。これまでも後悔はなかった。
はずなのに。
この現実をいかにして受け止めていくか。それに尽きると思う。
遊んだり宅飲みしたりは全然平気なんだけど、どんなに仲良くても同室に誰かがいる状況で寝るのが嫌。
例え異性でも。
友人の地元とかに行くと泊まってけよーなんて言われるけどホテルとってしまう。
他人を信頼できてないのかな。
みんな気にならないのかな。
どのような親に
学校ではどんな生徒で
学校では何をみて
空の色は何色だったか
君は泣いたことがあるか
何があったのか
親の愛を感じたことはあるか
ある日来た警察に対して君は真っ正面を向くことができたのか
君は親の悲しみを知っているのか
1人淋しく過ごした夜に何を感じ
君はいま何を思うのか
ある日来た警察に対して君は真っ正面を向くことができたのか
君は親の悲しみを知っているのか
1人淋しく過ごした夜に何を感じ
君はいま何を思うのか
君は人を傷付ける人間なのか
君は親を殺すことができるのか
人は人を傷付けて幸せになれるのか
いま君は何を見ているのか
空は何色か
人は人を愛さなければない
君は親の愛に気が付かなくてはならない
君はこれからどのような大人になるのか
俺は君に人を傷付けるのではなく人を助ける人間になってほしい
俺は君の20年後を見ている
転職をかさねていくと色んな事がわかる。
言い方を変えれば、転職を重ねてみないと社会のことなんてわからない。
年収300万400万でどうやって幸せに暮らしていくか?という社会にシフトしてきている。
こういう言い方は変だけど、
裏切られることがあっても裏切らないって。
不況にならない限りは、なんとかなるさ。
誰も褒めてくれないけど!
常に死のうと思ってるけど!
ケータイも解約しないでそのまま!
通帳も引き出さないでそのまま!
印鑑もどこかへ隠しちゃえ!
部屋もモノだらけでそのまま!
右往左往してろ!
それが楽しみ!
読めない文字で書いてやる!
親にさっき電話で報告した。
「お前が良ければそれで良い。」
親の言葉は優しいようで突き放されているように感じた。
自分自身の夢、目標、幸せを定義できなかった結果、親の安心を目標に置いていたのが原因だと思う。
自分自身に何もないから、何についても語ることができないんだと思う。
このような状態ではまず大手に受かることはできないと理解しながらも、
悔しいと思っている自分がいる。
なぜ悔しいのだろうか。
親不孝だったからか、自分の納得のいく就職先でなかったからか。
自分のためではないのに、自分自身には目標がなかったはずなのに、悔しいのはなぜだろうか。
面接は苦手で、対策をしてもうまく行かなかったし、そもそも自分の志望にブレもあったし、社会のニーズもわかっていなかった。
しかし自分はその場その場で可能な限りの最善を尽くしてきたと思っている。
そこに後悔する要素はないと思う。これまでも後悔はなかった。
はずなのに。
この現実をいかにして受け止めていくか。それに尽きると思う。
このお陰で今私は社会的に生きてられる。
ADHDとナルコレプシーを併せ持つこの体、薬を飲む前は仕事もクビになった。
これが無くなると恐らく生きていけない。