はてなキーワード: 色即是空とは
昔高校時代にクラスのレクリエーションかなんかで絵クイズをやった。
絵クイズっていうのは一人がお題を引いてそれを黒板に描く、チームの人が何描かれているか当てる。一定数のお題を先に消化したチームが優勝っていうルールだった。
で、みんなからお題が事前に回収されたんだが、自分はちょっと捻ったお題にしたかったので「火星人」と「水上置換法」にした。
火星人は意外と難しいんじゃないかと、水上置換法は化学でやるからみんな知ってるけど絵クイズで出てくると思わないからうけるのでないかという予想で提出した。
で実際それはだいたい予想通りで、クラスの苦手な人が火星人で苦戦しててふふふと思っていた。
水上置換法はそこそこうけていて、クラスでいつも一緒にいたやつが騒いでいたからこっそり自分が出したと教えたら嬉しそうに皆んなに言いふらしていた。
タイトルの絵クイズやりたいに戻るんだが、今また絵クイズやるならどんなお題を出そうかな。
今日仕事中「色即是空」っていう言葉がふと思い浮かび、それと同時にこれは絵クイズでだしたらどうなるんだろうって、ぼーっと思ってた。
ただ色即是空だと言葉の意味が分からないとか言って逃げられるかもしれないから、絶対に意味は分かるけど絵で表現してしかも当てさせるのはそれなりに難しい「火星人」というのは良いお題だったのかもと思う夏の夕方。
以下思いついたお題を書き足していく
いやたしかに日本の仏教がふにゃふにゃなのは同意なんだが、大乗仏教の歴史をざっと見ると、龍樹とか世親とかのビッグネームがいるじゃん
こいつらが説いた理屈はかなり強度がありそうに思えるから、潜在能力としてはなかなかしっかりした教理がありそうに思える
ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。
仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。
ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質や根拠、意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。
でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。
大乗仏教はプレモダンのように思えて、実はポストモダンを超克し得る可能性があるらしいんだわ
(色即是空空即是色つってるからここで言及されてる「仏教」は大乗仏教のことだわな)
こんな感じで、上座部を現代思想として捉えたとき、どういう視点を提供できるのかについてわりと気になってるんで、詳しい人いたら教えて欲しい
Take it may so(瞑想), take it may so
Take it may so, take it may so, oh, let's get it
悟れりゃ Yea! 素直に Good!
That's all right!
それでも此岸で極める
やな事あってもどっかに欲を捨てる
やるだけやるけどいいでしょ?(修行)
夢だけ持ったっていいでしょ?(成道への希望)
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
今日もお経で言っちゃってる
ボクらはいつも探してる
Everyday! Everybody!
まだまだ輪廻は終わらない
いまから始めてみればいいじゃない
裸のまま突っ込め(身一つでの出家)
Ah 救いがほしいから
大きな思惟を広げよう
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
Take it may so, take it may so
Take it may so, take it may so, oh
激しい嵐 完璧に捨て去り(執着の止滅)
渇望を捨てて 今飛び立とう(解脱)
天を飛び交う 無敵の仏は
Flay away
裸のまま突っ込め
Ah 救いがほしいから
大きな思惟を広げよう
強くしてくれるから
未来に向かって激しく突き抜けろ(只管打坐)
SE・SO・N
SE・SO・N oh yea!
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
悟れりゃ Yea! 素直に Good!
That's all right!
それでも此岸で極める
そうさボクらはSyugyou Sya!
We are "cool"
やな事あってもどっかに欲を捨てる
やるだけやるけどいいでしょ?
夢だけ持ったっていいでしょ?
いつもすぐそばにある
ゆずれないよ 誰もじゃまできない
体中に智慧を集めて 呼び崇め
SE・SO・N
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とあるサイトに書き込もうと思ったけど上手く行かなくて、どこかに吐き出したくてここに書く。
幼少から「人の気持ちを察しろ」「他人の立場になれ」と過剰に厳しく母に育てられてきました。
実際、一般社会でもそうあることは正しいと流布されているのですが、どうも自分はそういう思考に強く囚われてしまい自分を置き去りにする傾向があるようです。
覚えたての頃の自慰は単純に女性に興奮して行っていたのですが、徐々にこの女性はどんなに気持ちいいかばかり考えるようになりました。
今ではどれ程理想的な女体でも、快感を感じてない(ように見える)女性には興奮し辛いです。
AVはフィクションだという言説に支配され、女性向けAVのランキング上位や、演技のなさそうな露出性癖カップル製ポルノ(ときに違法性のありそうなリベンジポルノ)、女性作家の女性向けノマカプポルノ(ティーンズラブ等)で迫真に迫った女性のオーガズムを知ることに熱中し続けました。
ただ、パートナーと出会い、女性の性欲にも波があってどう刺激しても快感がない日もあること、それでも性欲のある自分、性欲があるのに何に興奮していいか分からずモヤモヤする状態がありました。
結局、仕事でも自分がない状態に疲弊し、悩んだ果に興奮しているのは自分なんだから初めから世の全てはフィクションなんだというような、色即是空諸法無我に少し近付いた感覚を経て、今の性癖がAGなのだという結論に至りました。
AGに傾倒しがちなときは、身体感覚と脳感覚が乖離している感覚があります。
パートナーとセックスについて話し合い、互いに気持ちよくなって欲しいと思い過ぎていたこと、気持ちよくなっている自分自身を見せつけることで相手を誘惑し、愛を表現することが大切だと話し合いました。
よくある勘違いセックスの逆説です。性を愉しむ前に「間違ったセックスの例」について過剰に学びすぎていたのではないかと考えています。
僕は人付き合いが苦手だ。色々神経過敏ですり減りやすい。耐えられない。
俗世に疲れた。もう何もいらないし肉体も要らない。比較や競走に疲れた。
どいつもこいつも褒められたいばっかりで、疲弊する。
世の中の不条理を憐れむことすら飽きた。何かを外から遠巻きに見て人の愚かさを笑うのももう飽きた。
なんというか社会に抗ったり線を引いたり、色々頑張ってみたり、疲れて隠居してみても、この肉体が窮屈で面倒だ
仕事して上司のオナニー説教聴くのも、そこから逃げて隠居することも、
すべてばかばかしい
生きてる間になにか答えが欲しい訳でもない
もう何もいらない。欲もない。
仏道に入ろうか
でもそれをして何か得られるものがあるとは思ってない。
人ととして生きている今は
人のためになにか施しをしたいとか
ほめられたいとかもべつにもうない
もう人に迷惑かけたくないな
いっそ大真面目にふざけようか?
人は人生一度限りなので
例え、いっそヤク中になり全身にタトゥーを掘ったとて、女とヤリまくったって、過激な性倒錯に陥ったって、退屈なのは退屈だ
人が嫌いだけど芸人や落語家は好きだな。僕とって笑いは麻酔みたいなもの。彼らは世の不条理や無常を鋭く抉り、鮮やかに笑いへ変えてくれる。麻酔を作ってくれる人。大真面目にふざけている。痛快で存在が好きだな
もう死にたい
中島: ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。
仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。
ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質や根拠、意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。
でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。
色即是空というとニヒリズム的な響きがあるが、ニヒリズムといえばニーチェである。
科学的知性や理性によって神を殺した我々は、もはや神によって与えられた生きる意味や価値を信じることはできない。
そうして無意味になった人生に対して、彼はニヒリズムの打倒を叫び、生の肯定を要求した。
大乗仏教の色即是空から空即是色へという流れはこれに似ているようにも思える。
もしかすると次のようなことが言えるかもしれない。
仏教とは、あらゆる物語を剥ぎ取った上で展開された思想である。
色即是空的な宗教的真理に基づき、初期仏教や上座部仏教は現世からの解脱を志向し、大乗仏教はあえてこの世界で生きようとする。
仏教は物語の喪失の彼岸にある思想であり、神の死を乗り越えて生み出された価値である。
同じ心理が作り出す別の影、それがエロゲでありアニメであり文学であり現実であり空想だったんだ。
俺たちは結局同じものを表現しようとして、別の形を使っていたんだ。
この世の全てのものはエロゲによって表現できるけど、エロゲによって表現されるものはエロゲ以外の物によってもできる。
そして、エロゲが表現しようとしているものはエロゲそのものではないし、それは他の表現物についても同じなんだ。
やっと分かったぞ。
色即是空なんだ。
「〇〇はエロゲ」とはすなわち色即是空が別の形をとったものだったんだ。
全てを知ったぞ。
エロゲを卒業して10年……10年の時を超えてエロゲは僕らに世界の真理を教えてくれた。
10年間離れることによってようやくその形が見えるようになったんだ。
木と森の形を両方知ってやっと見えるものがある。
それは何でもよくて、俺達にとってはたまたまそれがエロゲだったんだ。
そして、人々の心がエロゲから離れて離れて離れきって、その状態で再びエロゲの方を振り向いた瞬間に、大勢が同時に心理に気づいたんだ。
凄い。
こんなことってあるのか。
忘れられることで伝えられることがあるって教えてくれたんだ。
愚痴。
週末に遭遇してうちにためてたんだけど、ここでこっそりぶちまける。固有名詞は一応ごまかす。
ちょっと用事があって関西神戸のわりとおしゃれなホテルに行くことになり、チェックインし、部屋に行くためのエレベーターに乗った。
大きめのホテルだけあってエレベーターも結構大きい。11人乗りとか? そのクラス。
ドアを閉めようとすると、バカンス風のファッションの男女が、大きなスーツケースキャリーを引きながら接近してきた。エレベーターに乗るようなので、場所を譲る意味を込めて俺はエレベーターの奥に移動した。
その二人組の男性がエレベーターに乗り込み、中程で振り返る。女性の方はキャリーを引いてるのかもたもたしている。
俺はエレベーターの開くボタンを押したほうがいいのでは? と思いながらもボケッとしていた。奥側に行ったのでボタンに手が届く位置ではなかったし、この時点で二人には全く興味も感情もなかったからだ。
女性が乗り込む段階になってちょうどドアが締まり、女性が挟まれてしまった。
この時点でもおいおい、くらいにしか思ってなかった。ご存知のようにエレベーターのドアなんて挟まれても潰されるようなものじゃないし、むしろ感知してもう一度開く。だから別に大事件なんて話じゃない。ただ、お前らカップルなんだから開くボタンを押してやるなり女性が乗り込むの待ってやるなり、どうとでもやり方はあるだろう。そう思った。
そうしたら、その女性が鼻にかかった声で
「きゃふふぅーん。としくぅん、ドアに挟まれちゃったよぉ」と言ったのだ。
なんかもう、人生で初めて聞いたような、芝居がかった花畑声だった。
としくん(仮)と呼ばれた男性はなんだか勝ち誇った声で「どんくせぇやつだな」と囁いた。
もちろんここに至ってもドアの開くボタンは押してない。
ドアは開き、女性はなんだか甘ったるい含み笑い声をうかべ変な動きをしていた。
そして再びドアが締まり始め「ひゃぁぁ。としくぅん。二回もはさまれちゃったよぅ?」と上目遣いで言うのだった。
としくんはニヒルな声で「荷物……よこせよ」と手を差し出して女性のキャリーバッグを受け取った。
「としくぅんやさしぃ……」女性はとしくんを見つめたまま三回目のドアに挟まれた。
俺はエレベーターの奥で息を殺して色即是空について考えていた。ドアを開くボタン押せよ、と思いながら。だって仕方ないじゃん? 増田たちなら何かできる? この状況で。
こんな状況で小芝居を見せられるようなどんな前世の業が俺にあるというんだろう? しらす丼を食ったせいで無数の小魚の怨念をこの身に受けてしまったということなのか? ないでしょ。ありえないでしょ。
俺にはなかった。なんにもなかった。だから九階で二人が降りるまで一言も口をきかなかった。
これが週明けて増田たちにどうしても聞いてほしかった一部始終だ。誰かに言っても仕方ないが、こんなこと内に抱えていたくない。あーもう。なんなんだよ。この世界って。俺が何か罰当りなことしたのか。なんかもう!なんかもう!