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はてなキーワード: 卸売とは

2009-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20090916225816

Google八分されると小売がなりたたなくなるくらいにネットショッピングネットGoogle支配が強まれば可能性としてありえるような気がする。

Google電子マネーを出すというよりは、一番勝ち組になりそうな、あるいは一番技術力のある電子マネーを買収しちゃうんだろうけど。

たとえば、なにかを売りたい人買いたい人を結びつけるシステムGoogleが作り上げることができたら、卸売っていう業種がこの世から駆逐される。

モノの売買だけじゃなく、売買手数料仲介手数料っていう名前の上がりで食っている業種、不動産屋とか証券屋とかを駆逐することだって理論的に可能だ。

金を借りたい人間と貸したい人間Googleでつながれるシステムを作ったら、銀行に金を預ける(貸す)、銀行から金を借りるっていうシステム破壊できる。

現行法だと触れてしまう部分はあると思う。

それでも、Googleなしじゃ世界が回らないくらいに便利さを世界中にばら蒔いてしまえば、誰も逆らえない。

全部俺の妄想だよ。

でも、Googleっていつだって俺らの予想の斜め上を行く

2009-05-12

高卒フリーター

http://anond.hatelabo.jp/20090510053204

これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。

今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパート引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。

それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。

父は大学中退して建築関係株式会社就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方部長になっていた。

実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。

ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、

営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。

そして間もなく、母と共に自営業飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。

全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。

父は年齢が年齢なので、派遣インターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。

母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒー卸売りを一緒にやっている。自営業

母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。

もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。

そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。

しかし、不景気煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。

俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。

電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。

そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生

全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。

志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。

親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。

ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。

親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。

父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。

子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。

お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。

親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。

大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。

もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。

決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。

俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。

妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。

自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。

妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。

高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。

だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。

少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。

これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。

憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。

2009-04-18

山口登(二代目山口組組長)

山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年1月大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年1月山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区新町神戸中央卸売市場建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組大島組と対立した。同年7月神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。

溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房2002年ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房2006年ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店徳間文庫>、1982年ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年1月須磨料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場開業した。山口組は中央卸売市場利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年4月山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年4月山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長吉本せいと会い、吉本興業東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せい東京新橋演舞場大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分東京にいる間は、浪曲師広沢虎造吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造吉本興業の専属にすることと、広沢虎造マネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオンピストン堀口挑戦者・ジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋スポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年1月27日国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸部長となった。同年7月広沢虎造吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日浅草浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日山口登は東京浅草浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年10月4日山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。

2007-11-20

日本印税は低いんだろうか?

たまクリエイターでもないのに、なぜかクリエイター搾取されているという人たちがいる。例えば

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51071216.html

http://d.hatena.ne.jp/mkomiya/20071117/p5

とか。だいたいこういう人はクリエイター搾取されていることにして著作権侵害正当化し、なおかつそうした不公正な体制を崩そうとしている正義の使者を気取っているのだと思うのだけど、こういう人によれば日本は「中間搾取」なるものがひどいらしい。だから印税について調べてみたが、やはり10%とというのは普通であるようだ。分類によっても変わるが仮にペーパーバックハードカバーで分類するなら、ペーパーバックで6-10%、ハードカバーで10%から15%。小売価格卸売価格でもかわり、小売価格だと8%から10%、卸売価格だと13%から16%らしい。卸売価格は小売価格の60%。ただしこれらは目安であって、5%という印税率になることもあるらしい。

ソースはこちら

http://www.caderbooks.com/pubfaq.html

http://www.ivanhoffman.com/royalties.html

http://www.fonerbooks.com/contract.htm

出版社搾取しているという根拠には社員が高給であることが上げられると思うのだが、幻想だろう。高給なのはごく一部中小企業では400万円から500万円。

一方、中小規模の出版社雑誌書籍制作請負編集プロダクションは、30歳で400??500万円ほど。

http://ranking1.nobody.jp/salary/tv.htmlしかも高給な講談社などであってもそのうち300万円以上は残業代

小学館集英社ともに30歳代後半で平均年収は1000万円を超える。残業の多い編集者などでは30歳で1000万円を超える人も。残業の少ない部署と比較して年収で300万円近く差がつくこともある。

同上社員が高給だから搾取しているなんて、鳥山明は儲けてるから漫画家はすべて金持ちっていてるようなものだろう。だいたい講談社とかメジャーなところは「現代」や「non・no」など主に社員が書く雑誌で稼いでいるのだろうし。以上を踏まえると10%という印税率は搾取されているとはいえない。

ただ基本的に市場が効率的である限り、中間搾取を試みる人間がいても搾取存在しない。例えば搾取代名詞である派遣業で考えてみよう。仮にAさんがいて、その労働の価値が時間当たり2,000円であったとしよう。しかしながら現在1,000円搾取されていて、1,000円しか得られていない。ここで中間搾取を試みる人間がいればAさんに時間当たり1,500円を提示し自分は時間当たり500円を中間搾取することを考え、Aさんに提示する。Aさんは1,000円から1,500円にアップするのでこの提案に乗るだろう。ここで終われば搾取存在したままだが、話はここで終わらない。ここでまたAさんから中間搾取を試みる別の人が出てくる。彼は例えばAさんから250円中間搾取することを考え、Aさんに時間当たり1750円の給与を提示する。Aさんはこの提案にのり、派遣会社をかえるだろう。こうした話はAさんが中間搾取されている間は続く。こうした話が続くと究極的には中間搾取がなくなる。中間搾取を試みる人間がいても搾取存在しない。というよりも中間搾取を試みる人間がいるからこそ搾取存在しないのである(ただその調整過程では中間搾取存在し、現在それが問題になっているといえる)。

早く違法アップロードやその他諸々を正当化するために「搾取」を持ち出す人がいなくならないかな。

2007-10-13

[]

8000万買って3パーセント上がれば

240万じゃん。硬い株でもそれぐらいは動くんだし

銘柄視野広げて分散した方が精神的に楽で儲かりやすいじゃん。

300円の株309円で売れれば3パーセントなわけだし

8000円でアドバン買って240円上がるのと同じ率じゃん。

こういう昔からある地味な株も資金増えたら重要だなと思ったよ。

cisは400万の時と同じように売買してるんだろうけど

400万で10万損してもそんなにショックでもないけど4000万で

100万損するとショックだからね。1日50万でも1年で1億稼げるわけだし。

焦らずかんばろう。

俺の感じだと10時ぐらいまでの

値動きの激しい時間帯はデイトレに徹して、その後はスイングできる株があるかどうか

スイングするべき地合かどうか冷静に判断しながらやればいいのかな~って感じ。

時間帯によっての値動きの特徴、要はデイトレ向きの時間帯かスイングすべきかどうか

判断する時間帯かって分けて考えて、一日の資金振り分けた方が長い目で見て

資金効率がいいような気がするYO。っても俺はデイトレセンスないんで

デイトレだけでも資金効率いい人もたくさんいるだろうからなんとも言えないけどね。

180万から3年半かけて3億達成。

売りでも買いでもとれるほど器用じゃないので

信用枠は開かず現物だけの売買に徹したのが良かったのかもしれません。

デイトレは下手なのでほとんどスイングでの利益です。

+430万円

今月の取引回数1500回以上。

今月取引した銘柄数250以上。

今月は長く感じたー。今までの中で一番長く感じた月かも。

今月はほんと疲れました。

すいません。3月は1日平均70回以上のペースでした。

しかも、デイトレは買った後弱くなった銘柄などの損切りぐらいで

ほとんどスイングばかりでこれです。すいません。

一日30~50銘柄ぐらい持ち越して次の日の朝っぱら利益確定or損切りして

またその日強い株探して持ち越して次の日、利益確定or損切りの繰り返しでした。

三月は相場が良かった影響か、平気で2億円~3億円持ち越してたんですけど

次の日、持ち越し株全体で数百万利益が乗った場面で一度手仕舞わないで

いられるほど精神力が強くないのと、最近は順張りの持ち越しが多いので

勢いある内に手仕舞って他の順張りできる株探すって感じだったんで

一度以上売買した銘柄数は250銘柄以上になりました。とにかく流動性

ある株は新興市場でもボロ株でもハイテクでも金融株でも重厚長大産業の株でも

ファンダ気にせずなんでも買う人なんで売買した銘柄数も売買回数も多くなりがちです。

三月はほとんど休みなくこっちのセクターがふいたり、あっちのセクターがふいたり

ボロ株がふいたり、新興市場がふいたりで付いていくだけで大変で、すごい疲れ長く

感じた月でした。まあ、今みたいに30~50銘柄平気で持ち越して

2億円~3億円平気で持ち越す売買のスタイルが下げ相場で通用するとは

思ってないんですが、今の相場は下手糞に徹した方が儲かる事が良く感じがするので

自分であまりよい取引スタイルじゃないかもなと思いつつ下手糞売買に徹して

儲けてる感じですね。株の恐さ分かってるうまい人ほどこの相場には中途半端にしか

乗れてないかもしれませんね。アホになった方がいい時にはアホになって

株の恐さ知ってるうまい人だけが儲かる相場になったら今の取引スタイル

やめた方がいいかなと思ってます。長文すいません。

数百万の時は1銘柄か2銘柄しか買わないで大胆そのものでしたが

てか3000万位までは余り分散してなかったですね。

2001年の12月に低位株が大暴落してリバウンド取りで

資産が3000万円台から6000万円台に一気に増えたんですが

一気に6000万円台まで増えたせいで、すぐにはあまり分散投資しないで

大胆に取引してたせいで資産の乱高下が激しくなって分散投資大事さを

思い知ってそれからは余り1銘柄銘柄資金集中させるという

大胆な取引はしなくなりましたね。新興市場の株をこんなに買うのが

大胆なんだよって言いたいのかも知れませんが、私の場合買いたい株がいっぱいあっても

最初から全財産を投入するわけじゃなくて、例えば最初にこりゃ強い取り合えず

2億円分ぐらい買うかって感じで買った後、それらの株がかなり含み益を出してきて

しかも下がりそうもない場合にもう1億円他の買いたかった株を買い

更に含み益が出たらもう1億円出遅れ気味で下値リスク少なそうな株を探して

買うかって感じでやってるんで、今の買いたい株がわんさか出てくるような地合じゃない限り

こんなに買わないですし買えません。こういうスタンスでやってきたんで銘柄視野はかなり

広くなりました。てか1銘柄銘柄に4億とかいく大胆な取引できないですし

つねに株の恐さを頭に入れながらやってるんで自然にこういうスタイル

なったって感じですね。含み益が乗らないと買い増やさないんで

見た目ほどリスク少ない取引なんですけどね。

常に監視してる株は当然ありますがそれらの株に

あまりこだわるわけじゃなくて場中と昼休み

特に休みに買える株をピックアップして

マケスピのマイページ2、3枚分銘柄数で大体60ぐらい

登録して昨日まで見てもいなかったような株を

監視しまくりって感じですね。流動性があって上がりそうな株なら

なんでも買いますね。なんかやたら上がってる株ばかり上がる地合なんで

休みは上がる株は逃すまいと必死ですね。

成り行きはあまり使わないですね。

30銘柄持ち越して寄りで処分するとしたら3銘柄でしか使わないです。

例えば1円台から499円までは朝買い気配売り気配で寄らない場合は

気配値5円づつ動きますよね。

寄り前の気配値、前日のアメリカ市場、相場全体の気配値からその株が

前日比どれぐらいで寄るか大体予想つくんで例えばこの株10円高で寄るな

と思えば9円高の値段で指値して5円安で寄ってしかも寄り天っぽいな

と思えば6円安で指値するって感じですね。

銘柄多くてもそんなに大変でもないんですけどね。

でも確かに下がり出してから売り出すとかなりやばいです。

その分寄りである程度処分しなきゃいけないんで利益率は

それほどでもないんですよね。

だから今の地合じゃなきゃこんな取引通用しないような気がします。

昨日なんかマケスピの出来高ランキングとにらっめっこ

しながら買っていってその中でも強いセクター

感知してマイページセクターごとに流動性があって値動きの

そこそこあるのを集めた中から鉄鋼セクターのページ見て鉄鋼中心に

買っただけなんだけどなぁ

ジェイコム男 B・N・F さんの 2 ちゃんねる語録

>>33

別に嫉妬とかやっかみだなんて思わないですよ。

証拠を見せたわけではないので疑うのは当然だと思います

私が180万から1億にする過程ではすごい下げ相場でしたが

現物のみの短期の逆張りで簡単に儲かりました。というのは私は逆張りが好きで

株は逆張りが有利だと思っているからです。

その理由は例えば短期筋が順張りする場合(この話の短期は一泊二日長くて二泊三日の短期です)

その株が動意づく前に買ってた人を1とすると、その株を常に監視して

上がり出す雰囲気を感じてまだ大して上がってない時に、勇気出して買う人を2として

その後、完全に上がり出したのを確認してその株が次の日も、上がると思って買う人を3

その日の高値で買う人を4とすると、大体そういう動意づいた株のその日の出来高の推移を見ると

3~4の間での出来高が多い気がします。そして次の日買い気配で始まれ

その寄りで買う人を5、寄った後に更にそれより高値で買う人を6とすると

短期のつもりで3~4の間で買った人は良くて6の人に売って利益を出すって感じですが

これでは1で買った人の膨大な利益には到底及びません。しかし、1の段階で買ってる人は

長期の人でしょうから資金効率的リスクを負っているので短期のつもりで3~4

の間で買う人の投資方法も、1の人と比べて悪いわけではないでしょう。

一泊二日の短期での順張りでは到底1の段階で、買うことは難しくコツコツ

かい利益を積み重ねる感じになる気がします。細かい利益と言っても

1%~6%ぐらいはいける気がしますが。

一方、一泊二日の短期の逆張りに目をやると

過去の25日移動平均線から何パーセント乖離したところで株は反発するのか?

相場の雰囲気がいいから乖離が浅めでも反発するんじゃないか?相場の雰囲気が悪いから

今回の乖離は相当きついところまでいくんじゃないか?出来高はどうか?

ボリンジャーバンド的にはどうか?などを考慮して底を見極め買うことができれば

一泊二日の短期なのに短期売買での順張りでは買うことの難しい

動意づく前の水準である1の段階と同等の水準で買うことができるのです。

底打ったかな~?ぐらいで買う人は、短期の順張りで言えば2の人ぐらいで

完全に底打ってから買う人は短期の順張りでは3~4の人に相当すると思います

私は一泊二日の短期なのに短期の順張りでの1の水準で買えるおいしい相場が

下げ相場だと思っているので下げ相場でも上げ相場でも現物だけでもいいかなぁって感じです。

落ちてるナイフ危険じゃんという意見もあるでしょうが、前の日までのマイナス乖離のきつい株が

当日もそれなりのマイナスである場面で、自分のテクニカル判断で反発すると

思ってる株を買ってもその日、そこから更に下落するのは余地は少なくなり、上がりそうもなければ

さっさと損切ればいいわけです。私の感覚ではただでも乖離のきつい株がダウやナスの下げなどで

朝から結構売られてれば、そこで買っても損切り早ければそんなにリスクを感じません。

しろ短期の順張りでの1の水準で買えるかもとわくわくします。

こんな感じで180万から1億までは逆張りで儲けた比率がかなり高いです

そこからは去年の上げ相場でアホになって順張りして儲けた感じですね。

ってもそれまで逆張りで儲けてきたのでかなりビビリ捲くりの順張りでしたから

利益率はそれほどよくないです。

ジェイコム男 B・N・F さんの 2 ちゃんねる語録

じゃあこっちで説明しますね。

まずどうして一発当てるとか、ナンピンとか一回でも失敗したら

終わりという話になるのか分からないです。

短期の逆張りの短期の意味理解してるんでしょうか?

この短期投資で使うのは当然日足です。

01年でも02年でも過去の下げのきつい株の日足を見てもらえば分かります

株というのは一直線では下がりません。下がる過程でほとんどの場合短期の

反発があるんです。それは個別株のそれぞれ特徴によって違いますが25日移動平均

からの乖離率ボリュームレシオ、RSI、ボリンジャーバンドなどから

ある程度反発するパターンがあります。これらの満たしただでも反発するパターン

入ってる下げのきつい株が、アメリカ市場などの下げで朝安く始まるとします。

その安い場面で買った株がその日そこからさらガンガン売られる可能性は

低くなります。しかしゼロではありませんし、更に売り込まれる可能性もあるでしょう

その場合その日も安値圏で引けて次の日も下がりそうならその日の内に損切り

されるのは当然です。しかし損失は朝の安い場面で買った株なのでそれほど膨らみませんし

次の日も安く始まればまた買いますし、上がってしまえばあきらめればいいでしょう

思惑通り反発すれば1~2日で7~12%ぐらいは楽にいけましたよ。

大きく当てるというのは1銘柄で倍狙いの長期投資逆張りの事でしょうか?

それなら、ナンピンやら一回でも失敗したら終わりという理論も分かります

短期の逆張りなのでそういうことはないですよ。

大きく当てたといえば01年の12月の低位株の大暴落時のリバウンド狙いですね

この時は11月の末時3500万円ぐらいの資産が12月の終わりに

一気に6000万円台まで増えました。25日移動平均線からの

乖離率ランキングで30%以上乖離した株が多数あり中には60%以上

乖離してる株も何個かありました。クラリオンとか福島銀行住友重機械工業とか

かなりの銘柄が暴落してたんでなに買っても儲かる感じでしたよ。

ジェイコム男 B・N・F さんの 2 ちゃんねる語録


01年の始めは300万位でしたよ。

>25日移動平均線からの乖離率への戻りには限界があり時間がかかります

戻りにはというのはどこまでの戻りを想定してるんでしょうか?

私の場合は30%乖離した株が15%乖離に収縮すれば十分に逆張り

成功ですけど。そこまで戻れば他の乖離のきつい株にシフトしてましたよ。

25日移動平均線上の株価が150万円の株が

135~140万円どころまで落ちてきてから反発するっていう前提が

意味分からないです。

>>815

でも説明してますが1日2日の短期での反発狙いですよ。

買った後反発もしないのにいつまでも25日移動平均線が

落ちてくるのとにらめっこなんかしてないですよ。

そんなことしてたら01年と02年の相場では

25日移動平均線135~140万円どころまで落ちてきたら

さらにまた乖離率-30%目指して株価下がっちゃいますよ。

証券会社普通にネット証券ですけど(*^ヮ^*)さんは

既存の証券会社などを使ってるんですかね?手数料気にして

いつまでも上がらない株持ってるほうが資金効率悪いと思いますが。

短期の逆張り重要なのは乖離率だと思います

乖離率がきつければきついほど反発しやすくなるのは

当然ですが、その時の地合によって買うべき乖離率

水準はだいぶ違ってきます。01年や02年の相場では

25日移動平均線からのマイナス乖離が最低20%

安心して買えるのは35%以上の乖離率という感じでした。

35%乖離した株を買い反発したところで売り

その段階でその株の乖離率は15%前後になり

しばらくするとまた30%以上の乖離率の水準まで

落ちてまた反発狙いで買いの繰り返しでした。

短期の逆張り専門の人には天国のような相場だったと思います

しかし、去年後半から今年の今現在までの相場にかけては

15%も乖離したら反発しちゃうって感じでした。

というより、乖離率を見て逆張りすべき場面すら余り

なかったです。新興市場などできついマイナス乖離を

する場面は何回かありましたが、2年前3年前と比べると

地合が良すぎて東証一部の株で30%以上乖離している株が

うじゃうじゃあるような状態は、あまり記憶にありませんね。

その時の地合に合わせてどの程度の乖離率で株が反発するのか

を自分の相場観にしたがって判断していけばいいと思います

チャートは極力単純な方がいいと思います

結局、株は上がるか下がるかだけの話なので

複雑にチャート分析しても単純にチャート分析しても

上がるか下がるかの予想が付けばそれでいいのです。

しろ複雑にチャート分析をしすぎてこっちの指標的には買いだけど

こっちの指標的には微妙なんだよなぁという状態になり買い場を

逃すようなことになっては本末転倒だと思います

それなら単純なチャート分析の単純な買いパターンに入っている

株を探すのに集中した方がいいと思います

株で重要な要素の一つは銘柄視野の広さだと思います

結局、複雑にチャート分析しても単純にチャート分析しても

銘柄視野が狭ければ有効利用はできないからです。

まったく同じ実力のAさんとBさんがいたとして

Aさんには10銘柄しか取引可能な銘柄がなくて

Bさんには100銘柄取引可能な銘柄があるとしたら

おそらくBさんの方が1年後資産を増やしているのでは

ないでしょうか?チャート分析上、上がるか下がるかの

パターンは意外と単純でその単純なパターンに入っている株を

いかに多く見つけられるかが重要だと思います

教えたと言っても単に乖離率について大まかに話しただけですからねぇ

leyさんがかえって混乱されたのならほんと心苦しいばかりです。

乖離率は単に数字だけを見て、どの銘柄も横一列に並べてはだめなんです。

まず、セクターによっての乖離率の特徴。このセクター銘柄群は移動平均線に

比べて乖離しやすいから買うべき乖離率の目安も厳しめに設定しなければ

いけないとか、このセクター銘柄はいつもあまり乖離しないから

それほど乖離率が厳しくなくても買いを狙えるとかですね。

しかし、これはかなり大雑把な区分けでここから更に同じセクターでも

乖離しやすい銘柄群、乖離しにくい銘柄群の判断をしていくことが重要ですね。

01年を例にとって説明すると乖離しやすかったセクター

電気、精密、小売、卸売、銀行、証券通信サービス

あとはセクターではないのですが低位株全般店頭銘柄。今と違って銘柄数は

多くなかったですがマザーズ銘柄。このあたりでしょうか。

例えば小売セクターではバブル崩壊以降に上場して99年に急騰した

100株単位銘柄群の乖離率がきつかったです。私は22%~28%以上乖離した

段階から買い候補に入れていきました。小売セクターが売られている時は

これ等の銘柄群の乖離がきつかったです。

サービスセクターでも同じような銘柄群の乖離がきつかったです。

こっちは22%~30%以上の乖離率から買い候補に入れていきました。

銀行セクターは20%~30%以上。店頭銘柄のIT関連以外でバブル崩壊以降に

上場した銘柄群は22%~32%以上の乖離。店頭のIT関連は25%~45%以上の乖離。

マザーズ銘柄群は28%~60%以上の乖離。

これはこれだけ乖離してやっと買い候補に入れるというだけで

アメリカなどの下げで更にここから売られてやっと買うというスタンスでした。

同じような銘柄群でも率に開きがあるのは流動性など個別に判断していかなければ

いけないからです。

これは99年、00年に急騰した株が多くあり、更に01年の厳しい下げ相場が前提の

設定で、強い相場ではなんの意味もないですし、またいつかきつい下げ相場が来るとしても

次に乖離のきつい下げをするのは上に上げたセクター銘柄群とも限りませんし

その時の乖離率の設定もまた変わると思います

01年だけ見ても地合のいい時もあったので素直に順張りしましたし

乖離を甘めに判断して買うべき地合もありました。乖離率判断は常に

流動的でした。

私が01年の下げ相場で一番きつい下げだと感じたのは

01年12月の低位株の下げですね。それなりに流動性もあり歴史もある

銘柄群なので普通なら25%も乖離すれば喜んで買う感じでしたが

低位株の1円に対する率の重さ並びに次から次へと30%以上乖離する株が

出てくる現状を目の当たりにして、これはすごいことになると思い

普通なら買う水準をスルーしまくりきつい乖離をしている株が

大量に出た所で35%~65%以上乖離した株を

買い捲りました。この時は指数的には地味な動きだったんで

あまり話題になりませんが、25%以上乖離した株があれだけあった

ことは乖離率を見るようになってからは記憶にないです。

リバウンドも一泊二日か二泊三日で1,5倍すごいのは2倍近く

上がるのもありました。

この時に25%の乖離で喜んで買っていたら大損していたかもしれません。

結局はその時の地合の見極めが大事なので

単に乖離率だけを見て逆張りでの買いを狙うのはお勧めできません。

ある程度の強い相場なら素直に強い株を探している方がよっぽど楽だと思います

厳しい下げ相場がきたら、こういうやり方もあるんだな

まあ、俺は下げ相場になったらなにもしないけどね程度に思って

いればいいと思いまよ。ほんとに。中途半端乖離率の事を書いて

かえって混乱されたのならすいませんでした。

>>777

彼はうますぎなんで

私ではライバルになりません。

>>778

地合次第。01年、02年は8割逆張り

03年04年は8割順張りって感じかなぁ

日足ベースですよ。

というかデイトレが下手なんで

自然にそうなっただけですが。

スイングで買う時も値動き確認してなかった

株は分足も見ますけどね。

マケスピで個別銘柄右クリックして

チャート確認してるだけですけどね

プリベは昨日の終値で25日移動平均線の乖離率18,8%位

2年前3年前なら話にならない水準だけど

今の地合だとこんなもんで反発しちゃいます

後、高値からだいぶ下がった水準での乖離なんで大して

乖離しないというのもありますね。

>>880

そうすっね。

>>725

報告してきました。

>>727

その頃は長い下げ相場だったので大体買い候補に上がる

乖離のきつい株があったのと300万ぐらいなら

小型株でも1銘柄で全力で行けたので毎日全力に近かったです。

>>719>>720>>724>>729

まだleyさんやたいちょうさんと会うと決まったわけではないので

なんともいえないです。会うとしてもleyさんやたいちょうさん

含めても4人か5人ぐらいが限界

住友軽金属ネットマークスとトスコで500万位食らいました。

leyさんは無理にスイングして、自分のペースを乱さないようにしてくださいね。

スイングで儲けた金を損したくなくて、デイトレ消極的になったり、その逆に損を

取り返そうとしてデイトレで無理したり、スイングする株探してたら、デイトレタイミング失ったりして

本業デイトレに支障がないように気をつけてください。自分の性格、年齢、環境などを考慮して

自然に身に付いた自分の手法を崩さないでくださいね。自分に合った方法が一番だと思いますよん。

ジェイコム男 B・N・F さんの名言集

たまに、その銘柄を買っている人がパニックに陥るような暴落が起きることがある。

左の銘柄石井鐵工所・福島銀行クラリオン東京テアトル)のほか、01 年末の宇部興産、02 年半ばの大手銀行株などです。

ところが、この暴落時が絶好の買い場なんですよ……。

株価がジリジリと下がる状況を受け、ある人が損失に耐えられなくなり、株を売りますよね。

すると株価さらに下がり、これを受けて別の人も損失に耐えられなくなって株を売る、すると別の人も恐怖に駆られ……。

最後には、売ろうと思っていた人がほぼ売り尽くしてしまい、これ以上は売る人がいなくなる。

そして”この安値なら買いだ”と判断した人が殺到し、一時的に暴騰するんです。

これを”リバウンド”と言います

これ(乖離率)が 28 ~ 68 %(市場セクター、地合いにより異なる)を超えると異常な高値、安値を付けているとある程度判断できます

僕は有料のチャートソフトを使っていました。

でも逆張りは非常に難しいので、あまりおすすめできません。

株価不思議もので、会社の価値は何も変わってないのに、その日のニューヨーク市場や先物の動向など、相場全体の雰囲気上下するんですよね。

仮に鉄鋼株を例にとると……たとえば相場の雰囲気がいい日などは、住友金属新日本製鐵神戸製鋼所、JFE ホールディングスなど、その分野の主力株が軒並み騰げるんです。

連れ高にはパターンがあるんです。

たとえば鉄鋼なら、前兆として上の 4 社のどれかが、日経平均とともに騰げ始める。

しかしこの前兆段階だと、他の 3 社のどれかが、まだ騰がってなかったりするんで

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