はてなキーワード: ペーパーバックとは
http://anond.hatelabo.jp/20111029232710
の続きね。結構気になっている人が多いのだなと思ったので、さらに追加解説を。
最初に書いておくと、Amazonはアコギだけど、ユーザーには(短期的に)歓迎される可能性が高い。
それ故に対応を間違えると、日本の電子書店は太刀打ちできずに壊滅するだろう、
それはAmazonが世界最大級の小売りで十分利益を上げているからだ、という話。
(あくまでも友人が出版社につとめていてその話を聞いた中から)さらに説明しようと思う。
迷惑かからないようにぼかして書いてあるし、版面権や絶版、DRMや市ヶ谷方面の話題は煩雑すぎるので割愛している。
一ツ橋が出版社の全てみたいな話をするな!とか気になる人も居ると思うけれども、大枠で読んで欲しい。
(それに、これがググらずに判る人は、たぶん説明は不要で十分判ってると思うので)
最初に「経費圧縮による分は、安く出来るはずだ」というところから。
取り分は、作者(10%)→出版社(60%)→取次(8%)→書店(22%)→読者
例えば講談社がOnline書店を新たに作ったとして、取り扱いの本が講談社だけなら、取次8%分は削れる。
なぜなら、取次とは「多数の出版社と多数の書店を繋ぐ役割」だから。
ここで「多数の出版社と、講談社Onlineを繋ぐ役割」だと、0%ではできない。
そして、経費が削れても、利益を上乗せする方向にいっちゃいけないって事はない。
「ネットでの課金徴収、データ管理やバックアップにサーバ管理で、コレぐらいの値付けはしても使ってもらえるだろう」
という見込みがあってやってしまっても悪くはない。
それは「そこは消費者に還元しろよ」という感情はわかるけれども、商売としては別。
元々「電子出版なら安くなるはず」と圧力のある状況で売っても、一冊あたりの利益は薄い。
すると、その面倒なところ(他の出版社への声かけ、販売対応、サーバ管理等々)を、既存出版の割合でやってくれるなら、ギリギリなくはないかな、
といくつかの出版社は考えてもおかしくない、というのが前回のお話。
まずは、お金の流れの一般論として再販制度の仕組みについて触れておこう。
(矢印がお金の流れ、その逆向きが本の流れ)
判り難いので、具体例で列挙すると以下のような感じになる。
(出版の70%は作者の10%含み。本屋群の78%は、本屋の取り分の22%を引いたもの)
これに月末締めの翌月払い、条件返本相殺締日とかが絡むけども、胃が痛くなるので割愛した。
……ついてきているだろうか?
差し引きで見てみよう。
ほぼノーリスクで作者は100万円を手にするのに対して、本屋は頑張って110万、出版社も250万。
クリエイターに対する印税10%が低すぎると思っている人は、少しだけで良い。お金の流れを追って欲しい。
(ただ、返本率は、実際には4割程度だろう)
また、取次の集金機能にも着目して欲しい。
配本流通集金と、色々やってるのが取り次ぎだ。
さあ、管理も煩雑、処理も大変、もはや本が札束に見えてくると言う悲惨な状況下の中、Amazonが提示したのが55%という数字だ。
さて、例のリーク記事のAmazonが提示した契約書とされている部分、実はあの式にはちょっとしたポイントがある。
Amazonは当月中の各本件電子書籍の顧客による購入の完了につき、希望小売価格から以下に定める金額を差し引いた正味価格を出版社に対して支払うものとする。
先ほどの金額の流れを見た後だと、気がつくことがないだろうか?
そう、これは「出版社に対してAmazonが支払う金額」についての式なのだ。
具体的に見てみよう。
1500円のハードカバーを、出版社が「電子版だから、じゃあ1000円にするよ」と希望小売価格を決めたとする。
Amazon.com でのKindle版の価格から鑑みるに、おそらく、500円で売るだろう。つまり50%OFFだ。
すると、希望小売価格 1000円x55%=550円を差し引いた金額、450円をAmazonが出版社に支払う事になる。
希望小売価格は出版社が決められるが、紙の本より高くは出来ない。
そして、Amazonは希望小売価格から55%を引いた額を出版社に払えば良い。
50%OFFで売れば、Amazonの儲けは、一冊あたり5%になる。
どういうことになるか、火を見るよりも明らかだろう。
Kindleが8000円、Kindle Touchが1万円ぐらいで発売されてしまったら、どうなるだろうか。
紙の本には手に取れる書き込みできる、そして所有する喜びがある。
しかし、紙の本 1500円 vs kindle本 500円 ならどちらを選ぶだろうか。
10冊買えば本体代の元がとれると思った時に、Kindleデバイスを買わない自信があるだろうか。
Kindleデバイスを売る為だとか、ロングテールで値下げせずとも良い本から利益を回収する為だとか、色んな理由があるだろう。
でもきっとAmazonは、市場で無視できないサイズとなって十分利益が回収できるようになるまで、じっくりゆっくり粘り強く低調に成長を続けるだろう。
なぜなら、オンライン小売の巨人は、他で利益を出せば良いからだ。
もちろん出版社は、1500円の本を、他の電子書店には1000円で卸して、Amazonには1500円で卸すことだって出来る。
忘れてならないのは、Amazonは1500円x45%=675円を出版社に払うことだ。
他の電子書店は、1000円で卸された本から20%だけとって800円払うこともできる。売れればだが。
そして、Amazon対抗のためだけに他の電子書店に750円で卸したとして、電子書店側も決意の10%として675円を出版社に払っても良い。
1万冊売って75万円利益の電子書店、しかも様々なフォーマットでデバイスも様々で、本当に継続できるだろうか。
読者が安い本を買うことは止められない。非難も当然出来ない。
安いKindle版を出さずに独自の電子書籍を出す出版社に、文句を言わないだけの理性があるだろうか。
そして、(アメリカのペーパーバックがでかくて重いという理由があるにせよ)電子版が紙の本を売り上げを上回る世界で、
Amazonを無視して自己流を貫く事での機会損失を、オーナーや株主は許容できるだろうか。
流石にアマゾン、(アメリカ市場からの推測でしかないが)相当にえげつないことをする。
出版社は、既存の電子書店に卸してもAmazonに卸してもそう代わりはないが、消費者は安い方から買う。
そして、Amazonは限界まで値引きをして売るだろう。ダンピングにならないように5%程度の利益を抑えた上で。
黒船Amazonが、日本の電子書店と違う点は、既に成功したネット上の小売業者である点だ。
赤字をものともせず待ち続けられるのは、アメリカの市場で証明済みだ。
商売なんだからきちんと儲けてくれよ、金なら払うから経費圧縮分は利益にしてくれよ、
そう消費者が言ってくれないことは判ってる。
でも、電子書籍は安くて当たり前、デジタルなんだから薄利多売で消費者に還元してくれ、
そういう意見一辺倒だと、現状ではAmazonは無視できる存在ではない。
そしてこれは、Amazonの用意したハードルを乗り越えて契約できる出版社が増えれば増えるほど、
>取っておくべきと考える人達は、自分たちで買って保存するしかないだろう。
実際、現実的に考えると、ここが結論かなと思う。
情報をどれだけ抱え込めるかって処は、図書館の存在意義の一つだから
多分電子化できるものなら、がっつり電子化したいだろうさ、雑誌なんかは特にな。
図書は多分しばらく無理。活版印刷並みの革命起きてても、それを拒む層がいる。
>ところで「運営費が出ない」と言いながら「希少本を売らない」のは何で? 売れば利益が出る本もあるんだろ?
これ、いろいろ事情がな……。あるんだ。
恥かしながら、うろ覚えを箇条書きするので、
図書館学や法律に精通している方に突っ込んでいただけると有難い。
ILL(文献取り寄せサービス)の手数料とかは、儲けとはちょっと違う。
このあたりは、調べたいとか言ってレファレンスカウンターに行くといい。
海外の事例は他の増田に任せる。延滞料金の取り扱いはちょっと知りたいところ。
・そもそも、資料の転売ってありなのか?
個人としてはあり。元記事の処理がされてれば、盗難本とは思われない。
amazonで図書館の廃棄本(ペーパーバックとか)が出てたらとりあえず買う。
ブッカーで保護されてて、丈夫で汚れにくく使い勝手がいいんだよな。
組織としては難しい。グレーゾーンだが、グレーだからこそ「無い」という結論を
出す館は多いんじゃないかな。
資料は、税金ないしは学費などで賄われているケースが大半だ。
そもそも、自分の所属する機関の「財産」として計上されている資料の扱いは難しい。
「廃棄処分」するならともかく、「転売」となると、相当面倒な手続きを経るだろう。
千冊処分するために、千冊それぞれ個別に起案を出さんといけないとか、ありえて嫌だ。
新刊の整理なんぞする暇はなくなるから、新しい本も雑誌もしばらく諦めてくれ。
なんて事は本末転倒なわけで。
だから「財産」扱いしない費目で買う雑誌や新聞の廃棄は、楽っちゃ楽だ。
いざって時に「ここからここまで捨てるけど誰か要る?」と聞きやすい。
で、「別にいいや」→「じゃ、チリ紙交換に出しますわ」ってなる。
個人的には、シュレッダーにかけるなら電子化しようぜ!って思うんだけど
著作権者さん達がな。
追記。
図書館間で、「廃棄するけど誰かいる?」という寄贈のしあいっこがある。
MLだったり色々なんだけど、古くて入手できないような資料を分け合える機会がそれなりにある。
もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。
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今日世界最高の大学のひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学を卒業したことがない。これが大学の卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生から三つの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。
最初の話は点を結ぶことだ。
私はリードカレッジを最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?
話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです」生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。
17年後私はたしかに大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これからの人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。
ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったから友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。
リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通のクラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体,サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。
これらの何一つ人生で現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初のMacintoshを設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初のコンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体とプロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacをコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。
もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ,運命,人生,カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。
私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージでAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20億ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初の一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってからの人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。
数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。
当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりわからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。
次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初のコンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリーを制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleがNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。
Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事は人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたのハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。
三つ目の話は死についてだ。
17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日を人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日が人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。
もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事なものを残してどこかへ行ってしまうからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。
1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まりの対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。
一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍の細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡で細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。
これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。
誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。
あなたの時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間を無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見に自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。
私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚を人生にもたらした。まだ1960年代でパーソナルコンピュータもデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラで制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックのGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。
スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなたが冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。
ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
本当にありがとう。
と言うのがTwitterで流れてきたけど、その通りだよなあ。
なんて反論RTしてる人が居たけど、どんだけ近いんだよ余裕で買いに行けるだろ。自転車30分の距離なんて車使えばすぐだ。
田舎だけどド田舎という程ではない(日本人が住んでるくらいだからね)。でも最寄の本屋は高速飛ばして30分先。
アメリカでは高速飛ばして30分の場所は余裕で買い物圏とは言え、そうそう頻繁に行ける訳がない。
それ以外に近くで手に入る本はウォルマートの中の本売り場(雑誌と一部ベストセラー、あと絵本が少々)に売ってる本くらいしかない。
英語は日本語より文章が長くなるのと(ハーレクインとか日本版は薄いもんなあ。翻訳するとあれだけ薄くなっちゃうのね)
紙質が悪くて妙に厚い(わら半紙みたいな感じ)せいだろうけど。
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103122050.pdf
2011年3月12日20:50の公開資料。菅がいた時間帯にも作業が行われていたことや、燃料溶融の見込みが11日24:50(12日0:50)であることが明記されている
水素問題についても役人が知ってるとかそういう特殊な知識じゃないぞ。水素が発生することは原発事故の話題をする時には「常識」であって、そんな当たり前レベルの議論なんてしてない。みんなそれが酸素のある状況になって爆発するかどうかの話をしてるんだ。この辺、12日未明の時点で大丈夫と言う原子力安全委に対して、菅が水素があるんだから爆発もあるだろと声を荒げたという報道も出てただろ。だいたいさ、高熱のジルカロイ合金から水素が出ることはチェルノブイリを扱ったペーパーバック一冊読めば書いてるよ。つかwikipediaにも書いてら。一般常識とまでは言わないけど原発事故の話する時は常識の話なわけ。
http://real-japan.org/2011/04/15/421/
読んだけど、「ごめんなさい」以外のあらゆる内容が出鱈目で吐き気を通り越して気持ちよくなった。
つまるところあのオバサン、状況何一つ理解しないまましゃべってて、しかもいまだに状況何一つ分かってないのね。
ところが、いま批判されているような東京電力による情報開示の遅れ、政府の指揮命令系統の混乱などは、有事であるにも関わらず、平時の「法令遵守」にこだわった結果として発生した人災です。このような、マネジメント上のリスクの顕在化が今回の事故の深刻化長期化を招いていることは否めません。
統合対策本部が設けられてからの情報公開はレベルが高い。東電から上がった生データはほぼリアルタイムに公開されているし、官邸が乗り込んでからは(従来の原発行政からは驚くべきことだが)隠していたデータが後からばれたケースは無い。公開情報の内容は妥当であるし計測そのものが困難であるケースはそのことをきちんと言っている。指揮系統だって原発に関しては官邸が指揮権を握ってしまっている。平時の法令なんてあってなきがごとしだ。良し悪しはともかく平時のお役所らしい対応はなりを潜め、良し悪しはともかくほとんど蛮勇に近い対応が行われている。
燃料溶融の危険性については3/11の時点で報告が上がっており首相官邸サイトにて3/12の時点で公表されている。勝間が勇猛果敢に朝生でポジトークしてた2週間前に公表されていた内容を勝間が知らなかっただけだ。
水素爆発のリスクはちょっと原発事故の話をペーパーバック1冊程度にも知っていれば誰でも知っている。首相も東電に乗り込んだ際に水素爆発は大丈夫なのかと怒鳴ったそうなので菅直人ですら知っているのだ。勝間が知らなかっただけ。
いまだにこれを言っている馬鹿がいることに驚く。3/12の時点で(略
産経ですら訂正済の情報がいまだにアップデートされない情弱評論家勝間和代
これは確かに遅れた。ドイツ気象庁のアレのように馬鹿に見せるとかえって混乱するという問題もあるが、もっと早く上手く(マスコミに面白おかしく加工されないよう)公表していれば避難区域は十分根拠のあるものだと分かり多少混乱も緩和出来たかもしれない。
もっともこれによって対応が早くなったり遅くなったりすることはないのだが。一体勝間はこの情報が対応をどう左右させたと思っているのだろう。
これも各医療機関や医学界などと協力して適切に開示されている。勝間がそれを知っているかどうかは別だが。
まあ健康問題に関して言えば勝間が朝生で怪気炎を上げていた内容が今でも(アホなマスコミが煽っているのに比べると)まあまあ正しい。
上記のことは、国会質問およびマスコミ等の追求により明らかになってきましたが、本来は政府が主導で情報開示をすべきことだったでしょう。
国会質問およびマスコミ等の追及により明らかになった事実なんぞこれっぽっちもないのだが。つーか具体的に何かあったか?
ばっさりカット。首を切るというのが(もちろん必要ではあるのだが)「解決案」として提案されるところが実に日本的で素晴らしい。本質的なところで馬鹿であることが良く分かる。
具体案の部分では電源供給を保ちつつ軽水炉から他の電源に移行するプランが一切示されていないどころか、現実問題として明らかにこのままずるずると老朽化した軽水炉を使い続ける羽目になる展開しか予想できない内容で、今後事故をなんとかするための提案としては0点。自動車事故が多いので自動車を全面禁止してみんな超能力を身に着けて空を飛ぶべきと提言する評論家(笑)
はてな界隈では、定期的に英語の習得法が話題になるが、俺もそろそろ参入してみようかな、と。
■自己紹介
俺の英語力は、TOEIC975点、実用書・平易なペーパーバックなら辞書なしで速読できるレベル。
CNN/BBCが字幕なしで理解できて、それなりに気のきいたことも英語で話せる。
語彙力は、http://www.wordengine.jp/vcheckで測定してみたところ、約20000語。
■趣旨
だが、巷にあふれかえる英語の勉強法は、基礎力がないのにいきなり実践を勧めるものが多い。
例えば、臆せずに何でもいいからしゃべってみろだの、辞書をひきながら本を読めだの。
この手の勉強方法は、学習者のコンフォート・ゾーン(快適な領域)を外れることが多く、大抵の人は不安感や不快感を感じて、学習をやめてしまう。事実、俺も何度も挫折してきた。
そこで、この記事で私が提唱したいのは、基礎からきちっと積み上げる、実直かつ具体的で不安のない英語の勉強方法である。
重要なところは全部網羅していると思うし、実際に自分で試してみてうまくいったものばかりだから、信頼性の高い勉強法だ。
これから紹介する勉強法に加えて、モチベーションの管理と習慣化のテクニック(これに関しては今度記事を書くかも)さえあれば確実に英語は身に着く。
■本論
やることは3つ:文法を理解する(骨組みの構築)、単語・例文(肉付け)、実践(本を読む、ポッドキャストを聴く、など)
以下が具体的なやり方。
◆1. 文法に関しては、『英語リーディング教本』(薬袋 善郎 著)・『日本人の英語』(マーク ピーターセン著)の2冊の本が超オススメ。
そもそも文法は必要なのか?という議論は常にされてるけど、俺の実感としては、文法を学んでおくと英文の理解速度が飛躍的に向上するから、後々すごく楽。
学校英語の影響で文法を忌避する人が多いし、その気持ちはわかるんだけど、本来は文法=ショートカットだよ。
莫大な文例をもとに法則を自分で見出すより、すでに見出された法則を学ぶほうがはるかに手っ取り早いでしょ?
さて、『英語リーディング教本』は英語の理解力が格段に向上すること間違いなしの超名著!!
そんなに厚くない本なのに、効果がめちゃくちゃ高い。
俺が今まで読んだ参考書のなかで一番役に立った。誇張じゃなくてマジで。
この本を理解すれば、英文法の骨格は完成する。骨格さえ出来てしまえば、後は肉付けするだけだ。
『日本人の英語』は、日本人にありがちな英語のミス(例えばI ate chicken last night.とI ate "a" chicken last night.の違いなど)が豊富に書いてあって、英語リーディング教本でカバーしきれなかった冠詞・前置詞・自制などの微妙なニュアンスを理解するのに非常に役に立つ。
文法の学習は、基本的にこの2冊だけ読めばOK。
だが、上級レベルになるにしたがって、冠詞や文法の微妙な違いが気になるようになると思う。
そういうときは、『例解 現代英語冠詞事典』(樋口 昌幸 著)、『ロイヤル英文法』がおすすめ。
ちょっと高いけど、どっちも枕元においていいほどよく出来た本だ。
◆2. 単語の習得は、P-Study Systemという無料のソフトウェアが超おすすめ。
忘却曲線理論とやらを参考にしていて、ゲーム感覚で効率的に単語が身に着くソフト。
俺はP-Study Systemを利用して、大体2年間の勉強でGREレベル(アメリカの大学院入試)の語彙力を身につけることが出来た。
これに出会う以前は、俺は単語帳を買って、音読したり、ノートに書き写したりしたが、結局やる気がなくなってやめてしまった。
もう単語を覚えるのは無理かと諦めかけていたんだが、このソフトウェアを使って毎日コツコツ学習していたら、見事なまでに単語が定着した。
きっと俺みたいな人は多いと思うんだけど、机に向かって紙面を相手に学ぶのと、PCを使って学ぶのでは、心理的な労力が全然違う。後者の方が圧倒的に気楽。
よく単語の習得方法として、英文を読みながらいちいち辞書をひけって人は多いんだけど、よっぽど根性のある人じゃないと続けられないよ。
辞書を読んでるのか本を読んでるのかよくわからなくなって、苦痛極まりないからだ。
リーディングと単語学習、2つのプロセスを同時にやるような中途半端なことをしないで、単語は単語だけ一気に覚えてしまうといい。
短期集中・個別撃破作戦で行こう。
やる気のないときはラジオを聴きながらでもいい、とにかくだまされたと思って、やり方はどうでもいいから続けろ!
これ使っとけば絶対に語彙力つくから。
例文の暗記についてなんだけど、これもやっといたほうがいい。
なぜかというと、これは文法の学習と同様に、型を覚えれば、いちいち頭使わなくても英語がスラスラ出てくるから。
書籍は、『英語丸のみ辞典』(全三巻、井上 一馬著)がおすすめ。
例文暗記は結構単調で辛いんだけど、確実に報われる。
だから、暇なときに興味のあるところだけ、気の向くままに音読するといい。
嫌になったらすぐやめるのが、続けるコツ。
◆3. 実践に関しては、特にリーディングを重視するといい。
この段階までくれば安定飛行に入ったようなもの。
既に単語はある程度覚えているだろうから、John Grisham, Sydney Sheldonの小説を読むといい。
本を読みつつ、気になった表現をたくさん蓄えよう。
前述の通りに文法をちゃんと理解していれば、特に頑張らなくても自然に英文が頭に蓄積されていくよ。
俺の場合は、リーディングをたくさんやって、表現を蓄えたから、他の3技能(リスニング・ライティング・スピーキング)は、それぞれ適当な参考書を数冊やるだけで大丈夫だった。
■終わりに
長文を書く習慣がないもんだから、ちょっと疲れてしまった。拙い文章で申し訳ない!
でも、結構たくさん書いたつもりなんだけど、完成したものを読んだらちょっとした作文程度なんだよな。
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
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http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~dabomb/english_internetradio.htm
ひたすら英語のシャワーを浴びる。
仕事が終わっても日本人と付き合っちゃ駄目。英語カフェへGo!
ちょっと費用はかかるけど
さて、はてなに限らずネット上には、「良い英語の学習法」に関するエントリがたくさんあります。ここらで「悪い英語の学習法」をまとめてみようと思い立って書いてみました。
英語というのは、自分の脳と肉体を駆使した活動です。「英語が出来る」というのは、必要に応じた形で自分の脳と肉体を動かすことができる、ということです。どうやったらそれができるようになるのか?自分で動かしてみることを繰り返して練習するしかないんですね。例えば、「聞き流すだけで英語が上達する!」と謳う英語教材があります。あれは、「サッカーの試合を山ほど見流すだけでサッカーが自分でも上手にできるようになる」とか、「ゲームのプレイ動画を見流すだけで上手にプレイできるようになる」とか、「プロのミュージシャンのライブを見流すだけで楽器が演奏できるようになる」というぐらい荒唐無稽な話です。人間がアウトプットの反復練習無しに習熟できる技能なんてこの世にありません。
(2) アウトプットをチェックしない
じゃあ例えば音読してればアウトプットしたことになるか。毎日部屋で一人でただただ読んでいればいいのか。何もやらないよりは遥かにマシですが、効率のいい方法とはいえません。アウトプットにはフィードバックが必要です。果たしてそのアウトプットが本当に適切なものであったのかをチェックして、修正を繰り返すことが必要です。そうしないと実際に使い物になる技能は身につきません。例えばあるゲームを、無敵モードで毎日プレイしていたとして、上手になるでしょうか?目をつぶって同じボタンを連打しているだけで毎日同じ結果が出る作業をしていて、上達するなんてことがあるでしょうか?
(3) 身の丈に合わないインプットを選ぶ
サッカーの素人がワールドカップの試合を見たとします。「面白い!」「すごい!」という感想はあっても、サッカー技術に関して得られる情報は決して多くありません。それに対して、自分で実際にサッカーに取り組み、ある程度以上のレベルに達している人間は、同じ試合からずっと多くの情報を得ることができます。「今の体の使い方すげえ」「ああ、ああいうフェイントの仕方があるのか」「あの状況であそこを見てるなんて!」などなど。つまり、同じインプットであっても、そこから得られる情報は、学習者のレベルに応じて大きく変わると言うことです。あなたが何らかの英語教材を使っていて、「ああ、これはこういう風に表現すればいいのか」という風に、自分の英語の糧となるような情報を見いだせないのであれば、その教材はあなたの身の丈に合っていません。
(4) 普段できないことをやろうとする
例えば「ペーパーバックを手当たり次第に読みなさい」という人がいます。実際にやってみる前に、自分にそれができるのか良く考えてみて下さい。例えば、日本語の新書を手当たり次第に読みなさい、と言われて、それをどれだけ続けられるでしょうか。実はそれが出来るのは、知的好奇心に溢れていて、なおかつ有象無象の中から自分にとって面白いものを見つけられる嗅覚を持つ人だけなんです。普通の人が手当たり次第に本を選ぶと、ほぼ確実に「面白くない」ものに当たります。面白くないものを努力で面白くすることは絶対にできません。そして面白くない学習が長続きすることもありません。
(5) 特別な才能のある人を真似しようとする
大人になってからの外国語学習は、楽器の演奏と似た部分があって、「才能の差」が確実に存在します。沢山の外国語を苦もなく習得できる人もいれば、その何倍もの時間をかけなければならない人もいます。そして後者の方が圧倒的に数が多い。問題は、後者が一握りの天才と同じやり方で学習しようとすることです。この背後には、往々にして「楽をしたい」という心理が隠れています。あの人はあんなに楽々英語が出来るようになってる、じゃあ私もこんな面倒くさいことしなくていいんだ。残念ながら、殆どの場合「私」には特別な才能はなく、天才と同じような上達もありません。
上記は全くもって「当たり前」なことなはずです。しかし私が見る限り、英語学習に関しては、この当たり前を置き去りにした迷信が跳梁跋扈しています。有効なメタファーは「スポーツ」「(アクション系の)ゲーム」「楽器演奏」です。全てに共通するのは基礎を大事にすること、反復練習を行うこと、アウトプットのチェックを繰り返すこと、そして少しずつ上達していくことなのです。
「文庫本『姥(うば)捨て山』説」というのがある。
人気作家の小説などは、雑誌に掲載されたあと、しばらくたって単行本になる。私が若いころは、単行本化された本はかなり長いあいだ入手できたが、いまはそうはいかない。書店の棚は飽和状態で、返品されれば日の目を見る機会は少ない。ほどなく断裁されて品切れ状態になる。そうなれば、有名作家の一時は評判になった作品でも入手できない。出版社は有名作家に顔が立たず、とりあえず文庫本にすることで納得してもらおうとする。しかし、文庫化された本は、コミックスなどごく一部を除いて、有名作家の本でも劇的に売れず、流通はしているものの事実上、死んでしまう。
役立たずの老人を殺してしまうのは殺すほうも気がとがめる。殺すのではなくて、山に捨ててくることでその残虐性を減じるというのが「姥捨て山」の巧妙な仕組みだが、文庫化のプロセスはこうした「姥捨て」にそっくりだ。本を殺すのではなくて、穏便に「自然死」させようというわけだ。
こうした「文庫本『姥捨て山』説」というのは、私が唱えたわけではない。文庫本が世の中に登場し始めたころから、関連業界でひそかに囁(ささや)かれていた言葉だ。
いうまでもなく、こうした文庫本は、読者にとって魅力的なものにはならない。個々の本そのものの価値は文庫化されたからといってもちろん減るわけではないが、注目度が下がっているものであることはいなめず、そうした本ばかり集めた「姥捨て山」では、文庫が魅力的なものになるはずはない。かくして文庫はやっぱり売れず、たいていの本にとってはきわめてマイナーな販路にとどまっている。
出版社は利益を確保する必要があるから、高値で売れる新刊について敢えて廉価版を出そうとは考えない。
海外のペーパーバックが成功したのは、ベストセラーの新刊なども同時発売で、しかもきわめて安くペーパーバック版を販売したからだ。
日本ではこのような期待はできない。日本は、文庫後進地帯、もしくはマンガ文庫に特化した「ガラパゴス地帯」になることだろう。
せいぜい言えるのは、出版市場が縮小し、出版界が新たな販路を切り開く必要性がいよいよ高まってきたということぐらいだろう。
ただそれが、従来の流通経路を破壊し、出版社が自分たちの存在基盤そのものを掘り崩す可能性を覚悟してまで動く気になるほどのものかといえば疑問に感じる。世の中の大きな期待によって動くということは何につけてもあるわけだが、業界の存続そのものに関わっているということになれば、そう簡単には動かないだろう。
参考URLhttp://allatanys.jp/B001/UGC020005120100427COK00537.html]
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-171.html
読書猿(くるぶし)さんによれば
Atkinson & Hilgard's Introduction to Psychology 15th ed. by Susan Nolen-Hoeksema、Barbara L. Fredrickson、Geoff R. Loftus、 Willem A. Wagenaar (ペーパーバック - 2009/6/15)
英文平易。解説丁寧。要約簡潔。心理学史的視点を維持しつつ、現代心理学の分野のほとんど全ての重要項目を網羅したオールラウンドの『王道』的教科書。邦訳『ヒルガードの心理学』(2005)は、一つ前の版の訳になってしまった。
らしいよ。
臨床心理と計算機科学はわからない。
はてな界隈では、定期的に英語の習得法が話題になるが、俺もそろそろ参入してみようかな、と。
■自己紹介
俺の英語力は、TOEIC975点、実用書・平易なペーパーバックなら辞書なしで速読できるレベル。
CNN/BBCが字幕なしで理解できて、それなりに気のきいたことも英語で話せる。
語彙力は、http://www.wordengine.jp/vcheckで測定してみたところ、約20000語。
■趣旨
だが、巷にあふれかえる英語の勉強法は、基礎力がないのにいきなり実践を勧めるものが多い。
例えば、臆せずに何でもいいからしゃべってみろだの、辞書をひきながら本を読めだの。
この手の勉強方法は、学習者のコンフォート・ゾーン(快適な領域)を外れることが多く、大抵の人は不安感や不快感を感じて、学習をやめてしまう。事実、俺も何度も挫折してきた。
そこで、この記事で私が提唱したいのは、基礎からきちっと積み上げる、実直かつ具体的で不安のない英語の勉強方法である。
重要なところは全部網羅していると思うし、実際に自分で試してみてうまくいったものばかりだから、信頼性の高い勉強法だ。
これから紹介する勉強法に加えて、モチベーションの管理と習慣化のテクニック(これに関しては今度記事を書くかも)さえあれば確実に英語は身に着く。
■本論
やることは3つ:文法を理解する(骨組みの構築)、単語・例文(肉付け)、実践(本を読む、ポッドキャストを聴く、など)
以下が具体的なやり方。
◆1. 文法に関しては、『英語リーディング教本』(薬袋 善郎 著)・『日本人の英語』(マーク ピーターセン著)の2冊の本が超オススメ。
そもそも文法は必要なのか?という議論は常にされてるけど、俺の実感としては、文法を学んでおくと英文の理解速度が飛躍的に向上するから、後々すごく楽。
学校英語の影響で文法を忌避する人が多いし、その気持ちはわかるんだけど、本来は文法=ショートカットだよ。
莫大な文例をもとに法則を自分で見出すより、すでに見出された法則を学ぶほうがはるかに手っ取り早いでしょ?
さて、『英語リーディング教本』は英語の理解力が格段に向上すること間違いなしの超名著!!
そんなに厚くない本なのに、効果がめちゃくちゃ高い。
俺が今まで読んだ参考書のなかで一番役に立った。誇張じゃなくてマジで。
この本を理解すれば、英文法の骨格は完成する。骨格さえ出来てしまえば、後は肉付けするだけだ。
『日本人の英語』は、日本人にありがちな英語のミス(例えばI ate chicken last night.とI ate "a" chicken last night.の違いなど)が豊富に書いてあって、英語リーディング教本でカバーしきれなかった冠詞・前置詞・自制などの微妙なニュアンスを理解するのに非常に役に立つ。
文法の学習は、基本的にこの2冊だけ読めばOK。
だが、上級レベルになるにしたがって、冠詞や文法の微妙な違いが気になるようになると思う。
そういうときは、『例解 現代英語冠詞事典』(樋口 昌幸 著)、『ロイヤル英文法』がおすすめ。
ちょっと高いけど、どっちも枕元においていいほどよく出来た本だ。
◆2. 単語の習得は、P-Study Systemという無料のソフトウェアが超おすすめ。
忘却曲線理論とやらを参考にしていて、ゲーム感覚で効率的に単語が身に着くソフト。
俺はP-Study Systemを利用して、大体2年間の勉強でGREレベル(アメリカの大学院入試)の語彙力を身につけることが出来た。
これに出会う以前は、俺は単語帳を買って、音読したり、ノートに書き写したりしたが、結局やる気がなくなってやめてしまった。
もう単語を覚えるのは無理かと諦めかけていたんだが、このソフトウェアを使って毎日コツコツ学習していたら、見事なまでに単語が定着した。
きっと俺みたいな人は多いと思うんだけど、机に向かって紙面を相手に学ぶのと、PCを使って学ぶのでは、心理的な労力が全然違う。後者の方が圧倒的に気楽。
よく単語の習得方法として、英文を読みながらいちいち辞書をひけって人は多いんだけど、よっぽど根性のある人じゃないと続けられないよ。
辞書を読んでるのか本を読んでるのかよくわからなくなって、苦痛極まりないからだ。
リーディングと単語学習、2つのプロセスを同時にやるような中途半端なことをしないで、単語は単語だけ一気に覚えてしまうといい。
短期集中・個別撃破作戦で行こう。
やる気のないときはラジオを聴きながらでもいい、とにかくだまされたと思って、やり方はどうでもいいから続けろ!
これ使っとけば絶対に語彙力つくから。
例文の暗記についてなんだけど、これもやっといたほうがいい。
なぜかというと、これは文法の学習と同様に、型を覚えれば、いちいち頭使わなくても英語がスラスラ出てくるから。
書籍は、『英語丸のみ辞典』(全三巻、井上 一馬著)がおすすめ。
例文暗記は結構単調で辛いんだけど、確実に報われる。
だから、暇なときに興味のあるところだけ、気の向くままに音読するといい。
嫌になったらすぐやめるのが、続けるコツ。
◆3. 実践に関しては、特にリーディングを重視するといい。
この段階までくれば安定飛行に入ったようなもの。
既に単語はある程度覚えているだろうから、John Grisham, Sydney Sheldonの小説を読むといい。
本を読みつつ、気になった表現をたくさん蓄えよう。
前述の通りに文法をちゃんと理解していれば、特に頑張らなくても自然に英文が頭に蓄積されていくよ。
俺の場合は、リーディングをたくさんやって、表現を蓄えたから、他の3技能(リスニング・ライティング・スピーキング)は、それぞれ適当な参考書を数冊やるだけで大丈夫だった。
■終わりに
長文を書く習慣がないもんだから、ちょっと疲れてしまった。拙い文章で申し訳ない!
でも、結構たくさん書いたつもりなんだけど、完成したものを読んだらちょっとした作文程度なんだよな。
もっと作文能力を上げたいし、他にも英語に関して語りたいことはたくさんあるから、後学のためにフィードバックを募集中。
実は真の敵は英語の勉強方法ではなく、「続ける力」なんだよね。これについて後日詳しく書きたい。
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5000users御礼
本書は評者からみると不思議な本である。実に面白い、同時に反米的な歴史記述とCIA陰謀論に挟まって中国重視論の独特の言い回し、つまり三つの部分が混載されている。ひょっとしてチョコレートでくるんだ毒入り饅頭かも。
題名だけをみると保守派の多くは反発を抱くだろう。しかし誤解を恐れずにアイ・キャッチを狙うあたりは著者ではなくて版元の商業主義的魂胆かも知れない。
冒頭から脱線で恐縮だが、この光文社ペーパーバックスのシリーズは、本書が135冊目。執筆陣は浜田和幸、松本道弘、藤井厳喜、野間健、徳本栄一郎の各氏らと何故か知り合いも多い。とくに浜田、藤井両氏は、このシリーズから数冊上梓されていて、執筆陣も左右混交である。
新世代が読むだろうと思う。というのも、横組みで英語がばんばん入るからだ。逆に小生のように日本語の書物は縦書きでないと親しめない世代にとって、最初はこのシリーズを読むのに骨が折れた。仄聞するところでは、横書きシリーズ、伸び悩みがあって間もなく終巻らしい。閑話休題。
さて近藤大介氏、期待の新作である。近藤氏は『週刊現代』前副編集長。元北京大学留学組。平壌にも小泉訪朝に随行、スクープが多い。日本が米国を捨てて中国と同盟し、韓国も仲間に入れようか、という提言は日本の外交現実を無視しているが、さすがに中国語と韓国語が流暢な著者だけに、情報には格段のおもしろみがある。しかし結語の三国同盟は納得しかねる。
サロン・マルキストという比喩は、革命をワインを飲みながらサロンで語る知識人。典型はサルトルなど。本書を通読した最初の印象はそれである。サロンにおける理想主義。日本共産党は歌を忘れたカナリア、飽きたらず暴力路線に走った反ニッキョウ系は、三派四派五派と分裂し、中核派はと革マル派は互いに殺し合った。
本書に何が欠けているか。暴力革命で政権を取った中国共産党は十三億人の無辜の民を壟断し、支配し、反革命勢力、すなわち民主主義者、独立運動家を「テロリスト」と名付け、逮捕し拷問し処刑する。敵は殲滅するのがかれらの掟である。
中華民族というスローガンは他民族を漢族へ「同化」することであり、これは五族協和の日本の理想とはほど遠く、孫文のそれは「漢族」が「満蒙回蔵」を強制同化し、支配することを意味する。
ウィグル絶滅のためにはロブノール近辺から楼蘭にかけて、46回の核実験。おそらく数十万人が被爆して死んだ。7・5ウルムチ暴動では平和なデモ隊に軍が出動して水平撃ち。おそらく二千から三千のウィグルの無辜の民が虐殺されただろう。
中国の本質は暴力支配、特権階級は富を独占し、その体制を可能な限り長く持続しえるそのためには外交も利用する。本書は、こうした事実をあえて論じない。だから不思議な本である。
では面白い部分はどこか?日本では親中派政治家はみんなCIAの謀略で失脚したそうである。田中角栄、カナマル某ほか。小沢がニシマツでやられかけたのもCIAだそうな。まだある。金正日がある日、北京から帰国のおりに列車爆破。流川とかいう駅だったが、あれを仕掛けたのもCIA。金正日のコックだった藤本某にはCIAから接触があり、毒殺依頼があった由。こうなると007の世界だ。盧泰愚、陳水扁の失脚は反米姿勢だったから?
真相にちかいことは、陳水扁は国民党の戦術=「野党を貶める生け贄」であり、台湾では司法は独立しておらず、もし陳水扁の汚職をいうのなら馬英九も宋楚楡も似たようなスキャンダルを抱えていながらなぜ司法の追求が突如止んだか。だから台湾における司法は中国共産党と同様に司法権の独立が曖昧で、国民党の顔色を窺う裁判官が多いからである。CIAとは関係がないのではないか。盧泰愚の「自殺」は身から出た錆、でなければ謀殺の可能性も否定出来ない。
というわけで田中の失脚はロッキード証言だが、日米の司法取引の差であって、米国の陰謀ではなかった(徳本栄一郎氏が田原総一郎の陰謀説を批判した。田中ブレーンだった小長氏自身が『そういう線で裁判やマスコミ対策を処理しようと提案したら田中総理は「おう」と言った』と証言している)。
本書を読んで考えさせられる箇所も多い。評者が本書を読みながら、どうしても孫崎享氏の書いた『日米同盟の正体』(講談社現代新書)を連想せずにはおられなかった。
外交官出身の孫崎享氏はイラク、イランでミサイルの雨の中、外交を展開してきた人で三月まで防衛大学で教鞭を執った。(そうそう、これもどうでも良いことだが、バグダッドの在イラク日本大使館で宮崎は、孫崎(当時は公使)と会ったことがある。88年だったと記憶する)。
その外交官がイラク戦争突入はアメリカ人の「旋風のような愛国心」の結果であり、リーカーンの南北戦争、真珠湾攻撃と似ているとする。反戦ムードを一気に好戦へもっていく謀略は政治に付きものであり、その点は近藤氏や孫崎氏の分析に同意するが、なぜか孫崎本には外交的結論がない、つまり日本の自立外交を模索してもいなければ対米追随が悪とも言っておらず、最後の最後はアメリカの核の傘は機能しないだろうと言いながら、日本の核武装は反対という。
つまり本書の著者と孫崎防衛大学前教授のスタンスは徹底して政治のリアリティ、外交の合理主義である。
外交は道徳が入ると機能せず、倫理を持ち込むと、外交の基本が成立しない。打算と国益の追求。しかし戦争の回避。軍事力の背景がない日本は、だからといって「ふつうの国」のように外交独自路線を採用することが不可能である。
前々から思っていたがあの早川ポケットミステリと言うやつはなんなのだろう
不気味な表紙。やたら紙質の悪いページ。小口の黄色いインク
とても手に取ってもらおうとしている本では無い気がするのだが
紙の質を下げて単価を安くしたペーパーバックと言うにはそれほど安く無い
と言うか単価下げたいんなら表紙は無地でいいだろう。あの抽象的で不気味で所有欲の湧かない表紙にしているのはやはり何か意味があるのか
本を買うときは何も中身だけ買うわけじゃない。
現代の文庫本にも劣る紙質と無価値な表紙。さらにカバーすら付いていない。
正直あんなゴミに金を払う気にはなれないので、今まで一度もポケットミステリを買った事は無い。
というか手に取るのすら嫌なのでロクに読んだ事すら無い
正直あのレーベルが未だになくなっていない事に驚きだ
別れ話がこじれた結果、「別に付き合う相手なんて誰でもいいんだからわざわざ君のような面倒な相手とつきあう必要はない」という趣旨の捨て台詞を吐かれてふられたことがある。結婚の話も出た相手だった。その言葉に私は自分でもびっくりするくらい深く傷つき、立ち直るまでには1年半時間がかかった。一時は誰とでも寝るということをやってみようかと思ったくらいだった。どうしてそう思ったのかはよくわからないけど、そのときはそうすると納得できるんじゃないかと思えたのだ。余計な話になるが、私の両親はとんでもなく保守的な考え方をする人達で、私は「結婚するまで処女でいるように」と躾けられて育った。つまらない冗談のようだが本当のことだ。さすがに20歳を過ぎてそれを額面通り受け取ることはできなかったが、それでも全く無視はできないという程度の束縛感はあった。だから自分がそう考えたこと自体が結構な驚きだった。
面倒な相手という点については、まあそう言いたくなる気持ちもわからなくはなかった。取り立てて異論はない。「面倒だから別れたい」と言ってもらえれば私もすんなり納得していたと思う。問題は「誰でもいい」の一言だった。我ながらいくら何でもそこまでショックを受ける必要はないだろうと思ったが、駄目なものは何をどう頑張っても駄目だった。悲しくてまともにものを考えられなかった。
時間が経って落ち着いてから、私は相手に何を求めていたのだろうとよく考えた。そして相手は私に何を求めていたのだろうと。
小学生の頃よく読んだ「赤毛のアン」シリーズに、何巻目だったかは忘れてしまったが、「人間は20歳くらいでその輪郭が決まってしまう」というような一文が出てくる。私はそれを真に受けて10代の数年間を過ごしたので、20歳くらいまでに何とか自分の方向性を確立しなければならないという強迫観念があった。そして20歳になる頃には本を読んでばかりいる生意気な理屈好きの小娘になった。ある時期からは手に取った本に書いてある映画を見て音楽を聴くようにもなった。村上春樹を読んでビーチ・ボーイズを聞きイオセリアーニやアルトマンを見るようになった。アーヴィングからヴォネガットに手を出し古典を読むようになった。そのうちペーパーバックも読むようになった。新しいものを知るたび少しずつ世界が広がっていくように感じられ、すごく楽しかった。でもそういう楽しみを誰かと分かち合うことはなかった。私の属しているところではそういうのは何と言うか、知的な気取りの一種のように見なされていたからだ。私は1人で図書館にこもり1人でタワレコに通い1人で映画館に出かけた。両親は極端に人付き合いが悪い娘にひとしきり説教を垂れたが、私としてはそれに特段不自由を感じなかった。友達がいて知り合いがいて1人の時間がある、それのどこが問題なのかと思っていた。確かにそういうのは客観的に見てあまり魅力的な姿とは言いがたかっただろうが、私は毎日いろいろと必死で魅力などというものについてじっくりと思いを巡らす余裕はなかった。そんなことについて考える暇があるなら丸善まで出かけて本棚を物色する方が100倍楽しい。私は何かの答えをそれなりに必死になって探している最中で、魅力なんてものは後回しにしておけばいいと考えていた。
一方、というか当然というか、私は「若い女性」という自分の属性にどうしてもうまく馴染めなかった。若い女性であることをすごく窮屈に感じた。そしてその窮屈さをなかなか言葉に表すことができなかった。人並みにフェミニズム関連の本も読んだけど、それはどれも目の前のあまりにもベタな現実とはうまく切り結ばなかった。例えばがつがつと本を読む若い女性は私の周囲にはいなかった。有り金全部を使う勢いで映画を見る若い女性もいなかった。本当にものの見事に誰一人としていなかった(たぶん趣味に関して引きこもっていたせいだろう)。私の周囲では、一般的に若い女性はそういうことはあまり好まないものだという観念が割と根強くあった。そういうのは趣味として上品に嗜む程度に留めておくべきものであって、没頭するべきものではなかった。もちろん若い女性の精神分析の専門家だとか映画監督だとかいう人がいるのは知っている。統計の授業を担当なさった先生はUCLA帰りで、とんでもなく優秀な上におよそ文化と名の付くものなら何にでも博識な女性だった。でも彼女たちは言ってみれば「私の履歴書」みたいなものだった。自分に特段優れた才能が備わっているわけではないことにはとっくに気づいていたので、それらはただ単に雲の上の出来事でしかなかった。たぶんそういうのは選ばれた若い女性だけに許された特権なのだ。それに特権を維持するのは見るからに大変そうだ。そう思っていた。私は自分の置かれた状況にはそれなりに満足していた。家族は私に呆れながらも基本的には好き勝手にさせてくれていたし、友達も私がよくわからない何かにかまけているからといって意地悪をするようなこともなく優しく放っておいてくれる。環境にはずいぶん恵まれたと思っていた。もし私が男の子だったらもっと堂々とできたのかもしれないが、男の子は男の子でいろいろと大変そうだとも思った。ここから出て行きたいとは思わなかった。うまく言えないのだが、どこかにあるはずの理想の地を探すことではなく、今いる場で何とか居心地のいい状態を確保することの方が建設的な考えのように思えた。
そんな状態にもかかわらず、お付き合いする相手が現れることがあった。縁があったのは同級生や会社の先輩といった人達で、音楽や映画の話がきっかけになることが多かった。好みが似ている人とは話がしやすい。自分が基本的に聞き手に回ることしかできないとしても、親しみのある世界の話ができることはとても嬉しかった。社会人になってからはなおさらそう感じるようになった。女の子同士がお茶だけで何時間でも話しまくるように、好きなことの話だけで1日中笑ったり驚いたり考え込んだりできるのは本当に楽しかった。でもそれと同時に、1人で楽しむことを選んだ領域に人を介在させるのは少し怖いことだと感じた。そこでは1人で過ごすことを選んだはずだ。そのルールを変えたりしてひどい目にあったりしないだろうか。でもひどい目ってどういうことを言うのだろうか。よくわからなかった。でも、はっきりと意識に上らないくらいぼんやりとした一瞬の感覚だったにもかかわらず、その嫌な感じはなかなか消えなかった。
相手との距離が近づいてしばらくすると、私はびくびくするようになった。付き合い始めて1年も経つと、仲良くなるきっかけだったはずの私の趣味嗜好のようなものが、次第に相手を苛立たせるようになってきたのがはっきりと感じられた。私が何の気なしに漏らす一言に相手がすごい剣幕で「普通の女の子はそういうことは言わないものだ」と怒り始めることも珍しくなかった。その都度、私がどちらかというと普通じゃないことは私もあなたも承知しているはずだったと思いますが、あなたの言いたいことはたぶんそんなことじゃないんでしょうね、と思いながら黙って聞いた。自分でこんなことを言うのはばかみたいなのだが、私が縁あった男性は目立たないけれどしっかりしていて人の気持ちを察するのが上手な人達だった。どうしてそんなに人当たりがいいんだろうと思ってよく見てみると、誰と接するときでもフェアであることを優先させているのがわかった。女の人からの評判はよく(ただし決してモテるという訳ではない)、マッチョな男の人からは幾分軽んじられているふしがあった。そういう人をここまで怒らせるからにはたぶんこちらに非があるのだろう、と私は思った。だから相手を怒らせそうなことは片っ端から控えるようになった。でも、そうなるとそこにあるのはただの力関係だけだ。会話の内容が当たり障りのない世間話のようなものになり、映画館やレコードショップを避けて出かけるようになり、そうして程なくして別れることになるのだった。
相手の年齢や社会的な属性が違っても別れる理由は同じだった。ある時の別れ際に冒頭のことを言われた。私がショックだったのは、いつの間にか関係がすっかり塗り替わってしまっていたことだった。友達の延長みたいにして付き合い始めたつもりだったのに、それとはかけ離れた関係を作り上げていた。最終的に私は規格外の若い女性でしかなかった。更にショックだったのは、「誰でもいい」と言われて最大限に傷ついている自分だった。仲良しの友達に言われたとしても十分ショックなフレーズだとは思うが、私の受けたショックはそれだけでは説明がつかなかった。付き合っていた相手にだけはコンビニで飲み物を選ぶように私を選んだと言ってほしくはなかった。でもいつの間にかそうなっていた。相手が最終的に私に求めたのは女の子らしい女の子であることだった。それと呼応するようにいつからか私も、私が私であることの担保を相手に求めるようになっていた。いつの間にそれを求めるようになっていたのか、自分のことなのにまるで理解できなかった。付き合い始めた時の気持ちははっきりと思い出せるのに、その時は担保なんて関係なく楽しいことや嬉しいことはその意味を意識する必要もなくシンプルにそれだけだったはずなのに、見た映画に興奮して渋谷から千駄ヶ谷まで意味なく歩いてしまった私は相手に会うとうまく口がきけなくなっていた私とまるで矛盾なく同じ私だったはずなのに、それらがきれいさっぱり失われてしまっていることがうまく飲み込めなかった。でも、お互いに求めるものがそれだけになった時点でそこにはもう役割だけしか残っていない。確かにそうなってしまえばいくらでも代わりはいるのだ。お互い相手にその望むものを差し出す余地がないのは嫌になるくらいよくわかっていた。何だか騙されてたちの悪い契約を結んでしまったような気分だった。でもそれに荷担したのは他ならぬ自分だったのだ。
今はハウルの動く城の原作を読んでるよ。TOEICは五百点台後半。
自分にはちょうどいい感じで、とりあえず続いている。
そこで、今までに気が付いたポイントをちょっとまとめてみるよ。
時間をおいて読み直すと(帰りの列車で読んだ箇所を次の日の行きの列車でよむとか)6割しかわからなかったページが8割以上わかるようになる感じ。8割以上わかると話についていけるので読むのが楽しくなる。
英英辞書はみつけていないけど英和辞書は普通にあった。いざとなったら辞書があると思うと安心できる。
作者が同じだと同じ語彙や言い回しが頻出するので他の作者の物語よりずっと読みやすい。
これ日本語の本では気が付かなかったけれど、数倍の時間をかけて読んでいる英語の本だとわかるものですね。
http://anond.hatelabo.jp/20080224010026←これ書いた人です。
うーん、そうかもねえ。時間も足りてないし、教え方も良くないってのが妥当な話かなあ。
論文が読めるレベルの英語力をつける教え方について持論を言えば、中学レベルの文法を完全にマスターしてもらった上で、つぎに、英語だけで書かれた文章を英語の絵本から初めてペーパーバックのレベルまで多読をすることと、速読英単語とか(まだあれ人気あるのかな?)CD付きの英文をシャドーイングで多音読。で、多読・多音読と同時平行で高校文法のマスターにも手をつけてもらうのが良いと思ってる。
この方法で、たとえば、自分が教えてた高校3年生のヤツは、春に中学英文法もまるっきり覚えてない状態で勉強を始めて、夏休みが終わる頃にはセンター試験で7割5分取れるようになったよ。彼はたぶん一日3時間くらい英語に使ってたから、4月から8月の5ヶ月間で、延べ450時間くらいの学習で済んでる。けっこう効率的でしょ?
ただ、これは「英文を読めるようになる方法」なので、相手に通じる英作文ができるようになるかっていうと、それはきっと、また別の話なんだけどね…
たまクリエイターでもないのに、なぜかクリエイターが搾取されているという人たちがいる。例えば
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51071216.html
http://d.hatena.ne.jp/mkomiya/20071117/p5
とか。だいたいこういう人はクリエイターが搾取されていることにして著作権侵害を正当化し、なおかつそうした不公正な体制を崩そうとしている正義の使者を気取っているのだと思うのだけど、こういう人によれば日本は「中間搾取」なるものがひどいらしい。だから印税について調べてみたが、やはり10%とというのは普通であるようだ。分類によっても変わるが仮にペーパーバックとハードカバーで分類するなら、ペーパーバックで6-10%、ハードカバーで10%から15%。小売価格と卸売価格でもかわり、小売価格だと8%から10%、卸売価格だと13%から16%らしい。卸売り価格は小売価格の60%。ただしこれらは目安であって、5%という印税率になることもあるらしい。
ソースはこちら
http://www.caderbooks.com/pubfaq.html
http://www.ivanhoffman.com/royalties.html
http://www.fonerbooks.com/contract.htm
出版社が搾取しているという根拠には社員が高給であることが上げられると思うのだが、幻想だろう。高給なのはごく一部中小企業では400万円から500万円。
一方、中小規模の出版社や雑誌・書籍の制作を請負う編集プロダクションは、30歳で400??500万円ほど。しかも高給な講談社などであってもそのうち300万円以上は残業代。
小学館、集英社ともに30歳代後半で平均年収は1000万円を超える。残業の多い編集者などでは30歳で1000万円を超える人も。残業の少ない部署と比較して年収で300万円近く差がつくこともある。社員が高給だから搾取しているなんて、鳥山明は儲けてるから漫画家はすべて金持ちっていてるようなものだろう。だいたい講談社とかメジャーなところは「現代」や「non・no」など主に社員が書く雑誌で稼いでいるのだろうし。以上を踏まえると10%という印税率は搾取されているとはいえない。同上
ただ基本的に市場が効率的である限り、中間搾取を試みる人間がいても搾取は存在しない。例えば搾取の代名詞である派遣業で考えてみよう。仮にAさんがいて、その労働の価値が時間当たり2,000円であったとしよう。しかしながら現在1,000円搾取されていて、1,000円しか得られていない。ここで中間搾取を試みる人間がいればAさんに時間当たり1,500円を提示し自分は時間当たり500円を中間搾取することを考え、Aさんに提示する。Aさんは1,000円から1,500円にアップするのでこの提案に乗るだろう。ここで終われば搾取は存在したままだが、話はここで終わらない。ここでまたAさんから中間搾取を試みる別の人が出てくる。彼は例えばAさんから250円中間搾取することを考え、Aさんに時間当たり1750円の給与を提示する。Aさんはこの提案にのり、派遣会社をかえるだろう。こうした話はAさんが中間搾取されている間は続く。こうした話が続くと究極的には中間搾取がなくなる。中間搾取を試みる人間がいても搾取は存在しない。というよりも中間搾取を試みる人間がいるからこそ搾取は存在しないのである(ただその調整過程では中間搾取は存在し、現在それが問題になっているといえる)。
ペーパーバックというか、講談社ノベルスに代表される新書判の小説群がありますね。文庫よりも価格が高く(一冊千円ぐらい)で、ジャンルも偏っている(推理小説多し)。単行本と文庫の間の空き席を埋めるかたちで登場したのかな。長距離電車のお供という感じもある。いわゆるライトノベルもノベルスの土壌で育ってきたものなんでしょうね。
参考
デスクワークの途中で緊張感が切れてどうしようもなくて、一、二時間仕事のことを完全に忘れたい、というときにライトノベルが無性に読みたくなる。マンガだと物足りないし、軽めの一般小説だと趣味に合わない、雑学本は飽きたし、新書もめんどくさい、難しい文学を読むと脳が休まらない、映像作品だと手持ち無沙汰になってそわそわしちゃう、というようなときに、出来のいいライトノベルってちょうどいい。週に二、三回本屋に行って、一回に一、二冊ずつ買うペースで、ちょうど本が切れると本屋に買い足しに行くペースになっていい感じ。これって何かに似てるな、と思ったら、あれだ、タバコ。卒論を書くときに一瞬だけタバコを吸ってたんだけど、あれに感覚が大変よく似てる。嗜好品としての本なんだな、ライトノベル。