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君は岡本太朗らのクリエイティビティ、つまり人間性を語ろうとしてるから
作品しか知らないのにそれを語ってるのは問題だよ。
自分が経営する別の会社が大学の先生と共同研究することも良くある
それに同級生や親友にアカポスの人間が何人もいるから君の言う競争獲得資金の内情も知ってる。
そういう人間は増田くらいしか自分の本当に思ってることを書けないから居るのさ。
結局、後ろ盾やケツモチしてる老人で全然結果が変わってくる世界だよ。
同じくらい良い作品でも、ケツモチの力が強ければいろんな人に見てもらえて、評価してくれる人が増える。
世の中の人の99%は作品の価値なんかわからないから、偉い人が良いって言ったモノがそのまま良いになるんだよ。
いわゆる芸術作品っていうのは商業ベースで成り立っている以上マーケティングがすべてなの。
良い画廊に置いたり、人目に付くところに展示したり、良い賞をもらったり
審査する側も自分の身が可愛いから同じくらい良い作品ならケツモチが大きいところや既に賞を取ってる奴に票を投じるんだ。
君だけじゃなくて、これらの評価っていうのは基本的には8割以上は自らの実力では無い。
そこのところを理解しないとだめだよ。
成功する芸術家っていうのは基本的に金持ちの知り合いが大勢いて、広い人脈を持ってる。
金持ちがなぜ芸術家を支援するかと言えば、自分の眼力が良いという虚栄心を満たしたいからなんだわ。
そういうバーターが発生できるようにしてようやく大勢出来るの。
その人が作った作品が実際に良いか悪いかなんて、そんなの死んでから半世紀くらい経たないと分かんないモノだ。
その最近の芸術家すら実際にその人となりを知らないのに、クリエイティビティみたいな人間性を語るところがもっと滑稽だという話。
君のその滑稽さっていうのは、実際の彼らを知らずしてわかったような事を語るところにあるわけですよ。
多分君は人を雇用したことは無いだろうし、評価されているとは言っても仕事のマネタイズは基本的にゴロまかせだろう。
なぜかというと、26の若造を可愛がる老人やおっさんはいても、仕事を任せる老人は居ないからだ。
君が仕事をしていると思っているのは、老人やおっさんに可愛がってもらっているだけで
そこで天狗になると今度、年を食って可愛げがなくなったときに仕事を任せてもらえなくなる。
所詮増田の戯言と流されるかもしれないが、この違いを良く理解しておいた方がよい。
増田だけどね
確かにね、中卒、高校中退でクリエイティビティのある人はいるよ。
俺も30後半より上だとそういう人は何人も知ってる。
でも、彼らと話すとやっぱり教養があって下手な大学生よりモノ知ってるよ。
で、いまどき20代の子でそういうタイプはキッチリ大学も出てるんだわ。
俺は飲食店と普通のホワイトカラー企業やってるから両方見てる。
現業で中卒高卒のクリエイティビティがある奴が残ってるのはわかる。
結婚する前にうちの金でヨーロッパにある知り合いの店に留学させたり
やっぱり良い成績で帰ってくるよ。
それと、岡本太朗のことを例に挙げてるが
それ結構古い情報だったはず。最新はこっちかと。
http://www.hatatomoko.org/SCN_00016.pdf
【呼びかけ人】五十音順127名
阿知波吉信
網屋信介
井戸まさえ
石井登志郎
今井雅人
糸数慶子
打越あかし
大久保勉
奥野総一郎
加藤学
加賀谷健
柿沼正明
神本美恵子
工藤仁美
工藤堅太郎
櫛渕万里
黒岩宇洋
小室寿明
近藤正道
今野東
齋藤つよし
齋藤やすのり
阪口直人
櫻井充
白石洋一
杉本かずみ
瑞慶覧長敏
高野守
高橋昭一
高邑勉
武内則男
橘秀徳
玉置公良
玉城デニー
中後淳
外山斎
中川治
中根康浩
中島隆利
中島正純
中島政希
中野譲
那谷屋正義
野田国義
橋本博明
橋本べん
初鹿明博
浜本宏
平山泰朗
広田一
藤田一枝
前川清成
松崎哲久
松野信夫
皆吉稲生
宮崎岳志
向山好一
森山浩行
森本哲生
山口和之
山田良司
山下八洲夫
湯原俊二
吉泉秀男
吉川政重
【賛同人】五十音順53名
石森久嗣
大西孝典
岡本英子
大泉博子
金森正
黄川田徹
京野きみこ
桑原功
後藤英友
空本誠喜
高井崇志
玉木朝子
永江孝子
中野渡詔子
仁木博文
野木実
畑浩治
平野達男
福嶋健一郎
藤田憲彦
藤谷光信
村上史好
森本和義
矢崎公二
山本剛正
山崎摩耶
柳田和己
柚木道義
若泉征三
鳩山にハシゴを外されたFushi-ana-eyesのバーゲンセール。
こいつらどうするんだろ。特に社民党、連立離脱はするけど選挙協力はしますとかいう巫山戯た事言ってるけど。
http://www.geocities.jp/osakakoudou/
【無所属】
糸数 慶子(無・参) / 川田 龍平(無・参)
【社民党】
山内 徳信(社民・参) / 近藤 正道(社民・参) / 福島 みずほ(社民・参) / 渕上 貞雄(社民・参) / 又市 征治(社民・参) / 照屋 寛徳(社民・衆) / 辻元 清美(社民・衆) / 阿部 知子(社民・衆) / 重野 安正(社民・衆) / 日森 文尋(社民・衆) / 保坂 展人(社民・衆) / 菅野 哲雄(社民・衆)
【共産党】
佐々木 憲昭(共産・参) / 紙 智子(共産・参) / 井上 哲士(共産・参) / 市田 忠義(共産・参) / 赤嶺 政賢(共産・衆) / 塩川 てつや(共産・衆) / 穀田 恵二(共産・衆) / 石井 いく子(共産・衆) / 笠井 亮(共産・衆)
【民主党】
喜納 昌吉(民主・参) / 大塚 耕平(民主・参) / 犬塚 直史(民主・参)/ 福山 哲郎(民主・参) / 大河原 まさこ(民主・参) / 岡崎 トミ子(民主・参) / 今野 東(民主・参) / 谷 博之(民主・参) / 松野 信夫(民主・参) / 川内 博史(民主・衆) / 古川 元久(民主・衆) / 田島 一成(民主・衆) / 平岡 秀夫(民主・衆) / 岡本 みつのり(民主・衆) / 赤松 広隆(民主・衆) / 高井 美穂(民主・衆) / 小川 淳也(民主・衆) / 近藤 昭一(民主・衆) / 横光 克彦(民主・衆)
都農町で1例目(後にO型感染確定)が確認された20日、県は国との協議を経て、発生農場から半径10キロを家畜の移動制限区域、同20キロを搬出制限区域に設定した。10年前の経験や世界各国での事例から作成した県のマニュアルや、国の指針などに基づいた措置だ。鹿児島大農学部獣医学科の岡本嘉六教授(公衆衛生学)は「初動としては国際的に見ても妥当な防疫措置だった」と認める。
ここで言う「初動」は「口蹄疫発生が公表された4/20以降」のことを指しているので、防疫資源は最大限投入されているだろう。
遅れたと批判されがちな「持っている全資源を即時投入」はそもそも超法規的かつ非現実的なので、現実的な範囲では十分に高レベルの防疫体制になっていると言える。
県の疫学調査の対象となった都農町の別の農家では、3月31日に採取していた検体から感染疑いが判明した。移動制限開始の20日以上前からウイルスが侵入していた可能性を示しており、児湯地域での防疫措置が成功に終わるかは未知数だ。
さらに、児湯地域とえびの市の感染疑いの関係について、国の疫学調査チーム長を務める動物衛生研究所の津田知幸企画管理部長は、移動・搬出制限前に何らかの形でウイルスが同市へ運ばれた可能性を示唆。「疫学調査で牛や飼料の動きを追う中で分かった」と述べた。
これは誰もが「そうだろうな」とは思っていたことではないだろうか。もちろんそれが疫学調査でも裏付けられたというのは大きいが。
そもそも口蹄疫は必ずしも重症化する病気ではなく、無症状だったり非常に軽症だったりして即時発見は難しいこともある。3月下旬のケースは農家は口蹄疫の疑いで保健衛生所に連絡しているが、それよりも更に軽いケースでは最初から口蹄疫を疑って掛からないと見つからない。
移動・搬出制限と消毒はかなり徹底して行われていたため、そうそう遠距離に広がるとは考えがたい。空気感染は"最大"数十キロに及ぶとされるが現実的にはせいぜい数キロ程度が普通で、それ以上は移動に伴って運ばれる可能性の方が遥かに高く、そうなると域外への拡散は「移動・搬出制限前の移動」によるものと考える方が自然だ。
県畜産課幹部は「何としても初動防疫で撲滅し、前回(3例35頭)の規模で抑えたかった。伝染力が非常に強いウイルスということを実感し、非常に危機感を持っている」と落胆の色を隠せない。
この考えはもとより甘かった。
前回は「ウィルスが牛と豚で交差感染しない株」「発見が比較的早かった」という非常な幸運に恵まれており、今回のケースは伝染力で数千倍・発見時点の感染範囲で1~2世代違っており、はっきり言って全く別物と言って良い。
防疫資源には限度がある以上、結果的に殺処分が遅れることになったとしても移動制限と消毒の徹底を優先して回す、という戦略は恐らく正しかったと思われる。これが逆だったら防衛ラインを早期に突破されて最終的な被害はそれこそ諸外国の例にならって百万頭を優に超えていただろう。
まだ潜伏している分は多少存在している可能性はあるので、潜伏分の早期発見という課題はあるが、非常に悪い初期条件を考えれば宮崎県も農水省もかなり良くやっているのではないだろうか。ワクチンが成功するかどうかに掛かってくるが、この初期条件でたかだか20万頭そこらで済むなら十分僥倖だ。世界的にも現実的に起こりうる悪い状態からの制圧という意味で大きな例になると思われる。
前回(2000年)の体験は今回に関して言えば「口蹄疫を甘く見る」という悪い成功体験になっていると思われる。前回は「全てその場で殺処分」し「移動制限はザル」という今回と正反対の方針だったが、結果的に伝染性が非常に低かった(道路1つ挟んだ牛舎でも感染が出ないほどだった)ことで結果的には制圧できた。それでも北海道にキャリーされたわけだから、今回の条件で前回の対応をやっていたらと思うとぞっとする話だ。
さすがに今となっては宮崎県も農水省も2000年との対比で対応を考えている者はいないだろう。強いて言えばいまだに「2000年当時は~」などと言っている自民党くらいか……。
今後の課題としては、早期発見のための体制を作ること(3月末に検査出来ていれば事態は大きく違っていた)、ワクチン使用に踏み切るための法的整備(個別の補償交渉でのロスは痛かった)、非常時の種牛管理方針の策定、あたりになるのだろうか。特に3月末に感染できていたかどうかというのは被害範囲を根底から変える要件なので、今回は仕方ないとしても「次に3月末のような状況が来たら発見できる」という体制を作ることは本当に大事だ。
http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.phpより転載です
何人かの方がブックマークされていたhttp://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php?id=158&paging=8は現在別の記事です
感染疑い1例目の確認から10日目の29日、川南町で新たな感染疑いが確認されるなど、終わりが見えない口蹄疫問題。専門家は県の初動防疫の妥当性を認めるが、前回発生した10年前とは異なる要素が事態の悪化を招いている。あるJA職員は「ここまで出続けると20日からの防疫が機能しているのか。今となっては分からない」と焦燥感を漂わせる。
都農町で1例目(後にO型感染確定)が確認された20日、県は国との協議を経て、発生農場から半径10キロを家畜の移動制限区域、同20キロを搬出制限区域に設定した。10年前の経験や世界各国での事例から作成した県のマニュアルや、国の指針などに基づいた措置だ。鹿児島大農学部獣医学科の岡本嘉六教授(公衆衛生学)は「初動としては国際的に見ても妥当な防疫措置だった」と認める。
前回は50キロの搬出制限区域も設けられたが、県内のある獣医師は「大きな網を掛けて(人員面などで)防疫を徹底できるのかという見方もある」と初動防疫の広域化には懐疑的だ。
□ ■
万全だったはずの県の初動防疫態勢。ただ、予想外の要素が浮上するなど、事態は当初の想定を上回る。
県の疫学調査の対象となった都農町の別の農家では、3月31日に採取していた検体から感染疑いが判明した。移動制限開始の20日以上前からウイルスが侵入していた可能性を示しており、児湯地域での防疫措置が成功に終わるかは未知数だ。
さらに、児湯地域とえびの市の感染疑いの関係について、国の疫学調査チーム長を務める動物衛生研究所の津田知幸企画管理部長は、移動・搬出制限前に何らかの形でウイルスが同市へ運ばれた可能性を示唆。「疫学調査で牛や飼料の動きを追う中で分かった」と述べた。
宮崎大農学部の後藤義孝教授(獣医微生物学)は「県の(封じ込めの)方法や手順が間違っていたわけではない」とした上で、「制限の時期が遅すぎたのかどうかは今後検証すべき問題。その大前提としてえびの市と都農、川南町での感染疑いの因果関係を明らかにする必要がある」と指摘する。
□ ■
県畜産課幹部は「何としても初動防疫で撲滅し、前回(3例35頭)の規模で抑えたかった。伝染力が非常に強いウイルスということを実感し、非常に危機感を持っている」と落胆の色を隠せない。
後藤教授はこれまでの海外の事例で、本県以上の牛や豚を殺処分している事例があることも踏まえ「今回が口蹄疫本来の姿だ」と語る。
本県畜産業にかつてないつめ跡を残しつつある口蹄疫。県央部のある和牛繁殖農家(50)は「前回(の口蹄疫)や鳥インフルエンザ、飼料価格の高騰も乗り越えてきた。未来はあると信じたい。われわれは消毒などできることをするだけ。人事を尽くして天命を待つしかない」と祈るような声で話した。
山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組・山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨の料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続の儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉、大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員、神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年)1月、大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚・塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年)1月、山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区浜新町に神戸中央卸売市場の建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組は大島組と対立した。同年7月、神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃や日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所の家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島組本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日、神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。
溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房、2002年、ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房、2006年、ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店<徳間文庫>、1982年、ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年)1月、須磨の料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日、須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客・守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日、守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから、山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名は森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月、山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場が開業した。山口組は中央卸売市場の利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年)1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年)4月、山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年)4月、山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ、美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田と田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼や総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀で組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長・吉本せいと会い、吉本興業の東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せいが東京・新橋演舞場で大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分が東京にいる間は、浪曲師・広沢虎造を吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草の浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造を吉本興業の専属にすることと、広沢虎造のマネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名は山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年)1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオン・ピストン堀口と挑戦者・ジョー・イーグルの東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋のスポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年)1月27日、国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグルの東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組は国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地の菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察に自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組・藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸支部長となった。同年7月、広沢虎造が吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日、浅草の浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日、山口登は東京・浅草の浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年)10月4日、山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。
きもいのに書きつづけた訳を書いておこう。これをきちんと考えた男だけがもてるのかもしれないから。
モテるのは、こういうこと絶対に考えない、そもそもそういう発想がない、意識したことすらないって男性だと思うけどな。あんまりこういうことばっかり考えてると、森岡本に出てくる男みたいになっちゃうぞ。
しかし、そもそもそういう発想がないという人間像は、既にそういう発想をしてしまった人に対しては無効だなあ。そういう人に対して有効なのは、半端にこういうこと考える奴はひどく嫌われるから、嫌われる状態を脱するまで徹底的に考え抜けってことかもしれない。
IPAX2008で行われた公開対談シリーズ。もちろんはてブでも大人気だ。
ちょっと参加者の比較をしてみよう。
前回(IPAフォーラム2007) http://www.atmarkit.co.jp/news/200710/31/ipa.html
情報サービス産業協会会長(NTTデータ取締役相談役) 浜口友一
v.s.
そして今回(IPAX2008)
・http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html ・http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080528/304458/
v.s.
慶應義塾大学,九州大学,千葉工業大学,東京情報大学,東京工科専門学校から各校2名の学生
東大を外した時点で日本の若者による産業議論としては終わってると思う。せめて京大くらいは入れるべきだった。
会社側の顔ぶれを見ても、正直ちょっと物足りない。業界をリードするような魅力ある会社の役員を迎え入れて議論すべき。
結局疲弊した現場の罵りあいに終始する、志の低いつまらんトークに終始してしまった感が否めない。
まあ、プロレスとして見れば面白いか?
ところで
田口氏は「日本の学生はぬるま湯につかっていて頼りないという話になっていますが、実は日本の企業もぬるま湯ということですね」とまとめた。
あー、こういうのを上から目線って言うんですか?
やらせタウンミーティングの出席者(席に座っていただけの人を含む)一人あたりの推定税金支出額は、4万8923円。ただ出席して意見を聞くだけで、税金が4万8923円も使われていたという事実が社民党議員の調査により明らかになった。
どう考えても税支出が高すぎる。
税金を使って政府にとって都合のいい「動員」をかけ、世論を捏造・偽装するために税金を不正に使っていたと考えるよりない。
保坂展人のどこどこ日記 タウンミーティング 平成13年度の随意契約とは(追記あり)
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/1f0f8381855311187578cb488a3edd80
昨日、私は塩崎長官の言うところの内閣府と10数回電話でやりとりをした。平成13年度から始まった「タウンミーティング」の契約書・単価内訳表・仕様書のうち平成14年度以降、18年度までの書類を提出してもらった。ところが、総額を見ると、平成13年度が9億3,932万9495円(平成13年度??17年度の5年間で同事業に費やした費用19億6,758万円の %)と金額が突出している。そこで、内閣府に数日前から要求しているが、なかなか出てこない。平成13年度以降の文書をたびたび請求し、昨日は内閣府まで出向いて担当者に直接要請した。
この時期、タウンミーティング担当室にいる人たちは本当に大変だと思うが、すでにある資料をそのまま出すのは、手間人手だけの問題で、他から応援を得てコピー取りをするなど作業をすることが出来る。ところが、「これは出せる」「これは出せない」と取捨選択をしていると、あるいは「微妙」として上司の判断を仰ぐということになると、とたんに時間がかかるようになる。塩崎官房長官が、責任あるリーダーシップをふるって、資料提出はすみやかに国会の要求に応えるように指示しないと、官邸は「改革」の名に値しない旧態依然の既得権益擁護の権力集団でしかないと批判されても反論することが出来ないだろう。
(追記)そして、丸3日間をかけて滞っていた平成13年の9億3,932万9495円分の契約書と仕様書が内閣府担当官が持参してきた。妙に手持ちの封筒が薄い。イヤな予感がした。毎回で恐縮だが、な、なんと「契約書」が2枚、「仕様書」が2枚のペラペラなものだった。平成14年以後が公開入札で落札した企業が作成した契約書には、単価内訳表がついていて、例の「その他の協力者5,000円」などの記載もあった。
しかし、「株式会社電通代表取締役」と「内閣府大臣官房会計担当審議官」が取り交わした契約書は「契約金額」だけが記されて、仕様書には開催場所・回数だけが書いてある。平成13年度の9億3,932万9495円仕様書に記されている48カ所(47都道府県・北海道だけ2回開催)で割り算してみると、なんと1回で1956万9364円になる。仕様書には300人から500人集めると書いてあるから中間をとって400人の国民を集めてタウンミーテイングを行うのに4万8923円をかけることに最初からなっていたわけだ。内閣府にこの事前契約通りの支払いをしたのか確認すると、「その通り支払いました」とのこと。それなら、実施内容が分かるもっと詳しい資料を添付してほしいと要望した。それにしてもA4版でわずかに4枚の紙を出すのに時間がかかったのではなく、「出すか、出さないか」を逡巡した資料があったのではないかと考えられる。
実際にやらせ茶番をしたのは小泉内閣だが、情報を公開するかどうかの判断をしているのは安倍内閣だ。安倍内閣の責任が問われる。
役員一覧
http://www.dentsu.co.jp/profile/index.html
若杉五馬 釜井節生 田井中邦彦
荻谷東一 石井直
取締役 山内豊彦 若林清造
田中達也 橘益夫 延原和良
中本佳秀 鶴田友晴 岸田章一
倉見晴夫 西村博
小岐須直俊