はてなキーワード: 料亭とは
菅首相は25日、自らの退陣のめどとして「今年度第2次補正予算案の成立」など3条件を掲げていることについて、さらに「原発から放出されたプルトニウムの放射能半減を見届けたい」と周辺に話していることが明らかになった。この発言に対し与野党双方から「政権の延命を図る露骨な後付け」との批判が噴出しており、今後さらに首相への退陣圧力が強まりそうだ。
25日夜、首相は都内の料亭で自らに近い議員数人と会食。その中で「『退陣3条件』と言ったな。あれは嘘だ」と話すとともに、「一国の主(あるじ)として、原発事故を終息まで見届ける義務がある」として、3条件成立後の続投に意欲を見せた。また、「終息」の定義については、「放射性物質の中でもひと際毒性の強いプルトニウム239の放射線量半減が一つのめど」と語ったという。
一般にプルトニウム239の半減期は約2万4000年とされており、首相の発言通りなら、菅政権は今後さらに2万4000年間続くことになる。
この発言が報道されると、まもなく与野党の双方から不満が噴出。ある与党議員は「日本国民がどこまで首相に我慢できるかというストレステストのつもりでやってるのではないか」と話した。また野党幹部も「プルトニウムが半減される頃、菅氏は2万4065歳。どこの閣下だよ」と憤りを見せている。
首相の発言を受け、与野党幹部は同日深夜、非公式に接触。「ここまでしぶとく政権にしがみつく首相は、わが国の憲政史上最も醜態をさらしている」との認識で一致した。また今後の政治日程として、退陣3条件の成立後さらに首相が続投の意思を見せた場合、「そもそも菅政権はなかったことにする」として、首相を土に埋めて中国式に在任の証拠を隠ぺいする予定だ。
埋める場所については、首相官邸の庭園にあるソメイヨシノの根元が有力。官邸筋によると、ここにはすでに鳩山由紀夫前首相と名乗る人物が埋まっているとのことだが、この人物の詳細について前述の官邸筋は「この人もなかったことになっているのでよく知らない」と話した。
by虚構新聞
今日「そうだ、葉っぱを売ろう!」って本を読んだ。
んで、この本では、田舎町の人が自分の山にいっぱいある葉っぱを売ろうと決意してから
組み合わせを工夫したり、売り込み頑張ったりしてどんどん商売を広げていくというサクセスストーリー。
んで、AKBってまさにこの葉っぱなんじゃないかという気がしてきた。
んで、葉っぱに徹している限りはいろんな料理にくっつけて出し易く、便利だったので重宝されていたわけだけれど、
お刺身コーナーでメインの料理を押しのけで葉っぱをメインに売ろうとするとこうなったと。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1643810.html
自分の中では腑におちたんだけどどうだろう。
ちなみに、この「そうだ、葉っぱを売ろう!」に載ってる話は日刊イトイ新聞で読めます。
http://www.1101.com/irodori/2006-10-13.html
http://www.1101.com/shimaguni/irodori/2007-08-20.html
http://www.1101.com/okane/yokoishi/index.html
最近震災復興にも関わっていらっしゃるようなので是非これだけでも読んでみて欲しい。
GWに法事で親の実家に10年ぶりくらいに強制連行されました。
よりによってかの陸の孤島と名高き人口が100万切ったか切らないかぐらいの某県に。
もうね、怖いの。
プラスどこそこのなんとか先生(町だか市なんだかの偉い人らしい)の話。
何一つ話題についていけねえ……!アウェーすぎる!!
政党と天皇家に関しては地雷臭がぷんぷん漂ってたので全力でスルーしました。
話題が車になったときだけ、「ええ!すごいですね!」「そうなんですかー」で乗り切ろうとしましたが、
車に詳しくないがためにいまいちうまく乗り切れず、ペーパードライバーという事実を告白せざるを得ませんですた。
祖母「○○ちゃんはでっかい車乗り回してるのに××ちゃんときたら…」
私ばっちゃが何をいってるのかよくわからないの……。
車って仕事で使う人以外でそんなに乗り回すものじゃないよね?遊び以外で使わなくね?
そもそも政党と天皇家と車となんとか先生って親戚一同が集まる法事で話すことでもなくね?
だがしかし発言力ゼロのアウェー星人は話題を変えることもできず
ただひたすら相槌うつしかないんだぜ!この恐怖をどうつたえよう!!
いなかこわいほんとうにこわい
「小沢氏側に裏金1億円払った」 水谷建設元社長証言
小沢一郎民主党元代表(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書3人の第10回公判が27日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で開かれ、中堅ゼネコン「水谷建設」の川村尚・元社長(53)が証人として出廷。石川被告らに手渡したとされる小沢事務所への裏金計1億円について「衆院議員会館の小沢先生の部屋で大久保隆規被告(49)から要求された。その後、お支払いした」などと証言、裏金の提供を明言した。
小沢元代表側への裏金提供を当事者が公の場で言及したのは初めて。
検察側の質問に、川村元社長は小沢事務所に営業活動を行った理由を「小沢先生の地元のダム。力が強い小沢事務所に反対されると工事に参入できないと聞いていたため」と証言した。
平成15年の社長就任以降、受注したい具体的工事名2つを挙げて大久保被告にあいさつや料亭接待を続けたところ、16年9月になって「それぞれの工事業者決定後に5千万円ずつ」と要求され、「同年10月15日と17年4月中旬ごろに支払った」と語った。
どうしてこの人に熱狂してる人が未だに居るんだろうな。
雪印の件は
信頼のあるブランドで、大企業が、組織ぐるみで、一般人がわからないところで、長年にわたり、偽装を 大規模に続けていた
こちらは、
無名のブランドで、単なる個人が、一般人でもわかるレベルで、初犯で、意図的か無知による事故なのかわからないかたちで、結果として偽装を 小規模に発覚した
という話。
ある意味、デパートでブランドもの買ってみたら、そのデパートのブランドが全部偽物で計画的犯行だった。という話と
って話ぐらい違う。
擁護するわけじゃなくて、ネットは危険だという意味で聞いて欲しいんだが
今回の件で言えば、事件性を警察が立証できるか?といえば、景表法違反と業務上過失は立証できるだろうけど
詐欺罪は、結果として詐欺になったでは立証されず、最初から、騙す意図があったことを立証しないといけないが、どうやって、この状況で騙す意図を立証する?
ランプフィッシュとかは、キャビアだと思ってました、缶にキャビアって書いてあるし。(実際ランプフィッシュの缶にはキャビアの文字がある)って言われたら立証は無理。
これが、デパートや高級料亭なら、そんなわけあるか、業務上知っていて当然という話になるが、カフェじゃ、今回はじめてなので知りませんでした。って言われたら終わり。
クールにしても、寒い季節だから大丈夫だと思いました。腐っていたのは即座に受け取らず取り置き期間があったからです。みたいな話をされたら、過失にはなるが詐欺は難しかろ。
まぁ、ネットの話をうのみにするなっていう良い教訓じゃない?
こんなの正直、イタチごっこ。
焼肉でロースは肉の部位の名前じゃありません、料理名ですって詐欺もどきが指導食らっただけなのが消費者庁の状況だし、至る所で起きてるか指導レベルなんだろ、この条件では、被害総額 500万円だが弁償済みで、額面が警察からみると小さいし、逮捕相手も小物だし・・・見せしめ逮捕でもない限り無理だろうが
・・・難しいんじゃね。
近場に旅行にでも行きたかったけど、なんとなく時間が過ぎてしまった。
しかたなく北千住に行ってみる。
プリンアラモードについての記事で成城石井のプリンがうまいって書いてあったから、それを食べてみたかった。
だが、実際に成城石井に行ってみると該当のプリンは置いていないようだった。
よく考えたら成城石井の惣菜は地域によってかなりラインナップが異なる。
納入業者が違うんだろう。そりゃそうだ。成城石井はたぶん各地の小さなお店から卸してもらってる。
コンビニじゃないんだから大規模にやってたら鮮度を維持できないだろうし。
とりあえず売っていたプリンを買ってきて食べてみたのだが、ごく普通のプリンだった。残念。
それとは別に、北千住に来てみるとお腹が減っていて、お腹が減っているせいでかなり気持が落ち込んできた。
最近食べていなかった魚を食べることにする。
マルイの9階でうろうろして、以前も入ったことのある「泊船」というお店に入ることにする。
ごく普通の料亭風和風居酒屋なんだけど、ランチのクオリティは高い。
北千住マルイの9階は和風の料理のほうがレベルが高くて、洋風の料理はなぜかファミレス風になってしまう。
ファミレス風のまずい店のほうが明らかに客が入っているのだが。
洋風の食事のほうにみなさんは飢えているのかもしれないな。
ここは一つ「卿は田中角栄のしっぽだな」とうそぶけば良かったのに。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100112/stt1001121221000-n1.htm
ミンスの一部、というか、小沢・鳩山ラインは「昭和のかほり漂う自民党」のような気がする。
権力の座に戻ったら強権発動して金儲けウハウハと考えていたのかもなぁと。
「おこづかいも権力の座についたら必ず返すよ、だから貸して、ママン」という感じで。
ただ思っていたよりスムーズにいかないのは、昭和の頃と違ってインターネットという伝達システムが普通に使われるようになってしまったからだろう。
料亭でこそこそと思っても、少しずつ情報が漏れだしている感じがあるのではないだろうか。
テレビ・ラジオ・新聞あたりで大本営発表をしても愚民がノってこないのは、不愉快であり、不気味と感じているかもしれないね。
まぁ、そういうところがしょせんは「田中角栄のしっぽ」なのだろうけど。
紀伊地方の、間伐材を使った割り箸づくりの会社に見学に行ったことがある。
林業としての森林を育てるには、間伐(余計な枝を切り落とすこと)が必須で、
コブがある樹はそこが横からの圧力に対して弱くなるので、
家作りには向かなくなるそうだ。
だから、一時期「自然のままがいい」とか言って
コブのついた柱でできた家が流行ったけど、実際には地震にすげー弱いんだそうだ。
で、何を言いたいかというと、間伐材を使った割り箸づくりは
昔から林業で暮らしている人の奥さんたちの作業として
スギやヒノキで、料亭に出すような立派な割り箸からフツーの割り箸までを作っていたわけ。
林業に従事している人のリサイクルである「割り箸づくり」が危機に瀕しているわけだ。
「割り箸づくり」なんて国内林業の完璧な「リサイクル」で、「エコ」なのに。
割り箸のためだけに伐採されて、怪しい漂白剤で漂白されるやっすい輸入割り箸と、
国産のリサイクルとしての割り箸を、ちゃんと分けて、消費者が選択できるよう表記して欲しいと思う。
値段が多分10倍くらい違うようになると思うけどさ。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00167229.html
事業仕分けで相次ぐ批判の声 鳩山首相「国というものがなんだかよくわからない」
「事業仕分け」について不満の声が聞かれる中、鳩山首相からはそうした声への配慮が聞かれた。一方、国会では25日から審議が再開されたが、ここでも小沢幹事長の発言力が増している。
25日、首相官邸で、日本人として初めて国際宇宙ステーションに長期滞在をした若田光一さんに「内閣総理大臣顕彰」が贈られた。
しかし、この場で話題になったのは、予算の話だった。
鳩山首相は「事業仕分けの中で、しっかり(予算)つけてもらわないと」と述べた。
さらに、ノーベル化学賞受賞者からも不満の声が聞かれた。
ノーベル化学賞受賞者の野依良治さんは「不用意に事業を廃止・凍結を主張する方々には、果たして将来、歴史という法廷に立つ覚悟はできているのか」と話した。
沸き起こる不満に対する配慮も感じられる鳩山政権。
こちらも「地方交付税」が仕分け対象になったことで、一部から不満の聞かれた。
そんな中、鳩山首相は「国というものがなんだかよくわからないのですが、国というものが力を持って、何でもがんじがらめで地域を縛ってしまう。そういうやり方は、一切やめたい」と述べ、この席で鳩山首相は「地方交付税増額の必要がある」と言及した。
一方で、民主党の小沢幹事長は24日、「首長は『地方分権、地方分権』と言っていますが、本音を聞くと、『このままで補助金だけいっぱいもらえばいい』という人が結構多いんです。そんなんじゃ、いつまでたっても地方分権はできない」と述べた。
そして、この剛腕は25日から審議が再開した国会でも見られた。
25日午前、衆議院の財務金融委員会で、自民党の後藤田議員が「半年先もお先真っ暗なんですよ。ガラパゴス法案」と述べたのに対し、亀井郵政・金融担当相は「あなたにギャーギャーこうやって批判され...失礼しました」と述べた。
衆議院の財務金融委員会では、20日未明に野党欠席の中、本会議を通過したはずのいわゆる返済猶予法案を、補充質疑として再び質疑の対象にした。
これについて、小沢幹事長は24日、「私が20年前の与党の幹事長に就任した時も、『野党が審議したいなら、いくらでもやりなさい』と(言った)」と述べた。
ここへ来て、ますます小沢幹事長の発言力が増す形となる中、24日夜、相次いで料亭に入る鳩山首相と小沢幹事長の姿があった。
そうした中、24日夜、鳩山政権発足以来、初めて鳩山首相と小沢幹事長が会食をした。
同席した山岡国対委員長は「和気あいあいと、お互いいい意味で気を使いながら」と述べた。
民主党幹部らが出席した中、隣り合わせで座った鳩山首相と小沢幹事長は、この場で、国会の会期延長時期について会話を交わしたとされている。
しかし、この2人には、延長の期間をなるべく短くしたいそれぞれの理由があった。
鳩山首相の資金管理団体をめぐる偽装献金問題で、資金の一部が、首相の母親が提供されたものである疑惑が浮上し、野党から追及を避ける狙いがあるとみられる。
同行するのは、国会議員の140人を含む、総勢600人を超える大訪中団とも言われている。
政治アナリストの伊藤惇夫さんは「長城計画という言い方をするんですけどね、万里の長城の長城なんですけど。この訪中については、小沢さんは非常に思い入れが強いものですから、どんなに遅くても10日前には(国会)閉めたいと」と述べた。
(11/25 19:20)
鳩山ってさ、徹頭徹尾、目の前の人間が喜ぶ事を考え無しにポンポン言ってるだけだよな。小沢は小沢で中国への忠誠を誓いまくり。長城計画とか未だに諦めてねえのかよ。
民主党政権になって、真っ先にダメージが生じたのが「料亭業界」であるという。
「居酒屋とか中華料理屋でやってしまう」ので、料亭を使ってくれないらしい。
「そもそも料亭が嫌いじゃないか?」と思える議員が、少なくない。
「費用ばっかしかかって、格式ばっていて、精神的に解放できない」と
感じているんじゃないか、と思う。
部長クラスエリートサラリーマンにも「共有」されつつあるんじゃないか、と思う。
1970年代80年代であれば、部長クラスであれば、これらの料亭を
活用して、官僚や他業種の重役との交流を積極的に行なっていた。
当時であれば、部長職は50代にならないと就任できなかっただろうが、
その部長たちは、料亭に行けることを「自分の出世の証」として、喜んでいたのである。
しかし、現代は、成果主義で40代の部長なんかが誕生するのであるが、
彼らは、別に料亭に対して、先輩たちのような「感慨」は持ち合わせていない。
単に、格式ばっているだけの「重たい世界」であり、
・本筋じゃないけど、
「ナイーブnaive」は、英語だと否定的な感じで使われることが多いので、
自分に対しても他人に対してもあまり使わない方がよいです。
・「『今のデフレ時代に、5000円も払ってる客をルールのみでベルトコンベアのように扱って、
やっていけると思うなよ?!』という圧力」をかけたいならば、
(チェーン店居酒屋の店長ではなくて)そこを運営する企業に手紙でも書いたほうがよいと思う。
もし、真摯にその意見が受け取られれば、別ブランドのチェーンが展開されるかも。
・もっとも、
お客様を「ベルトコンベアのように扱」うことでコストを下げているであろうチェーン店居酒屋で、
「5000円」も払うな。
どんだけ飲んでんだよ。
■ばななのウザッたさ
・単なるDQNでしょう。
「都会のチェーン店で起こっていることの縮図」にすり替えてしまうずるさ。
・そもそもが、融通の利きそうな馴染みの店に行けばよかったんじゃないの。
人脈があるんだから。
たとえば、最初から「近所にある閉店後の友だちの店」に行けば。
友だちなんだから閉店後の店をちょっと使わせてよ、って頼めばよかったんじゃないの?
貸切で時間延長してもらえばよかったんじゃないの?
友だちだから、迷惑かけたくなかったんですかね?
■店長のクソな感じ
・元の文章を読むと、「店員がOK」したのは「グラスをわけ」たことだけじゃないの?
(ばななより下界のルールに通じているであろう)飲食店のバイト店員なら、
一般に持ち込みを許可する権限が自分にあるかないか承知しているのが普通だろう。
・「『自分の店舗の売り上げを最大化する』というゴール」は、短期で考えるか、長期で考えるかの問題がある。
某コーヒーチェーンの創業者は、「若い女性をターゲットにしたかった。
そのためにはどうしたらよいか考えた結果、オジサンが入店しづらい感じにした。」と言っている。
・私が店長だったら、(オーナー店長であっても、チェーン店の店長であっても、)
馴染みでもない、「異様な年齢層やルックスや話し方」をするグループが、
何の断りもなしに持ち込みワイン飲んでたらカチンと来るだろうなぁ。
咎め方は工夫するだろうけど。
■ルールが絶対のお店はアリかナシか。
・「大切な会であれば、絶対にチェーンなんかに行かない」に同意します。
それが普通だと思う。
なぜ、「よしもとばなな様」御一行はチェーンへ行ったんだろ?
・「ばななのウザッたさ」を感じる理由のひとつは、
と言いくるめようとしているところにもありそう。
言いたいことがよくわかりませんでした。
■結論としておもったこと
・世代論は関係ないと思う。
私も、私の親(←当然元増田さんより年上)も、
飲食店で勝手に持ち込み飲食をするのはマナー違反と認識している。
・「もう少し弾力的」にしようとすれば、それが価格に跳ね返ると思うが、
それを納得できるかどうか。
・ちなみに、御存知かもしれませんが、
むかしは(今でもあるのかな?)フィッシングで有名な観光地へ行くと、
「お客様が釣った魚を調理してお出しします」みたいな張り紙をつけた料理屋があったりした。
調理や席や給仕を提供するので、無料ではない。
まともな料亭であれば、原材料費は3割ぐらいらしい(これも古いかな?)ので、
このとき払う料金は想像してください。
■http://anond.hatelabo.jp/20090720144526
玉子屋って何?
ちゃんとググってから聞きましょうね!
君は、調べもせずにわかりません!とかいう新人もしくはいつまでも新人気分の使えない準新人でお荷物でしょ??
関係ないけど入社式の時の弁当はうまかったなぁ…三越の弁当の1000円強のやつでもあんなうまくはない。どんだけ高いやつだったんだろう。あそこまで行くと料亭で食ってるのと変わらんね。場所が会社ってだけで。あぁまた新卒に戻りたい入社式の弁当だけ。
君のところの会社は立派だね。それは会社が立派なだけですからね。
しごとできないなめてる奴だろうな。かわいそうね。
その記事のコメントがうけるw
今年で32歳になります。この記事を拝読しましたが、なるほど、わが意を得たり、という心境です。私自身は経済的にも文化的にも余裕のある家庭に育ったため、料亭などに連れて行ってもらったことが「雰囲気を楽しむこと」を理解する端緒となったと感じています。しかし、低所得の家庭で育ち、幅広い経験をつんでいないため「店には格がある」ことを知りえない方々もいます。さらにこのような方々は教育が十分でなく、素直さがないなど学習能力に欠ける方が多い印象を受けます。このような方々にとってこの記事は「馬の耳に念仏」でしょう。非常に残念です。
山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組・山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨の料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続の儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉、大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員、神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年)1月、大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚・塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年)1月、山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区浜新町に神戸中央卸売市場の建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組は大島組と対立した。同年7月、神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃や日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所の家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島組本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日、神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。
溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房、2002年、ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房、2006年、ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店<徳間文庫>、1982年、ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年)1月、須磨の料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日、須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客・守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日、守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから、山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名は森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月、山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場が開業した。山口組は中央卸売市場の利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年)1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年)4月、山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年)4月、山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ、美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田と田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼や総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀で組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長・吉本せいと会い、吉本興業の東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せいが東京・新橋演舞場で大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分が東京にいる間は、浪曲師・広沢虎造を吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草の浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造を吉本興業の専属にすることと、広沢虎造のマネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名は山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年)1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオン・ピストン堀口と挑戦者・ジョー・イーグルの東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋のスポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年)1月27日、国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグルの東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組は国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地の菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察に自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組・藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸支部長となった。同年7月、広沢虎造が吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日、浅草の浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日、山口登は東京・浅草の浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年)10月4日、山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。