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はてなキーワード: 挑戦者とは

2011-09-06

後悔

やった後にしなきゃよかったなんて思うくらいならやんなきゃよかった

VS.

やらずに後悔するならやった方がマシ


みたいな一人ブレストを開始しま

いずれも個人の、狭い認識から継ぎ接ぎした事例と分析なので、広く一般的に通用するわけでもなければ書き手自身に意味のあるものとなるとは限りません

意義や結論を導ききる気は多少はありますがさして信念というものを持たない(保てない)ため


まず、前者の言い分ですが、こちらは経験者の語る情景です

既にやったことに対して、その行為の意義の無さや無常観、もとより始めからそうなることの予感をえていた様子

もうこころからの後悔と、二度とそれをしないことへの決意じみた卑屈さがあります


転じて、後者では未だ結論がでていない事物に対して拙速に取り組もうとする、これから事を成すものの、挑戦者の態度です

彼/彼女は自身や自らを取り囲む環境に対し、現在を事を成す時と定めます

それが未知なるもの対峙する態度として、或いはそれが分かりきったこととして

それが唯一の正解というべきものにせよ、誤りであると気づくための数ある道の一つにせよ


と、ここらで飽きました。

ここで対立する2項はあらかじめ不可分なもので、それをひらいた切り口は、単純に行為をした、前後に分断されているだけだと云うこと。

どちらにもそれなりに合意できる同機と反芻する点があって、それを比較してみたかっただけなのだとわかりました。

(いつもの如く、有意義な結論を探し出すのに飽きた。といってはもったいないけれど)


ただ、両者のような態度のどちらも取り込んでおけば、やることなすことを、同じことを同じように繰り返し続けることはなくなるのではないかという淡い希望を持ちます

2度はやるまいと思った事を2度とやらない。かつ、未知なること(言い換えると、新しいこと)に対する試行を続けること。

これらの指針/原則に従い行いを繰り返しすことが洗練された方へ向かう手段ともいえる。

(他にもありそうだし、なんかのアルゴリズムで言うところの局所解に陥る可能性も充分ある。)


今日はもういいや。つかれた。

2011-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20110426183056

じゃあ強くなかったんですねwwww

てことは英雄でもないですねwwwww


そして、挑戦者に対する肯定こそが、きっと次なる反社会分子を生んでくれると信じてもいるわけですよ。

遺伝みたいで気持ち悪いねwww

2011-04-15

酔って書くAKBモー娘。の対比

去年AKB48にちょっとはまった。

特にチームKが好きだ。

去年だから、チームの発足からはかなり時間が経っている。AKBといえば劇場だぐらいの知識はあったので、とりあえずYoutubeニコニコあたりでライブ映像を見まくった。CDDVDを買うにしても、曲が多すぎてどれから手を付けていいかさっぱり分からなかったからだ。

で、「生歌」とタグがついている動画を見て、ああやっぱこれだけ踊ってたら生歌じゃないよな、と思って、生歌を聴いてみたいと思うようになった。

そこで「生歌」をキーワードにして、また映像探しをした

普段はあるバンド全員男)を聴いていてライブに行くのが楽しみ、ライブアレンジが楽しみでしょうがない、という感じなので、録音音源=その場のアレンジがなくて残念だと思ったのだ。ライブならやっぱ、一言のかけ声みたいなやつでもいいからその場で出してる声を聴きたいから

Youtubeで生歌で探した結果、右におすすめとか関連動画って出るじゃん?あれにモーニング娘。が出てきたのだ。今現在モーニング娘。

すごい!と思った。特に高橋愛田中れいな。ファンが作った動画だったしコメントもファンが書いてたから、それ読んでテンション上がって余計すげえな!と思った。


AKBは生歌あんまりない、ということを知って残念だった。ものすごくものすごく残念だった。

俺はライブ=そこで歌ってる、だからダンスしてる姿も見たいけど、やっぱり自分がいる場所で同じ瞬間に、その場で出してる声が聴きたいから

酷なことを求めてるなとは思う。

スケジュールは詰めまくりで、あれだけ人数がいて、あれだけ踊りまくって、なおかつうまく歌えというのは、惨いと言ってもいいと思う。なんか、ごめんなと思う。



AKBモー娘。動画ランダムに見ながら、色んな思いがわき上がってきた。アイドルに触れるのはほぼ初めてなので、ちょっと距離を置いた視点だったかもしれないけど、まだ十代〜二十代半ばぐらいまでのこの子達の将来が幸せであってほしい、というようなものに総括される思いだった。

AKBにはある種の痛ましさがある。今しかないのだ、今だけなのだというような、女性アイドルなら仕方のない刹那感。そして背後の操作が非常にうまい楽屋裏も込みで売っている、そしてそれを皆暗黙の了解で呑んで今を追いかけている。

モー娘。にはそれがあまり感じられない。戦略上それを見せないということかもしれないが、タフでストレートパフォーマンスだ。その場で見せられるもののみで勝負しているように見える。

また、モー娘。にはやはり「世間一般の目線は全盛期は過去であった」がつきまとう。あまりそこに悲しみがないのが不思議だが、世間の目やメディアの目はそうだろう。斜陽ながらも戦う王者だ。いや本当に、シングル曲のタイトルとかはマジでかわいそうになるぐらい酷いけど、ライブ彼女らは本当にかっこいい。乱れることもちょっと外すこともある、生の声の力はすごい。

AKBは今もまだ「これから」だ。後発が先発よりも優れているのは常に大前提(だと個人的には思っている)なので、もっと伸してくるだろう。まだ彼女らは挑戦者だ。展開も先発の成功/失敗に学んでがんがん行ける。バラエティ冠番組で見る彼女らは、側面をもっと見たい知りたい好奇心をかきたてるし。


AKB vs モー娘。のバトルを見られたらすごくいいんだけどなと思っている。

楽曲面だけを見ればAKBがかなり勝っていると思うので、モー娘。プロデュースをもっと頑張ってほしい、その上でアイドルの二強状態をものすごく見たい

モー娘。というかハロプロ全体をざっと見ていて思ったが、本当に、本当に、残念なのであるつんくもうちょい考えろ。なぜだ、なぜお前は同じ男なのに分からない?

直接的すぎるんだ、モー娘。の歌は。いくらメロディーラインが美しくてもタイトル歌詞萎える。ど真ん中っていうのとそのままっていうのは違うんだよ…そしてなぜかやや古い。古典青春の輝きぐらいまで古くなくて、絶妙に「思い出すと恥ずかしいレベルの古さをなぜかずっと保っている。いくつなんだよお前は。

秋元康はそのあたりめちゃくちゃにうまいストレートテーマを、その単語を使わずに思わせる、そういうのが本当にうまい青春時代鬱屈して過ごしましたかわいい女の子に憧れてしょうがなかったけどそれだけでした、そういう思いをワンクッション置いてぶち当てましたたいな、まあ共感するのだ。有り体に言うと。

それが意図的なものだったとしても、気持ちよく乗っかってしまえるなら関係ないし。曲に乗らないでも詩として成り立っているというか。


俺は勝ち負けを笑いたいんじゃない。弱肉強食世界だって言うのは分かるけど、ファン同士でワナに引っ掛けてライバルアイドルを落とすようなのは嫌だ。

いい曲が聴きたいアイドルしか歌えないいい曲っていうのは確実にあるからアイドルが歌うその姿に見惚れたい。歌に入れ込みたいプロデューサーにはこっちの心をくすぐってほしいし、その歌にどっぷりハマらせてほしい仕事の疲れいやしたい。




いつまで彼女達のことを、このアイドルグループの中で見られるのかなと思うと、涙が出そうになることがある。女性アイドルは後からから幼い後釜が出てきて、活躍できる期間は大体短くて、そのことを思うと悲しくて仕方がない。

からいい歌を歌ってほしいもったいない使い方をしないでくれよ。

2010-10-09

木金、竜王戦がはじまる

名人と並ぶ称号、竜王。この二つを同時に得てこそ、将棋界のチャンピオンといえよう。



名人になるにはまずいくつか方法でプロ棋士にならねばならない。そしてプロ資格を得るとまず、序列で最下位の地位を得る。毎年、プロ棋士160名ほどを5層に分けたリーグ模様の対局を行い、各層の成績で上位下位の2~4名を入れ替え序列も整え直す。これを順位戦という。最上位のA級には10名の騎士が在籍し、各棋士がそれぞれ年9局を戦い、最優秀者が名人への挑戦権を得る。

名人になるには最短でも5年もかかり、さまざまな相手に勝ち続ける必要があるので、安定した実力がなければ名人にはなれないであろう。

竜王になるには一年でよい。そして女流枠や資格が必要とはいえアマチュア枠もある。そのかわり、竜王戦で実績を積んである1組16名から5名、2組16名から2名、その他3~6組130名ほどから4名のなかに選ばれ、さらに11名からなる変則トーナメントを駆け上がらなくてはならない。特に3~6組に割り振られたら誰にも負けずに駆け上がらないと挑戦者資格は得られない。

竜王になるには、たった一年間でもいいが、その間は誰にも負けないほどの実力が必要となる。



竜王渡辺明。20歳から6年間その座に就いている。竜王戦にて倒してきた挑戦者も森内、佐藤(康)、木村、と実力者ばかりである。名人挑戦への道である順位戦も、苦労しながらようやく挑戦者リーグであるA級に食い込んだ。いま成績三位であり十分に挑戦権を狙える位置にいる。そしてなにより牙城の竜王戦、土壇場で絞り出される底力は凄まじいものがある。

名人羽生善治40歳に到達するがますます強さを増している。七冠独占をはじめ、20年間近くどれかのタイトルを保持し続ける、対局相手のほとんどがトップレベルにも関わらず千局以上指して勝率が七割を優に超える、あと一度でも竜王を奪れば全七大タイトルで永世・名誉位が揃う。さらに今年度は現在勝率八割をも超え、王座戦では19連勝中での19連覇中と勢いが止まらない。

そして、二年前を思い出す。

そのときも渡辺は、羽生竜王挑戦者として迎えていた。大局観、読み、研究手を咎められ、渡辺は三連敗し、崖っぷちに追い詰められた。後が無い第四局目も玉将を裸にされ、負けたかとうなだれる。しかしギリギリで詰みがないことに気づき、攻め、逆転勝ちを収めてしまう。そして続く第五・第六局を絶好調の羽生相手に圧勝、乱戦の最終局まで決め手を躊躇させたのか制してしまう。将棋界初のタイトル戦3連敗4連勝が刻まれた瞬間であった。

あれから二年。今年の挑戦者は、羽生善治名人



竜王戦が、はじまる。

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注:誤りが無いようにと努めてはおりますが、記事の内容は保証しません。

2010-08-19

羽生の神の一手?について

http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100818/p1

このエントリの△3六歩について

盤面の局面は、後手(羽生)わずかに有利だが互角の形勢

先手(久保)が後手の王に迫っており、後手も上手く指さないとこのまま互角の戦いが続くかもしれない終盤の局面です。

 

件の△3六歩は、確実に先手の王に迫る手ではありますが、それ自体は、先手の王に危険が無いなんでもない手であり

(次の3七歩成を実現させて初めて厳しいが、それもまだ詰めろではなく先手に余裕がある)

上のエントリの通り、先手にそのまま攻めきられる手が無いとも限らず

ここで3六歩と歩を進めるのは、一見、どうぞ攻めてくださいと相手に攻撃の手番を渡し、形勢を互角に戻すぬるい手、いわゆる「緩手」であるおそれがありました。

(実際、すぐに角をとって、3七歩成とした局面から、先手が正解を指し続ければ、わずかに先手がしのいでいた可能性があるようです。)

ですので、プロの第一感からは、こういう手は成立しそうにない(他にもっと良い手があるはずだ)となったのでしょう。

 

上記エントリは、わかりやすく説明されているおかげで、逆に当然の一手のような感触をもつかもしれませんが

リアルタイムで観戦していると、この手はtwitterにおいても2chにおいても「羽生さんやらかしたかも?」というような懐疑的な反応でした。

(こういう手を読むのが不得手ともいわれていますが、ソフトの形勢判断でも一気に先手わずかに有利だが互角の評価に数値がふれました。)

しかし、よくよく検討してみると、、

あれ?待てよ?後手に迫る順がどう指しても見つからない。

久保残り10分…これは迷う…。

やっぱり、後手の王がどうにも寄らない。

寄らないよ、寄らないんだよ!羽生すげえええええ!!

と、なったのでした。

羽生さんのコメントによると、他には「全然攻め手がないんです」だそうで、これ以外の手にはアヤがあり自信が無い、必然の一手と見ていたのかもしれません。

もしかして先手が指せる順があったのかどうかは解説を待つことになります。

 

そもそも、この対局、後から考えてみると意味がわかる、一見意味がわからない手が他にも指されており

54手目の△8六歩も、打った瞬間、先手に明快な攻め筋があり、どうぞ攻めてくださいという意味が掴めない手でした。

(後の検討で他の攻め方をすれば先手十分とされる筋があったようです。)

エントリの局面でとられそうになっている4九角を打った44手目を羽生さんは失敗したと反省していたとのコメントもあることから

後から意味を推測するに、4九にいる角を復活させるための手(角を左金ではなく右金でとらせるため)だったのかもしれなかったり

そして、これまた検討されていなかった8六歩、そして後の3六歩に繋がる62手目の△2八歩打という手もあったりで

このような怪しげな歩の連発に、終わってみると、これをどこから読んでいたんだ…。あれが指せる羽生さんはやはり恐ろしい。

と思わされた人が多かったのではないでしょうか。

 

どなたかが、対局後に「神対人間代表の対局。人間代表の久保はよく頑張った。」と書かれていたのを見ましたが

これは言い過ぎとしても、リアルタイムで中継を見ていた人ほど、3六歩に集約される一連の手に人外の何かを思わされる羽生さんの快勝譜でした。

しかし、久保二冠も本当に強い棋士で、この2人の対局は現在の棋界No.1対No.2の黄金カードですので

次の竜王挑戦者決定戦第2局もどのような将棋になるのか、楽しみですね。

 

棋力もないし、説明も上手いとも思えませんが、指された瞬間の空気をフォローしてみました。

 

とにかく、将棋って面白いんですよっと。

2010-02-11

コミックプロジェクトX挑戦者たち

すげー今更・・・


1.日米逆転!コンビニを作った素人たち

2.執念が生んだ新幹線

3.日本初のマイカ-てんとう虫町をゆく

4.ツッパリ生徒と泣き虫先生

5.82億食の奇跡

6.夢のロ-タリ-エンジン誕生

7.翼はよみがえった

8.炎上男たちは飛び込んだ

9.液晶執念の対決

10.腕と度胸のトラック便

11.東京タワー恋人たちの戦い

12.制覇せよ世界最高峰レ-ス

13.決断命の一滴

14.厳冬黒四ダムに挑む

15.男たち不屈のドラマ瀬戸大橋

16.運命Z計画

17.8ミリ悪魔vs特命班

18.海底3000メ-トルの大捜索

19.男たちの復活戦デジタルカメラに賭ける

20.富士山レ-ダ-巨大台風から日本を守れ

21.パンダ日本にやって来た : カンカン重病・知られざる11日間

22.救命救急ER誕生 : 日本初衝撃の最前線

23.爆発の嵐スエズ運河を掘れ

24.わが友へ病床からのキックオフ : <Jリーグ&gt;誕生・知られざるドラマ

25.桂離宮職人魂ここにあり : 空前の修復作戦

26.日本初のハイウエー勝負は天王山

27.魔の山大遭難決死の救出劇

28.友の死を越えて : 〈青函トンネル〉24年の大工

29.運命の滑走 : 日本人力飛行機に挑む

30.王が眠る神秘の遺跡 : 父と息子・執念の吉野ヶ里

31.幸せの鳥トキ執念の誕生

?.国産コンピューター : ゼロからの大逆転



最後のなんなんだ?データがよーわからん

2009-12-13

できない理由を連呼するエンジニアは退場しろ

日本じゃエンジニアがスパークできない理由を探しまわるのが一部の人達で流行っているようです。とても恥ずかしいですね。

エンジニア金持ちになって次の世代を作る未来 - 狐の王国

http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20091211/1260534895

日本エンジニア成功事例が少ない理由

http://d.hatena.ne.jp/kuippa/20091212/1260601439

日本シリコンバレーを作る方法

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20091211/1260501509

どいつもこいつも「日本じゃエンジニアが成功できない理由」を書き連ねてるわけだが、アメリカ除けば日本トップクラスに恵まれた国だって。中国みたいに非民主的な規制は無いし国内市場は大きいしネットインフラは揃ってるし。東南アジアとか実際ひどいぜ。中国じゃお上のさじ加減ですぐ潰されるんだぜ。

なぜアメリカと比較して劣ってるからといってサジを投げるかね。それ本人の資質の問題だろ。あなたがブログ愚痴ってる間に成果を出し続ける日本人エンジニアは星の数ほどいるだろ。

なんでこうも一部の人達は「できない理由」を述べてそれで満足するかね。KoshianXって言う人は以前こんな事をtwitterでつぶやいていたんだが、矛盾しまくりじゃん。

「できない理由」がダメだって言ってるのは、そんなもんは考えればいくらでも出てきちゃうからなんだよね。結局何もできなくなっちゃう。だから物事を動かすには「できる理由」しか必要じゃない

http://twitter.com/koshian/status/5148178719

なにこれ超自己矛盾。自分の都合のいいことをその場の思いつきで述べる人間に見られる特有の現象ですね。


あなたは40年近く生きてきてイノベーションとやらを起こそうと一度でもチャレンジしたことがあるの?してないっしょ!絶対やってない。挑戦すらしてない人間イノベーションを起こせる風土を作りましょうなんて片腹痛いって。あなたは評論家じゃなくて行動する側の人間じゃないんですか?ここでも自己矛盾しまくってますよ。


日本人エンジニア(非web)は今まで世界リードするイノベーションをいくらでも起こしてきたじゃん。なんでこうもwebの一部の連中は「できない理由」をブログでぐちぐち述べたがるかね。君が世界の片隅で叫んだところで得られる賛同は同じ非挑戦者からだけだし、世界は何も変わらないよ。あなたがもしアメリカに生まれて今シリコンバレーにいたとしても、同じような愚痴ブログで述べて同じ非挑戦者同士で傷を舐め合って短い生涯を終えていたんじゃないでしょうかね。



written by 良家ver.2

2009-10-27

バイク市場の没落

若者の車離れが嘆かれている昨今だけれども

オートバイ業界もたいへんにピンチな状況に陥っていて、

たまに「なぜなのか」「どうしてなのか」という議論がされているのを見かける。

答えは簡単で、「金がかかるから」だ。

家庭用ゲーム機が高機能化したからでもなければ

おしゃれ感覚に乏しいからでもない……駐車場問題はちょっとあるな。


スクーターから一歩踏み出して

ギア付きの原付バイクに新車で乗ろうと思ったら乗り出しで20万オーバー

ギア付きバイクに乗ってみたいと思う奴にとって原付きは単にステップにしか過ぎないのに

そんなに出せるわけがない。

じゃあ中古をと思っても乗り出しで10万オーバー

ヤフオクで激安中古車を買って手に負えなくて無駄金になるパターンもあるだろう。

ここで結構な数の挑戦者が脱落していると僕は思う。


じゃあ普通二輪(中型)はどうかっていうと

探せば低コストの250シングル新車が25万ぐらいからあるかもしれないけど

まともなスポーツバイク、まともなオフロードバイク、まともなアメリカンバイク

中古でも20万では乗れない。

免許取得だって今はすごく高いのに、そんなに高いバイクが買えるわけがない。


四輪の中古車の、年式に対する相場価格に比べて

バイク中古車のそれの何と高い事か。

希少車はまぁしかたないとしても、それに便乗する形で

オールドバイクの値段を一律に引き上げたのはまったく愚かだった。

部品の欠品が出ているような、

言ってみりゃポンコツのバイクが新車みたいな価格なんて

まったくおかしい事なのだ。


中古バイクの値段が適正になれば、

バイク人口は多少は増加すると僕は思う。

そりゃ20年前からは物価も上がっているかもしれないけれど、

嗜好品である事や少子化を踏まえると

デフレを念頭に置いた市場でなければならないはずなのだ。

そもそもサラリーマンの平均小遣いだってその時より減っているだろう。


具体的な数字を勘で言うと、

新車のギア付き原付きの不人気車が12万で乗り出せて、

中古の250オフロードバイク

不人気の低年式国産250アメリカンが15万で乗り出せる

(いずれも整備済み)、ぐらいが今の市場に見合っていると思う。


毎回300V入れるような上客も大事かもしれないけれど、

裾野を大事にしなけりゃ将来はないだろう。

それには店先を横目で通り過ぎるご新規にアピールできる値札を付ける事だ。

そんなのやってられない、というなら滅んでいくんだな。


と、超ペーパーリターンの女房バイクを物色しながら考えた。

ギア付き」→「マニュアル変速」という突っ込みは回避しておく。

2009-07-17

GIGAZINE yyoutube動画貼り付けに物申す

3分以内に完成させなければ爆発、おもちゃショー1日目の挑戦者が全滅した「熱闘3分 カップヌードルゲーム
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090716_nettou_cupnoodle/

GIGAZINEにしてはめずらしくyoutubeを embed タグ動画を貼り付けたエントリだが(いつもはyoutube動画紹介でもスクショのみ)、そういうエントリに限って再生しようとしたら

「これは非公開動画です。この動画を送信された場合は友だちリクエストを受けてください。」

とは悲しすぎだろ。

2009-07-13

http://iida.jp/calling/

2009-05-26

私のおっぱいは何のために付いてるか。

私の、おっぱいは何のために付いてるのかってことを真剣に考えた。

30歳。

処女

誰にも揉まれない。

自分で揉んでみたら、泣きそう。

ましてや、赤子に吸われるなんて夢のまた夢。

もう気が遠くなるくらい、この用途の無い二つの玉を、ボクサーグローブよろしく、肩にかけて暮らしてきた。

戦う相手も見つけられぬまま。

30年シャドーボクシング


ああ、こんな私のおっぱいの先にも、やはり乳首はついていて、

こんな駄目な私にも、平等に飾られた乳首という栄冠も、

最近は肩を落とすばかり。

我先にと、立ち上がる準備はできていた。

教師より、びんびんに。

そんな勇姿も影を潜め、誰にも見られることもないまま、

勝手に上を向いて、

そっと自分なりの精一杯でたわわになって、

そして、今、そっと項垂れつつある。


おまえの存在意義を問いたい。

君は、こんなとこでくすぶってるようなヤツじゃないんじゃないのか。

もっと、やれるんじゃないのか。

それこそ私なんかの傍で、一生を終えていいのか。

おまえに捧げられる舞台なんて、一度も踏めないかもしれない、不甲斐ない私の傍に、今日もいてくれるのか。


乳よ。


右乳は、「いいんだよ」と笑った。

揉まれるだけが、乳の生き方じゃない、と。

時に、心のエアバックとして。

うつぶせ寝用の抱き枕として。

ブラジャーの購入を促す経済効果として。

三段腹の目くらましとして。

そして、いつも一人で泣いてるおまえの良き理解者として。

左乳なんて、「何言ってるんだ」とちょっと怒りだしたりしてさ。

おまえだけのせいじゃないんだよ、と。

ぼくら乳にも至らない点がたくさんあった。

むしろぼくらがもっと頑張れれば、おまえを夢の舞台を立たせることだってできたかもしれない。

ぼくらだって力足らずだったんだ。

だから、もう、そんなぼくらと、一緒にいてくれたってだけで・・もう・・。


ごめんね、ごめんね。私は猛省したよ。

一瞬でも、君たちを疑ったりして。

そうだよね。私のおっぱいは、今日も私のために付いている。

誰も私のおっぱいのためにバレーしたりしないけど、

必死についている。

私にしがみついている。有意義に。


だから、私も必死に何かにしがみつきながら、

青コーナーからの挑戦者を待ち望んでいるんだ。有意義に。

2009-04-18

山口登(二代目山口組組長)

山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年1月大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年1月山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区新町神戸中央卸売市場建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組大島組と対立した。同年7月神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。

溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房2002年ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房2006年ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店徳間文庫>、1982年ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年1月須磨料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場開業した。山口組は中央卸売市場利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年4月山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年4月山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長吉本せいと会い、吉本興業東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せい東京新橋演舞場大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分東京にいる間は、浪曲師広沢虎造吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造吉本興業の専属にすることと、広沢虎造マネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオンピストン堀口挑戦者・ジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋スポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年1月27日国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸部長となった。同年7月広沢虎造吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日浅草浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日山口登は東京浅草浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年10月4日山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。

2009-02-12

喪男は何故ネットで女を叩くのか

あれは実は女について語りたいのではなく

自分喪男への認識に対する異議申し立てである。

一般通念のモテない男像はこうだ

1・めげない果敢な挑戦者

2・恋愛セックスへのモチベーションが非常に強い

3・女性に憧れやロマンを抱いている

4・女性に声をかけてもらえると有頂天

コミカルで無様で性善説的なコンセプトのキャラデザインだ。)


現実喪男像はこうだ

1・怯える棄権

2・成功体験も見込みも乏しい分野から退場、逃走中

3・女性嫌悪女性恐怖が潜在意識下にうずまいている

4・思春期の楽しくない思い出の象徴なので苦手意識でキョドる

(上のヤツより好感を持たれにくいであろう人物像だ。

 何より、女性から見ても社会から見てもコレクトでない。)



このようにして日陰を通って社会人になった喪男

ついにデート文化や支配的マーケティングとの接続が切れたハリジャンとして生きてゆく。

不可蝕民も長くやってれば悪くない 自由人気取りのそれなりの自負も芽生えてくる。

思春期に嫌な想いと劣等感のみ押し付けてきた恋愛価値主義に折り合わないままのスタイルを形成したぞ!


―そんな時、喪男達が嫌悪し恐怖するマーケティング恋愛価値主義から手紙が届く

 出席したくない故郷同窓会の通知のように。

「そんな生き方お辛いでしょう、今からでも頭を下げれば我々のヒエラルキの下積みぐらいにしてあげますよ」

「一生彼女結婚相手もいなくていいんですか。ほら、電車男とか草食系とかブームですよ。素直になれば恵んであげますよ」

含み笑いを浮かべ、大喜びで乗ってくることを確信した、上から差し伸べられた手。

こいつら金使わず小金溜め込んでるみたいだから、楽しいことを教えればたっぷり絞れるぞ!



普段は爬虫類のような喪男達もここばかりは声を荒げないといけない

「いらねーよ!」と。「とっくにお前らと縁切りしてるだろう!」と。

「なんだよスイーツ(笑)って馬鹿馬鹿しい!」と。

結婚しそびれた婚活(笑)女を紹介すれば大喜びで下取りすると思ってんじゃねえ!」と。


成り行き、女をいじめ馬鹿にして喜んでるみたいに見られることが多いがそうではなく、

依然として女は嫌悪と恐怖の世界の使者であることは変わらず、

その背後の支配的価値観の含み笑いに全力で異議を申し立てているだけなのだ

(なので、背後が見えない女、アウトサイダー変人女や喪女、には寛容で穏やかな反応をすることが多い)


みなさんもネットの女叩きを見たら、

外敵に圧迫を受けてトサカを広げて毒液を吐いてる、普段は日陰でうごめいてる変なトカゲ

認識するのが間違いが少ないと思う

ジュラシックパークに出てくる珍妙なアレ

2009-02-05

ソフトバンクイーモバイル提携考察

SBモバイルとイーモバ、高速データ通信サービスでの協業を正式発表

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090204-00000031-rbb-sci

ソフトバンクイーモバイルの協業はモバイル業界PC業界の融合を早めるものである。

昨日から報道されていたようだが、SBイーモバイルが高速データ通信分野で提携発表している。SBイーモバイル回線MVNOの形で利用するもので、双方にメリットのある協業となっている。

イーモバイルはかねてからデータ通信に特化し、サービスを展開してきた。ビジネスマンを中心に指示を集め、着実にシェアを伸ばしている。一方ソフトバンクは言わずと知れたホワイトプランで大きくシェアを伸ばしており、純増数ナンバーワンは見慣れたものになった。

この日本のIT業界の盟主、ソフトバンク戦略は、PCモバイルの融合の一歩ととらえることが出来る。この提携により以下の現象が予想できる。

ケータイ電話PC

 これまでモバイルサイトPCサイトは別物として展開されてきたが、データ通信による高速化と外出先でPCサイトを見ると言うことが恒常化し、PCサイトモバイルサイトの差がほとんどなくなるものと思われる。

②既存のケータイ電話サービスを超えたサービスの提供

 既存のケータイ電話で提供できるサービスはほぼほぼ出尽くした感がある。一歩抜け出たサービス創造させるには既存のパケット通信によるものでは限界があるため、そこから抜け出る必要がある。ケータイ電話でのリアルタイムオンラインゲームなどPC上のインターネットでは普通に出来ていることがケータイでも提供されるだろう。

WiMAXの無効化

 ソフトバンクWiMAX免許が取れず、頭に来ているのだろう。WiMAXの次期企画である3.9Gまではこのイーモバイルとの協業で乗り切るつもりではないだろうか。そもそもWiMAXと3.9Gの登場までの期間はそれほど間がない。またいくらWiMAXの通信速度が現状の3.5Gに比べ早いとはいえ、現在携帯電話スマートフォンネットブックなどの機器スペックが追いついておらず、結局通信速度(反応速度?)にストレスを感じる羽目になっている。それではあれば、無理をしてKDDIに頭を下げてWiMAXに参入するよりはイーモバイルと組んで3.9Gまではやり過ごすほうが懸命ではないだろうか。

いずれにせよ、彼らのタッグは注目したい。どちらもモバイル業界では挑戦者である。思う存分に暴れ回って既得権益を崩してほしい。

2008-12-16

克目せよ!竜王戦最終局

渡辺竜王羽生名人か、初代永世竜王の座を掴むのは。いよいよ竜王戦最終局が明日午前9時に始まる。

竜王位は名人位と並ぶ将棋界の最高タイトルであり、唯一無双の最高額タイトルである。挑戦者アマ女流を含めた実績考慮の変則的トーナメントで決定されるため、トーナメント出場資格以上の実績が無くとも連勝さえすれば最底から一気に挑戦者となることができる。7回の保持または5連続の保持で永世位の資格を得る。

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羽生は最強の棋士である。7大タイトルの独占後も無冠に落ちたことはなく、7戦以上して負け越している相手はゼロ。勝ちまくるため自然と強い棋士との対戦が多く組まれてゆくにもかかわらず生涯勝率は38歳にして7割を優に超えている。複数回や連続年度獲得すると得られる永世名誉位も6つ手中にし、残る永世竜王位もあと1局を残すのみとなっている。あらゆる戦形を指しこなし、長期的視野にたって目先の1局だけでなく後々に経験が生きるように指すことも多いと自他共に言われていたが、今期竜王戦だけは勝利に徹した差し回しを選択していると噂されている。

迎え撃つは24歳の渡辺である。羽生と同じく中学生プロ棋士になり、若干20歳で竜王位を奪取した。その後も強敵相手に防衛を重ね4連続保持の最中のため、この1局に勝てば永世竜王位の資格を得る。しかし獲得したタイトル竜王だけであり、また羽生を倒してのタイトル獲得防衛ではなかったため、他の一流棋士に厳しく評されることもあった。将棋純文学と形容される本格的な戦法である居飛車、矢倉、穴熊に強い。

二人は5年前にタイトル王座を巡ってフルセットを戦ったが、最終局終盤で羽生は手が震えて駒がまともに持てなかった。しかしその後は不思議なことにほとんど対局は行われず、今年の五月にネットでの対局が組まれたときは、なんと羽生コンピューター操作にトラブルがあったようで時間切れ負けとなってしまう。そのために事実上最強の羽生と最高タイトル竜王を保持する渡辺が並存するという奇妙な状態が5年も続いていた。しかし、遂に羽生竜王位に復位せんと勝ち上がってきたのである。

こうして若手の渡辺竜王に最強の羽生名人が挑戦するという、感覚とは逆の不思議な大勝負が実現した。

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第1局はパリで行われた。これで勝つはず筈とほとんどのプロ棋士が思った渡辺竜王の攻めを、羽生自分だけが観えていた大局観で凌いで羽生挑戦者勝利。格の違いを見せ付けられたようだった。

第2局は細かい攻防が続いたが、渡辺竜王の苦心の手もそれまでの僅かな劣勢を跳ね返すに至らずに羽生挑戦者連勝。第1局での後遺症が響いたのかと噂される。

第3局は渡辺竜王の新手を羽生挑戦者が咎め初日の夜から大差になり、以降渡辺竜王はいいところなく無残な敗北を喫する。渡辺竜王からは沈痛な感情がありありとみえ、ブログでは「内容が悪くて申し訳ない思いです」とまで記された。単なる一局の敗北に留まらず決定的な精神ダメージを負ったのではないかとまで噂される。ともかく羽生挑戦者3連勝で渡辺竜王を追い詰めた。

第4局も羽生挑戦者不思議な駒の使い方をして、渡辺竜王を専守できないように誘導してから自陣をガチガチに固めることに成功する。なんという一方的な展開だったのかと次々に観戦者から悲鳴が上がり、また別の者は羽生挑戦者の勝利とみて永世竜王位の祝杯を早々とあげはじめる。

ところが。

何度も敗北を覚悟しながらも妻に応援された通りか粘っていた渡辺竜王の玉は、羽生挑戦者の猛攻を打歩詰めの筋というギリギリでかわしていたのだ。後に本人でさえも「最初はそんなことがあるわけないよな、と信じられませんでしたが・・・。」と語るほど不思議な決着で、奇跡の逆転を果たす。まるで第1局を映したかのように。

第5局は渡辺竜王が序盤から少しずつリードを重ねていき、羽生挑戦者の仕掛けた深遠な罠をことごとく見破って勝利した。大局後の検討で様々な質問に対して深いところまで丁寧に回答していたという。この一局はがっぷり四つの横綱相撲のようであり、まるで第2局を映したかのようでもあった。

第6局は渡辺竜王が矢倉から早々に戦いを仕掛けていき、そして一日目の昼下がり、誰にも語らずに温めていた新手を放つ。これは大丈夫なのかとの声が観戦者から上がる。……しかし羽生挑戦者の様子がおかしい、僅か数手で持ち時間がみるみる減っていく。深く検討すると既に羽生挑戦者がかなり苦しい事がだんだんわかってきた。それから羽生は食事もあまりとらず、あるいはとれなかったのかもしれない、膝元に毛布を置いていたのだから風邪とも噂されるが、過去羽生挑戦者風邪の方が緊張がとれてかえってよかったと言いながら勝った事があるため不明。ともかくその後は羽生挑戦者にいいところが全く無く……そう、まるで第3局を映したかのような惨敗を喫したのである。

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最終戦終局は明後日の午後6時前後予測される。

2008-11-28

竜王戦第四局個人的メモ

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このメモは個人的なものであり誤りが大量にある筈なので、くれぐれも絶対だとは信じないこと。指摘大歓迎。

1.将棋には、タイトルのひとつとしての竜王と、駒のひとつとしての竜王がある。駒の一つとしての竜王飛車という駒が裏に成ることにより現れる。

2.相掛かりでなければUFO銀や棒銀は珍しくない。

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最高位の座を名人位と二分するタイトル竜王[1]、四連覇中の若き渡辺明竜王挑戦者するのはこちらも計六度竜王であった有名な羽生善治名人、どちらも五連覇もしくは計七度保持すればえられる永世竜王それも初代をかけた戦いになった。

渡辺は第三局まで三連敗の上に内容が悪くなっていっているのではとも噂されはじめ、しかも四局目は戦型を選びにくく不利といわれる後手番であった。

その渡辺羽生は近年凄まじい高勝率をあげている相掛かりという戦法で襲い掛かる。普通なら角道を開けて拒否するのだが渡辺には「相掛かりを受けて立って悪くなるはずがない」という信念があり、真正面から受けて立った。

相掛かり自体は前例がたくさんあるのだが、早くから羽生好みの銀が「右」からUFOのように昇っていく形は珍しいらしい[2]。少しでも踏み外せばあっという間に勝負がつきかねない激しい変化にもかかわらず局面はどんどん進行していく。

速い戦いにせざるを得ないと読んだのだろう、渡辺は玉を真っ直ぐひとつ上がり守りの駒を少し離して「中住まい」にした。この利点は守備が早く完成する事、駒を均等に配置するので持ち駒を放たれてしまう隙間が少ない事、そのわりに玉が逃げ回る空間は広い事である。

しかしなんと羽生UFO銀を「左」に下げて守りに使い出した。

矢倉といえば普通は金矢倉であり、銀矢倉は最近姿を消していた。それは主に築城にかなり手間がかかり、その間に相手に好き放題されてしまいかねないからである。しかしそれを羽生は成し遂げた。

この固い守りに渡辺はすぐに手が出せない。かといって渡辺が本来得意とする、熊が冬眠するような堅い守りにしようとすると、組み上げるときにどうしても避けられない大きな隙を狙われるため不可能。対して羽生は隙をみせずにもっともっと守りを固めていくことができる。これは一日目にして既に勝負あったのではないかと考える人もいたようだ。

もはや渡辺には攻め抜く道しか残されていなかった。

銀矢倉でほぼ自陣を固めきった羽生に対し、極限まで駒を攻めに向かわせた渡辺渡辺の陣容はその左右対称性からインベーダーとも呼ばれた。美しく見える人もいたかもしれないが、いざ攻められると非常に脆く崩れやすい。ここで手が封じられて翌日へ…。

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いよいよ渡辺の猛攻が始まった。苦悩の果てに羽生の銀矢倉への正面突破をみせる。だがそれに応じ羽生は銀矢倉から更に硬い囲いに組み上げた。観戦する誰かが局面を後手の渡辺側から見てみろよと言い出すと、方々から渡辺絶望的との声が上がる。そして渡辺は貴重な守りの駒さえもひとつ犠牲にする。

と、ここで渡辺は駒を渡す。また千日手(繰り返し)のようで千日手ではない似たような手順を繰り返す。妖しい手に戸惑う観衆。その手順から渡辺飛車が間隙を縫って、羽生の守りとは離れたところに突入し、竜王[1]と成った。

竜王を頼りに敵陣に突入できるできるかもしれない、と微かに望みが繋がった渡辺。とはいえ、その間に羽生は激しい攻撃を繰り出したり、かと思えば絶妙のタイミングで守りに切り替えたりして、渡辺を崖っぷちから逃さない。

竜王を頼りに敵陣に突撃してゆく渡辺の玉、させまいとする羽生。もし突入されてしまうと、規定により駒数が少なくなってきた羽生は負けかねない。複雑な変化を掻い潜るなかで、遂に羽生の手が震え始める。

「手が震えたという事は、羽生ギリギリの勝利を確信したのか?」と噂され始める。敵陣に突入しかけるが更に厳しい迎撃に合う渡辺。お互いに勝負を決する難解な選択が連続する。やがて震えることもなくなり力強く渡辺竜王を取り飛車として駒台に乗せる羽生。勝負はあったのか…?

対局の直前に渡辺は「諦めたらそこで試合終了だよ」と嫁に励まされていた。

なんと再び羽生の手が震え始める。その中で玉が非常に危険なのにも関わらず果敢に飛車を打ち込む渡辺、そして再び成って竜王とする。羽生は全力で渡辺の玉を追うが、なんと打ち歩詰め禁止のルールゆえという際どさで凌いでいた。

加えて将棋は後ろに攻めにくいようになっているので、羽生陣の奥に突入された渡辺玉はもう捕まらない。だから勝敗は駒の数で決する規定が適用される事になるのだが、それも渡辺玉を捕まえるために手放し過ぎてしまった。遂に羽生は敗北を認めた。

第5局は12月04日・05日、和歌山県西牟婁郡白浜町むさし」で行われるようだ。

メモ

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2008-08-18

Vistaが叩かれている。

Vistaが叩かれている。知識人や知ったかぶりのエセ知識人Vistaを嫌っている。

でも俺は好きだ。XPよりVistaが好きだし、MacなんかよりVistaのほうがエラいと思う。

優れているかどうかは知らないけど、エラいと思う。だから俺は応援している。


俺は三菱を応援している。重工とか自動車とか。なんなら鉛筆も含めても良い(それはダメか)。

大きくてトロい企業でも良い。おかげで欠陥商品作っちゃうような酷い企業でも。それでも好きだ。

巨大企業なのにダメ企業で、巨大企業なのにいつも立場が挑戦者で、芯は、心では戦う企業なのが好きだ。

実際はどうあれ。だから応援している。


俺はNIKONを応援している。カメラといえばNIKONと言われるだけの世界企業

一眼レフデジカメではブランド企業だ。だけどコンパクトデジカメでの微妙イマイチっぷりが好きだ。

オールマイティに勝ってしまう大砲企業より、どうも上手く立ち回れないところが好きだ。

悪いんじゃない、ただ空気を読みきれない、そんなとこが好きだ。だから応援している。


みんな頑張れ、すごい頑張れ。俺は応援している。

2008-03-15

地方の雑誌メディアの終焉が近い件について 追記9

http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0

http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1

http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2

http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3

http://anond.hatelabo.jp/20080219182449 4

http://anond.hatelabo.jp/20080220103805 5

http://anond.hatelabo.jp/20080225181422 6 

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http://anond.hatelabo.jp/20080302010145 8 の続きです。



多くの外的要因により、地方の雑誌メディアタウン誌」は苦戦を余儀なくされています。しかしそうなるに至った原因として、衰退してしかるべきとも言える組織の弱さ、企業として未成熟な部分があることを語らなければならないでしょう。


現在タウン誌現場スタッフ、とりわけ若い世代は先のことなど考えられないほどの激務に晒されています。「タウン誌」という媒体の行く末を見定め、舵を取らなければならない経営サイドは、激変する環境に有効な手だても打てぬまま、「創刊当時はもっと大変だった」「自分たちもやってきたことだ」を繰り返すばかりです。


労働環境の過酷さと、それに起因する離職率の高さ。あまりの回転の速さに社員教育もままならず、それが社員の士気とモラルの低下にも繋がる悪循環。そのような環境下で、現場の核とならなければならない女子社員(一般の会社よりも女性社員の率が高く、ほぼ半数が女性という会社が多いそうです)は、子どもが出来ればこの激務は続けられるわけもなく、ほぼ間違いなく退職を余儀なくされます。このような「人材使い捨て」の職場環境で、技術だけでなく人的ネットワークも含めたノウハウの伝達が途切れてしまっています。ごく一部であって欲しいのですが、「うちで経験を積んで、他の企業に誘われる人間になれ。それで辞められるのは一向にかまわない」などと社員の前で公言する経営者もいると聞きます。


タウン誌黎明期の20??30年前、今は経営サイドに机を並べる人たちが、タウン誌という媒体ゼロから作り上げた苦労は、想像を絶するものであったといいます。人からは酔狂といわれ、地方初の若者向け雑誌など続くわけないと陰口を叩かれながらも、タウン誌というものをひとつのメディアとして育て上げたのです。その結果、タウン誌スタッフは街のオピニオンリーダーになりました。強力な個性とバイタリティを持ち、様々な仕掛けを繰り出し、街を動かしていたのです。そこには挑戦者としてのモチベーションがありました。当時のタウン誌スタッフたちは、誌面にだけに止まらず「誰もやったことがないこと」を、一地方都市で次々と実現していきました。それは往々にして東京若者ムーブメントの焼き直し的なイベントや仕掛けであったりもしましたが、確実に地方都市若者たちの心を掴み、動かしていたのです。時代はまさにバブル期。機を見て敏な中央の大手代理店は、こぞってタウン誌と組んだイベントキャンペーンに大金をつぎ込みました(それでも地方の新聞テレビを使うよりも格安だったようですが)。若者というセグメントされたターゲットに、確実にメッセージを届けられる媒体として、タウン誌は唯一無二の存在だったのです。そして、その支持率も相当なものでした。「おしゃれな人はタウン誌を読んでいる」そんな嘘みたいなことが、ほんの20年前には確かにあったのです。


しかし、いくら影響力があるとはいえ、タウン誌出版社なんて、所詮社員数など20人にも及ばない零細企業ばかりです。「好きじゃなければとてもやっていられない」ような薄給と激務に、当時からかなり社員の出入りは激しかったそうです。出来ない人間は、過酷な労働条件に音を上げ、出来る人間は自分の能力をもっと高く買ってくれる場所を求めて去っていく。数多あるタウン誌出版社の中で、「企業化」に成功したのはごく少数でした。そして、その結果、立場を「経営陣」に変えた創刊メンバーを継ぐべき世代はほとんど残らず、経営陣の下で常に20??30代の若い社員が入れ替わり続けるという状況が生まれています。


社員を育て上げても、仕事を覚えた端から(あるいは覚える間もなく)次々と退職していく。それがタウン誌出版社という組織の典型的な姿なのです。

2007-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20071113234744

嫌われて仲違いした。

当時はまだ精神面やコミュニケーション能力の面ではキモヲタそのものだったから

俺の一言がきっかけで修復不可能なまでに関係悪化した。

責任は120%俺にあったわけだが、人生で十本の指に入る大失敗だ。

脱オタ挑戦者は俺を反面教師にほしい。

2007-10-06

はてな

いつのまにかリングに上がっていた挑戦者

殴り合い大好き百戦錬磨チャンピオン

ハラハラしながら見守るセコンド

「いまのは良いパンチ」とか解説してる二階席の人たち

「二階席うっせーぞ」と怒る一階席の人たち

「格闘オタってきもいなぁ」と思ってる一般人

2007-03-05

かっとなって

http://anond.hatelabo.jp/20070305022117


自分が知識人とも思った事は、ありませんよ。自分もアホやしね。

ただ、考える頭を持ち合わせてるのに

それを使わず暴力に訴えようとするのは、非常に惜しいのではないかと。

これ、学士さんであればなおさらの事。


挑戦者とはやみくもに走るのが挑戦者じゃないだろうに。

http://anond.hatelabo.jp/20070302125924

今更アレだけど、“知識人”ってのが笑わせてくれるね。

やっぱはてなはそういうの気取ってる阿呆のすくつって事ですか。

ただのブログに過ぎねーのによ。

挑戦者のように 走れ myfoot だよ!

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