はてなキーワード: 循環論法とは
「戦争法案」という表現が、一部の人から批判されているようだけど、なんだかなぁと思う。というのも、「戦争法案」という表現は、修辞法上の分類である「論点先取」にほかならないと思うから。安保法案に賛成する人は、それがあった方が戦争を回避できると思っているわけだし、反対する人は、ない方が戦争を回避できると思っている。つまり、安保法案が「戦争法案」なのか、「戦争回避法案」なのかが議論されているわけだから、「戦争法案」という表現は、無意味とまでは言わないけれど、せいぜい主張の結論を言っているのに過ぎない。「これこれこういう理由で、安保法案は、戦争法案であると主張したい」というなら筋が通っているわけだけど、一見これと似ている「安保法案は、戦争法案だから反対」という主張は、循環論法に陥っている。そして、昨今の政治運動で「戦争法案」という表現が、この前者と後者を意図的に混同させるような使われ方をしていることに、違和感を感じるわけだ。
ただ、論点先取は、政治・・・国の政治だけではなく、社内政治のような場面でも有効なことが多いと思う。そういう意味では、「戦争法案」という表現を使って行われる政治運動は、政治の王道であるし、だからこそ成功している面もあるだろう。だから、プラカードに「戦争法案」と書くことは、政治的な戦略としてはとても良い。ただ、そのことによって、本来考えられるべき、法案そのものの是非が覆い隠されてしまうことには、複雑な心境で眺めている。
そもそもの話を言うと、安保法案が戦争法案か、戦争回避法案かなんて、そんな簡単に結論が出るものではないと思う。自分は安保法案は要するに、アメリカに対して軍事的な支援を行うことで、守ってもらおう・・・ただ、それによって日本自身が別の形で軍事的リスクを負うことになるかもしれないが、利益の方が大きい・・・。という考えに基づいていると思っている。要するに二つの利益を天秤にかけて、どっちが大きいかという判断が、安保法案への賛否なわけだけど、こんなこと素人に分かるはずがない。おそらく、外交のプロにだって分からないだろうし、そんなこと、自分になんてわかるはずはない。ただ、一つ言えるのは、「それがないと著しく安全保障上不利益」というほどのことではなさそうだということ。A投信を買うか、B投信を買うかみたいな、結構微妙な問題なんじゃないかということ。
であれば、憲法解釈上の疑義を招いてまで、頑張って通すようなものではないだろう・・・というのは、自然な結論ではないかと思う。
個人的には、今の政治マターの中で、一番関心が高いのが、自民党が進めようとしている「基本的人権の縮小」。もちろん、安全保障は大事だけれど、どっちが正しいのか分からないような問題のために、取り返しのつかなくなるような事態は避けたい。避けてほしい。そういう意味で、一番嫌なシナリオは、今後自民党内の勢力争いの結果、首相が交代となり、「禊」を済ませた自民党が、次の選挙で勢力を維持し続けるということ。そして、その結果本丸である、基本的人権関係の規定に手をつけ出すということ。そういう意味では、安倍さんにはまだまだ首相の座にかじりついてほしい。それが日本のためだと思う。
えっ、そこから説明しなきゃなんないの?
っていうのは、
>「高齢化が原因」ということは「少子化が原因」ということと、ほぼ同義
であるがゆえに、
「ほぼ同義」というくだりの命題を前提すると、その次のやつが
「高齢化の対策が根本的に高齢化対策しかない」「少子化の対策が根本的に少子化対策しかない」って具合に循環論法に陥る。
その理屈じゃ何も表現してないだろってこと。つうかそんな小難しい事抜きにそもそも同義どころか現象として別モノだろって意味でもあるが。
それが「『天秤が傾いてるので削るか乗せるかしましょう』としか言ってない」という風に揶揄られているのだよ。
そしてそれ以外になんらツッコんだこと考えてなくてオウムか阿呆の一つ覚えのようなこと繰り返してるから、「回答がおかしい」と言われてしまう。
ブラックスワンは、確率論的な分布を超える閾値は存在し得る。ということであって、確率論的な分布を超える例外事項が起きるから、確率論が無用。という事を歌った話じゃないぞ?。
まずは「確率論的な分布を超える」、「閾値」あたりの言葉の定義から述べてくれ。
あと、増田は、大きな事件ってのは「起こる」もんなんだよ。といっているが、それは認めているので意味のある議論ではない。
だから、絶対とは書かずに、ほぼ、とちゃんとかいているし。ほぼが気に食わないなら、たいていはとか、大きな事故を起こさない限りは というのも述べている。
循環論法になってるのをわかってないのかな?君が言っているのは「大きな事故を起こさない限りは」という条件付けは意味が無い、ということ。
と書いたので、文脈というのを、元増田か、子供の質問に対する回答かと考えた。
これは、俺の判断ミスかもしれない。
ただ、増田が、
というのには同意しかねる。なぜなら、「なぜ勉強するのか」というのが「難しい質問」なのは、「子供にこたえる」という制約があるからだ。制約条件を無視してはいけない。
あと、「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのは、「なぜ勉強するのか」という質問に対しては循環すると思う。
これのどこが循環してるのかわからん。
「なぜ勉強するのか」という質問は、勉強の必要性を問うているわけだ。
だから、相手は勉強の必要性を疑っている。
そして、ほとんどの人は、漠然とはしていても、「よりよく生きたい」と考えているはずだ。否定しようがない。
だから、質問の隠れた前提は、「(よりよく生きるために)なぜ勉強する(必要がある)のか」ということだろう。
そのような類の質問に対して、「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのは、あまり意味がない。
ただ、何度もしつこく念押しすれば、信念を伝える効果があると思う。
おそらく、「循環論法」という言葉が悪かった。すまない。たぶん間違った使い方だ。
単純に、「~~というのでは意味がない」と書けば良かったんだと思う。
「元増田がいなくなったから」という前提で書いたのだから、元増田のような層向けの話になるわけがない。
相手が子供でないことはわかっているのだから、わざわざ情報を落として子供向けにする意味も無いでしょ。
誰向けに書いたって、聞いてきた君(かどうかはわからんが)向けに書いたんだよ。
あと
これのどこが循環してるのかわからん。
「問題を解決する際の意思決定の精度を上げてよりよく生きる」ということなのかもしれないと思ったが、本当に勉強することでそうなっているかは不明確だ。
「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのでは循環論法だし。
つまり、この文章は、単に増田の信念を語っているわけだ。
なので、好意的に解釈した結果、「好きだから勉強する」とした。
増田のような語彙を使って、勉強についてこのような長文を書くのは、勉強が好きだからに違いない。
そもそも、突然の長文で、いったいどのような相手を想定しているのかわからない。
途中で「子供からの難問」の話が出たぐらいだから、小学生ぐらいの相手向けの回答を期待してたよ。
それともこれは、元増田のような20歳の女子向けの回答なのか?
相手に合わせて回答できることにも、勉強が必要だ。
と言っているが、選択を間違ったと思う。
当たり前だが「ミュージシャン」は一つの例えだぞ。
そりゃそこまで好きじゃなかったってことでしょ?
なんだその循環論法は。
どうせ死ぬほど好きなものなんて無い(だからウダウダ悩んでる)んだから、「死ぬほど好きなものが存在する」と仮定する事自体が間違い。
ちょっと好きくらいでいいからさっさと登れって話。
♪♪♪
こんにちは。今回は昨晩のついったーにおけるtelle_me氏との議論です。
まずは話の流れを見てみましょう。
ここまで、総需要を増やすとサビ残が減る、という主旨の主張がされてきました。
(二重引用がtelle_me氏、それ以外がfromdusktildawn氏の発言です。)
@fromdusktildawn 無意味な仮定というか、トートロジーだよ、それ。熱くならないように。>総需要を増やし+労働供給を減らし+雇用流動性を上げる
@telle_me ?
@telle_me トートロジーというのは循環論法ってことですよね?どこがどういう風に循環してます?
@fromdusktildawn サビ残を解決するためには、サビ残の原因である需要不足と労働の供給不足と雇用の硬直性を解決すべし。というのは分かる。ところが、その原因の三要因の解決方法が示されていない。ただ恒等式的にサビ残を定義したのみ。と言う意味でトートロジー(同義語反復)。
@telle_me 恒等式とは考えられてないようですが?むしろ、総需要の問題を無視or軽視して、サビ残をさせる企業が態度を改めれば問題は解決するという主張を繰り返す人の方が多いのでは?
@fromdusktildawn 空を飛ぶには重力に打ち勝つエンジンと空気抵抗を減らす流体が必要。と言っておいて、その具体的な製作方法は示さない。これは空を飛べないことと同じではないか、という意味に取っていただいて構わない。
サビ残問題をを解決するには、まず、どの方向性で解決するか、という問題がある。総需要の問題を軽視して、サビ残をさせる企業が態度を改めればサビ残が解決する、と考えるのは、不毛な方向性だと思う。
@fromdusktildawn 建設的に行きましょう。確かに「態度を改めれば」的主張をする人はいますね。特に労働者の見方的な仕事をなさっている先生方に。しかしそういった態度を改める法律なりができれば、企業はそこに対応して雇用環境を変えるでしょう。具体的には、賃金を下げる。
サビ残に対して、(1)企業が態度を改めろ。(2)労基署の人員を増やせ。(3)総需要を増やせ。という方向性での解決方法の提示があるとき、(3)の方向性をまず考えるべきと言うと、それは無意味だ、と主張する人というのはよく分からない。
@fromdusktildawn それが無意味と言われるのは、総需要を増やせっていうのは、要は景気を良くしろ、所得を増やせってことで、そんなのできるなら誰だってやってるよって思いがあるからだね。
@telle_me 最初と論点がズレてますよ。サビ残問題に対して複数の解決方向性があるとき、「総需要を増やせ」という方向性での解決がスマートというのが、トートロジーだと言う主張の意味について聞いているんです。
@fromdusktildawn 無論あなただけでなく、誰も総需要を増やす方法は示せないでしょう。 それは皆が分かっていることです。ただ、学問をやりすぎるとそこら辺が見えなくなるようです。総需要を増やせという言葉のナンセンス具合は、企業の態度を改めろと同じ地平のナンセンスさです
@telle_me 『総需要を増やす政策はある』という意見だっていくらでもありますよ。『総需要を増やすことなどできない』というのは、単にそれがあなたの意見だというのに過ぎないでしょう。
@telle_me とりあえず、総需要を増やすのに金融政策と財政政策の組み合わせが効果があるなどと主張する経済学者たちを論破してみてはどうですか?
@telle_me この辺りの人たちのブログのコメント欄で、総需要を増やす方法などないって書き込んでみては?
http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/ http://d.hatena.ne.jp/bewaad/
むしろ、世界中の一流の経済学者たちに、「長期デフレ不況の日本で総需要を増やすのに効果のある政策は皆無だと言い切れますか?」と聞いたら、多くはNoと言うと思うけど。
@fromdusktildawn うーん、刺激的かと思ったけど君案外つまらないなw 他の権威持ってくるなよ。 世界だか一流だかしらないけど、経済学者がそういうのは、潜在需要成長率に近づける程度のことで、需要そのもの増加は示さないし、示さない。もっと学問と社会に対して虚だよ。
日本の 20 年の経済停滞の原因は、総需要を増やす方法が一切ないからではなく、経済政策が適切ではなかったからだ、という意見などいくらでもありますよ。 RT: 無論そうです。私の意見です。そしてここ 20 年の日本の現実だと思います。 (via @telle_me) *Tw*
@telle_me 経済の専門家でも何でもないぼくが、ぼくの素人ロジックをここで何時間もかけて延々と展開するのはできなかないけど、それをあなたに対してやる意味がよくわからない。
@fromdusktildawn 多分君にかけてる現実感が僕の癇に障ったんだろうね。つきあわせて悪かったな、錬金術氏さん。総需要を、景気を、君の所得を、そして僕の収入をあげる方法を、世界の一流の経済学者さんのブログから読んできてまた伝えてくれ。
ありがちな意見を主張する人がいて、それに対する反論なんて専門家が膨大な文章を書いていているのに、その反論を何時間もかけておまえ自身がしろ、と知らない人にいきなり言われてする人の方が理解しにくい。
@fromdusktildawn 他人の反論には見当違いだと恥をかくぞって言いながら、一方で自分は、議論が進むと「一流の経済学が言うには」と権威から引用したり「自分は素人」って急に立場を翻したり、そっちの方がよっぽど恥ずかしいけどなー。
ぼくは20年の長期経済停滞が経済政策の失敗にもたらされた可能性は十分にあると思っているし、現在の政策が十分だとも考えていない。それについてはさんざん経済学者たちが議論していて、その議論に概ね納得している。
いまさら、クルーグマンの"It's Baaack!"まで戻って、そこから延々と積み重ねられた議論をまた繰り返せと言われて、なんでそんなめんどくさいことを、面識もない人にやる義務があるのか、分からない。
このように、お互いに理解し合えず終わりました。なにがいけなかったのでしょうか。
ここでは、telle_me氏が採用している隠された言葉の定義を知ることで議論が理解しやすくなります。それは
です。このように言葉を定義することが事前に表明されていれば、混乱はより少なかったでしょう。
例えば
というような主張は、いずれもトートロジーでしょう。では
はどうでしょうか。このままの形では一般的定義でのトートロジーではありません。ではこれを
「総需要を増やすとサビ残が減る。ただし総需要を増やすことは不可能。」
と変えたらどうでしょうか。(総需要を増やすことは不可能かどうかについては後述)
サビ残を減らすための直接的方法の提案としては無意味とは言えるでしょう。では次に
A 「総需要を増やすと総需要が増える。ただし総需要を増やすことは不可能。」
B 「総需要を増やすとサビ残が減る。ただし総需要を増やすことは不可能。」
という2つの主張を比較してみます。これらはどちらも、実際上は無意味である、という点で共通しています。
言葉自体は変わっているので同義語反復ではないが、しかし無意味な机上の空論である点ではどちらも等しいので、Bのこともトートロジーと呼んでしまう。これはかなり強引ですが、まったく無関係な定義ではないかもしれません。
次に、総需要を増やすことは机上の空論か、について考えてみます。
通常は実現可能性が非常に低い理論を机上の空論と呼びます。例えば
は机上の空論でしょう。telle_me氏の言葉の定義を使えば
「景気が回復することがあれば、景気が回復する。」
も
では、
について見ていきましょう。これについては
fromdusktildawn氏は『総需要を増やす政策はある』
telle_me氏は『総需要を増やすことなどできない』
という態度を取っています。ここで幾つかの主張を見ていきます。
1「総需要を増やすとサビ残が減る。ただしどんな方法によっても総需要を増やすことは不可能。」
2「総需要を増やすとサビ残が減る。ただし総需要を政策によって増やすことは不可能。」
3「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だが、そのような政策は知られていない。」
4「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だし、どんな政策かも分かっているが、そのような政策を実行することは不可能。」
5「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だし、どんな政策かも分かっているし、そのような政策を実行することも可能だが、当面の間は実行しない。」
6「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だし、どんな政策かも分かっているし、そのような政策を実行することも可能なので、今から実行する。」
これらは、1から6にいくほど、サビ残が減るということの実現可能性が高くなっています。
すると
fromdusktildawn氏の考える現状は、3から5のいずれかであるということになり、
telle_me氏の考える現状は、2であるということになります。
ところで、1を除く全てについて、総需要が増える潜在的な可能性はありますが、6以外の全てについて、実際には総需要は政策によって増えません。
よって可能性の基準の決め方次第で、1だけが机上の空論だとも言えますし、6以外は全て机上の空論だとも言えますし、その間のどこにでも線引きは可能です。
そうであるならtelle_me氏が6以外は机上の空論とみなし、
「総需要を増やすとサビ残が減る、という主張は直ちにそれを可能にする政策が実行されるのでなければ机上の空論であり、私はそれにトートロジーのような無意味さを感じる。20年間実行されない理論が机上の空論でないというのなら、今すぐそれを実行し、実際上の効果によってトートロジーのように無意味なものではないことを証明してほしい。」
と言うこともまた可能でしょう。
というわけで今回のウォッチングまとめも、
「用語を定義しないと議論にならないが、定義するのは面倒だ。」
ということでした。
♪♪♪
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090918/1253283595
何らかの成果が出た時、その成果を得る為にとった行動が努力として規定される。つまり、「成果が出た」時点から遡って、「努力をした」という過去が形成されるのだ。故に努力は必ず報われる
何らかの生物種が現に生存している時(=絶滅していない時)、生存する為に有利と考えられる形質が適応として規定される。つまり「生存している」時点から遡って、「適応した」という過去が形成されるのだ。故に適応した種は必ず生存している
http://www.idea-moo.net/chi-taiken/ono08122801.html
自然選択説は循環論法で無意味だと批判する者がいる。「自然選択で生き残るのは誰だ?→適者だ」、「適者とは誰か?→自然選択で生き残る者のことだ」自然選択説はこういう循環論法だと批判者は主張する。だがこれは全くの誤解に過ぎない。自然選択説は、変異体と原型との間で環境への適応度に差があるということを指摘する。大多数の事例で突然変異は有害で変異体は適応度が低く生き残ることはない。しかし、ごく僅かではあるが有利な突然変異が生じそれが生き残り新種となることがある。また(「種の起源」では明記されていないが)中立な変異体が確率的浮動で生き残り新種となることもある。適応度の差は環境により異なり、任意の突然変異を一意的に有利か不利か中立か決めることはできない。耐性菌は薬剤が存在しない環境では通常は不利な変異体であり増えることはない。しかし薬剤が存在する環境では圧倒的に有利な立場を得て増殖し新種となる。こうして環境の多様性と連動して種の多様性が拡大する。このようにダーウィンの進化論を正しく理解すれば、それが無意味な循環論法だという批判は全くの的外れであることは明白だ。またダーウィン説が種の多様性を説明する上で極めて有効、いや、唯一の科学的な理論的枠組みであることも明らかになる。
最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku
stellaluna 「努力します」「善処します」という政治家の言い訳がこれで使えなくなるのならいい定義か。
Zephyrs コミュニケーション, ネタ, 社会, 考察, 言葉, これはすごい 目から鱗とはこの事か……
caraldo_k コミュニケーション, 読み物 俺は納得
kei_ex 正しい。けど、これを知っても自分にプラスになるかというと微妙だ…w
さいきんニセ科学批判やニセ科学批判批判やニセ科学批判批判批判を見ていて、あまりの議論のかみ合わなさにモヤモヤ通り越してイライラしてきたので書く。
ニセ科学が何故批判されねばならないか。それは「ニセ科学が『科学』でないから」ではなく「ニセ科学(者)が『科学(者)が満たすべき知的誠実さ』を満たしていないから」であり「社会的活動が満たすべき、倫理的規範を満たしていないから」である。
科学とされるもの、科学ではないとされるものの境界は、存在するけれども曖昧である。科学哲学における終わらん議論を見ても、科学社会学的な分析の試みをみても、科学史を俯瞰しても、それは明らかである。
たとえば、「科学とは何か」についてのあらゆる言明は、経験や帰納に依った言明である。数学における定義みたいに公理から導かれているわけじゃない。「科学であるもの」「科学でないもの」の間には微妙なグラデーションがあり、きっぱり線引きできない。もう少し現実的に突っ込めば、科学者集団が「これが科学だ」と認めているものが科学である、と言うこともできよう(うっかりすると「鶏と卵」のごとき循環論法になってしまうわけだが、しかし実はこの点は大事なのである。これについては後述する)。
つまり、「科学じゃないから」という論理はきわめてshakyなのである。ニセ科学批判やニセ科学批判批判批判を見ていてイライラするのは、わざわざそんなぐらぐらの基盤に立って相手を論破しようとしているからである。
ニセ科学が批判されねばならないのはなぜか。それはニセ科学(者)が「科学(者)でない」からではなく、科学(者)が満たすべきものも含めた広い意味での社会的規範を満たしていないからである。
たとえば、ピアレビューや批判・議論を拒否する態度。科学・工学にかぎらず、人文学を含むあらゆる知的営みにおいて、その質を保つ、あるいは向上させるためにピアレビューや議論は存在する。「科学者集団が『これが科学だ』と認めているものが科学」というのが無意味な循環論法にならないのは、ピアレビューによって、自身らの営みの価値を科学の外にある知的誠実さに帰しているからである。これらを拒否する「ニセ科学」者は、(彼または彼女の営みが科学かどうかを飛び越して)そもそも知的に誠実でない。
たとえば、社会に不利益をもたらす営み。これらは社会における倫理学的な規範を満たさない。骨相学や優生学が批判されるのはこのためだし、ホメオパシー信者によるインフルエンザ感染パーティなどもこの類に入ろう。
つまりは、批判のポイントは科学の境界線問題ではなく、倫理学にあるのである。ニセ科学に対しては、決して感情的にならず、相手と同じ土俵に立たず、倫理学の基盤に基づいた厳しい批判を淡々と行うべきなのだと思う。
獣医学部に通ってたときの話。
「鳥インフルエンザがヒトにうつるかもしれないと世間を騒がせていますが、鳥からインフルエンザが分離されたら鳥インフルエンザという定義なのでヒトが発症したら鳥インフルエンザではありません。」
皮肉なのか?
「鳥は感じで鳥と書き、トリでも鶏でもありません。」
まだ法律の話ですか?
「抗原型がH5とH7の場合は病原性が強いために高病原性鳥インフルエンザとし家畜伝染病予防法に従った処置がとられます。」
「H5やH7でも症状が出ない場合があり、分離されたウイルスを5羽の鶏に打って3匹以上死んだら強毒型、そうでなければ弱毒型とします。」
え?H5とH7は病原性が強いってさっき言ったのに直後に否定かよ。
「いえ、抗原型は重要です。日本で発生した例はそうでない例が多いですが、抗原型と病原性は関係あることがおおいですし」
「それに、法律でH5とH7の場合は高病原性鳥インフルエンザと診断することになってます。それ以外の型の場合はただの鳥インフルエンザとなります。」
重要だから法律で決まってるのか、法律で決まってるのか重要なのか、それはとにかくこの教授は循環論法になってることに気付いているのか?
そのあとアジアにおける発生状況だとか、死者の数だとか、ブタでヒトでパンデミックとお決まりの話。
こっからはその教授の話ではないんだけど、
ブタがヒトのインフルエンザも鳥のインフルエンザもかかるってのは本当。
鳥から分離されるインフルエンザウイルスは鳥の型のシアル酸(厳密にいえばシアル酸とガラクトースの結合の仕方)を標的にして細胞に侵入する。
ヒトから分離されるインフルエンザウイルスはヒトの型のシアル酸を標的にして細胞に侵入する。
んで、ブタは両方の型のシアル酸をもつから、同時に感染することはありえる。
で、インフルエンザウイルスは一つの細胞に2種類のインフルエンザウイルスが同時に感染したらその細胞の中で遺伝子が再編成されうる性質を持ってるというのは本当。
過去にヒトのインフルエンザと鳥のインフルエンザ間での遺伝子再編成が起きたことも本当。
ただ、はブタの体内で起こった、とうのはまだ「かもしれない」の域。
実は、証明はされていない。
病原性の強い弱いというのはおいておいて、組み換えウイルスには今までの免疫が全く通用しないというのも本当。
抗原型ってのは免疫原性の型が違うっていうことだから。
でもね、今までの免疫が通用しないっていうのは、ワクチンうっていても発症するっていう意味で、必ず重症化するっていう意味じゃない。
さてここから病原性の話。
すこし私見が入る。
HとNの型で病原性が決まるっていうのは、その型でウイルスの増殖効率が違ってくるという話なの。
あと特定の細胞でだけじゃなくて全身の細胞で増殖できるとかそういう違いもあるんだけどさ。
まあウイルスの増殖と症状ってのは確かに「関係」はするんだけどそれだけで全てを説明できるっていうのは強引すぎ。
だいいち、増殖のスピードが違うってのは培養細胞での場合とかそういうレベルで。
実際の個体レベルでの症状の重篤さはもっといろんなファクターが絡むはずだと思うんだよね。
それからそもそも「鳥」において「高病原性」がヒトにおいて(ヒトに感染するようになった場合)もそうかというのも必ずともそうとはいえない。
ヒトは呼吸器病じゃん。
病原性の強い弱いどころか、症状としちゃ別の病気だもん。
鳥にめちゃくちゃ下痢させるウイルスがヒトにめちゃくちゃ気管支炎を引き起こすかってそりゃ疑問符は出るよ。
鶏からヒトにうつった⇒致死率が高い⇒ヒトからヒトにうつるようになったら(ヒトからヒトにうつった場合も致死率が高かったら)大変だ。
ブタの中で合いの子ウイルス⇒ワクチンが効かない⇒世界的大流行
いろんな前提条件とか、仮定とかを5段重ねくらいにして最悪のシナリオを作って大々的に宣伝してる感じがするんだよね。
まあ嘘は言ってないよ。
それがズルいと思う。
「鳥に強毒なインフルエンザがブタの中でヒトのインフルエンザウイルスと合いの子作って、ヒトに強毒なウイルスが誕生して、ワクチンは効かないし、首都圏で流行った場合はとんでもないことに」
ここまで言ったらそりゃあありえなくもないけど考えすぎだし、考えたところでどういようもないだろって誰か突っ込むと思うんだけど、
「「致死率の高い」「新型インフルエンザウイルス」が「首都圏」で「流行した」場合」
この言い方だと突っ込みどころをうまく取り去ってる。
いろんな意味でズルい。
「高病原性鳥インフルエンザ」とか「鳥インフルエンザ」とか「新型インフルエンザ」とか、似たような言葉をあるときは法律用語として使って、あるときは法律用語としてではなく使って、嘘にならない範囲で上手く煽ってる。
獣医の学者にとって人獣共通感染症って予算とるのに丁度いいんだよ。
だって動物の病気なんか研究したってどこも予算出してくんないのに、ヒトが絡めばいくらでも引っ張り出せるんだもん。
獣医(農水省管轄)がヒトの病気(厚生労働省管轄)に関わろうとしたら人獣共通感染症が一番だもん。
おバカな役人丸め込んで嘘にならない範囲で大々的に宣伝してる側面はたしかにあると思うよ。
痩せると書いたらお縄だから体験者の声「○kg痩せた!」と宣伝するサプリメントと同じ感じを受ける。
だって、
「かつてのスペイン風邪はほにゃらら、証拠はないけどもしかしてもしかして、もしそうだとすると、あんなことが起きたら、ついでにあんなことも重なったら、スペイン風邪の再来が起きるかも起きるかも!!!とは直接は言わないけど想像してみろよ愚民」
っていう理屈じゃん。
まあ、俺らとしては迷惑なことじゃないし、学者に大学に、家畜関連分野に、そんなふうに業界にお金が流れてくれれば、めぐりめぐって獣医つながりで多少の恩恵はあるんだろうし、ありがたいことなんだけどね。
鯨肉窃盗:弁護側、無罪を主張--公判前整理手続き /青森 - 毎日jp(毎日新聞)のブコメに間違ってるのが色々あったので。
b:id:wonderer ネタ, トンデモ, 裁判, 社会, 環境 「目的が正当であれば犯罪行動でも正当である」と言うのか・・・職場にもいるなぁ、直上の上司だが。ただし自分以外が同じ行動をするとキレる。 2009/02/17
「医療行為という目的が正当であれば、人の体を刃物で切るという犯罪行動(傷害罪)でも正当である」と言うのか・・・
「ボクシングの興行という目的が正当であれば、殴り合うという犯罪行動(傷害罪とか決闘罪)でも正当である」と言うのか・・・
ここで違法性が阻却されるために「業務」性が必要かどうかは微妙な問題だけど、とりあえず「仕事」じゃなくても「業務」に当たるとされるのは、車で間違って人を轢き殺すと「業務」上過失致死だ(った)ってことを見ても分かるよね。
そもそもid:wondererが根本的に間違ってるのは、犯罪かどうかの問題なのに「犯罪行動」などと言い犯罪である事を前提に考えている点。
「犯罪行動は目的が正当でも犯罪である」という循環論法は何も言ってない。
だから普通は「犯罪行動」などという珍妙な言葉ではなく「構成要件」という言葉を使う。「グリーンピースの行動は窃盗の構成要件に該当するが、正当(業務)行為として違法性が阻却されて犯罪が成立しないのではないか?」という感じ。
で、あとはグリーンピースの行動(横領だかなんだかの調査(捜査)目的での窃盗)が正当かどうか、という問題になる。まぁたぶん正当とは言えないだろうな。
b:id:umiusi45 毎日新聞, バカ, 裁判, 環境 「「鯨肉を持ち出して横領の実態を告発した行為は、ジャーナリストに保障されている『表現の自由』と同等のもの」」それが法治国家なら、隣の奥さんの浮気の相手は俺だ!といっても罰せられないってこと? 2009/02/17
「それが法治国家なら」の意味が分からないが、それはさておき、「隣の奥さんの浮気の相手は俺だ!といっても罰せられないってこと?」
横領の告発と浮気相手のカミングアウトは違うだろ、常識的に考えて。
不特定多数の前で公然と浮気相手だとカミングアウトすれば罰せられるおそれがあるが、独り言とか隣の旦那さんの前とかでカミングアウトする分には犯罪ではない。
で、横領の告発と浮気COの違いは、前者が公共に係わる事柄なのに対して後者は一般にはそうではない事。まぁ「隣の奥さん」が公人だったりすると微妙だが。
id:umiusi45が根本的に間違ってるのは、グリーンピースは目的付の行動なのに、比較対象が「隣の奥さんの浮気相手は俺だ!とい」うことという、目的の無い行動である点。「鯨肉を持ち出して」に対応する部分が浮気COには無い。
b:id:ghostbass ジャーナリズム 横領の話は「なかった」で決着ついた気がするんですけど / コレが可能なら改正児ポ法でも同じ手法が警察以外に使えてしまうんですがイイのですか? 2009/02/16
「決着ついた」ねぇ。微妙だなぁ。うん、微妙なんだ。不起訴であって無罪判決が確定したわけじゃないから。
ただ、検察が事件選別で果たしている役割を考えると、不起訴をもって「「なかった」で決着ついた」と言う分にはそこまで害はないんだな。
これが逮捕とか起訴とかをもって「「あった」で決着ついた」と言ってしまうと大間違いなんだけど。
なので、まぁ間違いってわけじゃないんだけど、ただ捜査機関がよくよく思い直して改めて横領として捜査を再開する事はあり得る。無罪判決が確定した場合はそれがない。
微妙なんだ。
b:id:strawberryhunter 犯罪 いつからジャーナリストに違法行為が認められるようになったんだ?つか、反省の弁は無いのかよ。 2009/02/16
名誉毀損に限定した話だが、昭和22年から、報道目的なら犯罪が成立しない場合が認められた。
条文上は処罰阻却事由っぽいから「違法行為が認められた」と言えなくもないが、普通は構成要件該当性阻却事由とか違法性阻却事由とかと解するから、「違法行為が認められた」んじゃなくて「違法行為ではないと認められた」んだけども。
まぁ今回は名誉毀損じゃなくて窃盗の違法性の問題だから関係無いんだけどな。
で、今回は「違法行為」に当たるかの問題。違法か否かの判断の問題なのに「違法行為」と言い切ってしまってるあたりは、b:id:wondererと同じ誤謬があるな。あ、こっちが元祖か。
b:id:MERCY グリーンピース, 犯罪 違法収集証拠排除法則ってのしらんのか?例え本当に犯罪だったとしても証拠自体が適法に収集された物じゃないと証拠にならんのだが id:casmだからそれを根拠に無罪主張はおかしい不当に証拠を集めるのが正当って・・・ 2009/02/15
b:id:casm id:MERCY(略)告発は捜査の端緒でしかないから告発時の証拠が排除法則にかかるとしても無意味とは言えない。/(追記宛)循環論法になってるよ。正当行為でないことが排除法則にかかるための前提なので、理屈が逆。 2009/02/16
知ったかぶりで間違ってて一番タチが悪い。id:casmの指摘も、「追記宛」はともかく、前段は正鵠を外してるからよろしくないな。
正当行為に当たれば違法じゃ無いんだから違法収集証拠排除法則の問題にならない。
ついでに、正当行為に当たらないなら証拠排除されるか否かに係わらず有罪。
それと、私人による違法捜査は捜査機関の将来の違法捜査抑止の見地からみて証拠採用する事が著しく相当性を欠くとは言えないから、「たとえ本当に」グリーンピースが「犯罪だったとしても」証拠排除されない。真実発見の要請な。
まぁ違法収集証拠排除法則について10時間ばかし勉強し直しとけや。名前だけ知ってても知ってるうちには入らんよ。
b:id:hirok0829 これはひどい, 利権団体, グリーンピース 盗人に「表現の自由」の保障はさすがにできんなぁww 2009/02/15
そういやはっぴぃえんどのアルバムが発売中止になったねぇ。
グリーンピースはキチガイだが、それを叩くためなら間違った理屈でも良いと言う発想には賛同できない。まぁ上の連中は自分が間違ってるなんて思っちゃいないだろうけどな。
大体合ってると思うけど、最後の方は循環論法になってしまうから仮定成立しないという形に持ってたほうがよさそう。
(たしかに)あなたの言う通り「100億年すれば、宇宙は消滅する。」-(1)
(ならば)そこに主眼を置く限り『あらゆることに意味はない』と言いうる。-(2)
(さて)あなたは「人生に、目的だとか、意味だとか、そんなものはないと思う。」と考える。-(3)
(だが)(2)より、『生きていることに意味があるか無いか(3)』と考えること自体無意味である-(4)
(よって)あなたの前提(1)が正しければあなたの言明(3)には何の意味もない、と証明された。-(5)
//Q.E.D
http://anond.hatelabo.jp/20090116090907
(追記)
>最後の方は循環論法になってしまうから仮定成立しないという形に持ってたほうがよさそう。
確かにそうですね。
「宇宙は消滅する」を最初においちゃったけど、たとえば「増田の言うように『宇宙が消滅するならばあらゆることに意味はない』と仮定する」から出発した方がスマートだったかも。
http://anond.hatelabo.jp/20081122234806の増田も言ってるけど、ああいう粗雑な論証手続きと循環論法の悪用は、対話や議論そのものが成立しないレベルだよ。趣味の問題で片付けるには致命的過ぎる。
「トンデモ」という言葉が、一歩間違えれば主観的印象や偏見の押し付けになりかねないというのは、少しでもモノを真摯に考えたことのある人間なら当然理解していることなわけで、故に、彼の「○○がトンデモであることは自明である」式の議論(?)を大前提として扱うのは、俺には到底受け入れがたい。
もちろん君の言うとおり、彼がそれらを全て織り込み済みでやってるなら全然構わないのだが(それなら俺も何も言わないよ)、どう考えてもそうは見えないし。
では、これまで延々と「1であるが故に2である」と主張していた件について簡潔に説明していただきたい。
じゃあそれはそれでいいよ。どっちにしてもお前には断言できる根拠はないということだ。
根拠は増すだの過去記事でも読めばいくらでも出てくるだろ。どっちもどっちということにして自分が根拠出せてない点をごまかそうとしてるんだろうけど。
だからそれはお前が規定する「非モテ」の言動だろ。「女叩きやリア充叩きをするのが非モテの主流である、なぜなら非モテの主流は女叩きやリア充叩きをするからだ」どう見ても循環論法です。本当にありがとうございました。
こういってる自分が「女叩きやリア充叩きをしないのが非モテの主流である、なぜなら非モテの主流は女叩きやリア充叩きをしないからだ」以上の主張をできてないことはスルーなんだよな。そもそも「リア充」という言葉自体批判的な意味で持ち出される言葉で肯定的な意味で非モテがこの言葉使ってるのを自分は見たことないんだが、お前は見たことあるのか?まさか非モテがこの言葉を批判的な文脈で使うほうをよく見るのに「リア充叩きは主流でない」とかいってないよな?
妄想乙としか言いようがない。
http://anond.hatelabo.jp/20080916195956ほど直接的でなくても、他のことについて書かれたことを適用することで面白くなる場合もある。
「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去」(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080916/p1)はホームレス論争に関してのエントリーのようだけれども、これをホロコースト論争にあてはめてみるとd:id:HALTANの意見を援護しているようにも読めてしまう。
d:id:HALTANの批判は、よくわからないというのを多用していることからもわかるように、論理的に緻密に組み立てられた意見だとはおせじにも言えない。けれども、本当に大切なことには理由があってはいけないという考え方を適用すると、論理的な理由によって批判するのではなく良くないと感じるから良くないとでもいうような意見に正当性を与えることになってしまうとも考えられる。
とは言っても、このd:id:hokusyuの意見が皆に受け入れられているかというと残念ながらそうでも無い。頭の良いd:id:hokusyuの緻密な意見でもあまり受け入れられないのだから、d:id:HALTANがそれよりも前に同じようなことを言っていてもそれほど受け入れられなかったのにそれほどの不思議も無いのかも。
ところが、同じことは「君らはちゃんと詭弁論理学を読むべき - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080917/p1)でも述べられているのがこれまた興味深い。
もうなんというか詭弁論理学をちゃんと嫁!ってことですよ。健全な良識や良心、他者への共感とかが、論理とか科学とか小理屈の前に、全ての前提にあるものなのだ。誤謬論と「詭弁のガイドライン」 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!とかトリアージ論争の俺的まとめ中でも紹介した部分なので、もう何度目かの引用になるがしつこく引用する。
いかに力強い言葉で説得されようと、
というのが結論であれば、断然はねつけるだけの理性は残されなければならない。
「あなたの考え方には、ついていけません」
反論はこれで十分である。
これもホームレス論争について書かれたもののよう。でもトリアージ論争に関しても適用できるとある。しかしトリアージ論争の一部としてホロコースト論争もあるわけ。そうするとこれまたd:id:HALTANの、あまり緻密で無い意見に対する援護みたいに読める。論理がどうであろうと、結論が納得で聞ければ断然はねつけるべきということだからである。
「あなたの考え方には、ついていけません」というのを「あなたの考え方は、理解できません」とすると、どこかで読んだようなものになってしまうのがなんとも。逆に考えると「あなたの考え方には、ついていけません」ときっぱりと反論した場合にも、相手によっては粘着してくることもありそう。
だからといってd:id:HALTANの結論が正しいかどうかというと、それも自明とは言えない。何が正しいかとか、何が良くて何が悪いかといったことの理由をどんどんつきつめていくと、行き止まりになるか循環論法になるしかないのだけど、その場合になにをもって正しさの担保とするのかはかなり難しい問題。正しさに理由があってはいけないのであれば、なにが正しさを規定すると考えればいいのか。今さら石に刻まれているからと信仰することも出来ないだろう。
「ベタがベタでなくなったとき kom’s log」(http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080917#p1)に書かれている自然科学に関する「真理の追究」については、難しいことは難しくても論理によって解明可能な問題。しかし、倫理や道徳といった人文科学に関する「真理の追究」はそれよりもずっと難しい問題。