いやぁ、そう見えるかもしれないけど、その増田は「読むに値しないものは(実際に物理的に)目を通そうとする必要はない、なぜなら、読むに値しないからだ」という不思議な循環論法をずっと続けていて、それを批判してるんだけどね。それは、「読むに値しない」という言葉の用法にダブスタがあるからだ、というのが俺の考察(下の引用の2番目の奴ね)。
俺がどうしても突っ込みたいのは「稚拙なものはろくに目を通さずに批判しても構わない」というロジックについて。水伝や例の本が実際に稚拙な内容かどうかは、少なくとも俺は問題にしていない。
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