2009-06-16

ニセ科学への批判は、倫理学にその基礎をおくべきだ

さいきんニセ科学批判やニセ科学批判批判ニセ科学批判批判批判を見ていて、あまりの議論のかみ合わなさにモヤモヤ通り越してイライラしてきたので書く。

ニセ科学が何故批判されねばならないか。それは「ニセ科学が『科学』でないから」ではなく「ニセ科学(者)が『科学(者)が満たすべき知的誠実さ』を満たしていないから」であり「社会的活動が満たすべき、倫理的規範を満たしていないから」である。

科学とされるもの、科学ではないとされるものの境界は、存在するけれども曖昧である。科学哲学における終わらん議論を見ても、科学社会学的な分析の試みをみても、科学史俯瞰しても、それは明らかである。

たとえば、「科学とは何か」についてのあらゆる言明は、経験帰納に依った言明である。数学における定義みたいに公理から導かれているわけじゃない。「科学であるもの」「科学でないもの」の間には微妙なグラデーションがあり、きっぱり線引きできない。もう少し現実的に突っ込めば、科学者集団が「これが科学だ」と認めているものが科学である、と言うこともできよう(うっかりすると「鶏と卵」のごとき循環論法になってしまうわけだが、しかし実はこの点は大事なのである。これについては後述する)。

つまり、「科学じゃないから」という論理はきわめてshakyなのである。ニセ科学批判やニセ科学批判批判批判を見ていてイライラするのは、わざわざそんなぐらぐらの基盤に立って相手を論破しようとしているからである。


ニセ科学が批判されねばならないのはなぜか。それはニセ科学(者)が「科学(者)でない」からではなく、科学(者)が満たすべきものも含めた広い意味での社会的規範を満たしていないからである。

たとえば、ピアレビューや批判・議論を拒否する態度。科学工学にかぎらず、人文学を含むあらゆる知的営みにおいて、その質を保つ、あるいは向上させるためにピアレビューや議論は存在する。「科学者集団が『これが科学だ』と認めているものが科学」というのが無意味循環論法にならないのは、ピアレビューによって、自身らの営みの価値科学の外にある知的誠実さに帰しているからである。これらを拒否する「ニセ科学」者は、(彼または彼女の営みが科学かどうかを飛び越して)そもそも知的に誠実でない。

たとえば、社会不利益をもたらす営み。これらは社会における倫理学的な規範を満たさない。骨相学や優生学が批判されるのはこのためだし、ホメオパシー信者によるインフルエンザ感染パーティなどもこの類に入ろう。

つまりは、批判のポイント科学の境界線問題ではなく、倫理学にあるのである。ニセ科学に対しては、決して感情的にならず、相手と同じ土俵に立たず、倫理学の基盤に基づいた厳しい批判を淡々と行うべきなのだと思う。

  • そうかもしらんがそれは難しい。 倫理が分かる人と科学が分かる人は別だから。

    • というか、「倫理」を持ち出したらたいていの科学者はアウトだろ。 科学者が科学の発展とやらのために何をしてきたかを考えてみればいい。 人体実験やった奴、独裁者と結託した奴...

      • 何言ってんだ。過去の科学者にアウトな奴がいるからこそ これからの科学者は「倫理」を持ち出さなきゃなんないんじゃないか。 発見や研究が引き起こす(しうる)ことに対して、どう...

      • あなたが言う科学者コミットしている反倫理的な内容と、ニセ科学者が犯している倫理的な誤りは別物。それでは議論のすり替えにしかなっていない。

      • というか、「倫理」も持ち出せないようなことしてる科学者がニセ科学なんぞ批判できるのか?

        • というか、「倫理」も持ち出せないようなことしてる科学者がニセ科学なんぞ批判できるのか? 科学的な誤りの指摘は出来るだろ。科学者の科学者としての仕事はそれで終わりなんじ...

          • 科学的な誤りの指摘は出来るだろ。 その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…? それはおいといても、科学者のニセ科学批判は、「科学者としての仕...

            • その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…? そういう話じゃないんじゃないか? 水伝が科学的にでたらめってのは、科学的には争う余地のないところ...

              • ニセ科学批判の元締めって菊池教授じゃないの?

                • 元締めって表現はどうかと思うが、あの人はプロの科学者としての知識を生かしたSF屋としてふるまってるんじゃないかな。 たしかアシモフとか科学の啓蒙書書いてるよね。ああいう...

                  • 日本では元締め的存在といっていいんじゃない? ニセ科学って言葉を広めたのも菊池教授らしいし。 海外では知らんけど。

                    • 日本だと、fj.soc.pseudo-scienceと菊池教授ってどっちが先立ったかなあ。 まあ、海外ではこの分野はすごく昔からあるね。

              • 水伝をバッシングすることが政治的・社会的・倫理的にどういう意味を持つのか、というところにゴタゴタがある。 この二つの問題は、少なくとも科学の側からは明確に分けられるし...

              • その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…? そういう話じゃないんじゃないか? 水伝が科学的にでたらめってのは、科学的には争う余地のない...

                • # 一般市民が「科学(者)が満たすべき知的誠実さ」を持つことが倫理的に要請されるというのは必ずしも自明ではない(というか恐らく倫理学者からさえも支持されないであろう)こ...

      • むしろ「ニセ科学の人」の方が人柄的にまっとうで、 「科学の人」の方がレイシストだったりするからなお大笑い

      • 科学者「僕たちは嘘はついたことないよ! 信じて! 大量虐殺の過去を持ち出すのは議論のすり替えだよ!」 だいたい大量虐殺に手を染めた件についてほっかむりしてるのが知的に...

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