はてなキーワード: ヴェルタースオリジナルとは
うなぎパイが好きなんだけど、うなぎが絶滅危惧種って言われて食べるのひかえてる。
うなぎパイが素晴らしい。
お茶にも、コーヒーにも、紅茶にも、それこそコーラやファンタにも、究極をいうと水にも合う。ボルヴィック飲みながらうなぎパイなんて洒落ているじゃありませんか。
でも、このうなぎパイが無くなるなんて人類の損失だと思うんですよ。
北斗の拳の種籾爺さんみたいに、今ある分だけ食べるより、もっとたくさんの人間にうなぎパイを食べてほしいから、俺はうなぎパイ食べるのを我慢するよ。
数十年後、孫ができた時、渡すのはもちろんヴェルタースオリジナルとうなぎパイ。
多分、コレを機に源氏パイが勢力を伸ばすことでしょう。すると平氏の人間が黙っていないでしょうから、平家蟹でバランスを取ろうとするでしょう。
平家蟹って平氏の怨念が映らないと行けないので、バランスを取るために多くの平家である人間が処分されるでしょう。
そんな世の中でいいのですか?源氏パイを勢力拡大させないためにもうなぎパイは必要なのです。
「うなぎパイ 偽物」でググると山のようにでてくる。これらはうなぎ不使用の偽物です。代用魚を使っている。
でもそうじゃないんです。もしこれらの模造品がメインになったら何が起こるか。
そう、人類は食事を人工的に栄養を固められたキューブ状の食料をとるようになる。
じつはうなぎパイの模造品は、それらのキューブ食材の試験場である。
誰もが大好きなうなぎパイを使うことで実験するなんて許せない。
※ この文章は昔、ワードサラダ生成して鍛えた乱文製造能力で作り出しました。あの仕事をしていら乱文を製造しないと気が休まらない体になってしまったのだ。
就職活動が終わった。それなのに、心が晴れない。
俺は大学4年生で、いわゆる18卒学生として就職活動を行った。そして、8月に入ったところで、ようやく内定を手に入れた。
学部の単位なども概ね問題なく取得しており、卒業論文だって道筋は見えている。
つまり、今の俺は客観的に見て、何の問題もなくライフステージを進めているように思える。就職活動を終えた学部4年生の夏休みなど、この世の春と言ってもいいだろう。夏なのだが。
しかし、今の俺の心には、とてもそれに見合った開放感などというものは存在していない。
この心理的なモヤモヤした何か、胸のつっかえともいえるものは、どこから出てきたのだろうか。
何かを後悔しているのだろうか?例えば、内定先に満足していないとか?いや、そうではない。
8月までNNTだった俺は、何の因果かはたまたラッキーパンチか、そのような就活弱者には全く見合わないような優良企業の内定を得ることができたのだ。
学部で学んできたことが活かされるものでは決してないにせよ、十分な研修を受け、全うな待遇の下で働けることはおそらく保証されていると言っていい。
恐らくそれはきっと、就職活動を通じ、「自分は何者でもない」ということを、大学の4年間の中で密かに気づきつつも目を逸らし続けたその事実を、まざまざと見せつけられてしまったからであると思う。
端的に言えば、「おつむがよろしくて真面目で一生懸命で人格者で才能溢れててみんなから未来を嘱望される完成された存在であるところのボクちゃんが、実際にはゴミクズ未満の存在に過ぎない」ということが、就職活動により明白になってしまったからである。
もう少し具体的に言えば、上記のような自分が、8月になるまで内定を得ることができなかった、そのことが未だに自分を縛り続けているということである。
お前は社会から積極的に求められる存在ではない。寝っ転がってチ○ポをおっ勃てているだけでは、社会は跨っては来ないのである。それほどの魅力がある存在ではない。十把一絡げ・一山いくらの畜群の一部に過ぎないどころか、その平均にすら追いつかない無価値・無能力の極みであるような存在、それがお前、俺である。
極めて陳腐な話だと思う。大学生活の中で何者かになれる人間など、そう多くはないだろう。
大学生は大抵の場合、自分は何者かである、きっと特別で何か人から称賛されるような正の属性、あるいは才能のようなものを自分は持っていると考えながら大学に入るのではないだろうか。少なくとも俺はそうだった。
日本でその名を知らない人間はそうは居ないであろう大学に入学できた自分は、きっと特別な存在なのだろうと思っていた。ヴェルタースオリジナル状態であった。
今の自分自身にその「何者か」問題が分からなくとも、時間が経てばいずれ明らかになるであろうし、そしてそれは自明に周囲から評価されるものであると、図々しくもそう措定してしまっていたのであった。
自分よりも劣るとみなしていたような相手が、次々と内定を取っていく。自分は見下していた相手よりも実際には下の存在だったのだ。その事実そのものもまあまあ辛いが、それ以上に事実を認識できていなかった自分の不明が憎い。
二十歳くらいまで、時々、女の子に間違われることがあった。
小学生の頃、同級生にトイレで「本当に男かどうか」と下半身検査を受けたり、
「女がいるぞー」とかはやし立てられて仲間はずれにされたり、
短パン履いてたら、「女の子みたいな足」だねとか言われて若い兄ちゃんにチラチラ横目で見られたり。
あんまりいい思い出はない。
自分は、運動とか苦手だったけど、そいつは、運動神経良くて、顔もかっこ良くて、女の子にもモテてた。
うらやましかった。
自分も、男っぽくカッコいい顔で、運動も得意だったらよかったのに、と憧れるような気持ちで、そいつのことを見てた。
知らないうちに友達になっていた。
自分はすごく人見知りだったから、向こうから声をかけてきたのだったと思う。
家が同じ方面だったこともあり、放課後はよく一緒に帰っていた。
いろいろな話をした。
なぜ母親がいないのかについては、結局、聞けなかったし、教えてもくれなかった。
「お前は少し世間知らずだから」といって、色々と連れ回してくれたり、本やマンガ、CDやDVDを貸してくれたりもした。
生まれて初めて見たエロい系のあれこれも、そいつが貸してくれたものだった。
そいつが貸してくれた本の中に、いわゆる、男同士の描写のあるものがあった。
うわー、こういう世界もあんのか、程度の感想だったが、貸してくれるものの大半は健全な女の子のものだったので、そのうち忘れてしまった。
同じ高校に進学し、クラスも別々になって、以前よりは回数も減っていたけど、放課後、時々二人で帰っていた。
その日何があったのか、何の話をしていたのか、全く覚えていない。
自分の記憶は、そいつがいつもとは少し違うテンションで話始めた瞬間からしか残っていない。
その時、そいつは、突然、向き直ると、
「○○は、俺のことが好きなんだよね?」
「好きなんだろ?」
そして、小学生の頃、「女の子みたいだ」とからかわれていた記憶がなぜか蘇り、こいつも、自分のこと、そういういじり方するんだと、悲しく、悔しく思ってしまった。
友達だと思っていたのに、と。
「そんなわけないだろ!バカじゃないの?!」
それ以来、そいつとは、一緒に帰らなくなった。
もう、声もかけてこなかった。
そのうち、大学進学だなんだと忙しくなってきてそれっきりになった。
もしかしたら、
あれは、少しひねくれた、精一杯の、彼の告白だったのではないか?
そして、自分のその時の言動が、彼を打ちのめしてしまったかもしれない。
そんな風に考えられるようになったのは、何年かたった後だった。
それでも、友達として、もっと他のことが言えたのではないか、と。
嫁にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。
これ読んで思い出したので書いてみた。
ヒント
私のおじいさんがくれた初めてのキャンディー。
それは「ヴェルタースオリジナル」で、私は4才でした。
その味は甘くてクリーミーで、こんなに素晴らしいキャンディーをもらえる私は
きっと特別な存在なのだと感じました。
今では私がおじいちゃん。
孫にあげるのはもちろん「ヴェルタースオリジナル」。
なぜなら、彼もまた、特別な存在だからです。
これで俺も特別な存在!
私が拾ったはじめてのお骨
それは親戚のおじいさん(80歳代)で、私は中1でした。
その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいお骨を拾える私は、
きっと特別な存在なのだと感じました。
今では、私がおじいちゃん。孫が拾うのはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら、彼もまた、特別な存在だからです。