はてなキーワード: 芦田愛菜とは
成人前だけどアダルトチルドレンの特徴にことごとく当てはまるから、将来は立派なアダルトチルドレンになる予定のキラキラJK(笑)の私だよ。こんにちは。
アダルトチルドレンって健全な機能を果たしていない家庭で育った子供が成人してもなお内心的なトラウマを持つことを指すのね。一口にアダルトチルドレンといっても色々タイプがあるんだけど、私はすぐに自分が責められていると感じたり、自信が全然なかったり、欲求を押し殺したりしてしまうケア・テイカータイプをベースにピエロタイプちょっと足したみたいなアダルトチルドレン予備軍かな。
まあ子供の発育になんの障害ももたらさないような健全な機能をちゃんと果たしてる家庭なんかそうそうないと思うけども。
家庭がね、ちゃんと機能してないと子供は演技に走るんだよね。演技って言っても将来は女優になりたい!とかそういう華々しい方の演技じゃないのがまあまあ残念なところ。
なんていうか、こう、私の場合は子供で居続けるための演技みたいな?
私の家庭はざっくり言って否定から入る親くらいの問題だったけど、でも子供でいなくちゃいけないと思い込んでしまう。
親は好きだし心配で色々言ってくるのは百も承知だけどプレッシャーがすごい。腹を空かせたティラノサウルスがいつも物陰からこっち見てるみたいな。
私のアイデアは基本的に却下されるし、自分で考えてやってることなのに、お前はなんでそうするんだ違うだろうって言われてるとだんだん自分って何なのかな〜と思えてくる。
何か自分からアクションを起こして、それを否定されるくらいなら、子供のフリして「は〜い、パパ!」「わかった!そうするね!ママ!」ってやる方が絶対角が立たないし楽だって気付くでしょ。
もうそこからは演技派女優の誕生ですよ。「ええ〜そうだったのかあ!わからなかった!」「ねえねえ!ここどうやったらいいのかな!教えて教えて!」みたいな。
なんかもうさあ、口調がさ、鼻垂らして妖怪ウォッチつけて走り回ってそうな感じじゃん。妖怪の〜せいなのね、そ〜なのね。
勿論外では普通に話すしきちんと自分の考えを持って動いてる。誰も私を否定しないからね。
でも、お前は本当に何にも考えてないんだな!って言われるたびに辛くなる。考えてるよ。言わないだけ。
お前がそう思うならそうしてみればいいって言って欲しかった。
まあ私はもう仏顔で悟りの境地にいる感じだし諦めがついてて、どうにでもな〜あれ〜☆キラッ☆みたいなところあるし、ここまで育っちゃうとこういうのと上手く付き合っていってどうにか改善していくしかないから仕方ないんだけど、これから子供育てる人は子供の意見に対してまず否定から入るよりも尊重しつつより良い提案をしてみるくらいの方がいいのではと。
あんまり否定すると家庭内限定で芦田愛菜ちゃんのような名子役が誕生してしまう。
お母さんお父さんだって、作られた”役名:子供”とではなく、きちんと子供自身と向き合う方が良いでしょう。
私も三浦春馬くん大好きで握手したいけど、エレン・イェーガー役の三浦春馬くんには話通じなさそうだしあんまり会いたいと思わないもんな。
子供に提案するときは「ゲームなんか何の役にも立たないんだからやめろ。勉強をしなさい。」みたいな感じじゃなくて、会社で画期的な新企画をプレゼンするかのように勉強をすることによってどんなに楽しいことがあって自分のプラスになるかを提案したほうがいいんじゃないかな〜と、キラキラJK思いました。
正直子供の頃って将来とか仕事をするようになってからとか言われても遠すぎてイメージ全く湧かないから、近い未来にあるであろう良いことを言ったほうがやる気出るね。
まだ10年やそこらしか生きてないのに15年後には〜とか言われても銀河の向こうにいるであろう地球外生命体くらい想像つかないからね。
こんなことがあった。
ドラマ「明日、ママがいない」に中止要請 - 芸能ニュース : nikkansports.com
僕個人としては、「観たい野島伸司が帰ってきた!」と喜んでおりました。
野島伸司作品の個人的に魅力と思っていて、一部の人に猛烈に嫌われる所なのは、「人間の持つ悪意のイメージをそのまま表に引きずり出して突きつけてくる」ことにあると思っている。
今回の件についてもそう。
慈恵病院は芦田愛菜の役名が「ポスト」なことに文句を言っているが、じゃあ現実に『こうのとりのゆりかご』を「ああ、赤ちゃんポストね」とイメージしていない人間はどれだけいるのだ?
もし、近所の子が『こうのとりのゆりかご』に置かれていた子供だと知ったときに、ご近所話で「あの子は赤ちゃんポストにいたんですって」と噂しないと断言できる人間はどれくらいいるのだ?
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イエス・キリストは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言い、それに対して民衆は引き下がった、という有名なエピソードがあるが、実際には「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われるとそれを言い出した人間に石を投げるのが民衆。
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はてブに付いたコメントを読むとドラマを観ていないのに文句を言っている意見や、観たと言っているが明らかにコメントに影響されたコメントが散見された。
慈恵病院はドラマを観て実際の自分たちの活動が誤解されることに苦言を言っていた。
そのニュースの記事のコメントで、実際のドラマを観ずに誤解したコメントを書けるってどれだけ恥ずかしくてアホなのかわかっているのかな。
生年で言えば2004年生まれの比率がやけに多い気がする。
・自分はドラマは見ないが、バラエティー番組(ありえへん世界とかホンマデッカTV)
とかにたまに子役が出て、しっかりした受け答えしている。
妻に子役の学年確認したら、大体が「1学年下」との回答。
「1学年下でも、ここまでしっかりした受け答えするのだから、お前も見習え」と
上の子に小言いうことになる。だから2004年生まれの子役の印象は強くなる。
「自分が個人的に2004年生まれ子役を気にするんだろう、2004年生まれ子役の絶対数は多くないんだろう」
と思っていたが、どうやら2004年生まれ子役は絶対数も多そうだ。
・業界には「花の2004年組」という用語があるらしい。鈴木福君とか芦田愛菜ちゃんとかですな。
他にも何人か有名子役がいるらしい。
・だが、2004年生まれが、前後の年代より出生数が多い、と言うこともないだろうし、
2004年生まれが先天的に前後の学年より演技が上手、と言うこともないだろう。
どういうメカニズムで「2004年組」が形成されたのか?
・メカニズムその一。この子たちが3歳になったころ(2007頃)に、ミニバブルで広告量が増え、子役需要が増えた。
・メカニズムその二。学校ドラマとか撮影する際、例えば芦田真菜ちゃん主役のドラマを制作する際に、
「どうせなら、芦田愛菜ちゃんと同じ学年の子役を選ぼう」となる。
2003年生まれ2005年生まれでもドラマは撮影できるが、「2004年生まれを落選させてまで選ぶ」理由はない
・逆に言えば、2003年生まれ2005年生まれの子役は、
「芦田愛菜ちゃんや鈴木福君と同学年でないため、学校ドラマのクラスメイトに選ばれにくい」というハンディがある
・別に視聴者から見たら、「2003年生まれでも2005年生まれでもいいじゃん」となるが、
このころは1学年違うだけで先輩後輩になるから、学年違う子供が混じると、現場の空気が堅苦しくなる。
・メカニズムその三。愛菜ちゃんや福君と共演する機会が多い「2004年のクラスメイト子供」は、
共演回数が多い分、演技も上達していく。その結果、更に出演も増える好サイクル。
つまり「後天的に、2004年生まれ子役は演技が上手くなっていく」
・更に言えば、ディレクター側が、「2004年組の競演」と話題作りの為に、意図的に2004年子役を使ってる面もあるだろう