はてなキーワード: 猟奇的とは
『民主主義への誤解例』で述べられているのは理念としての民主主義であって、その一般的な本義だよ。その実践において民主主義がどの程度多数決に頼らざるを得ないのかという現実的な問題はまた別の話であって、ここではほとんど関連がない。でもあなたにとってはきっと線引きの問題が民主主義の根幹に関わる重要な本質なのだろう。
実を言うと、『自分の意見が通らない限り「話し合いが尽くされてない」と喚き続け』ることはすでに民主主義の理念から道を外した行為だよ。なぜなら、その猟奇的な主張が本当に理性的で正しい根拠に基づいた立論に基づいているのならば、それは議会の多くの人を説得させて全体の合意の形成に少なからず影響を与えるはずだから。でもここで想定されている主張というのはおそらく非合理的かつ非人道的な、あまりに飛躍に満ちているために説得力を持たないものなのだろう。『猟奇的な提案』という言葉のうちにはそのような意味が必然的に含まれるだろうし、そうでない猟奇性というのはまず考えられないから。
『猟奇的な提案』それ自体を民主主義は否定しないだろうし、不当に排除することはないだろう。でも主張が議会の理解し難い根拠に支えられている場合や、あるいは根拠にまったく欠けている場合は排除するまでもなく、そのような主張は民主主義の土俵に乗っていないと言わざるを得ない。というのも、誰にも理解できない根拠というのは根拠が無いのと同じことなのだから。それでも『自分の意見が通らない限り「話し合いが尽くされてない」と喚き続け』るというのだから、それはまさに俎上に載せるに値しない『喚き』そのものであるとしか言いようがない。正確に言うならば、「正当な根拠に基づき、なおかつその意見が議会で通らない提示」というのは自己撞着であって、まったくあることの考えられない仮定になるね。たぶんその矛盾を包み隠すものとして『猟奇的』という言葉が思い浮かんだのだろうけど、民主主義の理念を否定するありえない仮定を持ちだして民主主義の理念を否定しているのだから、ナンセンスにも程があるよ。
それはいいとして、「どのラインで多数決に移るか」という問いに対してはすでに答えが出てるよ。つまり、最終手段としての多数決は『理を尽くした話し合いの結果「いずれの立場にも十分な正当性があり、ここから先は理による解決ができないという一点においてのみ全体の合意が形成された」ような場合のみ』許される。実際は永遠に話し合いを続けることは不可能だから、例えば期日を設けてそれまでに結論に達しなかったときには多数決に移行することになるだろう。これは確かに現実との折り合いを兼ねて理念を妥協したものではあっても、少なくとも可能な限り「話し合いが尽くされた」状況であって、それに見合う正当性は確保される。ちなみに、期日を過ぎても「いや、話し合いは尽くされていない」と喚きたてることは猟奇的な主張の是非に関わるものではなく、むしろ議会の運営方針に関わる主張になるんだけど、元の主張提示は議会の運営方針に同意した上でしか許されないのだから、そのような異議もまた自己撞着だね。
このような現実の状況があるからといって、民主主義の理念が『全く無内容な空論』になるわけではないよ。実際はその逆であって、民主主義の本義が最終的な多数決を正当化し可能にするんだよ。
根拠を提示した上で論破されて、それでも「話し合いが尽くされてない」と言えるなら、そこに根拠は無い。
根拠を提示した上で論破されて、そこで引き下がるなら、「自分の意見が通らない限り」という前提を達成できない。
根拠もなく「話し合いが尽くされてない」と喚いている時点で議論になってない。
例として出すなら「理を以って猟奇的な主張をしているのに聞き入れられない」といった場合だろ。
その猟奇的な主張にどのような理があるのか知らんが。
自分の愛情面は今、かつてなく満たされているから他人なんてどうでもいいはずだし、
元々貞操観念がゆるい人を蔑んでたってわけでもない。
自分だってもうキレイな体ってわけでもないし、「私の方がまだ汚れてない!!」みたいな根拠で優越感を感じるちっさい人間にはなりたくない。
性的なことでのあらゆる差別は好きじゃない。(『ゲイに襲われた男性のゲイ嫌いが少し行き過ぎている』などのケースはまぁ、ある程度しょうがないかと思う)
具体的には、不特定多数に体を売りながら既婚者に惚れ込んでずぶずぶセックスしてわけのわからん小理屈をこね回している手合いをネット上で観測するとむかついてしょうがない。
ほんとピンポイントだけど、特定の誰かのことじゃなく、何度となくそういう種類の女を見かけてきた。
そういう女は(お勉強面の)頭が悪いと拝金主義に走り、頭がいいととにかく見下し魔になりがち。主に自分の体を買う客に対して。
「既婚者の嫁に申し訳なくならないの?」とか聞かれると「彼と奥さんの問題なんで」とかとって付けたような小理屈並べるのもむかつく
セフレだけど愛し合ってるの☆必要とし合ってるの☆みたいな脳みそ腐ったようなことを言うのがむかつく
そういうビッチどもは自分にとっては何の脅威にも成り得ず、またコンプレックスを刺激する存在でもないと思う。
それに、日本のどこかに、旦那に裏切られた可哀想な奥さんがいようと、自分には関係ないし、
それと同じように、日本のどこかに、惚れた男に便器扱いしかされていない現実から目を背けて、「私は幸せ!」って連呼する惨めな存在がいても、自分には関係ない。
それなのに自分は、そういうヒトが自分と同じようにモノを考えて喋って自己主張しているのを目の当たりにすると、何故かカーッとなってしまう。
許されるのならば、言ってやりたい。
言ってやりたいけど、まあこの子たちはこの子たちなりになんか一生懸命生きてるし水差すのもアレかなと思って放置してる。
嫌なら見なきゃいいじゃん、ってのは正しいと思う。ビッチってのは、猟奇的な変態ほどには、世間から隠れてコソコソしなくていい立場なんだろうなと理解してる。
だから私の目にたまに入ってしまうのも仕方が無いし、スルーしてあげるのが一番いい。
でも何故か気になって見ちゃうし、むかつくし、何で自分がこんなにもむかつくのか、その理由すら分からなくて困惑してる。
これをビッチ本人にぶつけてもしょうがないだろうなぁ、みたいな気持ちももちろんある。
誰かエスパーみたいなすごい人、どうして自分がこんなにも怒ってしまうのか、分析してくれないかなぁ。
本当に思い当たる範囲で浮気や不倫や風俗で傷付いた人もいないし、自分にも経験がない。知らない人がそういうことを勝手にやってるぶんには本当に「どうでもいいじゃん」と、頭では思ってる。はず。
あれからもう3年が過ぎた。
結局1ミリも前進する事なく、それどころか後退し続け、今年の春になってようやく後退は止まった。
アレを恨めば恨むほど深く堕ちていく感覚はあったがそれでも憎くてしょうがない。憎悪というのはこんなにも激しい感情なのかと驚きもあった。
そもそも奴が騙さなければこうはならなかった。体よく厄介払いされたのだ、あの悲劇の主人公様に。
いっそ、ひとおもいに、とおもうことはたびたびありました。あったのです。
毎日猟奇的妄想が全身駆け巡り、心身共に七転八倒した。実行してはならない。だがやってしまいたい。嗚呼。
時間が立つに連れ薄まっているのは感じている。が、巷でよく言われる、時間が解決してくれる、というのは自分には当てはまらないようだ。今も不意に猛烈な憎悪が噴き出す。名前、地名、出来事、きっかけはそこらに転がっている。何より、自分の中で燻り続けているから些細なことで燃えたぎる。畜生。
止せばいいのに時々奴のブログを見てしまう。相方がどうのこうの、鬱でどうのこうの。お薬の世話になってるのは当時からだが、今も飲み続けているのは何なのか。様々な人の不幸を踏み台に、幸せ、とやらに縋りついたんじゃなかったのか。自分から柵の無い所へ行って、いざ周りに知り合いがいないとなると、寂しいと宣う。何がしたかったんだあんたは。
結局地元に一旦帰ってきたこともブログで知った。ふと、これなら近くにいるからやってしまえる、そう思った自分に笑いながら戦慄を覚えた。
下らない。そんなつまらん事に人生を費やすのか。この数年、たっぷりと時間を浪費してきてなお、時間を潰すというのか。奴をやってしまう事より、これ以上アイツ絡みで人生を縛られることのほうが自分の中で、してはいけないこと、のように思える。
もう奴の事は考えたくない。いちいち落ち込んだりしたくない。そもそも自分自身、崖っぷちなのだ。崖っぷちどころか既に崖から滑り落ちていて、これ以上落ちないように掴まるものをがむしゃらに探して握り締める必要があるのだ。崖から落ちる原因は〜、等と考える暇もないはずだ、今まさに落ちている真っ最中なのだから。
…というような事を短いながらも文章にして書き出すと精神が整うのだな。そう思った秋の夜長。
所持品なく素っ裸で放置される遺体は何かしらのダメージを受けると考えるのは当然の理。
もし方法論を持ち出すならどんな猟奇的だろうと実際に起きてる犯行も範囲にいれるのが筋。
で、完全固定の指輪が壊疽の原因になりやすい、っていう一番現実的な問題点に対する反論はまだ?
百歩譲って身につけるものにIDをつけて個人情報っていうのだったら循環の圧迫リスクが少ないネームプレートを首から下げるっていうのは昔から行われてるんだけど。
だいたい手続き時点で管理可能なDNA解析で得られるなりすましより、身につけるものへの盗難のリスクの方が余程高いよな。
外れないものを強制してつける、というのは拘束具になるのでそちらの方が国際的な人権法に抵触するんだけどどう思う?
不憫だよ。ほんと。
私女なんだけど、ずっと昔強姦されかかった時、相手の顔が血だらけだったんだけど
ショック受けたって信じてもらえるかな?
警察行ったんだけど、爪の中に相手の血のりがこびりついてたのに、当時でさえDNA鑑定できたはずなのに、それくらいじゃ証拠にならない、検査できない、と言われた。
相手は一応誰かわかる程度の知り合い、というか就職しようとした会社の人の知り合いだった。
一対一で強姦と言うのは、縛られたりしたら別だけど、かなり成功させるのは難しいような気がする。
言ってはいけない事かもしれないが。
されてしまった人はともかく、これから、そんな事ないに越した事はないんだけ、不幸にしてそのような情況に陥った時でも、まず一対一では向こうもそれを遂行するのは困難を伴うと覚えて置いても良いと思う。
だから、協力させようとして、脅す。
強姦と強姦殺人の間にある刑の重さの隔たりを考えたら、強姦殺人や殺して死姦は狙ってない。はずみで殺してしまう事はあるかもしれないがw
強姦は、被害者が証拠隠滅までやってくれる可能性があるおいしい犯罪
だから、殺すなんて、言ったとしても、ほぼ実行に移さない。脅し。
殺す人もいるかもしれないけど、猟奇的強姦殺人犯は、「殺すぞ」なんて言わないで殺すと思う。
でも、なぜ、そこで従ってしまうのか
他の犯罪の男の人でも恐怖から犯人に従う、または刺激してはいけないと従う事はあるから、それと同じ心理かもしれないが
それ以外に、こうも考えられないだろうか
女の人に施される教育というのは、強姦される事を受け入れるための教育だから
如何にうまく強姦されるかみたいな
ちょっと極論かな
http://mousouteki.blog53.fc2.com/blog-entry-8627.html ここでこれ↓を見て思い出した
私男なんだけど、スゲー怖かった。処女奪われるかと思った