「循環論法」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 循環論法とは

2012-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20121017005701

えっ、そこから説明しなきゃなんないの?

横だけど、なんか理屈おかしくね?

っていうのは、

>「高齢化が原因」ということは「少子化が原因」ということと、ほぼ同義

であるがゆえに、

高齢化の対策が根本的に少子化対策しかない

という風に持ってきてるその論理意味不明だってことだよ。

「ほぼ同義」というくだりの命題を前提すると、その次のやつが

高齢化の対策が根本的に高齢化対策しかない」「少子化の対策が根本的に少子化対策しかない」って具合に循環論法に陥る。

その理屈じゃ何も表現してないだろってこと。つうかそんな小難しい事抜きにそもそも同義どころか現象として別モノだろって意味でもあるが。

それが「『天秤が傾いてるので削るか乗せるかしましょう』としか言ってない」という風に揶揄られているのだよ。

そしてそれ以外になんらツッコんだこと考えてなくてオウム阿呆の一つ覚えのようなこと繰り返してるから、「回答がおかしい」と言われてしまう。

2012-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20120508180014

ブラックスワンは、確率論的な分布を超える閾値存在し得る。ということであって、確率論的な分布を超える例外事項が起きるから確率論無用。という事を歌った話じゃないぞ?。

意味不明だしブラックスワンを理解してないと思われる。

まずは「確率論的な分布を超える」、「閾値」あたりの言葉定義から述べてくれ。

あと、増田は、大きな事件ってのは「起こる」もんなんだよ。といっているが、それは認めているので意味のある議論ではない。

から、絶対とは書かずに、ほぼ、とちゃんとかいているし。ほぼが気に食わないなら、たいていはとか、大きな事故を起こさない限りは というのも述べている。

循環論法になってるのをわかってないのかな?君が言っているのは「大きな事故を起こさない限りは」という条件付けは意味が無い、ということ。

2011-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20111202215912

横だが。

あのさ。情報価値は「言った人間が誰か」というところには無いんだよ。

「話された内容に価値があるかどうか」なんだよ?

情報価値は「確かなソースが確認できるかどうか」だよ

特に「〇〇になるための成功法」みたいな情報はそれ単体では価値判定・真偽判定がしにくいので

「その方法でどれぐらいの人が成功してるの?」「具体的にだれが成功してるの?」という擬似的なソースが求められる

そこで「これを言ってる私が成功してるんだよ!」というのは重い

から成功者の話」はコンテンツ価値がある

あと「情報価値は『話された内容に価値があるかどうか』なんだよ?」じゃあトートロジーだよ…

これは循環論法と言って、何も言ってない

2010-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20101012212450

増田最初に、

楽しいからやるという立場もあるが、それは文脈的に別の話なのでおいておく。

と書いたので、文脈というのを、元増田か、子供の質問に対する回答かと考えた。

これは、俺の判断ミスかもしれない。

ただ、増田が、

相手が子供でないことはわかっているのだから、わざわざ情報を落として子供向けにする意味も無いでしょ。

というのには同意しかねる。なぜなら、「なぜ勉強するのか」というのが「難しい質問」なのは、「子供にこたえる」という制約があるからだ。制約条件を無視してはいけない。

あと、「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのは、「なぜ勉強するのか」という質問に対しては循環すると思う。

「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのでは循環論法だし。

これのどこが循環してるのかわからん

「なぜ勉強するのか」という質問は、勉強の必要性を問うているわけだ。

だから、相手は勉強の必要性を疑っている。

そして、ほとんどの人は、漠然とはしていても、「よりよく生きたい」と考えているはずだ。否定しようがない。

だから、質問の隠れた前提は、「(よりよく生きるために)なぜ勉強する(必要がある)のか」ということだろう。

そのような類の質問に対して、「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのは、あまり意味がない。

ただ、何度もしつこく念押しすれば、信念を伝える効果があると思う。

おそらく、「循環論法」という言葉が悪かった。すまない。たぶん間違った使い方だ。

単純に、「~~というのでは意味がない」と書けば良かったんだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20101012212207

元増田がいなくなったから」という前提で書いたのだから、元増田のような層向けの話になるわけがない。

相手が子供でないことはわかっているのだから、わざわざ情報を落として子供向けにする意味も無いでしょ。

誰向けに書いたって、聞いてきた君(かどうかはわからんが)向けに書いたんだよ。

あと

「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのでは循環論法だし。

これのどこが循環してるのかわからん

http://anond.hatelabo.jp/20101012204004

「問題を解決する際の意思決定の精度を上げてよりよく生きる」ということなのかもしれないと思ったが、本当に勉強することでそうなっているかは不明確だ。

「よりよく生きるために必要なのが勉強だ」というのでは循環論法だし。

つまり、この文章は、単に増田の信念を語っているわけだ。

なので、好意的に解釈した結果、「好きだから勉強する」とした。

増田のような語彙を使って、勉強についてこのような長文を書くのは、勉強が好きだからに違いない。

そもそも、突然の長文で、いったいどのような相手を想定しているのかわからない。

途中で「子供からの難問」の話が出たぐらいだから、小学生ぐらいの相手向けの回答を期待してたよ。

それともこれは、元増田のような20歳の女子向けの回答なのか?

相手に合わせて回答できることにも、勉強が必要だ。

増田最初に、

楽しいからやるという立場もあるが、それは文脈的に別の話なのでおいておく。

と言っているが、選択を間違ったと思う。

ただ、増田勉強好きなのは十分伝わったよ。

2010-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20100924151412

当たり前だが「ミュージシャン」は一つの例えだぞ。

そりゃそこまで好きじゃなかったってことでしょ?

なんだその循環論法は。

どうせ死ぬほど好きなものなんて無い(だからウダウダ悩んでる)んだから、「死ぬほど好きなものが存在する」と仮定する事自体が間違い。

ちょっと好きくらいでいいからさっさと登れって話。

2010-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20100827183805

それじゃあ循環論法になってるだけだと思うけど…

たとえば増田仕事を与えるかどうかによって「良い未来」が得られるかどうかが決まるってことはあると思うんだが

2010-08-16

分裂勘違い3分ウォッチング

♪♪♪

こんにちは。今回は昨晩のついったーにおけるtelle_me氏との議論です。

まずは話の流れを見てみましょう。

ここまで、総需要を増やすとサビ残が減る、という主旨の主張がされてきました。

(二重引用がtelle_me氏、それ以外がfromdusktildawn氏の発言です。)


@fromdusktildawn 無意味な仮定というか、トートロジーだよ、それ。熱くならないように。>総需要を増やし+労働供給を減らし+雇用流動性を上げる

@telle_me ?

@telle_me トートロジーというのは循環論法ってことですよね?どこがどういう風に循環してます?

@fromdusktildawn サビ残を解決するためには、サビ残の原因である需要不足と労働供給不足と雇用の硬直性を解決すべし。というのは分かる。ところが、その原因の三要因の解決方法が示されていない。ただ恒等式的にサビ残定義したのみ。と言う意味トートロジー(同義語反復)。

@telle_me 恒等式とは考えられてないようですが?むしろ、総需要の問題を無視or軽視して、サビ残をさせる企業が態度を改めれば問題は解決するという主張を繰り返す人の方が多いのでは?

@fromdusktildawn 空を飛ぶには重力に打ち勝つエンジン空気抵抗を減らす流体が必要。と言っておいて、その具体的な製作方法は示さない。これは空を飛べないことと同じではないか、という意味に取っていただいて構わない。

サビ残問題をを解決するには、まず、どの方向性で解決するか、という問題がある。総需要の問題を軽視して、サビ残をさせる企業が態度を改めればサビ残が解決する、と考えるのは、不毛な方向性だと思う。

@fromdusktildawn 建設的に行きましょう。確かに「態度を改めれば」的主張をする人はいますね。特に労働者の見方的な仕事をなさっている先生方に。しかしそういった態度を改める法律なりができれば、企業はそこに対応して雇用環境を変えるでしょう。具体的には、賃金を下げる。

サビ残に対して、(1)企業が態度を改めろ。(2)労基署の人員を増やせ。(3)総需要を増やせ。という方向性での解決方法の提示があるとき、(3)の方向性をまず考えるべきと言うと、それは無意味だ、と主張する人というのはよく分からない。

@fromdusktildawn それが無意味と言われるのは、総需要を増やせっていうのは、要は景気を良くしろ、所得を増やせってことで、そんなのできるなら誰だってやってるよって思いがあるからだね。

@telle_me 最初と論点がズレてますよ。サビ残問題に対して複数の解決方向性があるとき、「総需要を増やせ」という方向性での解決がスマートというのが、トートロジーだと言う主張の意味について聞いているんです。

@fromdusktildawn 総需要を増やす方法をあなたが示せないからトートロージーです。

@fromdusktildawn 無論あなただけでなく、誰も総需要を増やす方法は示せないでしょう。 それは皆が分かっていることです。ただ、学問をやりすぎるとそこら辺が見えなくなるようです。総需要を増やせという言葉ナンセンス具合は、企業の態度を改めろと同じ地平のナンセンスさです

@telle_me 『総需要を増やす政策はある』という意見だっていくらでもありますよ。『総需要を増やすことなどできない』というのは、単にそれがあなたの意見だというのに過ぎないでしょう。

@telle_me とりあえず、総需要を増やすのに金融政策財政政策の組み合わせが効果があるなどと主張する経済学者たちを論破してみてはどうですか?

@fromdusktildawn 無論そうです。私の意見です。そしてここ20年の日本現実だと思います。

@telle_me この辺りの人たちのブログコメント欄で、総需要を増やす方法などないって書き込んでみては?

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/ http://d.hatena.ne.jp/bewaad/

むしろ、世界中の一流の経済学者たちに、「長期デフレ不況日本で総需要を増やすのに効果のある政策は皆無だと言い切れますか?」と聞いたら、多くはNoと言うと思うけど。

@fromdusktildawn うーん、刺激的かと思ったけど君案外つまらないなw 他の権威持ってくるなよ。 世界だか一流だかしらないけど、経済学者がそういうのは、潜在需要成長率に近づける程度のことで、需要そのもの増加は示さないし、示さない。もっと学問社会に対して虚だよ。


日本の 20 年の経済停滞の原因は、総需要を増やす方法が一切ないからではなく、経済政策が適切ではなかったからだ、という意見などいくらでもありますよ。 RT: 無論そうです。私の意見です。そしてここ 20 年の日本現実だと思います。 (via @telle_me) *Tw*

@telle_me 経済専門家でも何でもないぼくが、ぼくの素人ロジックをここで何時間もかけて延々と展開するのはできなかないけど、それをあなたに対してやる意味がよくわからない。

@fromdusktildawn 多分君にかけてる現実感が僕の癇に障ったんだろうね。つきあわせて悪かったな、錬金術氏さん。総需要を、景気を、君の所得を、そして僕の収入をあげる方法を、世界の一流の経済学者さんのブログから読んできてまた伝えてくれ。

ありがちな意見を主張する人がいて、それに対する反論なんて専門家が膨大な文章を書いていているのに、その反論を何時間もかけておまえ自身がしろ、と知らない人にいきなり言われてする人の方が理解しにくい。

@fromdusktildawn 他人の反論には見当違いだと恥をかくぞって言いながら、一方で自分は、議論が進むと「一流の経済学が言うには」と権威から引用したり「自分素人」って急に立場を翻したり、そっちの方がよっぽど恥ずかしいけどなー。

ぼくは20年の長期経済停滞が経済政策の失敗にもたらされた可能性は十分にあると思っているし、現在の政策が十分だとも考えていない。それについてはさんざん経済学者たちが議論していて、その議論に概ね納得している。

いまさら、クルーグマンの"It's Baaack!"まで戻って、そこから延々と積み重ねられた議論をまた繰り返せと言われて、なんでそんなめんどくさいことを、面識もない人にやる義務があるのか、分からない。



このように、お互いに理解し合えず終わりました。なにがいけなかったのでしょうか。

ここでは、telle_me氏が採用している隠された言葉定義を知ることで議論が理解しやすくなります。それは

 『机上の空論のことはトートロジーと呼ぶことにする。』

です。このように言葉定義することが事前に表明されていれば、混乱はより少なかったでしょう。

次に、このように言葉定義することの妥当性を考えてみます。

例えば

サビ残が減る政策を実行するとサビ残が減る」

「総需要を増やす政策を実行すると総需要が増える」

というような主張は、いずれもトートロジーでしょう。では

「総需要を増やすとサビ残が減る」

どうでしょうか。このままの形では一般的定義でのトートロジーではありません。ではこれを

「総需要を増やすとサビ残が減る。ただし総需要を増やすことは不可能。」

と変えたらどうでしょうか。(総需要を増やすことは不可能かどうかについては後述)

サビ残を減らすための直接的方法の提案としては無意味とは言えるでしょう。では次に

A 「総需要を増やすと総需要が増える。ただし総需要を増やすことは不可能。」

B 「総需要を増やすとサビ残が減る。ただし総需要を増やすことは不可能。」

という2つの主張を比較してみます。これらはどちらも、実際上は無意味である、という点で共通しています。

トートロジーを含む無意味な主張Aと無意味な主張B。

言葉自体は変わっているので同義語反復ではないが、しかし無意味机上の空論である点ではどちらも等しいので、Bのこともトートロジーと呼んでしまう。これはかなり強引ですが、まったく無関係な定義ではないかもしれません。


次に、総需要を増やすことは机上の空論か、について考えてみます。

通常は実現可能性が非常に低い理論机上の空論と呼びます。例えば

日本国内に超巨大油田が見つかれば、景気は回復する。」

机上の空論でしょう。telle_me氏の言葉定義を使えば

「景気が回復することがあれば、景気が回復する。」

日本国内に超巨大油田が見つかれば、景気は回復する。」

もどちらも無意味トートロジーです。

では、

「総需要を増やすとサビ残が減る。」

について見ていきましょう。これについては

fromdusktildawn氏は『総需要を増やす政策はある』

telle_me氏は『総需要を増やすことなどできない』

という態度を取っています。ここで幾つかの主張を見ていきます。

1「総需要を増やすとサビ残が減る。ただしどんな方法によっても総需要を増やすことは不可能。」

2「総需要を増やすとサビ残が減る。ただし総需要を政策によって増やすことは不可能。」

3「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だが、そのような政策は知られていない。」

4「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だし、どんな政策かも分かっているが、そのような政策を実行することは不可能。」

5「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だし、どんな政策かも分かっているし、そのような政策を実行することも可能だが、当面の間は実行しない。」

6「総需要を増やすとサビ残が減る。また、総需要を政策によって増やすことは可能だし、どんな政策かも分かっているし、そのような政策を実行することも可能なので、今から実行する。」

これらは、1から6にいくほど、サビ残が減るということの実現可能性が高くなっています。

すると

fromdusktildawn氏の考える現状は、3から5のいずれかであるということになり、

telle_me氏の考える現状は、2であるということになります。

ところで、1を除く全てについて、総需要が増える潜在的な可能性はありますが、6以外の全てについて、実際には総需要は政策によって増えません。

よって可能性の基準の決め方次第で、1だけが机上の空論だとも言えますし、6以外は全て机上の空論だとも言えますし、その間のどこにでも線引きは可能です。

そうであるならtelle_me氏が6以外は机上の空論とみなし、

「総需要を増やすとサビ残が減る、という主張は直ちにそれを可能にする政策が実行されるのでなければ机上の空論であり、私はそれにトートロジーのような無意味さを感じる。20年間実行されない理論机上の空論でないというのなら、今すぐそれを実行し、実際上の効果によってトートロジーのように無意味なものではないことを証明してほしい。」

と言うこともまた可能でしょう。

というわけで今回のウォッチングまとめも、

「用語を定義しないと議論にならないが、定義するのは面倒だ。」

ということでした。

♪♪♪

2009-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20091127203135

そもそも自信がない人に対して「自信をもて」っつーのはトートロジーというか、循環論法というか。難しいもんだよね。

まずは自分が好きなモノを書き出してみるといいよ。

それは君の価値観を明らかにしてくれるし、それを大切にすることは自分を大切にすることにつながる。

自分価値観能力に見合った努力は大切だが、自分能力を超えた努力や報われない努力はしなくてもいい。

成果が出なかったとき、よけい自分を信じられなくなるから。

2009-09-22

[][]進化論循環論法

進化論に感じるきもちわるさの根はなにか

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090918/1253283595

何らかの成果が出た時、その成果を得る為にとった行動が努力として規定される。つまり、「成果が出た」時点から遡って、「努力をした」という過去が形成されるのだ。故に努力は必ず報われる

何らかの生物種が現に生存している時(=絶滅していない時)、生存する為に有利と考えられる形質が適応として規定される。つまり「生存している」時点から遡って、「適応した」という過去が形成されるのだ。故に適応した種は必ず生存している

http://www.idea-moo.net/chi-taiken/ono08122801.html

自然選択説循環論法無意味だと批判する者がいる。「自然選択で生き残るのは誰だ?→適者だ」、「適者とは誰か?→自然選択で生き残る者のことだ」自然選択説はこういう循環論法だと批判者は主張する。だがこれは全くの誤解に過ぎない。自然選択説は、変異体と原型との間で環境への適応度に差があるということを指摘する。大多数の事例で突然変異有害で変異体は適応度が低く生き残ることはない。しかし、ごく僅かではあるが有利な突然変異が生じそれが生き残り新種となることがある。また(「種の起源」では明記されていないが)中立な変異体が確率的浮動で生き残り新種となることもある。適応度の差は環境により異なり、任意の突然変異を一意的に有利か不利か中立か決めることはできない。耐性菌は薬剤が存在しない環境では通常は不利な変異体であり増えることはない。しかし薬剤が存在する環境では圧倒的に有利な立場を得て増殖し新種となる。こうして環境の多様性と連動して種の多様性が拡大する。このようにダーウィン進化論を正しく理解すれば、それが無意味循環論法だという批判は全くの的外れであることは明白だ。またダーウィン説が種の多様性を説明する上で極めて有効、いや、唯一の科学的な理論的枠組みであることも明らかになる。

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku

dora_m 人生仕事勉強の術 なるほどねー

ite work, life これは良い定義

T_da 話のネタ努力定義についての良いまとめ

stellaluna 「努力します」「善処します」という政治家言い訳がこれで使えなくなるのならいい定義か。

Zephyrs コミュニケーション, ネタ, 社会, 考察, 言葉, これはすごい 目から鱗とはこの事か……

caraldo_k コミュニケーション, 読み物 俺は納得

kei_ex 正しい。けど、これを知っても自分プラスになるかというと微妙だ…w

ryu-ten くやしいけど正論w 自分では精一杯努力してるつもりなんだけど成果が出ないからもっと努力しろと言われるw

noumi_j2 正論。少なくとも「結果しか評価されない社会になりつつある」事は間違いない。

2009-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20090909172107

よくなる競争だけがきみのいう競争ってことかい?

それじゃ循環論法なっちゃうよ。

2009-06-16

ニセ科学への批判は、倫理学にその基礎をおくべきだ

さいきんニセ科学批判やニセ科学批判批判ニセ科学批判批判批判を見ていて、あまりの議論のかみ合わなさにモヤモヤ通り越してイライラしてきたので書く。

ニセ科学が何故批判されねばならないか。それは「ニセ科学が『科学』でないから」ではなく「ニセ科学(者)が『科学(者)が満たすべき知的誠実さ』を満たしていないから」であり「社会的活動が満たすべき、倫理的規範を満たしていないから」である。

科学とされるもの、科学ではないとされるものの境界は、存在するけれども曖昧である。科学哲学における終わらん議論を見ても、科学社会学的な分析の試みをみても、科学史俯瞰しても、それは明らかである。

たとえば、「科学とは何か」についてのあらゆる言明は、経験帰納に依った言明である。数学における定義みたいに公理から導かれているわけじゃない。「科学であるもの」「科学でないもの」の間には微妙なグラデーションがあり、きっぱり線引きできない。もう少し現実的に突っ込めば、科学者集団が「これが科学だ」と認めているものが科学である、と言うこともできよう(うっかりすると「鶏と卵」のごとき循環論法になってしまうわけだが、しかし実はこの点は大事なのである。これについては後述する)。

つまり、「科学じゃないから」という論理はきわめてshakyなのである。ニセ科学批判やニセ科学批判批判批判を見ていてイライラするのは、わざわざそんなぐらぐらの基盤に立って相手を論破しようとしているからである。


ニセ科学が批判されねばならないのはなぜか。それはニセ科学(者)が「科学(者)でない」からではなく、科学(者)が満たすべきものも含めた広い意味での社会的規範を満たしていないからである。

たとえば、ピアレビューや批判・議論を拒否する態度。科学工学にかぎらず、人文学を含むあらゆる知的営みにおいて、その質を保つ、あるいは向上させるためにピアレビューや議論は存在する。「科学者集団が『これが科学だ』と認めているものが科学」というのが無意味循環論法にならないのは、ピアレビューによって、自身らの営みの価値科学の外にある知的誠実さに帰しているからである。これらを拒否する「ニセ科学」者は、(彼または彼女の営みが科学かどうかを飛び越して)そもそも知的に誠実でない。

たとえば、社会不利益をもたらす営み。これらは社会における倫理学的な規範を満たさない。骨相学や優生学が批判されるのはこのためだし、ホメオパシー信者によるインフルエンザ感染パーティなどもこの類に入ろう。

つまりは、批判のポイント科学の境界線問題ではなく、倫理学にあるのである。ニセ科学に対しては、決して感情的にならず、相手と同じ土俵に立たず、倫理学の基盤に基づいた厳しい批判を淡々と行うべきなのだと思う。

2009-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20090323060714

獣医学部に通ってたときの話。

前職が農水省関連の団体だった教授の話。

鳥インフルエンザがヒトにうつるかもしれないと世間を騒がせていますが、鳥からインフルエンザが分離されたら鳥インフルエンザという定義なのでヒトが発症したら鳥インフルエンザではありません。」

皮肉なのか?

「鳥は感じで鳥と書き、トリでも鶏でもありません。」

まだ法律の話ですか?

「抗原型がH5とH7の場合は病原性が強いために高病原性鳥インフルエンザとし家畜伝染病予防法に従った処置がとられます。」

抗原型で病名も変るんだ。へぇへぇ

「H5やH7でも症状が出ない場合があり、分離されたウイルスを5羽の鶏に打って3匹以上死んだら強毒型、そうでなければ弱毒型とします。」

え?H5とH7は病原性が強いってさっき言ったのに直後に否定かよ。

「いえ、抗原型は重要です。日本で発生した例はそうでない例が多いですが、抗原型と病原性は関係あることがおおいですし」

関係あることになってるが最近の例はそうでもないのか?

「それに、法律でH5とH7の場合は高病原性鳥インフルエンザと診断することになってます。それ以外の型の場合はただの鳥インフルエンザとなります。」

重要だから法律で決まってるのか、法律で決まってるのか重要なのか、それはとにかくこの教授循環論法になってることに気付いているのか?

そのあとアジアにおける発生状況だとか、死者の数だとか、ブタでヒトでパンデミックとお決まりの話。

こっからはその教授の話ではないんだけど、

ブタがヒトのインフルエンザも鳥のインフルエンザもかかるってのは本当。

鳥から分離されるインフルエンザウイルスは鳥の型のシアル酸(厳密にいえばシアル酸とガラクトースの結合の仕方)を標的にして細胞に侵入する。

ヒトから分離されるインフルエンザウイルスはヒトの型のシアル酸を標的にして細胞に侵入する。

んで、ブタは両方の型のシアル酸をもつから、同時に感染することはありえる。

で、インフルエンザウイルスは一つの細胞に2種類のインフルエンザウイルスが同時に感染したらその細胞の中で遺伝子が再編成されうる性質を持ってるというのは本当。

過去にヒトのインフルエンザと鳥のインフルエンザ間での遺伝子再編成が起きたことも本当。

ただ、はブタの体内で起こった、とうのはまだ「かもしれない」の域。

実は、証明はされていない。

病原性の強い弱いというのはおいておいて、組み換えウイルスには今までの免疫が全く通用しないというのも本当。

抗原型ってのは免疫原性の型が違うっていうことだから。

でもね、今までの免疫が通用しないっていうのは、ワクチンうっていても発症するっていう意味で、必ず重症化するっていう意味じゃない。

さてここから病原性の話。

すこし私見が入る。

HとNの型で病原性が決まるっていうのは、その型でウイルスの増殖効率が違ってくるという話なの。

あと特定の細胞でだけじゃなくて全身の細胞で増殖できるとかそういう違いもあるんだけどさ。

まあウイルスの増殖と症状ってのは確かに「関係」はするんだけどそれだけで全てを説明できるっていうのは強引すぎ。

だいいち、増殖のスピードが違うってのは培養細胞での場合とかそういうレベルで。

実際の個体レベルでの症状の重篤さはもっといろんなファクターが絡むはずだと思うんだよね。

それからそもそも「鳥」において「高病原性」がヒトにおいて(ヒトに感染するようになった場合)もそうかというのも必ずともそうとはいえない。

だって、鳥のインフルエンザの一番の症状は下痢じゃん。

ヒトは呼吸器病じゃん。

病原性の強い弱いどころか、症状としちゃ別の病気だもん。

鳥にめちゃくちゃ下痢させるウイルスがヒトにめちゃくちゃ気管支炎を引き起こすかってそりゃ疑問符は出るよ。

鶏からヒトにうつった⇒致死率が高い⇒ヒトからヒトにうつるようになったら(ヒトからヒトにうつった場合も致死率が高かったら)大変だ。

ブタの中で合いの子ウイルスワクチンが効かない⇒世界的大流行

いろんな前提条件とか、仮定とかを5段重ねくらいにして最悪のシナリオを作って大々的に宣伝してる感じがするんだよね。

まあ嘘は言ってないよ。

最悪のシナリオ想像させるような情報の見せ方をしてる。

それがズルいと思う。

「鳥に強毒なインフルエンザブタの中でヒトのインフルエンザウイルスと合いの子作って、ヒトに強毒なウイルス誕生して、ワクチンは効かないし、首都圏流行った場合はとんでもないことに」

ここまで言ったらそりゃあありえなくもないけど考えすぎだし、考えたところでどういようもないだろって誰か突っ込むと思うんだけど、

「「致死率の高い」「新型インフルエンザウイルス」が「首都圏」で「流行した」場合」

この言い方だと突っ込みどころをうまく取り去ってる。

いろんな意味でズルい。

「高病原性鳥インフルエンザ」とか「鳥インフルエンザ」とか「新型インフルエンザ」とか、似たような言葉をあるときは法律用語として使って、あるときは法律用語としてではなく使って、嘘にならない範囲で上手く煽ってる。

煽ってるのは獣医系の学者なんだけどさ。

獣医学者にとって人獣共通感染症って予算とるのに丁度いいんだよ。

だって動物病気なんか研究したってどこも予算出してくんないのに、ヒトが絡めばいくらでも引っ張り出せるんだもん。

獣医農水省管轄)がヒトの病気厚生労働省管轄)に関わろうとしたら人獣共通感染症が一番だもん。

おバカ役人丸め込んで嘘にならない範囲で大々的に宣伝してる側面はたしかにあると思うよ。

痩せると書いたらお縄だから体験者の声「○kg痩せた!」と宣伝するサプリメントと同じ感じを受ける。

だって、

「かつてのスペイン風邪ほにゃらら、証拠はないけどもしかしてもしかして、もしそうだとすると、あんなことが起きたら、ついでにあんなことも重なったら、スペイン風邪の再来が起きるかも起きるかも!!!とは直接は言わないけど想像してみろよ愚民

っていう理屈じゃん。

まあ、俺らとしては迷惑なことじゃないし、学者大学に、家畜関連分野に、そんなふうに業界お金が流れてくれれば、めぐりめぐって獣医つながりで多少の恩恵はあるんだろうし、ありがたいことなんだけどね。

あ、それから農水省は脳衰省というのは本当。

2009-02-20

雑記

鯨肉窃盗:弁護側、無罪を主張--公判前整理手続き /青森 - 毎日jp(毎日新聞)のブコメに間違ってるのが色々あったので。

b:id:wonderer ネタ, トンデモ, 裁判, 社会, 環境目的が正当であれば犯罪行動でも正当である」と言うのか・・・職場にもいるなぁ、直上の上司だが。ただし自分以外が同じ行動をするとキレる。 2009/02/17

医療行為という目的が正当であれば、人の体を刃物で切るという犯罪行動(傷害罪)でも正当である」と言うのか・・・

ボクシングの興行という目的が正当であれば、殴り合うという犯罪行動(傷害罪とか決闘罪)でも正当である」と言うのか・・・

言う。刑法35条で正当業務行為は違法性が阻却される。

ここで違法性が阻却されるために「業務」性が必要かどうかは微妙な問題だけど、とりあえず「仕事」じゃなくても「業務」に当たるとされるのは、車で間違って人を轢き殺すと「業務」上過失致死だ(った)ってことを見ても分かるよね。

そもそもid:wondererが根本的に間違ってるのは、犯罪かどうかの問題なのに「犯罪行動」などと言い犯罪である事を前提に考えている点。

犯罪行動は目的が正当でも犯罪である」という循環論法は何も言ってない。

だから普通は「犯罪行動」などという珍妙な言葉ではなく「構成要件」という言葉を使う。「グリーンピースの行動は窃盗の構成要件に該当するが、正当(業務)行為として違法性が阻却されて犯罪が成立しないのではないか?」という感じ。

で、あとはグリーンピースの行動(横領かなんだかの調査(捜査目的での窃盗)が正当かどうか、という問題になる。まぁたぶん正当とは言えないだろうな。

b:id:umiusi45 毎日新聞, バカ, 裁判, 環境 「「鯨肉を持ち出して横領の実態を告発した行為は、ジャーナリストに保障されている『表現の自由』と同等のもの」」それが法治国家なら、隣の奥さんの浮気の相手は俺だ!といっても罰せられないってこと? 2009/02/17

「それが法治国家なら」の意味が分からないが、それはさておき、「隣の奥さんの浮気の相手は俺だ!といっても罰せられないってこと?」

横領告発浮気相手のカミングアウトは違うだろ、常識的に考えて。

不特定多数の前で公然と浮気相手だとカミングアウトすれば罰せられるおそれがあるが、独り言とか隣の旦那さんの前とかでカミングアウトする分には犯罪ではない。

で、横領告発浮気COの違いは、前者が公共に係わる事柄なのに対して後者は一般にはそうではない事。まぁ「隣の奥さん」が公人だったりすると微妙だが。

id:umiusi45が根本的に間違ってるのは、グリーンピース目的付の行動なのに、比較対象が「隣の奥さんの浮気相手は俺だ!とい」うことという、目的の無い行動である点。「鯨肉を持ち出して」に対応する部分が浮気COには無い。

b:id:ghostbass ジャーナリズム 横領の話は「なかった」で決着ついた気がするんですけど / コレが可能なら改正児ポ法でも同じ手法が警察以外に使えてしまうんですがイイのですか? 2009/02/16

「決着ついた」ねぇ。微妙だなぁ。うん、微妙なんだ。不起訴であって無罪判決が確定したわけじゃないから。

ただ、検察が事件選別で果たしている役割を考えると、不起訴をもって「「なかった」で決着ついた」と言う分にはそこまで害はないんだな。

これが逮捕とか起訴とかをもって「「あった」で決着ついた」と言ってしまうと大間違いなんだけど。

なので、まぁ間違いってわけじゃないんだけど、ただ捜査機関がよくよく思い直して改めて横領として捜査を再開する事はあり得る。無罪判決が確定した場合はそれがない。

微妙なんだ。

b:id:strawberryhunter 犯罪 いつからジャーナリスト違法行為が認められるようになったんだ?つか、反省の弁は無いのかよ。 2009/02/16

名誉毀損に限定した話だが、昭和22年から、報道目的なら犯罪が成立しない場合が認められた。

条文上は処罰阻却事由っぽいから「違法行為が認められた」と言えなくもないが、普通は構成要件該当性阻却事由とか違法性阻却事由とかと解するから、「違法行為が認められた」んじゃなくて「違法行為ではないと認められた」んだけども。

まぁ今回は名誉毀損じゃなくて窃盗違法性の問題だから関係無いんだけどな。

で、今回は「違法行為」に当たるかの問題。違法か否かの判断の問題なのに「違法行為」と言い切ってしまってるあたりは、b:id:wondererと同じ誤謬があるな。あ、こっちが元祖か。

b:id:MERCY グリーンピース, 犯罪 違法収集証拠排除法則ってのしらんのか?例え本当に犯罪だったとしても証拠自体が適法に収集された物じゃないと証拠にならんのだが id:casmだからそれを根拠に無罪主張はおかしい不当に証拠を集めるのが正当って・・・ 2009/02/15

b:id:casm id:MERCY(略)告発捜査の端緒でしかないから告発時の証拠が排除法則にかかるとしても無意味とは言えない。/(追記宛)循環論法になってるよ。正当行為でないことが排除法則にかかるための前提なので、理屈が逆。 2009/02/16

知ったかぶりで間違ってて一番タチが悪い。id:casmの指摘も、「追記宛」はともかく、前段は正鵠を外してるからよろしくないな。

正当行為に当たれば違法じゃ無いんだから違法収集証拠排除法則の問題にならない。

ついでに、正当行為に当たらないなら証拠排除されるか否かに係わらず有罪。

だから、無罪主張と違法収集証拠排除法則関係無い。

それと、私人による違法捜査捜査機関の将来の違法捜査抑止の見地からみて証拠採用する事が著しく相当性を欠くとは言えないから、「たとえ本当に」グリーンピースが「犯罪だったとしても」証拠排除されない。真実発見要請な。

まぁ違法収集証拠排除法則について10時間ばかし勉強し直しとけや。名前だけ知ってても知ってるうちには入らんよ。

b:id:hirok0829 これはひどい, 利権団体, グリーンピース 盗人に「表現の自由」の保障はさすがにできんなぁww 2009/02/15

そういやはっぴぃえんどのアルバムが発売中止になったねぇ。

グリーンピースキチガイだが、それを叩くためなら間違った理屈でも良いと言う発想には賛同できない。まぁ上の連中自分が間違ってるなんて思っちゃいないだろうけどな。

2009-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20090116092950

大体合ってると思うけど、最後の方は循環論法になってしまうから仮定成立しないという形に持ってたほうがよさそう。

なるほど

(たしかに)あなたの言う通り「100億年すれば、宇宙は消滅する。」-(1)

(ならば)そこに主眼を置く限り『あらゆることに意味はない』と言いうる。-(2)

(さて)あなたは「人生に、目的だとか、意味だとか、そんなものはないと思う。」と考える。-(3)

(だが)(2)より、『生きていることに意味があるか無いか(3)』と考えること自体無意味である-(4)

(よって)あなたの前提(1)が正しければあなたの言明(3)には何の意味もない、と証明された。-(5)

//Q.E.D

http://anond.hatelabo.jp/20090116090907

(追記)

>最後の方は循環論法になってしまうから仮定成立しないという形に持ってたほうがよさそう。

確かにそうですね。

宇宙は消滅する」を最初においちゃったけど、たとえば「増田の言うように『宇宙が消滅するならばあらゆることに意味はない』と仮定する」から出発した方がスマートだったかも。

まあ一見証明めかしてるけど、要するに『一言で言えばそりゃ「杞憂」だね』と言いたかったんす

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081122222647

http://anond.hatelabo.jp/20081122234806増田も言ってるけど、ああいう粗雑な論証手続きと循環論法の悪用は、対話や議論そのものが成立しないレベルだよ。趣味の問題で片付けるには致命的過ぎる。

トンデモ」という言葉が、一歩間違えれば主観的印象や偏見押し付けになりかねないというのは、少しでもモノを真摯に考えたことのある人間なら当然理解していることなわけで、故に、彼の「○○がトンデモであることは自明である」式の議論(?)を大前提として扱うのは、俺には到底受け入れがたい。

もちろん君の言うとおり、彼がそれらを全て織り込み済みでやってるなら全然構わないのだが(それなら俺も何も言わないよ)、どう考えてもそうは見えないし。

2008-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20081122150832

それが循環論法にしかならないのは、そこがもう前提になっているからで、批判してどうこうというものではないはず。

稚拙なものはろくに目を通さずに批判しても構わない」はロジックではなく、この増田の議論においての公理になっているように見えるのだが。

「だがッ!そんな公理、俺は…俺は認めん!」

実際、公理でもなんでもないただの屁理屈だしなぁ。ただ、確かに増田の言う通り説得できる気はしない。

http://anond.hatelabo.jp/20081122144907

いやぁ、そう見えるかもしれないけど、その増田は「読むに値しないものは(実際に物理的に)目を通そうとする必要はない、なぜなら、読むに値しないからだ」という不思議循環論法をずっと続けていて、それを批判してるんだけどね。それは、「読むに値しない」という言葉の用法にダブスタがあるからだ、というのが俺の考察(下の引用の2番目の奴ね)。

俺がどうしても突っ込みたいのは「稚拙なものはろくに目を通さずに批判しても構わない」というロジックについて。水伝や例の本が実際に稚拙な内容かどうかは、少なくとも俺は問題にしていない。

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081120235830

では、これまで延々と「1であるが故に2である」と主張していた件について簡潔に説明していただきたい。

もちろん、循環論法却下ね。

2008-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20081109130642

じゃあそれはそれでいいよ。どっちにしてもお前には断言できる根拠はないということだ。

根拠は増すだの過去記事でも読めばいくらでも出てくるだろ。どっちもどっちということにして自分が根拠出せてない点をごまかそうとしてるんだろうけど。

だからそれはお前が規定する「非モテ」の言動だろ。「女叩きやリア充叩きをするのが非モテの主流である、なぜなら非モテの主流は女叩きやリア充叩きをするからだ」どう見ても循環論法です。本当にありがとうございました

こういってる自分が「女叩きやリア充叩きをしないのが非モテの主流である、なぜなら非モテの主流は女叩きやリア充叩きをしないからだ」以上の主張をできてないことはスルーなんだよな。そもそも「リア充」という言葉自体批判的な意味で持ち出される言葉で肯定的な意味非モテがこの言葉使ってるのを自分は見たことないんだが、お前は見たことあるのか?まさか非モテがこの言葉を批判的な文脈で使うほうをよく見るのに「リア充叩きは主流でない」とかいってないよな? 

妄想乙としか言いようがない。

「単なる書き間違いだ。」とかごまかしてるあたり妄想とは思えないんだけどね。

2008-09-17

正しさと理由と大切なこと

http://anond.hatelabo.jp/20080916195956ほど直接的でなくても、他のことについて書かれたことを適用することで面白くなる場合もある。

「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去」(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080916/p1)はホームレス論争に関してのエントリーのようだけれども、これをホロコースト論争にあてはめてみるとd:id:HALTAN意見を援護しているようにも読めてしまう。

d:id:HALTANの批判は、よくわからないというのを多用していることからもわかるように、論理的に緻密に組み立てられた意見だとはおせじにも言えない。けれども、本当に大切なことには理由があってはいけないという考え方を適用すると、論理的な理由によって批判するのではなく良くないと感じるから良くないとでもいうような意見に正当性を与えることになってしまうとも考えられる。

とは言っても、このd:id:hokusyu意見が皆に受け入れられているかというと残念ながらそうでも無い。頭の良いd:id:hokusyuの緻密な意見でもあまり受け入れられないのだから、d:id:HALTANがそれよりも前に同じようなことを言っていてもそれほど受け入れられなかったのにそれほどの不思議も無いのかも。

ところが、同じことは「君らはちゃんと詭弁論理学を読むべき - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080917/p1)でも述べられているのがこれまた興味深い。

もうなんというか詭弁論理学をちゃんと嫁!ってことですよ。健全な良識や良心、他者への共感とかが、論理とか科学とか小理屈の前に、全ての前提にあるものなのだ。誤謬論と「詭弁のガイドライン」 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!とかトリアージ論争の俺的まとめ中でも紹介した部分なので、もう何度目かの引用になるがしつこく引用する。

いかに力強い言葉で説得されようと、

「だから、官憲も婦女子も、無差別に殺せ」

というのが結論であれば、断然はねつけるだけの理性は残されなければならない。

「あなたの考え方には、ついていけません」

反論はこれで十分である。

詭弁論理学」より


http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080917/p1


これもホームレス論争について書かれたもののよう。でもトリアージ論争に関しても適用できるとある。しかしトリアージ論争の一部としてホロコースト論争もあるわけ。そうするとこれまたd:id:HALTANの、あまり緻密で無い意見に対する援護みたいに読める。論理がどうであろうと、結論が納得で聞ければ断然はねつけるべきということだからである。

「あなたの考え方には、ついていけません」というのを「あなたの考え方は、理解できません」とすると、どこかで読んだようなものになってしまうのがなんとも。逆に考えると「あなたの考え方には、ついていけません」ときっぱりと反論した場合にも、相手によっては粘着してくることもありそう。

だからといってd:id:HALTANの結論が正しいかどうかというと、それも自明とは言えない。何が正しいかとか、何が良くて何が悪いかといったことの理由をどんどんつきつめていくと、行き止まりになるか循環論法になるしかないのだけど、その場合になにをもって正しさの担保とするのかはかなり難しい問題。正しさに理由があってはいけないのであれば、なにが正しさを規定すると考えればいいのか。今さら石に刻まれているからと信仰することも出来ないだろう。

ベタベタでなくなったとき  kom’s log」(http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080917#p1)に書かれている自然科学に関する「真理の追究」については、難しいことは難しくても論理によって解明可能な問題。しかし、倫理道徳といった人文科学に関する「真理の追究」はそれよりもずっと難しい問題。

2008-01-26

教委主催講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

 

前書き

ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー

(厳密には、八木氏はかつてはつくる会会長だったが、今はつくる会とは無関係

 

書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。

 

先に書いておきますと、私は公立校勤務です。

で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。

 

この教育講演会教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。

 

講師は八木秀次氏(日本教育再生機構理事長)。

 

恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。

 

忍び寄る何か

開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピック

“「不当な支配」の主体の転換”

という内容。

 

教育基本法の、

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」

という規定が、

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」

と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、

 

before:政府の圧力

after:日教組などの職員団体

 

と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。

 

私としては、

「なるほどそうか……。これは大変だな」

と思ったわけなのですが、その先を読んだら

「……なんか違う?」

 

なにしろ、いざ講演が始まったら、この

政府=正当な支配」

「職員組合=不当な支配」

という立場を全面的に賞賛する論調でして。

 

日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。

(うちの地元には、「教職協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。

方針としては、行政との対話路線。

私もそっちに入っています。

まあ、日教組の勧誘姿勢もアレだし。

新採の時、勧誘パンフが送られてきて。

ガリ版刷りの楽しげなパンフレットだったんですが、封筒に

「教え子を戦場に送るな!」

って書いてある。

言いたいことはわかるがちょっと引いた。)

 

内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。

 

滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。 byゾーマ(DQ3)

講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。

 

第二次大戦末期、樺太ソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。

事件名とか知らなくても、

「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」

とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。

 

で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、

日本人公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」

とか褒め称えるわけです。

 

……ところで、これは教育講演会なんですが。

このエピソードを教育にどう生かせと?

 

彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。

お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」

 

置かれたら?

 

自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。

 

私としては、子どもたちには

「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」

……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。

 

ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。

そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。

 

彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?

 

少なくとも、八木氏の言う

ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」

……というのは、この場合は事実に即してないと思います。

 

……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。

 

また、沖縄集団自決の件について、八木氏は、

沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。

だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」

 

という、目の覚めるような主張を展開します。

 

なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。

なんか、とにかく死ね責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。

 

「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。

近代化が遅れた地域だからな。

 

あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。

 

本当の戦いはこれからだ!(打ち切り

とにかく、こういう歴史観のリビジョン促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。

開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。

本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。

 

もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。

なんという教育予算の有効活用

 

内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会

 

「○○中学校社会先生も、あれはひどいと言っていた」

「○○小の先生に聞いたら、あれは有名な右翼だと」

「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」

 

……ええーっとですね。

つまり、「つくる会」の教科書採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会史観に染まるわけではない、ということですよ。

 

このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。

我々はロボットではない。

 

いや、染めることを目的にした講演会だったんでしょうけどね。

 

本地区では、教育長はじめ偉い人が「つくる会」の支持者です。

その一存で採択が決まったようなもので。

 

しかし、「つくる会教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。

なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会趣旨だったんだと思います。

 

しかし、今どき、中学生ならネットくらい使いますよ?

真岡郵便局には女性交換手が12人いた」

くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。

 

授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?

そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。

 

……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。

さすが日本教育再生機構理事長

率先垂範を地で行っておられる。

 

で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。

で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。

 

スタンディングオベーションかよ偉い人。

 

とりあえず絶望した。

現場がなんとかしないとならん。

 

重箱の隅つつき。

以下、こまごまとしたこと。

 

*紀元は2600年。

八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。

 

なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識誕生したのがその時代だからだ、というのです。

ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。

天皇独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。

 

……飛鳥時代象徴天皇制だったのか。

 

八木氏は、「皇室ニッチ産業」だ、という、寛仁親王言葉引用します。

政府行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」

 

確かに、障害者スキーへの支援とか、結構なことですね。

 

「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」

いや……そうなの?

 

革命史観

八木氏は、他の教科書にある

平安時代貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」

……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。

 

これらが、マルクス階級闘争史観子どもたちを導くものだ、というのです。

 

君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!

 

……別に教科書記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。

なんでマルクス

明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?

 

明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)

うわ新しい見解だ。色んな意味で。

 

そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。

武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」

上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」

……みたいに。

 

八木氏によると、現在学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。

 

その闘争目標とは、電通経団連の打倒……ではなく。

「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」

とかいうのが「闘争目標の提示」だと。

 

……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。

 

歴史に学べ。歴史は繰り返す。

仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。

 

奴婢の話とかって、私は

「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」

って趣旨の話だと理解していたんですが。

人類歴史進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」

的な。

 

八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。

 

私としては、貴族平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。

八木氏も、それが「事実ではない」とは言わなかったし)

 

都合の悪い歴史事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。

それこそ、遺伝学におけるソビエトルイセンコ学説みたいに、学問イデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。

 

まあ、「歴史科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。

 

でも、望ましい思想を注入するために、歴史事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国十八番なんじゃ。

ソ連生まれのくせに白頭山で生まれたと称する誰かさんとか。

 

日本の伝統を尊重しよう。祖先精神を大切にしよう。

基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。

「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。

 

そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。

確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。

八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。

 

ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。

縄文時代は公共の意識が発生していない」=「日本ではない」

から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。

 

日本あけぼの」って言えば、普通縄文時代を指しますし。

逆に、明治憲法現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。

 

縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。

縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。

 

八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権時間的拡大」「死者には墓石投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。

……天孫降臨

 

ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。

走者がバトン渡す前に死んだらリレーにならなくね?

 

ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。

死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。

 

……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。

 

*美しい日本語を守ろう。

八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。

 

「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。

一瞬、弥生式か縄文式か悩んじゃったじゃないですか。

 

自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。

 

日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。

 

返信欄

なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。

 

教育委員会主催講演会とかに行って何かを得たことがあるの?

ありますよ。

まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。

……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。

 

>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。

まあ、チキンなので。

 

偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。

そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。

 

それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)

 

それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。

これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。

 

っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。

 

でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実

古代以来、皇室ニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。

そこで、例えば平安時代朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」

くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。

 

>自分のはてなダイアリーで書いたら?

少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。

何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。

(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)

 

こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。

偉い人にばれたらどうしよう。

 

>「教職協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。

会員でありながら組織背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)

 

>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。

ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)

今や日本教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!

あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)

 

馬鹿冗談はさておき。

大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい

難しいところですね。

 

おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。

 

その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。

そして、大学専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。

だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。

 

その内容としては、重要歴史事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。

 

……もっとも、「歴史事実」というのは現実にはほとんど無限存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。

エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。

 

でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。

2007-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20071212030848

惜しいな…循環論法を克服できれば説得できるかもしれないのに…

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