はてなキーワード: 土俵とは
仰りたいことは、「非常時じゃなければ」まさにその通りです。
土俵に上がった方が、医療的措置を受けたほうが断然いいのに、そのような環境で、
興行として女性が土俵に上がらないことに反対してる人なんておらんからね。
まあ中にはテレビで女相撲を見たいという人もいるかもしれんが。
4月4日、京都・舞鶴で行われた大相撲の地方巡業の際、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市長に、周囲の女性たちが救命活動のために土俵上に上がった問題について、メディアを通じて大きな問題になっている。
医療関係者と報道されている女性が救急救命中、行事が「女性は土俵から降りてください」と繰り返しアナウンスし続けたことが大きくクローズアップされている。
歴史ある大相撲の伝統として、土俵には女性は上がることはできない「女人禁制」の原理原則からすれば当然の話である。
しかし、世間はそうは受け取らなかったようである。この土俵問題を報じているヤフーニュースのコメント欄をザッと読んでみても、女人禁制の制度自体に対する批判が多かった。
ちなみに、私自身も個人的には大相撲・土俵の女人禁制には批判的だし、もっと言えば皇室の男子継承についても改革するべきだと考えている。
ヤフーニュースやテレビの報道番組の中で言われていた批判の中で印象に残ったのは「女人禁制の原則を守った結果、救急救命行為が行われずに、市長が死んでしまったらどうするのか」という論理である。21世紀の現代社会なのに、女人禁制のしきたりは時代遅れではないのか、と。
しかし私から言わせてもらえば、「女人禁制」というしきたりは、しきたりという古めかしい言葉で表現される以上の意味を持つ、「思想信条」に等しいのではないか。
私たち一般人から見れば女人禁制なんて、頭のおかしい考え方そのものに思えるが、大相撲関係者の人たちから見ればそれは教義と同じことなのだ。
大相撲関係者の胸の内を想像してみると、死人が出たとしても女人禁制の原理原則は守るべきことなのだと!
ここで思いついたことがある。中東・イスラエルとパレスチナの中東戦争のことだ。
ご存じの通り、中東戦争の火元であるエルサレムにはユダヤ教とイスラム教、キリスト教の聖地となっている。
ユダヤ教徒によって神聖な存在である嘆きの壁、ムハンマドがここで昇天したと信じるイスラム教徒にとっての岩のドーム、そしてキリスト教徒にとっての聖墳墓記念聖堂の3つである。
この3つの宗教をめぐって、あの地域の人たちは50年以上も戦争を続けている。
私たち日本人から見れば、中東の砂漠の中の地面を巡って殺し合いをするなんて、あの土人どもは頭がおかしいだろうとしか思えないことであるが。
しかし彼ら(ユダヤ・パレスチナ・周辺諸国の人たち)からすれば、「教義のためなら死をも厭わない」と本気で考えている人たちが多いということだろう。
そして21世紀の現在でも、彼らは殺し合っている。
なんでこんなどうでもいいことで大騒ぎしてんだろう
その辺の一般企業に未だに蔓延る女の扱いに関する不快なアレコレの方が一億倍現実的な問題でしょ
女が上がった土俵に塩撒かれようが煮沸消毒だれようがど~~~~~でもいいよ
相撲協会の体制が歪で、変で、醜悪だということ自体は昔から言及されていた。
『ああ播磨灘』なんかはそれを突っ込み続けるという荒業の長期連載を果たした人気漫画でもある。
しかし、今回(どっかの市長が土俵で倒れ、女性が駆け上がったのに『降りてください』と言った件)はさすがに相撲協会を責めるのはね。
*
女性が土俵に上がる⇒女性は土俵に上がれないというルールが存在する。
*
『女性は降りて』と発言した人は当然、放送機材のある放送席にいたと思われる。
そうすると、人が群がる土俵の上で何が行われていたのか、よくわからなかったのではないだろうか。
それ自体はほんの数秒。じっくりと判断する時間もなく、目視で判断される女性が土俵に上ったことを制止しなければ、と思い立って責任感から行動したのだろう。