はてなキーワード: コボちゃんとは
「鳥山がいるだろ」との意見は却下。これからするのは4コマ漫画家の話だ
▼先日、中日新聞などに連載されていた「おーい 栗之助」が終了した。Googleに「おーい栗之助 つまらない」とサジェストされる有様であった
▼だが、「ののちゃん」や「コボちゃん」、「きんこん土佐日記」のようにコンスタントに面白いもののほうが新聞漫画としてはレアケースではなかろうか?
▼「おーい 栗之助」も新聞漫画の平均レベルの面白さはクリアしていたと筆者は考える。少なくとも前任の4コマ漫画版「ちびまる子ちゃん」にしばしば感じた不快さはなかった
▼この4月から中日新聞などに於いて「ねえ、ぴよちゃん」の連載が始まった。作者は「ママはぽよぽよザウルスがお好き」で知られる青沼貴子である
▼地方紙に連載する漫画家はその地域出身であったり在住であったりと、その地域に何らかの縁がある人物が選ばれるのが通例だ。「おーい 栗之助」の作者、森栗丸も出生は鹿児島であるが静岡で育っている。さくらももこにおいては言わずもがなだ
▼なのに、青沼貴子は北海道函館市出身、東京都板橋区在住なのだ。東海地方に縁が無い。青沼貴子が悪いとは言わない。「ねえ、ぴよちゃん」はなかなかのスタートダッシュを決めたと言えよう
「4コマ漫画」は「コマが4個並んでいる漫画」とは違うんです!
俳句が、ただ五七五のフォーマットに従っているだけでは駄目で、季語を伴っていないと俳句と呼べないように、4コマ漫画も「起承転結」を土台に組み上げられることではじめて「4コマ漫画」と呼べるというのが私の考えです!
じゃあそもそも「起承転結」って何なのよ、と言われそうなので、私の考える「起承転結」を説明したいと思います。
例えば
{1, 2, 3, 4, 5}
という数列があったとします。皆さんはこの後に 6 が続くだろうと予想しますよね?
そこで
{1, 2, 3, 4, 5, 8, 9, 15 ...}
と続きを見せることで、読者に「あれ?予想と違うぞ?」と思わせます。これが「転」です。
事前のストーリーの流れで何らかのパターンを作っておいて、そのパターンをがらっと変えるのが「転」の役割です。
「承」で「{1, 2, 3, 4, 5} と来れば次は 6 だろう」と思わせておき、「転」で 8, 9, 15 と流れを変えて「あれ、おかしいな?」と思わせて、最後に
「実はこの数列は、A(n) = n ではありません。正解は
『n および n + 1 の約数がすべて 5 以下となるような自然数 n を小さいものから順に並べたもの』
でした!」
という種明かしをして「なるほど!(スッキリ)」とさせる、これが「結」の役割です。
和音進行で例えると、ドミナントコードの不安定な状態から、トニックに推移して解決するという構造に似ています。
もしも「転」で「あれ、おかしいな?」と思わせなければ「結」の種明かしのオチが活きてきませんよね。
「転」が充分に機能することで、はじめて「結」の面白さが出てくるのです。
もしも初めに見せられた部分数列が {4, 5} の二つだけだったら、
{4, 5, 8, 9} ... と続きの数列を見せても、あまり「あれ?」という感じにはならないですよね。頭の中でパターンが出来ていないためです。
はじめに {1, 2, 3, 4, 5 ...} というまとまった長さの数列を見せることで、はじめて読者に「次は 6 が来そうだな」と思わせることが出来て、「転」に繋げることが出来るのです。
このように、読者の頭の中に何らかのパターンを想起させるのが「承」の役割となります。
「承」が充分な力を持っていないと「転」が死んでしまいます。当然、それにつられて「結」も死ぬことになります。
なお、一番シンプルで分かりやすい「承」の作り方は、「似たような場面のコマを2つ連続させる」などが挙げられます。(サザエさんによくある)
既に「承」「転」「結」で言いたいことをほとんど言ってしまったので、「起」について特筆すべきことはないのですが、敢えて役割を定義すると
と言えます。さきほど、与えられた部分数列が {4, 5} だけだと「承」が活きてこないということを説明しましたが、「承」を活かすための情報({1, 2, 3})を渡してやるという重要な役割を担っています。
以上で起承転結それぞれの役割について解説しましたが、これらの要素がそれぞれ独立して生きているわけではなく、相互作用をすることではじめて全体として意味をなすこと、どれか一つでも欠けるとその他の要素がすべて死んでしまうことがお分かりになるでしょうか。
この考え方を意識しながら、あらためてサザエさんやコボちゃん等を読んでみてください。話そのものが面白いかどうかは別として、構成がきちんと「起承転結」を意識して練られていることが分かるのではないかと思います。
このエントリで言いたいのは「もっと起承転結を意識して4コマ漫画を構成してほしい」ということであって
ということでは決してありません。
また、起承転結のいろはを充分に理解した上で、敢えてそれを崩す(守破離)という手法も全然ありです。
例えば1コマだけでストーリーのコンテキストを読者に存分に伝えられる能力を持つ漫画家であれば、「起・承」を一つにまとめた3コマ漫画というフォーマットを確立することも出来るでしょう。
最終的には面白ければ何でもありなのですが、少なくとも基本的な型はマスターしていて欲しいです!
クラシックでは、ハイドンやモーツァルトが交響曲の型(ソナタ形式・緩徐楽章・メヌエット・ソナタ形式からなる四楽章構成)を作り、ベートーヴェンなどがその形式を追従しつつ声楽など新しい要素を取り入れ、マーラーが交響曲の体裁を保ちつつフォーマットを大胆に崩す、といった歴史がありますが、それは交響曲というフォーマットが充分に確立されていたからこそ出来たことなのです。
世相を反映して、それを日々日々描く4コマ漫画なんだから、我々と同じ世界観が無い方がおかしい。
うーん・・・
戦闘でも、恋愛でも、成長物語でもなく、キャラの掛け合い(キャラにとっての日常)を淡々と描くのが日常系だと思うんだけどな。
この『キャラの掛け合い(キャラにとっての日常)』を、『我々の(現実的な)日常』に近い形で描いているって認識が、私とはずれてるんだと思われ。
なんだか知らないが大富豪がいて、とんでもない天才がいて、狂言回しの大馬鹿がいて、そのなかで没個性ともとれる普通の人が居て。
それらキャラの存在になんら疑問を持つ必要がない世界で、キャラの掛け合いに特化したような話を展開するのが、日常系だと思うんだが。
作品内に直接的に「世間の世知辛さや不条理を織り交ぜる」かどうかということじゃなくて、
『コボちゃん』あたりの画面外には我々と同じ社会・世界が「ありそう」だけど、『あずまんが』あたりはそうではない、という話
まさにバトル漫画に近いような非現実性が、現実の日常を模した(すなわち、現実の日常の代替にしやすい)形で描写されてるのが、日常系なんだと思うよ