うんこ(食べない人は偉い)
🖕(👁🫦👁)👎
生きてるだけで偉いは寄付お布施につながらないので宗教にもなりにくく、本気で掲げてる人はいないだろう。だがこれに攻撃的に反発する勢力は存在している。まさかフワちゃんがそれだとは思わなかったが。
フワちゃんの場合は、生きてるだけで偉いはべつにどうでもよくて単にやす子への私怨でしょ?という見方もできるが、生きてるだけで偉いに反発する際の攻撃性というものを無視できないと思う。
この度、結婚することになりました。
何故こんなものを書いているのかと言えば、それは自分と同じような状況の人のためで少しでも参考になればいいなという思いと、過去の自分が如何に馬鹿であり今後は改めようという戒めのためでもある。
増田は34まで全くの非モテで女性経験もなく、それでいて常に飢えたように愛を求めていたんだ。
いや、違う。もっと平たく言えば「愛されたい!!」なんて常に思ってて、それでいて自分からは行動を起こさないような。
いい年して、運命の人が突然現れる、なんてバカみたいなことを頭の片隅に据えていたのだと思う。
先に言っておく。増田は今、ひじょうに酔っている。久っしぶりにストロングを飲んでみたら結構に酔ってしまって、今は酩酊しながらこれを打っている。
さて本題に戻ろう。増田は非モテ時代、大きな勘違いをしていたのだ。
愛されたい。そう思っていたんだが、そもそも愛とは何か?と言ったことにいい歳して全く理解していなかったのだ。
例えばスイカ。畑に立派に実ったスイカがあるとするだろ?その丸々とした大きなスイカが突然、畑に現れるってことはない。
当然だ。当たり前の事だろ?でもそれって実は愛も同じなんだよ。
愛もスイカと同じ。種を撒いて目を出して、ゆっくり育っていくことでやがて大きなスイカを実らせる。
愛っていうのは突然現れるものじゃないんだよ。それなのに昔の俺は「愛されたい」なんて思ってたんだ。馬鹿だろ!??
いいか?愛ってのは、育ててようやく実るものなんだよ。突然目の前にポンッって出てくるものじゃないんだよ。こんな当たり前のことに気付かない成人男性。それが俺だった。
彼女との出会いは同僚がセッティングしてくれた飲み会で、俺はほんの少々残業をしてしまって時間に間に合ず、20分ぐらい遅れて店に入ったんだ。
女性陣の方にも遅刻者が居て、増田の5分後ぐらいに来た女性。それが俺の妻となる女性だった。
彼女はキャリーケースを引いて来ていて、何処かの出張帰りのようだった。
遅れたもの同士向かい合って座ると、話題に困ることはなかった。
何処か出張に?と聞けば、「ええ、博多の方へ少し…」と女性は答えてキャリーケースを傍に置き、それから俺の仕事について尋ねてきた。
そんな感じでお互いを知るようになって、最終的には連絡先を交換した。これが大切というか一番重要なこと。
で、色々と連絡し合うようになって親交を増やし、いろんなところに行ってみたり、頻繁に会うようにもなって、一緒の思い出をたくさん作ってきた。
今にして思うと、そうした行為って、撒いた種を実らせようとするのと一緒なのかもしれない。
愛は与えるものでも受け取るものでもない。一緒に育てるものであり、それは子供と同じなのかもしれない。
「愛してほしい」というのは間違っていると、分かってもらえたのなら、それでもう満足だ。
Jリベラル(ネットで暴れる過激な左翼集団のこと、左翼インフルエンサーのファンネルの如く襲い掛かる。本来の意味でのリベラル、自由主義とは程遠い不寛容でネット右翼的な攻撃的な行動性質を持つ)
のことを触れないあたり増田には都合の悪かったのだろうか?まあそんなに流行らなかったんだが。蓮舫批判の一連の流れにも繋がってくるがな
わしは福島瑞穂への批判は別に間違ってなかったと思える。統一協会については当時はまだ未確定情報で山上の供述ですらまだ何も出ていない状況であったことを何も踏まえずに増田は情報がある程度出揃った現在の視点から批判してるに過ぎない。
ちな別に東浩紀をそれほど支持はしてるわけではない。彼の本は2-3冊読んだに過ぎないしニコニコで出演してるのを見て知り、増田に比べればそれほど東浩紀のことを知ってるわけではない。
日本の裁判所は根本的にズレていて、「自由とは身体的危機からの自由」であり、「経済的自由は、単なる自由以上の特権」だと考えているので、難民認定が厳しくなる
社畜から搾取するのも、女性や難民にいい仕事を与えないのも、冤罪で人を殺すのも、法曹特権だと思ってるバカに殺されたくないなあって
バカの壁ってそういうことだよね
In Japanese, brown is called 茶色 "chairo". This means "the color of tea.
However, the most common tea in Japan is green tea, and when Japanese people think of tea, they think of green.
For example, Japanese people use matcha green tea in various sweets, and the package design of many such products is based on the color green.
However, 茶色 "chairo," meaning the color of tea, is brown.
Kanji characters are useful ideographs, but often there is a disconnect between the literal meaning and the practical meaning, leading to confusion.