正攻法は初手保健所とか市・区役所の福祉関係の相談窓口だと思う(増田一人で行っていい)
あとEテレの「きょうの健康」「ハートネットTV」とかでも増田の抱えてるような問題をたまに扱うのでチェックしとくといいかも
自分は「おかしい自覚あるのに10年以上精神科にかかれなかった人」なんだけど
「このまま進行させて死にたい」って泣きながら訴えたら
「うちのメンタル科でちょっと話してみる?」って予約ねじこんでくれて初診に至った
メンタル専門の医療ソーシャルワーカーにもいろいろ助けてもらった
こういうルートもあるよってことで
元気だった知人が調子悪くなりメンクリ行って薬に依存して辛そうなのをリアタイで見ていたから
はい。ですよね……。
しかも田舎だからその僅かな需要すらないんだろうなとは思う。
オンラインヨガクラスってのは見つけたんだけど、固い身体を後ろから押してくれるとかそういうの期待してるんだよ。どうしようこれ。
いつも見てるぞ
保守速報みたいにまとめ人一度訴えられたらいいのになと思うわ
あそこでバズってる(藁)ことと現実は逆である、という認識を持てばいいから便利だ
結局、キュレーションなり切り抜きなりという人の手が介在するということは、その人物の考えに沿ったものだけが抽出されるということで、そういう行為を面倒くささを超えてやる執念がある人というのは、しかるべく人ということである。
他人への執着は多かれ少なかれ誰しももつものだけど、あの漫画は「その執着は報われますよ」という話を描いていて、そこが受け入れ難い。
執着の辛さは自分で受け止めて自分だけで解消し、外に漏らすべきものではない。
執着を美化して描くのは作品としては良いとしても、その執着に対する相手方からの答えが好意的なことが物語として当然、みたいな結末はどうかと思う。
おっさんと一括りにしてるが
やはりいろいろグラデーションがあるということがわかった
おれは五十後半
三十四十とはまた違ってきたなと感じることが多い
基本的には悪いことばかりだ
心身共に弱くなった
三十四十にあった勝てないことに嫉妬する気持ちやや反抗心をみせることも怠くなった
全般的に薄味好みになった
とくになくなったのは性欲だ
性的なものは二次元三次元有象無象含めて急激に興味がなくなった
これは少なくない良かったことだ
職場の女性の尻や胸を知らずに凝視してセクハラやキモい親父扱いされることは激減した
三十四十にあった計測値コンマ以下のような可能性をゼロと心から受けいられることができた
そうなるととても楽
ほかが弱くなってるがそこが楽な分で賄ってるところすらある
おれもそうだ
また女にモテるみたいな邪念なしで素直に趣味に打ち込むと趣味自体の美しさに涙する回数が増えた
美しいといえば逆説的だが女性の美しさを純粋に讃えられるようにもなってる
美しい女性は美しい
当たり前だが
以前だと
美しい女性はやりたい
美しい女性は手に入れたい
などとは思った
これは性欲肉欲によるものだろう
大きな胸は魅力
長く細い脚は魅力
おれはすべてが対象外なので若さも魅力の一つとしてカウントすることができるのだ
あるいはそういう性癖が露呈したのかもしれんが
美しい女性に対して美しいと思うのは今日の空は綺麗だなとか海はいいなと思うのと一緒だ
空や海をさわりたいやりたいとは思わない
谷川俊太郎の詩じゃあるまいし
そういうところ早く降りてよかった
おっさんというよりおじいさんか
ただこういう心境になり楽にはなった
三十四十までが本当辛かったが
辛いのは終わると伝えたい
それがひとにとっては六十七十になるひともいるかもしれないが