俺も、わかりみがやばい。
託 児 所 だ コ ラ ァ ! !
例の、ググれば分かるようなことを訊いてくるのもこういうパソコン音痴であることが多い。
しかし調べ方を教えても、こういうタイプはググって解決策を見つける方法を、なかなか習得しない。
例えばありがちな、NumLockでテンキー入力が無効になっている状態だとする。
自責の念を持たない人間だから非生産的だとか人間としておかしいみたいな言い方するのやめてくれない?
先駆者のほとんどが一般常識からかけ離れた理論や発明を持ってして最初から受け入れられたケースなんてほとんどないから
地球が丸いっつってもみんな喜ぶどころか非難して殺すくらいあってようがまちがってようが常識を守りたがるもの
それが良いこともあれば悪いこともあるように現状に自分や環境に不満を持つことはちゃんとした行動の原動力になる
「仕事を辞めて、すべてを捨てて、全然違う町、あるいは違う国へ行こうと考えたことはある?」と言う投稿に多数の回答
http://labaq.com/archives/51609141.html
これを読んだ。
自分は、人と比べられるのにひどく疲れてしまって、最近強く思うようになってる。
若い頃は、やりたい事だったり、楽しいことが次々に浮かんできて、その度に胸を踊らせていたのに、
社会人になってから、責任を背負うようになってから、色々知ってしまったから…色んなしがらみがあって感情が薄くなってしまった。
てめーどこ幼稚園だよ
いつの話をしてるんだよ
教科で「情報」ができた段階ですでに町中のパソコン教室以上のことはしてるぞ
ホイ卒怒りの抗議www
小説とかで告白するシーンがあったとして、あきらかにこの先で振られるだろとか、どう考えてもここで大喧嘩が起こるだろとか、あきらかにあとのシナリオが予想できる展開になったときに、読むのを止めてしまう。(物語に入り込みすぎて)
「いやいや、これはあくまで作者の頭の中で作り上げられた世界なんだ」といくら思っても、物語に入り込んでいるせいで、その先に進むのを躊躇してしまう。
アニメ見てても、同様にあきらかに修羅場的展開がやってくるだろとか予想できちゃうと、再生止めて覚悟してから見るみたいなことがある。
だから、作品を見ていても、「おいおいここはこうするだろ!」とかいちいちテレビの中の登場人物にアドバイスしたくなっちゃうみたいな。
たぶんメンタル弱いだけなのかもしれない。
有害な環境でも生存しなければならないから勉強したり労働したりしてるけど
自責の念がなければ活動できないってのは単に当人の問題であって
働かない人間すべてがそのモデルケースに当てはまるとは到底思えないんだけど
引きこもりの人たちにはある特徴がある
カウンセリングやグループワークの場に来て社会復帰の為の話し合いをすると必ずといっていいほど
この根底にあるのは、現状の不遇は社会や国のせいだという被害者意識だ
しかし、実際は多くの人が学生時代につまづき社会に出たことのない人たちばかりなんだ
なんで社会に出たことのないひとが社会や国の被害者だと思うのかを遠回しに聞くと言葉につまるばかりだ
つまり彼らは単に自責感というものを一切持てないから、自分に何か原因があるということを自覚できないんだよ
突き詰めて話をしていくと結局のところ、社会に出て行きたくない働きたくないというのが本音
それを正当化する為に借りてきた反権力的な正義で攻撃的になるというのがステレオタイプな引きこもり支援の問題だ
はてなでの左巻きの言葉の数々を読むようになって、自分の支援活動と重なってしかない
ちょっとしたらここにいる多くの人が引きこもりとまでは行かないものの
あるある。あと数話がつらい。途中ものすごく面白ければ見るけど、そこそこ面白いし、結末は多少気になるけどちょっと面倒だなぐらいのところで止まってしまうと、どうしようで放置してしまう。だから、最終回、最新話から見る。別にセルフネタバレしても、思ったほどショックはない。むしろ最終回から見て面白ければ逆に残った部分が気になって見たくなるので面白くなる。
ぼくさんちゃい