はてなキーワード: 視聴率とは
脚本家、プロデューサー、テレビ局は視聴率という目標のために同じ作品を作る仲間、原作者や出版社は仕入先の業者。
テレビ局目線だと業者がギャーギャー言ってるけどこっちは金出してんだよって感じなんだろうな。
出版社も原作者の意図は最大限に汲みたいけど、商売でやってるわけだから商談を白紙に戻すのは避けたい。で、ちょっとここは先生に泣いてもらおうってのが常態化してたんじゃない?
だからテレビ局も自分たちの好きなようにいじるのが当たり前になってきて、文句言われたら口八丁で誤魔化せばいいと傲慢になっていたんだと思う。
ありとあらゆる手段で原作改変をしてくる。もはや原作は料理のための素材でしかない。
切って煮て焼いて
それが「実写化」なんだ
ていうか、ここに書いてることなんかみんな知ってるだろうに、
最近「実写化作品も昔に比べると大分原作に寄せるようになってきた」なんて下らない甘言に乗せられて映画を見に行く奴が増えてしまった。
お陰で「漫画原作ドラマは売れる」と考えるバカを増やす結果になってしまった。
もう一度真面目に考えてくれ。
「漫画原作の実写化作品は改変されることが前提のものである。出来がどうであれ、それは悲劇しか生まない」
この事を皆まじめに認識してくれ
芦原先生にとって一番クリティカルだったことは、9話と10話の脚本を執筆して、その評価が芳しくなかったことなんじゃないかなと思っています。
「原作通り・結末は自身で指定する」という当初のオーダーを果たすために、脚本家を降板させるという(現場的には)強行にでて、
自身の作家性を込めたオリジナルストーリーを描いたにもかかわらず、その評価が芳しくなかった(と本人が認識した)のなら、
作家としてのアイデンティティに大ダメージですよ。私は自分の作品を守る為に必死にやったはずなのに、それは求められていなかったと。
このあたりの心情は当のブログ文章からも何となく読み取れます。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。
素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。
漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を
執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。
どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、
改めて、心よりお詫び申し上げます。
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
この先生のテキストについて、自分も最初は内部告発やカウンターかと思ってしまったのですが、
本当は経緯の説明と執筆脚本に対する釈明だったのではないかと今では思います。
脚本を書いて責任を負ってしまった結果、これは自分の作品ではないと分断処理も被害者側に立つこともできなくなり、余計に苦しみを背負うことになったのではないでしょうか。
そのうえで、ブログの公表によって意図せずに脚本家を原作レイパーとして全責任を負わせてしまったわけです。
作品を駄目にしたのは自分自身ではないか、そんな感情が渦巻いてる時にこれは、より惨めに思えたことでしょう…。
先生に届けられた脚本家による9話、10話のシナリオは初稿ではないはずです。現場ではOKとされたものが、原作者監修と回されて全ボツになったわけですから、現場の士気には少なからず悪影響があったはずです。
また脚本家の方は現場に出向いてる様子で、キャストやスタッフとも信頼関係にあったことも忘れてはいけません。先生にはブログ記事にあるように、そもそも交流もなかった。
原作者権限として、あるいは契約として先生がやったことは正しいのですが、現場の感情としては正しくなくて、これが出来栄えにも影響与えたかもしれません。
なのでドラマの打ち上げにも呼ばれなかったとかもありそうで、そういうのもダメージの蓄積になってそうです。
ちなみにドラマの9話、10話の評価に関してはネット漁ればネガティブコメントはまぁあります。ただそれら全体の1割くらいで、最終回まで見た人は概ねポジティブな感想を残している印象です。
視聴率も9話→10話から1%低下してますが、これも面白さと直結している指標とは言えません。
ただ脚本家のインスタと併せて、先生が責任を感じるには十分過ぎた、という感じだったのではないでしょうか。
ブログ発表後に「最終回が変だったのはこういう事情があったからなんですね!」なんて無邪気に投稿してる人もいて、自分が先生の立場だったら本当に死にたくなるなぁっと思った次第です。
原作設定を大幅に改変しまくった脚本だったから仕方なく書いたという流れなのに、原作者が望んで書いたのに、みたいな前提になってないか?
芦原先生が脚本を書かなれけば放送できない状況ではなく、誰かに書けと圧力をかけられたわけでもないようです。
消極的な選択だったのでしょうが、作品の為に自分が書くと決断したんじゃないでしょうか。
だから余計にシンドくなってしまったんじゃないとか、そういう感触です。
ただ制作中の作品において、その問題が表出している場合、貴方が先生の立場だった場合どういう行動を取りますか?
芦原先生は正面から必死に戦った結果、「正解が分からなかった」と吐露しています。
とても難しい状況だったと感じます。
もう触れないほうがいいかなと思っていたのですが、最後に少しだけこっそりと。
本件に関しては今なお延焼していますが、原作と映像化の構造、あるいは原作者と脚本家と対立に関する議論に完全にシフトした印象です。
ですが、これは心を痛めた人間が死んでしまった事件であり、自死に至るまでの心の機微に焦点が向けられていないことは素直に悲しく思います。
芦原先生がどんな気持ちを抱いていたのか、それが明かされる日はこないと思います。
だからといって先生の心情や作品を透明化してしまうのは、なんともな感情が抱いてしまいます。
ですが、このエントリのブコメやトラバのなかには、先生に対する心情や心労に対しての洞察も多数あり、
自分とは異なる観点で書かれたそれらは、大変価値のあるものだと思っています。コメント残してくださった方々、本当にありがとうございます。
先生がなぜ「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」というメッセージを最後に書いたのか。
そのことに各々が思いを馳せることこそが、一番の再発防止に繋がるのではないかと信じたいです。
連続ドラマの脚本を複数人で担当して書くことって、これに限らず普通にあるんじゃない?
しかも、原作者が大事な話だけ書きたがった、なんて他の作家さんでもありそうな話じゃん。
それに、脚本制作の過程で揉めたことなんて、内部の人間が漏らさない限り視聴者は知り得ないことなんだし、
わざわざ「私はここまでしか書いていません」なんて自分から発信するのは違和感がある。
脚本家の人を責めたいわけじゃないけど、
「私が書いた脚本にケチをつけて私を降ろしたくせに残念な評判でザマァ」という気持ちが滲み出てしまっていた。
「一話から最終話まで私が手がけていたら高評価で終われたのに」なんて驕った気持ちもあったのかもしれないけど、
視聴率や評判がどうであれ、余計なことは言わなければよかった。
テレビ局の客はスポンサーであって、スポンサーが視聴率を求める以上視聴していた人ならぎりぎり客(スポンサー)の客くらいの立場ではあるが
ってのが素で分かってないの、世間知らずというか幼稚というかなんか凄いよな
子供なら仕方ないけどさ
正確には視聴率だな
結果の評価軸が金とか視聴率だと暗に決めている時点で価値観を他人に押し付ける気マンマンの関わっちゃいけない人間だって普通は思うと思うんだけどな
金や視聴率第一で行くならそういう原作者と組むべきだし、それでもなおこの原作で行くならお互いの妥協点を探しながら契約するんだよな その上で契約を反故にして自分の価値観を優先するならまぁそういう人間だよねっていう、もうそれだけの話 今回の話の真相がどうかは知らんから一般論やけどな
ほんとそれな
今回の件はよく知らんし一般論だけど、テレビ業界は前々から悪い噂が多すぎるんだよね 視聴率が取れるかどうかとかは最終的にはテレビ局の都合だし、原作者からすると視聴率がどうこうよりも原作の再現度が重要だったかもしれないし。
なんか自分の価値観とか善悪感をナチュラルに押し付けてくる人がとても多くて、なんのために契約があると思ってるんだって感じ。金のためとか視聴率のためだけに生きてる人間だけじゃ無いんやぞっていう。
一般論として普通は今後の付き合いがあると思ってたら他人相手にぞんざいな扱いはできないんだから、そもそも使い捨て前提のぞんざいな扱いされると気分悪いだろうしな
だから「6%で高視聴率なんだってあの時間枠のドラマとしては」ってずっと言ってるじゃね
アニメだって視聴率が低いわけじゃなくて深夜帯だし、アニメ自体配信があったりで視聴率は高くならないから3%でも高視聴率でしょ?
視聴率を時間帯とか番組のジャンルで層別せず一緒くたにしてセクシー田中さんとかのことを低視聴率って言ってたから、それは「アニメの視聴率3%だから超低視聴率w」と言ってるようなモノだぞと例示しただけで、別にアニメが低視聴率とは思ってないと思うで横やけど