はてなキーワード: 慶事とは
落語の定席は自粛要請を受けません、というのに批判が割とあって、まぁ個人的には批判も、ある程度は仕方ないだろうなぁ…としょんぼりするほかないのだが、寄席を開いている側としては死活問題だろうとも思う。
増田は落語好きなのだが、寄席には元々あまり行かない。近所で落語好きが席亭やってる小さい落語会やホール落語に行くのが中心。これには個人的な理由があって、寄席だとあんまり好みじゃない芸人のもなんとなく見ちゃうことになるのが、あんまり楽しくないからだ。そういうのが好きな人もいるからこれは良し悪しではなく単なる好みの問題。
で、定跡の寄席(一年中やってる寄席)って実は少ない上に大して儲からない絶滅危惧スペースで、そこで芸人が得られるお金は微々たるものである。実際にいくらなのかは知らないが落語家さんがそういうマクラや雑談をするし、キャパシティや普段の稼働状況なんかを鑑みても「あんまり儲かってなさそう…」というのは容易に推察できる。定席の寄席に出てるだけだと全然食えないと思う。
寄席に出る芸人の主な収入源は寄席ではなく、営業やいろんな場所で行う落語会なので、寄席が閉じてしまうこと自体が彼ら芸人の日々の生活に直撃するわけではない。が、落語会やお笑いイベントが行われる場所は主に公共ホールだったりするので寄席よりも強く自粛させられるため、すでにホール落語は続々と休止が決まっている。こちらの方が実際には芸人たちにとってはクリティカルヒットになるわけだ。
去年の初めての自粛の後は、解禁後も寄席は閑散としていたと聞く。この10年ぐらいは東京はかなりの落語ブームで寄席も盛り上がっていたのでコロナの影響は深刻だよなぁと思っていた。それでも再開して少しずつ客足も戻ってきたらしいよと聞いていたのだが…コロナの影響で、営業(ホール落語とかも含めて)がままならなくなっている芸人たちも、寄席を開いている席亭たちの収入も当然大幅に落ちていると思われる。
絶滅危惧スペースで大して稼げるわけでもなく、これを書いている増田自身が「あんまり行かないんだよな…」と思う寄席ではあるが、落語や演芸文化にとって大事というのはとても理解できる。
席亭(芸人の出番を決めたりもする)の人脈力だったり、ショーケース機能(営業や別の落語会に呼ばれたり)だったり、自分を目当てに来ているわけではないカラい客を相手にするという若手の修業の場という機能だったり、こういう諸々をまとった空気感。寄席がつぶれると、こういう機能とともに、文化を醸成するための有象無象な「空気感」がなくなる。一度なくなった後に取り戻すのはかなり難しくなるだろうから、まぁ、寄席の側からしたら「文化だし必要だし」という言い方になるんだろう。
大阪では長いこと定席寄席がなかったこともあって、上方落語はすごく面白いのに、繫昌亭ができるまでの長い期間、沈んだ期間を過ごしていたらしい。関西の人にとっての落語家は三枝と仁鶴と、その他いろいろタレントやリポーター、みたいな感じだったと。最近はようやく中堅若手で面白い上方落語の人が続々と出てきているし大御所たちも落語を元気にやっておられる。
そして江戸落語がしばしば、すごい面白い落語家を生み出しているのは、定席が続いて存在しているからというのは大きい。批判もあろうが、どうせ(特に池袋は)ガラガラだろうし許してやってほしい。
一方で、実は江戸落語の界隈も、クラスタ認定はされてないが芸人の陽性者をこの1年で何人か出している。前座や若手だけでなく真打も。私が好きな師匠も感染を発表して、重症化しやすそうなタイプだったので凄く心配していて、今は無事に回復しておられるので安心した。とはいえ、まぁ、「文化だから開き続けるぞ」と宣言するからには、できる限りいやそれ以上に芸人たちの感染対策を、彼ら芸人自身がしっかりやってほしいと願うのだ。じゃないと、批判が増えてしまうだろうし何より何かがあった時にその芸人さんの芸が見られなくなったらすごく寂しすぎる。
で、話は変わるようで変わらないのだが、相撲である。相撲は相撲部屋クラスタも出しているし亡くなった力士もいる。なのに深夜まで飲んでた麻雀やってただのと報道をされている。反省がない…という悲しさ。
相撲も落語もそうなのだが、彼らの中に感染がおこる原因の一つに「タニマチ」の存在があるのではと思ったのだった。相撲も落語も「タニマチ」と俗称されるような人たちがいる。取り巻きというか私的スポンサーというか。落語会の後に打ち上げをやって若い者に栄養をつけさせたり、場所の後にパーティーをやったり、タニマチ側の慶事やイベントがあったらゲストで来て「お相撲さんがきてる、わー」と言われたり、ちょっと軽い一席をやったり、お姉ちゃんのいる店に一緒に行っておねえちゃんを驚かせてゲラゲラ笑ったり、そういうことをしていたりする。こういうのは徐々にすたれていっているという話も聞くのだが、こういう「場」を通して感染が広がるのはあり得るよなぁと思うのだ。
個人的にはこの「タニマチシステム」は好きじゃなくて、それは私がタニマチをやれる財力がないから嫉妬しているのは大いにあるが、芸や理屈が「内向き」になることと背中合わせだよなと思うからだ。一方でタニマチに食わせてもらった若手時代、とかタニマチに金出してもらったから部屋が持てた、みたいな話も聞くのでむげに否定もできない。ただ、コロナのことがあるから、徐々にすたれていっているという流れがそのまま加速して、別の方向(例えばYoutubeで課金とか)に流れていくといいなぁ…と思ったりする。
けど、2年近く会わない期間が会って、久々の再開で食事をしたけど全然楽しくなくて、なんでこんなに楽しくないのか疑問に思いながら味のしないご飯を口に運んでて、認識のズレがある部分(私の家族関係を実際より不仲だと思ってたり、体調的に仕事もちゃんとできてないと思ってたり)も多々あったけれど、慶事の報告の場でもあるのであんまりツッこまなかった。でも無理すぎて私涙出てた。
それでその日解散した後に、また会う機会もあるのか……と思ったときに、こんな感じの食事会が開かれるのはもう無理かも、って思った。ダメ出しからはじまって、近況報告を一方的に聞いて、その後そっちは?って聞かれたから私もそんなに変わったことはないけど近況報告をして、延々とアドバイスを受けてるの苦痛だった。私は自分の体調のことはお医者さんと職場に相談しつつ仕事してるよ。職場や学生時代の友達も結構普通に交流続けてたよ。病休とった方がいいとか、もう私がいなくても大丈夫だと思ったとか言われて、私は正直ピンとこなかったよ。どの立場からの意見なの?少なくとも以前のような居心地のいい友人とは言えなかった。また会うのがこわかった。
その夜、今日感じた違和感を言っておかなきゃまた同じことが起こると思って、なんとかこのもやもやした気持ちを伝えようと文章を書こうとした。LINEに直打ちしてたから変な感じで送っちゃったりしてたこのへんは地獄みたいな気持ちだった。もやもやした部分が多岐にわたってて、どう書いても長くなるし気分も滅入る。でも私がこの食事会でいちばんもやもやしたのが、相手の「めんどくせーな」という言葉だったので、この辺で私がどう思ったかを説明する文章を送った。私も向こうの状態をちゃんとよく知らなかったし、連絡の取り方が悪かったけど、やっぱりちゃんと言ってもらえないと向こうの事情はわからない。私にもやるべき事があった。それで文句を言われたらこっちもまさに「めんどくせーな」という気持ちになった。そういうことを赤裸々に書いた。そうしたら、向こうから距離を置こうという言葉が来て、私は同意した。絶対にこれがお互いにとってベストな選択だった。
このときもうこの先一生合わないかもと思いながらも、慶事の報告を受けたのでお祝いを手紙を添えて送った。手紙の内容は結婚おめでとうという内容で、別に上記の話は蒸し返さなかった。長い付き合いだったので、お祝いの気持ちも普通にあったから。けれど、数週間経っても音沙汰ないので、郵便事故の可能性を考えて、向こうの家族に確認したら、届いてすぐ本人に渡したとの返事が返ってきて、私はこの時点でやっぱりもう会うことはないなと思った。常識がなければ云々言ってた気がするけどそちらにとって常識って一体なに?早めに内祝いが返ってきたら別に気にならなかったかもしれないけど、それからまた数週間遅れで届いたお祝い返しが、のしも一言も何もないところを見るととりあえず筋は通したという格好なんですね。もう無理だなと思った。これ以来会社の同僚にお祝い贈るときのほうがもっと気持ちよく渡せるようになったのはいいことかも。
そしてこれは私が愚かなところだが、もうブロックしてたのにわざわざ向こうのツイアカウントを見に行ってしまったこと。人間主観が入るのは仕方がないけど、明らかに私のことを書いていて、でもそう捉えるんだなあ……と全体的にショックだったし、やっぱりもう会えないなと思った。そちらはそちらの世界でやってください。今までどうもありがとう。私の見えないところでお幸せに。もう関わりたくありません。私ももうブロック先のツイートを見るなんて愚かなことはしません。
愚痴垢とか持ってないので増田で愚痴を書いてしまう……また友達に電話して愚痴聞いて貰わないとおさまらん……でも書いて少しだけすっきりしたかも。とりあえず今日は寝る。