はてなキーワード: 個人授業とは
なんだろうか。
今ではどうなっているかわからないけど、私が通っていた当時は、日本から赴任してくる先生の任期は3,4年と決まっていたし、学校に通う生徒児童も、親の仕事の都合で、やはり3,4年長くても5年ぐらいで日本へ帰国する人が多かった。
その日本人学校は小中一貫校だったが、自分が中学卒業する時には、私が入学した時のことを知る人もいなければ、校舎が変わったことを知っている先生も生徒もいなかった。
私はいつも迎える側であり、見送る側だった。
3,4年、短い人だと半年
毎年新しい子がくるということも無く、学年で生徒が2人だけだったりすることもある。
そんな環境で育った私は『トモダチ』ってものがよくわからない。
そのシステムがよくわかってなかった頃は、「日本に帰ったら手紙送るね!」「また日本で会おうね!」「離れても友達だからね!」なんていって空港で涙し見送って、手紙のやり取りも何通かしたものだったけど…
小学校卒業の前には、もう「トモダチってもんは3,4年の期間限定もの」と思うようになってた。
そんな事を内心思っていたからか、群れから逸脱してしまって、ごく少人数なのにも関わらず、いぢめ的なものを受けたりもした。
(そもそも企業関係者の子供ではないし、全員が純日本人の中で1人ハーフだった。って事もあったからなのか)
20歳をむかえて、私も日本に住むことになり、細ーーーく繋がっていた何人かと数年に渡って何回か集まって同窓会のような事をしたりもしたけど、小中学生の時の思い出なんか、高校、大学の思い出に勝るわけもなく。次第にその会も開かれなくなり、今では連絡先も知らない。
SNSの登場で、繋がった人もいるけど…
別にやり取りするわけでもないし、いいねがくるわけでもない。(私からもしないし)
正直なところ「この人らはなんで友達申請してきんだ???薄ら寒いな。」と思ったりしてしまってる。
かといって、友達申請受けないのもどうかと思うし、外すのもどうなんだ?って思うから、顔本は放置だ。
親や人に言わせると、友達だったんだから私が積極的に絡みに行けばいい。と言う。
ふむ。では、友達だったんだから向こうから絡みに来たっていいのでは?
つまるところ
トモダチと呼べる人とはどんな人かもわからずいる。
新学期になったということで....略
悪いことは言わない。
塾講師なんてやめておけ。
コンビニ定員もだめ。
学生なんて学歴しか見るとこないから、その高学歴を活用して社交場でろ。
以下、蛇足。
個別指導講師3年。塾講師3ヶ月。の経験をもとに個別指導講師のアルバイトについて書きたい。
【放任主義】授業なんてするな
【人間だもの】
最後に
まず、生徒の人数が全然ちがう。
生徒が一人や二人は、その生徒が分からないことを教えてあげればいいので、
授業の質で勝負するしかなく、プロフェッショナルとしての能力が必要である。
入試ってのは、根本的な理解と、受験独自のテクニックを身につける必要がある。
学校の成績なんてのは、目先の点数アップが目的で、勉強すれば誰でも達成できる。
・塾:独力で勉強できる
個別指導の生徒ってのは、勉強の仕方が分からないって子が多い。
このバイトで仕事できないやつの1パターンは、ひたすら参考書とく奴。
強制的に勉強させらている人と、自主的に勉強してくる人では、成長が全く違う。
教える技術を持たないただの大学生が、他人の成績上げるには、自分を好きになってもらうことが最も簡単で効果的。
授業時間は、如何に生徒に好きになってもらうかが大事で、講義なんてのは話のネタや間を埋めるための材料みたいなもんだぞ。
所定の基準があって、それを満たせていないなら問題。それは己の能力が低いのか会社のシスムテに不備があるのか、まぁ本筋と逸れるから割愛。
1ヶ月休めるか否かなんて、個別指導講師がどうのこうのじゃなくて、その会社のアルバイトの運用に寄りけりだから。
バイトは法的に損害賠償責任負わないだけで、お金を貰って仕事を任せてもらっていることには変わりないから。
生徒に愛の告白される。
定期的に至近距離で年上の大学生とコミュニケーションとってりゃ、勘違いも生まれる。
半端な人に知ったかぶりのコメントされるとうざいので英語関係のスペック書いておく。TOEICは20年前に925点とってからあほらしくてうけていない(TOEICは英語のテストじゃなくて忍耐力のテストだ。今受けたらつまらなくて15分で寝る)。英検は十年前に一発で1級とった。教養のあるネイティブにくらべれば読む速度はかなり遅いが新聞も雑誌も読める。米在住合計7年でアメリカの現地企業で毎日英語で仕事している。その辺の「TOEICxxx点をめざす」とかいうブログとかは生暖かく見守るレベル。
普段は割と優秀な人とコミュニケーションしているのであまり問題ないのだが、ときどき教養の無さそうな人(店の店員とか)と話していて自分の発音がいっさい通じなくなることがあった。これはもう極端で、さっきまで他の人と世間話してたのに、その特定の人とは商品の注文でさえできなくて絶望する程。メキシコ系の移民の人と話しているときにも同じ傾向がある。そういうときは他の人が助け船を出してくれたりするから、他の人には自分の発音が通じているらしい。以前からこういう傾向はあって、英語の個人授業の教師に相談したこともあったんだけど、その教師は自分の発音を理解できる人なので「問題ないけどな」という反応で、てがかりなしだった。
それがこの前原因がわかった。
きっかけは家族(自分ほど英語がしゃべれない)に買ってあげたRosetta Stoneという英語練習ソフト。この中に、発音をコンピュータが判定するトレーニングがある。家族にはこれが難しいらしく、やってみてと頼まれた。自分がやると、90%は一発で通り、5%も二回目くらいで通るんだが、中ににいっさいクリアできない単語がある。なんだこりゃと思って、しばらく試して気がついた、こりゃRだ。しかも母音の後。
思い当たる節がある。初めて英語の発音をちゃんとならったのは米東海岸で、あのあたりはRの発音が適当な地域があるのだ(ボストンとか)。先生がその地域の人だった可能性があるし、東海岸の人たちはR抜きの発音にもなれているから自分の発音の欠点に気がつく機会を逃してしまったのかも知れない。当時自分の発音にはそれ以上の大問題が沢山あったから先生もこの比較的小さな問題は矯正しなかったんだろう。
そして現在。普段自分がつきあいのあるような教養ある人はいろんな発音の種類に触れているから、R抜きの発音も理解できる率も高い。R抜きの発音を知らない人にあたると「こいつ、何言ってかわがんねっぺ」状態になる。メキシコ人にはこういう人の比率が多いらしい。あー、なんだ、そういうことか。
その後Rの発音を気をつけるようにして、過剰なほど母音の後のRを強調するようにしたら、通じなくなる率が激減した。
追記書いた
Rの発音、追記
http://anond.hatelabo.jp/20151013015136
ちなみに、スペイン語は片言話せる。それだけになんかイライラしてた。
お前がレジの後ろでこちょこちょ喋ってること、こっちは半分くらいは理解できるんですけど、なんであんたは俺の言うこと1ミリも理解できないの?って。
そいつは自営業してる父親の家庭に生まれた。
けっこう両親ともに年食ってから生まれてきたので、
父と母というより祖父と祖母に近いくらいだろう。
生まれてから数年のことは聞いてない。
そけいヘルニアだとか、階段から転げ落ちて頭を縫うとかはしたらしい。
彼の記憶によれば、最初の登園日など、送迎バスに乗るときに母親と離れたくなくて暴れてたらしい。
母親は、休み癖も小学校になれば変わるだろうと思ってたようだ。
小学校にあがる。
人見知りが激しく、
「お友達になるために自己紹介カードを交換しましょう」なんてお遊びをやった時、
あまり交換してなかったような気がする。と言っていた。
小学一年でも既に休みぐせが増えていたが、まだ許容範囲だっただろう。
小学二年からは休みが多くなり、教室に入りづらいと既に思っていたかな、とのこと。
小学三年で完全に不登校になるが、担任教師が「放課後クラスのみんなと一緒に遊びましょう」ということをやってくれたらしい。
そいつはしぶしぶながら行き、その癖楽しんでいたかもしれないと言っていた。
小学四年では、担任の努力の成果か、学校に、休み休みながら通っていたし、友達っぽいのも居たらしい。
しかし、秋ぐらいにぱたりと行けなくなってしまった。何故かは憶えてない、と。
小学五年ではそういう奴専用の教室のようなものが学校内に用意されてそこに通い、
六年にはそういう奴専用の、市の施設みたいなところに通っていた。
卒業式には出たという。
そいつは中学校に上がった。
俗に言う中二病みたいなものが、ほんのちょっとあったかも、と悶えていた。
それが原因か性格が原因かは知らないが、同級生に少しからかわれていた。少し
それが原因か他になにかあったのかまでは解らないが、また不登校になった。
前述の施設に(小中学生どちらも行ける)また通いはじめたらしい。
中学二年では、テストを別室でもいいから学校でやれば、点数になって高校受験の時の評価になると言われ、
別室でやっていた。
自宅学習とか出来ない奴だったらしいが、
半分以下の順位になった時は一回以外全く無かった。と自慢していた。自慢かそれ
中学校三年生。
相も変わらず施設には通って、学校復帰の兆しは見せなかった。
成績はあんまり変わらなかったが、数学と英語の成績に頼った危うい成績だったため、
個人授業の塾に通っていたらしい。
それなりに成績が上がって、30/150人くらいの順位をキープしていたらしい。自慢気に言うな
受験前というのもあったが気づけば5教科すべて個人授業を受けていたらしい。金かかっただろうな。
受験。成績はともかく、内申点が壊滅的だったが、普通高校に志願した。
学校で練習したり、前述の施設でも練習し、最終的に担任に誉められて喜んでいた。単純な奴め
結果は合格だった。
ネットで確認した後、一応ということで学校での合格確認の帰り道、
たまたま学校で一緒に面接の練習してた、"普通の"子が落ち込んだ顔で通り過ぎていたらしい。
俺は、不登校という理由で落とされるのと、真面目に学校通ってた子が落とされるのと、どっちがマシかなと思いながら聞いた。
そいつは高校に進学した訳だが、
もう早速不登校になりそうだとかほざいていた。
何年も不登校だった奴が突然行ける訳がない、解っていただろうに。
周りの人も忠告していたらしい。リハビリがてらに中学校に顔出せと。
そいつは今更になって現状を怖がっていた。
高校すら行けなくて、将来どうするのだと。
それだけです