はてなキーワード: さんま御殿とは
別にジャニオタになる前にも思っていたことだけど、ルールを破る人が優遇される。
ここで全く関係ないことだとは思うが書いておく。
私は昔AKB48(現NGT48)の北原里英ちゃんが大好きだった。
涙サプライズの頃からAKBを好きになり、最初から北原里英ちゃんが好きだった。
その頃はりえちゃんは次世代エースと呼ばれていて指原とよくりのりえで雑誌に出たりしていた。
指原と言えばみなさんご存知の文春スキャンダルでHKTに左遷させられた。
その時私の熱はAKB48から少し遠ざかっていたのでこの話題に関してそこまで興味はなかった。
そのスキャンダルで指原は一気に有名になり今ではAKBグループの顔。
指原がどんどんテレビに出てスキャンダルをいじられながらもバラエティーなどに出ているとき私は里英ちゃんと指原が二人で出ていたさんま御殿を思い出した。
「私たち永遠の次世代エースなんですよ」なんて自虐を話しながら。
このスキャンダルでどんどん上に上がっていった指原を見て私はアイドルとしてのルールを破っていた指原がこうして世間で注目されて有名になっているのにルールを守っていた里英ちゃんや他のメンバーが優遇されないの?と理不尽に思った。
スキャンダルされた人が全員こんな風に成功できるわけではないし、指原はそのスキャンダルで得たテレビ出演のチャンスを逃さないように上手く振る舞っていたポテンシャルもあるかもしれない。
だが、私には納得できなかった。
世間ではスキャンダルがあるアイドルがその事をいじられて話す方がおもしろいということなんだろうけど、アイドルとしての正解は里英ちゃんや他のメンバーの方だ。
ここでジャニオタに話は戻るが、私はいわゆる出戻りのような形で最近ジャニオタになった。
昔ジャニオタだった頃はいわゆる茶の間と呼ばれるオタでアイドル雑誌を買ったり少年倶楽部を見たりコンサートには行きたいー!と常に口に出してはいたが、地方だしまだ中学生でお金もないし行けないと言って行かなかった。
アメブロでいろんなジャニオタと交流したりして、現場に行かない分知識はネットで拾っていた。
その時私の担当はデビューしていたのでジュニアのことは少クラに出ているメンバーは知っていたが、アメブロ界隈でも自分の担当の界隈の人たちとしか付き合いはなかったのでジュニアのオタとの繋がりはなかったので「出待ち」とか「オリキ」とかの存在を全く知らなかった。(自分が茶の間だった分そんなこととは全く無縁だと思っていた)
そしてまたジャニオタに出戻ったときに私はジュニア担になった。
そこでジャニーズにも出待ちの文化があることを知る。初めて知った私はどの世界にもこのような事はあるんだと思った。
それまでの私はジャニーズだけはどこか特別でそんなことはないと思い込んでいた。
ヤラカシって言葉は知っていたけど、オリキについては全く知らなかった。
たまに増田を見たりしているとオリキについて書いてある記事を見かける。
出待ちはルール違反の行為のはずなのに、そういう行為をしている人の方が優遇されているのだと思ってしまう。
ならば自分もオリキになれば?って思うかも知れないがそんな時間もお金もない。
なにより自分がずるいと思っている人たちと同じようになりたくない。
でも、やっぱりファンサをもらったり話したりできるのは正直死ぬほどうらやましい。
さんまが岡村に女の子を紹介し、後日岡村は女の子との食事に自分の親戚のおじさんと行ったらしい
そんな岡村に対して出川が頭指さして「お前は馬鹿だ」というイジり・・・
出川が再度イジると、「なんでそんなん言われなあかんねん!」って岡村がマジ切れ
うつは自己肯定感の少なさから来る。元々自分が馬鹿だな・・・って思いがちの人が人から頭を指さされ、最大限に侮蔑のニュアンスを含ませて馬鹿といわれるのってどれだけ辛いんだろう。
見ててつらかった。
そして岡村にドン引きするリアクションをする出演陣。つくづく日本はコミュ障には生きづらいと思う。
岡村は何故これがダメな行為だったのか、女に教えてもらったことや、具体的に指摘する人がいなかったんだろう。
でもそれだけだ。それまで属してきた環境によっては自分にも同様の境遇になってイジられるかもしれないのだから・・・。
この程度も分かっていないの?って言われるかもしれないけれど、人の理解力に程度があるのは何も知識だけじゃない。社会経験(笑)もそうなんだよ。
24時間テレビに始まり、笑ってコラえて、ケンミンSHOW、行列、さんま御殿等々……。
日テレ好きな家族がテレビのチャンネル選択権を有している関係で、嫌でも目にする機会が多くなっている。
日テレの番組は面白い。しかし、どの番組も優等生といった感じで、ある意味で安心して見ていられるが、教科書的な規範を逸脱することは(あまり)ない。
安心感というのは、日本社会での常識や価値観を、ちゃんと踏まえているということに尽きる。
ケンミンSHOWはそれが顕著で、特定の地方公共団体に対する印象(常識、価値観)を軸に、番組が展開する(Ex:北関東は云々)。
しかし、その常識や価値観そのものにメスを入れるようなことはしない。むしろ、偏見ともいえる常識を再強化しているようにもみえるのだ。
偏見を改めようとする試みも、「常識的に」行われるだけで、揺るがされることはない(Ex:しかし、素晴らしい特産物が云々)。
さんま御殿でのトークも、さんまの司会芸としてパターン化されており、ゲストの話はさんまの理解できるレベルに調整され、結果としてわかりやすい常識や価値観に変換されて終わりである。
多くの番組が教科書的過ぎて息苦しい。教科書的に振舞えと言われているように感じるのだ。世間一般の感覚に従えと。
24時間テレビでの障がい者は清廉であれという言外のプレッシャー。日テレの番組は、世間一般の感覚を強化する。
デブはデブらしく、ハゲはハゲらしく、イケメンはイケメンらしく。
日テレの番組は、そのズレを許さない。許されるのは、わかりやすい教科書的なズレだけだ。
自覚したのは高校生の時で、思い返してみると小学生の頃からそうだった。
コミュ力が高いわけではい。人見知りだし、コミュ障だし、友達も少ないし、人気者というわけでもない。
学生時代は目立たないグループにいた。仲いい人達とだけ喋れる、っていう典型的な内弁慶。
しかし、複数人で話していると、いつの間にか私がその中心になってしまう。
例えるなら、バラエティ番組の司会とひな壇芸人。「踊るさんま御殿」のさんまとそれを取り囲むタレント、ってのが一番近いと思う。
飲み会の席などで、なぜか皆、私に向かって話をする。私以外の間で会話がないわけではない。相槌や茶々を入れたり、質問を挟んだりはする。
しかし、基本的に自分が話の聞き手になってしまうのだ。A→私、B→私、A→私、C→私・・・という風な会話の流れになってしまう。
バラエティ番組の司会とひな壇芸人という例えを出したが、もちろん私から話し手を指名しているわけではない。
「この間こんなことがあってさ、」「聞いてよ、アイツがー」「そういやあの話聞いた?」を言われるのが毎回私なのだ。なぜなんだ。
前述した通り、私はコミュ力がなく口下手だ。司会でもタレントでもなく、出来ることなら観覧席で笑っていたいタイプなのだ。
話を聞きながら笑い、たまにツッコんだりするポジションでいたいのだ。
しかし、彼らは私を見ながら話す。私は、相槌を打ち、リアクションをし、話の続きを促す。
私は、どうすればいいんだろう。
私がいない時、友人達はどういう風に会話をしているんだろう。
自分一人が周りに向かって話しているか、周りみんなが自分に視線を集中させながら話す(さんま御殿みたいな)かのどちらかの構図にしたがるような。
誰が主役でもない皆が対等な空間っていうのは無意識にそうなっている物なんだろうけど、
それがどうしても理解できないっていうなら一歩退いた視点から状況を把握するよう努めたほうがいいかも。
主張する存在というのは場の流れを変えようとする存在でもあることを見落としているんじゃないか。
存在感がある人イコール何か聞き応えのあること喋ってる人と思っているならそれはあまり良くないかも。
結局いい印象が残るのは話していてテンションが合っていた人なので、素直に思ったことをいうのがベターなのかもしれない。
まあ素直にといっても周りのテンションを下げないように、という前提は当然あるけれど。
この間の踊る!さんま御殿!!見てた時の話。
子供が生まれて絶賛子育て中の北陽虻川と明石家さんまのやりとりで「ああ、母親になりたての人はやっぱり冷静な状態ではないんだな」と思った。
「夫と感覚のズレを感じる時」みたいなお題。
以下要旨。
虻川「夫がやたら写真立て買ってくる。しかも子供がつかまり立ちし始めたらすぐ倒しそうなところに置くもんだから心配でしかたない」
さんま「写真とかいっぱいあった方がええやん 置き場所考えたらええねん」
虻川「それだけじゃない。『収納買って』と言ったらやたらいい木を使った高額そうでモノが入りそうにないローチェストみたいなのを頼んできた。どうせ子供がシールとか貼りだしたらダメになるのに。
もっと容量があって安いのがよかった」
さんま「しっかりしたものを旦那さん買ってくれたんやからええやん、倒れたりしたら危ないし」
テレビ的なやりとりだったのかもしれないが、事実関係自体は本当だとしたら虻川は完全にまともな状態でない。
ほら、「Aさんは会社では腰の低い人、でも恋人といると尊大」とかあるじゃん。こういう場合、低い方(ここでは尊大)が「本当の性格」とか思われがちだけど、それって冷静に考えるとおかしいでしょ。両方Aさんの性格じゃん。性格ってのは、最終的には自分で決められるもんじゃないんだよ(当たり前か)。
って考えると元増田の「悲観的」という自己認識だって、自分とメタ自分の関係性の中で、メタ自分が判断した性格にすぎないわけで。
あとKY圧力どうかと思いますよね。別におれら芸人じゃないし。さんま御殿に出てるわけでもないし。
がんがん読まない方向で行けばいいんじゃないですかね。モヒカン的かっこよさが醸し出される可能性もあるんだし。
悲観的な発言って、具体的にどんななのかよくわかんないから適当に言うけど。