はてなキーワード: 救急車とは
例えば夕食の余りを弁当に詰めるように。
吹き出した血が、びしゃびしゃと跳ねた。
それがどうにも見慣れた光景に見えたから、私はただぼんやりと見つめる。
倒れ伏したあなたの傷口からは絶えず血液が流れ出して、床をてらてら光らせた。
おそらくは救急車を呼んだ方がいい。
先に死んだあなた達はすっかり身を固くして、冷たく横たわっている。
錆びた蝶番が僅かにきしむ音。ドアが開く。
次のあなたが来た。
あなたが言う。
正直なところ、私は随分あなたの死に慣れてきてしまっているけれど。
それを言うとあなたは傷付くだろう。
「こんなに次々死なれてはね」
あなたは私に心中を求めている。 私の自由意志からなる心中を。
一番最初にあなたが死んだ時は、確かに死んでしまいたいほどの衝撃があった。
しかしこんな風に次々にあなたがやってくるものだから、どうにも感情の置き場がない。
「困ったな」
あなたは言う。本当に困っていそうな顔で。
「話し合いで解決できないことはあるけれど」
ポットに湯を注ぐ。ティーバックを放り込む。
そのままテーブルに置く。
「そうだね、そうかも」
椅子の足が床に擦れる音。
「話し合いで解決できないことはあるけれど」
あなたは私の目を見て、頷く。
呼んだ救急車を蹴れば良いの?
「救急車呼びますか?」…そんな言葉は使う必要がねーんだ。なぜならオレやオレたちの仲間はその言葉を頭の中に思い浮かべた時には!
実際に救急車を呼んじまってもうすでに終わってるからだッ!だから使った事がねぇーッ
「救急車呼びました」なら使ってもいいッ!
この状況で訴えられることがあり得ると本気で考えているのか? 面倒な事に巻き込まれるのを避けたいのなら、そもそも名乗ったりしなければいいわけで、現にこの人も名乗ってないだろ。救急車を呼んで到着したら後は任せて立ち去ればいいだけの事だ。
通勤時に20代か30代の人が倒れていたのに出会ったことがある。
とりあえず駆け寄って声をかけても反応はなく、119番した。
しばらくしたら救急隊の方がやってきて、ほっぺをペチペチしながら大きな声を掛けたらすぐ起きた。
酔っ払って寝ていただけかもしれない。
救急隊の方がたくさん来たので、たくさんの人に無駄な動きをさせてしまったと申し訳ない気持ちになった。
倒れている人に触るなんてできないし、道端でそんな大きな声出せないし、息してるかとかわからなかった。自分だめだなとなった。
119番するか迷ったときには、とりあえず#7119にかければ救急車呼ぶべきか教えてくれるのを知れてよかった。
119は迷うことがあるので、迷ったのならとりあえず#7119というのは良いシステムだなと思った。
私も倒れてたおじいさんを発見して、救急車を呼んだことがある。その人は、本人の家の僅か5m前で倒れてた。路地奥の家なので目立たず、発見は偶々だった。
救急車を呼ぶ判断をするまて、ずいぶん迷った。感覚だが15分ぐらい、倒れたおじいさんの横にかがみこんで声をかけながら迷ってた。
独居と言う家はすぐそば(もちろん呼び鈴で確かめた)。本人は照れ隠しで作り笑いをしながら、自分で起きるから大丈夫と言う。しかし体はどうにもままならないようだし、手助けして起こしたら逆に痛めてるところを悪化させるかもしれない。
ここで救急車を呼んだら、本人のプライドを傷つけるというか、それ以上になにか絶望感を与えてしまいそうで、本当に踏ん切りがつかなかった。
結局、せめてと思って911にはサイレンは鳴らさず来られませんかと頼んだが、救急車はすぐに、けたたましいサイレンとともに来た(当たり前だ。致命傷かもしれないんだから)。
おじいさんは言葉をかける間もなく凄まじい手際で救急車にかつぎこまれ、運ばれていった。私は彼の名前も何もしらないし、私も名前を聞かれなかったから、その後どうなったのかは分からない。
彼は家に戻れたのだろうか? それとも、あのまま慣れ親しんだ家と別れることになってしまったのだろうか? いろいろ考えたが、とにかく、老いというのは理不尽だと今も思う。永遠に若くいられればいいのに。