はてなキーワード: 心理学者とは
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450 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:03:18 [夕方] ID:???0 (PC)
>>439
>強迫性障害とか患っててヒキってるやつに言えるような話じゃないな
と言ったのはお前さんじゃないの?そうだと思って話を進めていたのだが
違ってたならすまない
違わないなら、これは「社会と関わりたいのであれば神経症は言い訳にならない」というのに反しているだろう?
そもそも俺は初めから、お前さんが>>439で挙げているような人に言っていたんだが
そうでなくとも、飽和状態にある心理分野にどういったレベルの学生が集まってるのか、知っているはずだ
念のため言っておくが、>>439が馬鹿だとか言ってるわけじゃないぞ
そういう言い方をしてると、馬鹿にされるってことだ
こんなことは昔から言われてるし今だって言われている
一般的な科学者が精神科医をどのように見ているか、知っているだろう?
今時マトモな心理学者は脳を弄ってる。なにせ、まだ分からないことだらけだから
現行の対症療法が的を得ているのであれば、どうしてあんなに改善率が悪いんだ
とはいえ、俺は薬学だから、選考している人より知識が薄いかもしれないな
第一、精神疾患を否定したりなんてしていないよ
事故性のある重度のものでないならば、気の持ちようで直るような類のものなんじゃないか
と述べているだけだ。何せ、脳の病だからな
俺のコミュ力を疑うのは構わないが
自分の読解力も疑った方がいい
東大がオカシイのかも知れないが、これでも普通にやっていけてるしな
この文にカッとなるようだったら、まだまだお子様だよ
451 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:05:18 [夕方] ID:???0 (PC)
>>440
さて、精神疾患を患っているのであればこそ、神経症は言い訳にならないということは理解しているはずだ
そのデメリットを抱えた上で判断していかなければならないのは自明であり、言い訳にはならない
故に、>>412のように述べた
また、>>440は「分かってても出来ない」というスタンスだと思うが
俺はそれに対し「なぜ分かっているのに出来ないのか」と既に述べており
従って、>>440が「当たり前に分かっている」と認識していることが分かっていないからこそ
つまり、>>412のようなことを分かった気になって、その実ぜんぜん分かっていないからこそ
いつまでも脱することが出来ないんじゃないかと思っている
これを何故だか優劣で判断しているが、気付いているかいないか、それだけだ
分かっているのであれば、思いつくことを一つ一つ紙にでも書いて、試行錯誤していけばいいだけのはずだ
その上で>>428のように述べた
極めて現実的に考えていけばいいだけだからな
出来そうか、出来なさそうかの判断など、必要条件、十分条件を書き出した後だ。「当たり前のこと」だよな?
そして、そういったことが出来ないのであれば、大人しく諦めて世捨て人になった方が気楽でいいだろう?
452 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:06:01 [夕方] ID:???0 (PC)
蛇足だが、お前さんは曲解する癖があるようだ
自分の価値観や認識が絶対だと思わない方がいいと、少し前にも述べた
決め付けはやめた方がいい。無用な対立を招くし、幼稚だと思われる
極端に捉えているのは>>440自身だよ
>>440がどれだけ自分のことを優れていると思っているのか知らないが
思い上がるのもいい加減にしなさい
あなたより優れている人などこの世には腐るほどいるんだよ
大学に入ってからそれを痛感するのもいいけれど
それを分かっていると言うのであれば、ちっぽけなプライドはさっさと捨てて、そのお子様みたいな話の仕方をやめなさい
それと、仮にそういった話し方を続けるにしても、大学に入るなり結果を示してからにしなさい
じゃないと友達できないぞ!(受け売りだけどな
・・・さて、勉強がんばれよ!
学部選び、間違えるなよ!!
453 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:07:20 [夕方] ID:???0 (PC)
>>444
卒後に少しずつ返してくタイプのやつ
俺もそうしてるし
他大だとしても、とかく奨学金について調べてみるといいよ
荒治療かもしれないけど
>>446
あえて言っておくが、「遺伝的要因がある=遺伝子に異常がある」というわけではない
遺伝がどうたらといったことが書いてある文章では、可能性があると書いてあるだけで、断言はしていないはずだ
断言できるはずがない。そんな合ってるか間違ってるかも分からないようなものを信頼するな
第一、そんなものは、ミームと置き換えても通じる
ところで>>440よ
>>446がお前の擁護するような人種に見えるか?
454 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:08:00 [夕方] ID:???0 (PC)
>>447
脳の機能は未だほとんど分かっていないのだから
「脳に障害がある」の一言で済ますのは、臭いものに蓋をしているだけではないのかね
先天性の障害があったり、交通事故にあったりしたわけでもないだろう
第一、精神病自体を甘えなどとは言っていない
精神病だからといって、それを言い訳には出来ないと言っているだけだ
>>449
脱ヒキすれば何も言われなくて済むよ^^
From Creating Passionate Users
By Kathy Sierra
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]
この三点についてもっと詳しく見てみましょう:
スキナーの発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬は予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。
テクノ心理学者のパトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」
多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。
「Twitterは友達の感情や地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」
これは本当に良いことなのだろうか?
おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))
Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitterに拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的な能力を発達させていて、こういう情報のチャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。
繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。
隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。
これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用をウェブで見つけることができなかったけど)
皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。
前の私の記事より:
最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。
しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。
情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービスを約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )
たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:
継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークのライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。
絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。
Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)
人々がTwitterを責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースやTVがアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?
当然、そう思っている。
私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。
私はTwitterのターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。
本文書は原文の著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者の著作権は全て放棄する。
「ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ
『夢渓筆談』 沈活
宋代中国に書かれた古代中国科学史を研究する上での必読書だけど
今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ
小学校6年生の病弱な子がすごくよかった
『糞尿大全』 柳内伸作
とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本
なるほどそんな事がと頷かせながらも
日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!
読んでると
腹が
減る
読書を始めた
あの
頃に
ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!
つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!
『ダークライン』 ジョー・R・ランズデール
『ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊
言わずと知れたゼーガシリーズの外伝
先輩も出るよ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新
あと拳銃は右手で
『ちびっこ吸血鬼はミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ
汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした
アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが
関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される
『異常の門』 柴田錬三郎
例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく
主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめだ
『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎
厨侍が厨性能で唯我独尊状態
娘の黒髪おっぱいは必読
1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる
独特の人生観が貫かれてる傑作
『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも
-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-
(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、
そんなものとは無縁な大学三回生の物語
まるで「」の活躍(?)を見るようだった
(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という
まさに大学生「」というべき男が主人公
一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする
いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書
急に読みたくなった
冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!
(書評1)エロ面白い
(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた
二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ
『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ
ほぼ何もない状態での無人島サバイバル
海底二万マイルと実は繋がってる
『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳
神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が
悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」
のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録
神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ
『ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ
長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している
ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価
スターリン支配下にあったソ連の芸術家がどういう立場にあったかが分かる
あとアネクドートとかそういうので面白い
『私の一世紀』 ギュンター・グラス
20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か
WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で
ドイツスキッヒにはたまらないだろう
『キッチン』 よしもとばなな
名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う
だけど地味に面白い
今でも通用する小説だと思う
自分の趣味に没頭する話
400ページくらいの本編に脚注が400くらいある
『かえるくん、東京を救う』 村上春樹
かえるくんいいなあ
いいなあかえるくん
白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話
孔子は詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く
呉智英推薦
『りかさん』 梨木香歩
WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語
自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話
キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め
オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を
『ガルガンチュワ物語』 ラブレー
世界一お下劣な文学と名高い
ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書
もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる
途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい
前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書
後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書
「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集
作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある
『楽園の知恵』 牧野修
お気に入りは「逃げゆく物語の話」
人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる
『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治
鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道の信号機シグナレスの恋物語
鉄道の信号機の擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし
「ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き
『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀
それくらいハズレなし
男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね
エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう
魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話
人がいっぱい死ぬ
カルト専門ジャーナリストが幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…
大川隆法の著作をパロって
大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する
タイムリーな本なのに絶版
『寄生虫実話』
自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話
『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人
恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、
心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており
そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる
また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており
心理学入門書としても楽しめる良著
表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい
「私の記憶は80分しかもたない」
事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話
数学嫌いの俺でもすらすら読めた
数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない
『百頭女』 エルンスト
「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?
教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。
ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」
絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本
あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので
全く判らない素人にもお勧め
絶版なので図書館を探すこと
『銀河旅行』 石原 藤夫
ロケットの基礎原理から化学エンジン、原子力エンジン、反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。
SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの
一巻は良かったんだ一巻は…
倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。
シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました
『ふわふわの泉』 野尻抱介
ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない
アニメで見た「」もぜひ読んでほしい
【目的】
「日本語読んでたはずなのに、いつの間にか英語読んでた!」というのが理想。
TEDから文章だけでも内容が伝わるダニエル・ピンクのプレゼンを引っ張って来たのですが、実験的にやるにしては少し内容が堅く、マテリアル選択を誤った気がしなくもありませんw
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html
めちゃ長いですが、LanguageがTransformする過程を味わって頂ければと思います。
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最初に告白させてください。20年ほど前にしたあることを私は後悔しています。あまり自慢できないようなことをしてしまいました。誰にも知られたくないと思うようなことです。それでも明かさなければならないと感じています(ざわざわ)。1980年代の後半に私は若気の至りからロースクールlaw schoolに行ったのです(笑)。
In America, 法律は専門職学位です。まずuniversityを出て、それからlaw schoolへ行きます。law schoolで私はあまり成績が芳しくありませんでした。控えめに言ってもあまり良くなく、上位90パーセント以内という成績で卒業graduateしました(笑)。どうもlaw関係の仕事はしたことがありません。やらせてallowed toもらえなかったというべきかも (笑)。
But today, betterではないことだとは思いつつ、wifeの忠告にも反しながら、このlegal skillsを再び引っ張り出すことにしました。今日はstoryはtellしません。主張caseを立証します。合理的で証拠evidenceに基づいた法廷におけるような論証で、how we run our businessesを再考してみたいと思います。
陪審員juryの皆さん, take a look at this。This is called 「ロウソクの問題」。ご存じの方もいるかもしれません。1945年にKarl Dunckerという心理学者psychologistがこの実験experimentを考案し、様々な行動scienceのexperimentで用いました。ご説明しましょう。私が実験者だとします。私はあなた方を部屋に入れてcandleと画鋲thumbtackとマッチmatchesを渡します。そしてこう言います。「テーブルtableに蝋waxがたれないようにcandleを壁wallに取り付けattachしてください。」Now what would you do?
Many peopleはthumbtackでcandleをwallに留めようとします。でもうまくいきません。あそこで手真似をしている人がいましたが、matchの火でcandleを溶かしてwallにくっつけるというideaを思いつく人もいます。いいideaですがうまくいきません。After five or 10 minutes, most peopleは解決法を見つけます。このようにすればいいのです。Keyになるのは「機能的固着functional fixedness」を乗り越えるovercomeするということです。最初、あのboxを見て、単なる画鋲の入れ物だと思うでしょうが、それは別な使い方をすることもできます。candleの台platformになるのです。これがcandle problemです。
次にSam Glucksbergというscientistが、このcandle problemを使って行ったexperimentをご紹介します。彼は現在Princeton Universityにいます。この実験でthe power of incentivesがわかります。彼は参加者participantsを集めてこう言いました。「this problemをどれくらい早く解けるsolveできるか時計で計ります。」そしてone groupにはthis sort of problemを解くのに一般にどれくらい時間がかかるのかaverage時間を知りたいのだと言います。もう1つのgroupには報酬rewardsを提示します。「上位25percentの人には5dollarsお渡しします。fastestになった人は20dollarsです。」Now this is several years ago。物価上昇inflationを考慮に入れればa few minutes of workでもらえるmoneyとしては悪くありません。十分なmotivatorになります。
このグループはどれくらい早く問題を解けたのでしょう?答えはon average, 3分半余計に時間がかかりました。Three and a half minutes longer。そんなのおかしいですよね?I'm an American。I believe in 自由市場。そんな風になるわけがありません(笑)。If you want people to perform better, 報酬を出せばいい。Bonuses, commissions, あるいは何であれ、incentiveを与えるのです。That's how business works。しかしここでは結果が違いました。Thinkingが鋭くなり、creativityが加速されるようにと、incentiveを用意したのに、結果はoppositeになりました。思考は鈍く、creativityは阻害されたのです。
この実験experimentがinterestingなのは、それが例外aberrationではないということです。この結果は何度も何度もfor nearly 40 years 再現replicateされてきたのです。この成功報酬的な動機付けmotivators―If Then式に「これをしたらこれが貰える」というやり方は、in some circumstancesでは機能します。しかし多くのtasksではうまくいかず、時には害harmにすらなります。これはsocial scienceにおける最も確固robustとした発見findingsの1つです。そして最も無視ignoreされている発見でもあります。
私はthe last couple of years, human motivationの科学に注目してきました。特に外的動機付けextrinsic motivatorsと内的動機付けintrinsic motivatorsのdynamicsについてです。大きな違いがあります。If you look at これ、scienceが解明したこととbusinessで行われていることにmismatchがあるのがわかります。business operating system、つまりビジネスの背後にある前提assumptionsや手順においては、how we motivate people、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱらextrinsic motivators(アメとムチ)にたよっています。That's actually fine for many kinds of 20th century tasks。But for 21st century tasks, 機械的mechanisticなご褒美と罰reward-and-punishmentというapproachは機能せず、うまくいかないか、害harmになるのです。Let me show you what I mean。
Glucksbergはこれと似たanother experimentもしました。このように若干違ったslightly differentな形で問題を提示したのです。Tableにwaxがたれないようにcandleを壁にattachしてください。条件は同じ。あなたたちは平均時間を計ります。あなたたちにはincentiveを与えます。What happened this time?今回はincentivizedグループの方が断然勝ちました。Why?箱に画鋲が入っていなかったから。it's pretty easy isn't it?(「サルでもわかる」ロウソクの問題) (笑)
If-then rewards work really well for those sorts of tasks。Simpleなルールとclearな答えがある場合です。Rewardsというのはfocusを狭めmindを集中させるものです。That's why報酬が機能する場合が多い。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合にはthey work really well。But for the real candle problem, そのような見方をしているわけにはいきません。The solutionが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。Rewardはfocusを狭め、私たちの可能性possibilityを限定restrictしてしまうのです。
Let me tell you why this is so important。In western Europe, in many parts of Asia, in North America, in Australia, white collarの仕事にはthis kind of workは少なく、このような種類の仕事が増えています。That routine, rule-based, left brain work, certain kinds of accounting, certain kinds of financial analysis, certain kinds of computer programingは 簡単にアウトソースできます。簡単にautomateできます。Softwareのほうが早くできます。世界中にLow-cost providersがいます。だから重要になるのはthe more right-brained creative, conceptual kinds of abilitiesです。
Your own workを考えてみてください。Youが直面faceしている問題は、あるいはweがここで議論しているようなproblemsは、こちらのkindでしょうか?A clear set of rules, and a single solutionがあるような?そうではないでしょう。ルールはあいまいで、答えはそもそも存在するとしての話ですが、驚くようなsurprisingものであり、けっして自明obviousではありません。Everybody in this room is dealing with their own version of the candle problem。And for candle problems of any kind, in any field, if-then rewardsは機能しないのです。企業の多くはそうしていますが。
Now, これにはcrazyになりそうです。どういうことかというと、これはfeelingではありません。私は法律家lawyerです。Feelingsなんて信じません。This is not a 哲学philosophy。I'm an American。Philosophyなんて信じません(笑)。This is a fact。私が住んでいるWashington D.C.でよく使われる言い方をするとtrue factです(笑)。(拍手)Let me give you an example of what I mean。Evidenceの品を提示します。Iはstoryをtellしているのではありません。I'm making a 立証。
Ladies and gentlemen of the 陪審員, 証拠を提示します: Dan Ariely, one of the great economists of our time, Heは3人の仲間とともにsome MIT studentsを対象に実験studyを行いました。These MIT studentsにたくさんのgamesを与えます。Creativity, and 運動能力motor skills, and concentrationが要求されるようなゲームです。そして成績に対するthree levels of rewardsを用意しました。Small reward, medium reward, large reward。Okay?非常にいい成績なら全額、いい成績なら半分の報酬がもらえます。What happened?「As long as the task involved only mechanical skill、bonusesは期待通りに機能し、報酬が大きいほどパフォーマンスが良くなった。 しかし、cognitive skillが多少とも要求されるタスクになると、larger rewardはより低い成績をもたらした。」
Then they said,「cultural biasがあるのかもしれない。Indiaのマドゥライで試してみよう。」In Madurai, Standard of livingが低いので、North Americaではたいしたことのないrewardが 大きな意味を持ちます。実験の条件はSameです。A bunch of games, three levels of rewards. What happens? medium level of rewardsを提示された人たちは small rewardsの人たちと成績が変わりませんでした。But this time, people offered the highest rewards, they did the worst of all。「In eight of the nine tasks we examined across 3回の実験, よりhigherインセンティブがworse成績という結果となった。」
これはおなじみの感覚的なsocialistの陰謀conspiracyなのでしょうか?No. Theyはeconomists from MIT, from Carnegie Mellon, from the University of Chicagoです。And do you know who sponsored this research? FRBです。これはまさにAmerican experienceなのです。
Let's go across the pond to the London School of Economics。11人のNobel 受賞者 in economicsを輩出しています。Greatな経済の頭脳がここで学んでいます。George Soros, and Friedrich Hayek, and Mick Jagger(笑)。Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of 成果主義 plans, inside of companies。彼らの結論は「We find that 金銭的なインセンティブ can result in a negative impact on 全体的なパフォーマンス.」ということでした。
There is a 食い違い between what 科学 knows and what ビジネス does. And what worries me, as この潰れた経済の瓦礫の中に立って, is that あまりに多くの組織 are making their decisions, their policies about 人や才能, based on assumptions that are 時代遅れ, 検証されていない, and rooted more in 神話 than in 科学. this 経済の窮地からget out ofと思うなら 21st century的な答えのないtasksで high performanceを出そうと思うのなら、wrong thingsを これ以上続けるのはやめるべきです. To 誘惑 people with a sweeter carrot, or 脅す them with a 鋭いムチ. まったく新しいアプローチが必要なのです.
And the いいニュース about all of this is that scientistsが新しいapproachを示してくれているということです. It's an approach built much more around 内的な motivation. Around the desire to do things because they matter, because we 好き it, because they're 面白い, because they are 何か重要なことの一部. And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: 自主性、成長、目的. 自主性, the 欲求 to 方向 our own lives. 成長, the desire to get better and better at 何か大切なこと. 目的, the 切望 to do what we do in the service of 大きな何か than ourselves. これらがour businessesのentirely new operating systemの要素なのです.
I want to talk today only about 自主性. In the 20th 世紀, we came up with this idea of マネジメント. Management did not 自然に生じた. Management is like -- it's not a 木. It's a テレビ. Okay? Somebody 発明した it. And it doesn't mean it's going to work 永久に. Management is great. 服従を望むなら, Traditional notions of management are ふさわしい. しかし参加を望むなら, 自主性 works better.
Let me give you some 例 of some kind of 過激なnotions of 自主性. What this means -- あまり多くはありませんが 、非常に面白いことが起きています. Because what it means is paying people 適切に and 公正に, 間違いなく. Getting お金の問題 off the table. And then giving people 大きな自主性. Let me give you 具体的な例.
How many of you ご存じ of the 会社 Atlassian? 半分もいない感じですね(笑). Atlassian is an オーストラリアのソフトウェア会社. And they do すごくクールなこと. A few times a year they tell their エンジニア, "これから24時間何をやってもいい, as long as it's not part of your regular job. Work on 好きなことを何でも" So that エンジニア use this time to come up with a cool 継ぎ接ぎ for code, come up with an エレガントなハック. Then they 何を作ったのか見せる to their teammates, to the rest of the company, in 雑然とした全員参加の会合 at the end of the day. And then, オーストラリアですから, everybody has a ビール.
They call them 「FedExの日」. Why? Because you 何かを一晩で送り届けなければならない. It's 素敵. It's not bad. It's a huge 商標権 侵害. But it's pretty clever. (Laughter) That one day of 集中的な自主活動 has produced 多数の software 修正 that might never have existed.
And it's worked so well that Atlassian has taken it to 次のレベル with 20 Percent Time. Googleがやっていることで有名ですね.Where エンジニア can work, spend 20 percent of their time working on anything they want. They have 自主性 over their time, their task, their team, their 技術. Okay? Radical amounts of 自主性, And at Google, as many of you know, 新製品の半分近く in a typical year are 生まれています during that 20 Percent Time. Things like Gmail, Orkut, Google News.
Let me give you an even more 過激な example of it. Something called 「完全結果志向の職場環境」. The ROWE(Results Only Work Environment). Created by two American コンサルタント, in place at about a dozen companies around 北アメリカ. In a ROWE people don't have スケジュール. They show up 好きなときに. They don't have to be in the office 特定の時間に, or any time. They just have to 仕事を成し遂げる. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them. ミーティング in these kinds of environments are オプショナル.
What happens? ほとんどの場合, productivity goes up, 雇用期間 goes up, 社員満足度 goes up, 離職率 goes down. 自主性Autonomy, 成長mastery and 目的purpose, These are the 構成要素 of a new way of doing things. Now some of you might look at this and say, "Hmm, 結構だけど、it's 夢物語." And I say, "Nope. I have 証拠."
The mid 1990s, Microsoft started an 百科事典encyclopedia called Encarta. They had deployed all the right インセンティブ. All the right incentives. They paid プロ to write and edit 何千という記事. たっぷり報酬をもらっている managers oversaw the whole thing to make sure it came in on budget and on time. 何年か後に another encyclopedia got started. 別なモデル, right? Do it for 楽しみ. No one gets paid a cent, or a Euro or a Yen. Do it because you 好き to do it.
ほんの10年前に, if you had gone to an 経済学者, anywhere, And said, "Hey, I've got 百科事典を作る2つのモデル. 対決したら, who would win?" 10 years ago you could not have found a single まともな経済学者 anywhere on planet Earth, who would have predicted the Wikipediaのモデル.
This is the 大きな battle between these two approaches. This is モチベーションにおけるアリ vs フレージャー戦. Right? This is 伝説のマニラ決戦. Alright? 内的な motivators versus 外的な motivators. Autonomy, mastery and purpose, versus アメとムチcarrot and sticks. And who wins? Intrinsic motivation, autonomy, mastery and purposeが ノックアウト勝利します.まとめましょう.
There is a 食い違い between what science knows and what business does. And here is what science knows. One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a 当然 part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances. Two: Those if-then rewards often 損なう creativity. Three: The 秘訣 to high performance isn't rewards and punishments, but that 見えない intrinsic drive. The drive to do things 自分自身のため. The drive to do things それが重要なことだから.
And here's the best part. Here's the best part. We already know this. The science confirms what we know in our hearts. So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, If we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and maybe, maybe, maybe we can change the world. I rest my 立証。
別に泣いたっていいじゃない!という記事。↓
http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20090705/1246760664
うちの息子は0歳だけど、泣いてばかりいる。彼はまだ言葉を持っていないから、「快」以外の感情はすべて「泣く」ことで表現される。しかも本人は、沸き上がる感情に対しほぼ条件反射的に泣いている。なぜ泣いているのか、本人さえあまり分かっていないように見える。……だから、そこに言葉をつけて、悲しみの理由を述べたり、なぜ涙が出てきてしまうのか、自分で理解したりするには、けっこう時間がかかりそうだ。……そこを「説明できないのか。なら泣くな」といったようにスキップするとどうなるかというと、
「泣くのは恥=悲しみを感じるのも恥」
子供の頭の中で、こんな風に短縮されてしまわないのか。
「人は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」的な話を思い出した。たしか昔の心理学者の説だったような…。
詳しい話は知らないが、簡単に考えても、「悲しい」ことと「泣く」ことの関係は、そう単純なものではないっぽい。
「泣く」ことは客観的な観察の対象になるけれど、「悲しい」ことはどう考えても主観的なものからだ。
「悲しいから泣く」、「寂しいから泣く」、「情けないから泣く」、「悔しいから泣く」
これらの表現は、実際の因果関係を表しているというより、一つの物語を示していると言った方が正しい。
言葉を持たない乳児からすれば、「泣く」というのはいつも突如として現れる「不快」に対する反応であって、そうした理由=物語なんかないのだろう。
少なくとも外から見てる分には、彼らはただ周囲の大人に不快を取り除いてもらうために、泣いているように見える。
そして周囲の大人が「不快を取り除く」のと同時にするのが、「彼が泣いた具体的な理由=物語を与える」ということである。
「おなか空いちゃったね~(痛かったね~)」
「○○ちゃん、寂しかったね~(悔しかったね~)」etc.
そう考えると、「理由を説明できないなら泣くな」という父の言葉は、あんがい教育的なものだったんじゃないかなぁと思う。
「ただ単に泣く」ということは、「不快を取り除いてもらう」だけでなく、「周囲が理由を与えてくれるのを待つ」ということでもあるからだ。
もちろん「泣くな!」とは言わないで、「待ってるだけじゃなくて、自分から理由を物語りなさい」という方に重点があったなら、より教育的だったのかもしれない。
でも、「泣く」ことを「説明する」ことで許すという方針自体は、わりと理に適っている。
まぁ、もともと上の記事の問題意識は泣くことの禁止に向けられているわけだけど。
無理矢理まとめると、泣くという反応の戦略性をどれだけ物語に昇華できるかということが人間的な魅力にも繋がる、ということだと思う。
彼には「がんばれがんばれ」の歌詞の意味などまったくわからないと思います。
でも確かに彼はこの曲を聞いて泣いたのです。
彼は現在、2歳7ヶ月。「おかあさんといっしょ」や「いないいないばぁ」などで流れる歌で気に入ったものはちゃんと歌詞を憶えて歌って踊ります。
会話はこっちの話していることはある程度は理解できているようですが、勿論、難しい言葉はわからないですし、彼が話す内容の半分は
何を言ってるのかまったくわかりません。そんな彼が私の歌う歌を聴いて泣いたのです。
それは昨晩のことでした。
彼を寝かしつけようと、布団に一緒に入りいつものようになんとなしに鼻歌を口ずさみました。
ちなみに「がんばれがんはれ」を知ってる方がどの程度いらっしゃるかわかりませんが、SIONという歌手が歌っている歌で、
私がこよなく愛する歌です。
私はこの歌を彼が生まれた直後から、寝かしつける時によく歌っていました。
この2年7ヶ月で多分、500回以上は歌っているでしょう。ただ昨晩以前、彼はこの歌に対して反応したことはほとんどないですし、
これだけ歌っているにも関わらず、歌詞もほとんどわかっていません。
それにも関わらずです。昨晩は歌い出した途端にポロポロと涙を流し始めたのです。そしてその後も何度となく、「もう1回、もう1回」と
同じ歌を歌うことをせがみました。しかも、歌詞の中に出てくるとはいえ、一度も教えたことのない、この歌のタイトル「「がんばれがんばれ」歌って」
ともせがんできました。
私はびっくりしました。彼が何故、急に泣き出したのかまったく理由はわかりません。
「どうしたの?」と聞いても何も答えません。
「この歌が悲しいの?」と聞くと、うんうんと頷きます。もちろん私が聞いている意味がわかって頷いているのかどうかは不明ですが…。
とにかく私の言葉にはさして反応することなく、ただただしくしくと泣きながら「もう1回、もう1回」と「がんばれがんばれ」を歌うことをせがむのです。
私は心理学者でもなければ、幼児教育の専門家でもありませんので、昨晩の彼の行動の理由はまったくわかりません。
ただ1つ言えることは、多分、彼は私の歌に感動した訳でもなければ、歌詞の意味を知って悲しくなった訳でもない。
つまりは単なる2歳児の気まぐれなのではないかと考えています。
きっと、今夜、私がもう一度同じシチュエーションで歌ったとしても彼は決して泣くことはせずに今まで通り普通に聞き流すことでしょう。
多分ね。
追記
昨日、改めて今度は起きている時に彼に「がんばれがんばれ」を歌ってみました。
二人きりで部屋の中で遊びながらなんとなしに口ずさんでみたのです。
すると彼は「歌わないで」と私を制止します。「この歌、嫌いになっちゃったのかな?」と思ったら自らが歌い出したのです。
もちろん、完璧に歌詞を憶えている訳ではないので、ごまかしごまかしですが、一生懸命歌おうとしています。
そして「びっくりさせて」と「心配かけて」の部分がごっちゃになって「びっくりかけて」と歌いながら何故か大笑いをしていました。
ただ大笑いしながら歌っていたので、やはり前日に泣いたのはたまたまだったのだなぁと思いつつ、楽しそうに歌っていた彼を抱っこすると
改めて最初から歌ってみました。
するとどうしたことでしょう?
「心配かけて」の心配のところでまたまた急にポロッと涙を流し出したのです。
そして一番を歌い終えたところでまた「もう1回、もう1回」の繰り返しです。
「淋しくなっちゃった?」私がそう聞くと彼は黙って2回程頷きました。まぁなんと聞いてもだまって頷いていただろうとは思いますが…
この歌には彼の感情を揺さぶる何かがあるのかもしれません。
しかし2歳児の感情さえ揺さぶってしまうSIONはやはりすごいなぁと、結局はそういった結論にしてとりあえずこの話を終えようと思います。
勿論、私の歌唱には何の力もないことを最後に付け加えておきます。あくまで凄いのはSIONです。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1212587.html
ただし、絶対的終身刑を作る。また、受刑者に労働を義務付け、食事などの生活必需品はそこからのお金でひかれる。労働しなければ食事はなし。というのが条件。
告白本とか出版させたら売れると思うんだけどねぇ。みんなが買えば金が循環して日本経済がよくなるわけだし。
本じゃなくて、有料ブログっていうのもいいんじゃないかなー?と思う。絶対アクセス殺到するよ。
後、生物学者や心理学者への実験協力をやると新たな発見があるかもしれないし、いいんじゃないかな?と思うのだけれども。
二人の被験者を用意して二人の脳を交換してその後、普通に生活させたときの心理変化とかね。
はたして、『おれがあいつであいつがおれで』のようになるのかどうか。それとも、気が狂うのか。
だいたい、ラットだけの実験じゃあ限界があるだろうし、それなら人を使えばいい。
今の執行方法だとただ死ぬだけ。
例えば、研修医ようの手術の練習としてわざと病気にさせて手術・・・など。
それと試してほしいのが、殺人欲のある人に殺してもらうというもの。
まあつまり言いたいことは、無駄死にさせるぐらいなら利用しろってことです。
受刑者だって、ただたんに死ぬより人の役にたつことをするほうが喜ぶと思う。
この日の全体討議で、著名な心理学者であるコーク大(アイルランド)のエセル・クエール教授は日本を名指しし、「英国などでは、子どもの性的な姿態や虐待を描いたマンガも違法としている。日本は実在の子どもの写真を法律で規制しているが、マンガやアニメは規制していない。その結果、問題のある画像が世界中に出回っている」と指摘した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081127-OYT1T00378.htm
ふーん。
他意はないけどイギリス産エロ絵のオススメでも紹介してみっか。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:The_Knight_Errant_1870.jpg
短評:柔肌に食い込む荒縄。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Leighton-The_Fisherman_and_the_Syren-c._1856-1858.jpg
短評:あててんのよ。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:1862_Frederick_Leighton_-_Odalisque.jpg
短評:チラリズムこそ至高。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Watts-Hope2.jpg
短評:非エロ。しかし究極の陵辱という点でY太的。(グロではないよ)
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Lady_Godiva_by_John_Collier.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:John_Collier_-_The_Land_Baby.jpg
まあなんつーか、絵の登場人物の年齢なんてわかんないよね。一番下のやつは知らんけども。
なんか、わたし、ある種の男性を寄せ付けるんです。
「お、お、俺知ってる…フロイトがさ…/ラカンの言うところの…」
しかももう終わった話だからごっつお気軽に土足で踏み込んでくる。
もちつけ、もまいら…。
冷静になれ、私だって本ぐらい読むわ!
家族関係や性的なことを調べるのに近代心理学の影響にある作家の本を読めば
そりゃあフロイト的な体験語りがいっちょ上りでしょうよ。
当事者は、自分自身の言葉で語れない…フェミニズムの基本じゃないか。
それだけだったら別に構わないのですが
そういうお方に限ってのぞくもう一つの感情。
「君はあたまがいいから僕の言ってることわかると思うけど…」
リーチ!そら来た、やれ来た、ゲゲゲのゲ!
「君の不幸にして野蛮な状況から僕が教え導いて救出してあげる。」
キターーーーー(゜∀゜)ーーーーーー!
一発ツモ!
先進国の男性名物・オリエンタリズム(byサイード)ですね、わかります。
て思ったけど、
「上から目線オトコうぜ」ってのに
レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いてから、DDTは悪者になり、環境保護主義者が台頭するようになった。
環境保護主義者が活動し、DDTがどんどん禁止されていったせいで、何が起こったかというと、マラリアのコントロールに失敗した。
その結果、失わなくてもいい人命が、数千万単位で失われた。
環境保護主義者は大量殺人者で、先導したのはレイチェル・カーソン。もっとも、彼女にはそのつもりは無かったかもしれないが。
環境のためなら、人間がちょっとくらい死んだっていいんだよね。
60億以上も居て、大きな環境負荷になってるんだもん。マラリアで死ぬほうがかえっていいくらいだよね。
環境保護主義者はそんな人たち。
最近だと、DDTの血中濃度と乳がんのリスクが関連してるっていう報告もあったけど
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/research/ehp/07_10_ehp_DDT_Breast_Cancer.html
そんなことはありそうにないって反論も出されてる。反論が出されるのってわりと珍しいんじゃないかな。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pubmed&pubmedid=18414606
で、DDTだけじゃあきたらず、今度は有機リンが危険とか言うんでしょ?環境保護主義者は。
日本だと、有機リンが化学物質過敏症の原因になってるとか言ってる人たちがいて、禁止に向けてがんばってる。
じゃあピレスロイドだといいのか、っていう話になるんだけど、ピレスロイドも化学物質過敏症の原因になるとかいって反対しる。
http://homepage2.nifty.com/smark/YukiRIN.htm このへんとか。
大体、化学物質過敏症なんて心因性じゃないかと疑われてるくらいなのに・・。
WAOニュース2007年3月(http://www.jsaweb.jp/wao/wao0703.html)では、
過敏症とは「正常被験者には耐えられる一定量の刺激への曝露により、客観的に再現可能な症状または徴候を引き起こす疾患をいう」と定義されているので、化学物質過敏症は過敏症の定義からはずれてしまう。今後は、過敏症としてアレルギー学者が扱う研究課題ではなく、心理学者、神経学者が扱う研究課題になるであろう。
なんて言われてるし。
あとは・・ピレスロイドには女性ホルモン活性があるとかもたまに言い出す人がいる。
ネオニコチノイドも、化学物質過敏症の原因になるとか言い出す。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_08/pico_114.html
http://tabemono.info/report/former/12.html
じゃあ何使えばいいのさ。
殺虫剤を使わなければいいの?
他所の国でマラリアで死ぬのは一向にかまわないし、ウエストナイル熱が発生しても関係ないし、
病害虫のせいで農業生産がおちても、しわ寄せが来るのは他所の国だし、私たちは農薬使ってない安全な食物が食べたい。
っていうのが、環境保護主義者なんでしょ?
筋萎縮性側索硬化症と殺虫剤が関係あるって言われてたけど、関係なかったし
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2008-04/aaon-cem040208.php
ピレスロイドの高暴露群では化学物質過敏症の人はいなかったし、
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18344101
どこをどう見ても安全なのに、環境保護主義者がごねてるだけなんでしょ?
そのせいで、間接的に、大勢の人を殺してる。
犯罪的だと思います。
あのな、もう論点が食い違いまくってるのさ。
君の言う「用心しろ」は2つの意味を持ってくる。
1.『備えあればうれしいな』
うん。そうかもね。でも強姦と殺人は社会現象で、個人レベルでなんとかできる問題じゃない。さらに言えば「備え」の掛け金が高すぎる。ちょっと疑問符だね。でももしかしたら有効な防御法があるのかもしれないけど、そんなのは犯罪心理学者や統計屋が考えるべきことで、君と議論相手の増田はたぶんそのどちらでもないから、下手の考えだ。
2.『強姦は女性にも非がある』
「そんなこと言ってない」と君は言うだろう。でも「備えていれば強姦は防げる」>「備えていなかったから防げなかった」>「そんな格好してるお前も悪い」っていう論はかんたんに展開しうる。それがセカンドレイプだ。こっちは君にも、誰でも防ぐことができる。「強姦において絶対に女性は悪くない」と信じ、そのように行動し、そしてその考えを広めることだ。
職場なり、プライベートなり、とんでもなく大きな失敗をしてしまい、当分は立ち直れない状況に陥ったことは無いだろうか?
私は今がそうだ。
超凹んでいた。いや、いるかな。
痛い。心が痛い。
で、今日は、職場の仲間に慰めてもらった。もちろん本質的な慰め&精神的回復では無いが、すごくやさしくてありがたかった。
わざわざ餡蜜を買ってきてくれて、いっしょにお茶をした。
元気出してねとさ。
当初この職場は非常に不本意であったが、ここに来て良かったと初めて口にした日だった。
昨日から本を読もうにも、何をしようにも、何せハートが痛いがために、全然頭に入らない。
というか、もう集中できないのだ。
ということで、今日は、仕事を早々に切り上げ、行きつけの(接骨院?)のマッサージに行った。
やっぱりいつもどおり先生は優しい。
すんごい凝ってるねぇ、と言いつつ、腰の痛みの原因を見事に見つけてくれて、大変だったの?とやさしく話しかけてくれる。
昔、「ドラゴン桜」に出てきた台詞を思いついた。
「人は、落ち込んでいる時こそ他人の言うことが素直に吸収できるんだ!」とかなんとか、そんな台詞だったと思う。
まさに今の自分だ。
人の温かさや感謝の気持ちが出てくる。
この職場も引っ越してきたこの町も不本意ではあったが、さんざん文句を言いながらも、こんなやさしい所は私にはありがたいところなんだと思う。
悪いと思っていたものが良いと思えたり、その逆もあったりと、人間の思考なんてその場その場で変わるものさ。
で、ちょっと思ったこと。
落ち込みから回復までいくつかの段階を経るんだと思う。(私は心理学者でも何でもないので、あくまで経験上感じたことです)
つまり、痛み、身に起こったことの客観的な分析、学習、etcという段階を踏むんだと思う。
落ち込んだ最初の段階には、まずひどい精神的ショック、痛みが来る。
泣いたり、わめいたり、ボーゼンとなったり、集中力散漫、眠れない、胃の痛み、言い訳(受け入れられない)、暴飲暴食、OD、などなど。
頭の中は、「御先真っ暗」な状態でしょう。
この時期は、応急処置が必要。
でもね、このめちゃくちゃ痛い段階のときに、外界からの慰めの手をもらうのはとても大切なことだと思う。
もちろん、痛みの即時的緩和という効果もあるんだろうけど、
もし、この段階を一人で乗り切ってしまうと、その後屈折した性格を形成してしまいそうな気がする。
トラウマになったり、他人に対してすごく意地悪になったり、色んな屈折した結果は出たり、何らかの傷のままになってしまうように思う。
骨折したものをちゃんと整復せずにそのまま痛みに耐え続けて結局曲がったまんまになっちゃみたいな。
反対に、この痛みの段階に、外部からエネルギーをもらっておくことは、「ありがたい」、「感謝」という健全な思考を身につけるプロセスになるのではと思う。
それに、早期に次の客観的な分析、学習の段階へ移行できるという効果も期待できる。
この時期にぐっと絶えるというのは我慢強いのかもしれないが、ちゃんと甘えるというのは、この落ち込みからの正常な回復を促す重要な要因となるのではと思った。
人に甘える勇気を持とうと思った。
ここで、適切に何かに甘えることが出来れば、屈折した自分よりは、感謝の自分へと成長する可能性が高いように思う。
外部からエネルギーをもらうというのは、何も、街中であるような手かざしじゃなくって、大丈夫?と言ってくれる人がいるとか、そういうことだ。
実際に中々そんな友好的な人間関係が身の回りにあるとも限らないので、他にも色々手を考えておく必要がある。
たとえば、好きな映画を見るとか、猫を抱っこするとか、美味しいケーキを食べるとか、友達としゃべるとか、何でもいい。
この痛い段階に必要なものは、一見、「軽い」と見られるような、いわば「気を紛らわせてるだけジャン」的なもののほうが有効だと思う。
この痛みの段階にある自分に、向上心を持てとかそんな、自己啓発物はムリムリ。
まずは、このパニック段階を脱して、冷静になることだ。
そのためには、一見くだらないことでもなんでもいい。
大事なのは、この痛みの段階にある自分にとって、(その場限りの応急処置として)何が効果的なのかを認識しておくこと、そして、準備しておくことだ。
私の場合はやっぱり人に話を聞いてもらうことだ。
あと、マッサージしてもらうこともとても良い。
この段階の応急処置は、次の学習の段階へとつながるものだから、実は、大切なんだと思う。
さて、なんとかパニック状況を脱したとする。
ここでは少し冷静に、なぜそんな失敗をしてしまったかの分析から始まり、もう少し上位概念(私の場合で言えば、最後の詰めが甘い!)を引き出し、それに対処すべく方策をいくつか考え、今後に生かすという大事な振り返りがある。
今回の大失敗の原因だけじゃなくて、原因の原因というか、大きめに失敗の原因をつかんでおく必要がある。
類似の失敗を今後も起こす可能性があるのだから。
あと、今回のような失敗をしなかったらどんなメリットがあるのかもちゃんと認識しておく必要がある。
たとえば、今回みたいな失敗をしなければ、自分の上司のことをこれ以上悪く思わなくて済むだろうし、人のせいにしなくて済む、人を嫌いにならなくて済む、余裕を持って振舞えるとより有益なアドヴァイスを引き出すことが出来たかもしれない。などなど。自分のことを考えてもたくさんある。
こういう見方をすると、物事をより多面的に把握することができる。
ダイエットに失敗ばかりの自分が言うのもなんだけど、もし今より5キロやせているとどんないいことがあるのか、認識が甘いんだろうと思う。
さらにもう一つ。
うまく行っているときにこそ、自分の弱点を補ってくれる策をいくつも探して準備しておくのだ。
たとえば、自分の詰めが甘いことがわかっているのならば、普段から、緻密な人を見つけておくべきだ。
別にその人と仲良くならなくてもいいから、ちゃんと適任者を見つけておく。
で、いざという大事なときに、自分のそばにいてサポートしてくれるように頼む。
こういう、うまくいっているときにやることっていうのは大事だなと思う。
病院探しもそう。
リスク管理といえるのかな。
「現代ヤミ市 山本七平・岸田秀「日本人と『日本病』について」」より
「すべからく」を「すべて」の意味で用ゐるのは間違ひである。高島氏は「すべからく」の行く末を嘆いてゐるが、呉智英は「すべからく」を「すべて」の意味で使つてゐる人間を嘲笑つてゐる。
・・・ このあたり、岸田自らが立脚する「唯幻論」そのものという感じであるがもっとズサンな所は他にもある。岸田はケンカについて、こう言う。「日本人のけんかというのは、すべからく『怨みを晴らす』という形」。意味不明の日本語だ。岸田は「すべからく」を「すべて」の高級表現だと思っているのである。「すべからく」は漢字で書けば「須らく」で、意味は「ぜひ(〜をせよ)」であり、つまり「すべからず」の反対語である。早大文学部卒、和光大数授(「教授」の誤植だろうな、単なる)の岸田センセは、本書の中で日本語の動詞の語尾変化についても論じていらっしやるが、「ク語法」(高校古文で習う)については御存知ないらしい。否、センセだけを非難してはいけない。管見の範囲では、評論家・上野昂志、同・川本三郎、演劇家・唐十郎、詩人・鈴木志郎康などが「須らく」を「全て」の高級表現と思い込んで使っている。この四人に共通することは、いわば反権威・反規範主義である。そういった人たちが文法規範に無知であること自体はかまわないとしても、「全て」と平易に言えばすむものを、高級表現だと思って誤用する心は皇室と縁組したがる成金のようで、卑しい。その卑しさがファシズムを生んだとするのが、単純化して言えば、心理学者・フロムの説である。そこまで見すえた時、初めて、個別科学である心理学が、説明原理を支える一柱となりうるのだ。
So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース
平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントをトラックで突破するときでした。
それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、
結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。
そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
(中略)
さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、
「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、
本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。
戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。
第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
例えば、ナチス政権下のドイツやスターリン時代のソ連やポルポト政権下のカンボジアで
空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。
すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、
マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia
原題直訳の「いじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。
何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。
そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、
たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、
いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、
「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。
Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本
ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学の心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。
実験は第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年に逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマンの裁判を受け、
「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。
彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた
はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会
CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連
いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜
大学側の調査に対し、
関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため
<幼児性愛犯罪>「投薬去勢」も視野に規制強化…仏大統領 | エキサイトニュース
サルコジ大統領は強硬な犯罪対策論者として知られており、先の大統領選挙戦中も幼児性愛者などについて「生まれつきの性癖。(10代の自殺者も)生来の悲観性から自滅しやすい」と優生思想を展開し、心理学者らから批判を浴びた。
優生思想って、誰でも持ってる差別の根源となる思想だな。表に出したら問題になるが、持ってない奴なんてほとんどいないだろう。持っていないのは、優生思想に於いて劣生扱いされる立場の人間だけだろうな。
そしてこの思想こそが、核兵器よりも生物兵器よりも化学兵器よりも、人間の命を奪って来た代物だ。ダーウィンの進化論が人類の命を最も奪ったと言われているようにな。嫌韓・中・朝主義者の思想もこれだ。