2008-02-06

大きな失敗をして凹んでいる私へ

職場なり、プライベートなり、とんでもなく大きな失敗をしてしまい、当分は立ち直れない状況に陥ったことは無いだろうか?

私は今がそうだ。

超凹んでいた。いや、いるかな。

痛い。心が痛い。

で、今日は、職場の仲間に慰めてもらった。もちろん本質的な慰め&精神的回復では無いが、すごくやさしくてありがたかった。

わざわざ餡蜜を買ってきてくれて、いっしょにお茶をした。

元気出してねとさ。

当初この職場は非常に不本意であったが、ここに来て良かったと初めて口にした日だった。

昨日から本を読もうにも、何をしようにも、何せハートが痛いがために、全然頭に入らない。

というか、もう集中できないのだ。

ということで、今日は、仕事を早々に切り上げ、行きつけの(接骨院?)のマッサージに行った。

やっぱりいつもどおり先生は優しい。

すんごい凝ってるねぇ、と言いつつ、腰の痛みの原因を見事に見つけてくれて、大変だったの?とやさしく話しかけてくれる。

昔、「ドラゴン桜」に出てきた台詞を思いついた。

「人は、落ち込んでいる時こそ他人の言うことが素直に吸収できるんだ!」とかなんとか、そんな台詞だったと思う。

まさに今の自分だ。

人の温かさや感謝の気持ちが出てくる。

この職場引っ越してきたこの町も不本意ではあったが、さんざん文句を言いながらも、こんなやさしい所は私にはありがたいところなんだと思う。

悪いと思っていたものが良いと思えたり、その逆もあったりと、人間の思考なんてその場その場で変わるものさ。

で、ちょっと思ったこと。

落ち込みから回復までいくつかの段階を経るんだと思う。(私は心理学者でも何でもないので、あくまで経験上感じたことです)

つまり、痛み、身に起こったことの客観的な分析、学習etcという段階を踏むんだと思う。

落ち込んだ最初の段階には、まずひどい精神的ショック、痛みが来る。

泣いたり、わめいたり、ボーゼンとなったり、集中力散漫、眠れない、胃の痛み、言い訳(受け入れられない)、暴飲暴食、OD、などなど。

もう本当にどうしようもない、ある意味パニックなのだ。

頭の中は、「御先真っ暗」な状態でしょう。

この時期は、応急処置が必要。

でもね、このめちゃくちゃ痛い段階のときに、外界からの慰めの手をもらうのはとても大切なことだと思う。

もちろん、痛みの即時的緩和という効果もあるんだろうけど、

もし、この段階を一人で乗り切ってしまうと、その後屈折した性格を形成してしまいそうな気がする。

トラウマになったり、他人に対してすごく意地悪になったり、色んな屈折した結果は出たり、何らかの傷のままになってしまうように思う。

骨折したものをちゃんと整復せずにそのまま痛みに耐え続けて結局曲がったまんまになっちゃみたいな。

反対に、この痛みの段階に、外部からエネルギーをもらっておくことは、「ありがたい」、「感謝」という健全な思考を身につけるプロセスになるのではと思う。

それに、早期に次の客観的な分析、学習の段階へ移行できるという効果も期待できる。

この時期にぐっと絶えるというのは我慢強いのかもしれないが、ちゃんと甘えるというのは、この落ち込みからの正常な回復を促す重要な要因となるのではと思った。

人に甘える勇気を持とうと思った。

ここで、適切に何かに甘えることが出来れば、屈折した自分よりは、感謝の自分へと成長する可能性が高いように思う。

外部からエネルギーをもらうというのは、何も、街中であるような手かざしじゃなくって、大丈夫?と言ってくれる人がいるとか、そういうことだ。

実際に中々そんな友好的な人間関係身の回りにあるとも限らないので、他にも色々手を考えておく必要がある。

たとえば、好きな映画を見るとか、猫を抱っこするとか、美味しいケーキを食べるとか、友達としゃべるとか、何でもいい。

この痛い段階に必要なものは、一見、「軽い」と見られるような、いわば「気を紛らわせてるだけジャン」的なもののほうが有効だと思う。

この痛みの段階にある自分に、向上心を持てとかそんな、自己啓発物はムリムリ。

まずは、このパニック段階を脱して、冷静になることだ。

そのためには、一見くだらないことでもなんでもいい。

大事なのは、この痛みの段階にある自分にとって、(その場限りの応急処置として)何が効果的なのかを認識しておくこと、そして、準備しておくことだ。

私の場合はやっぱり人に話を聞いてもらうことだ。

あと、マッサージしてもらうこともとても良い。

この段階の応急処置は、次の学習の段階へとつながるものだから、実は、大切なんだと思う。

さて、なんとかパニック状況を脱したとする。

ここでは少し冷静に、なぜそんな失敗をしてしまったかの分析から始まり、もう少し上位概念(私の場合で言えば、最後の詰めが甘い!)を引き出し、それに対処すべく方策をいくつか考え、今後に生かすという大事な振り返りがある。

今回の大失敗の原因だけじゃなくて、原因の原因というか、大きめに失敗の原因をつかんでおく必要がある。

類似の失敗を今後も起こす可能性があるのだから。

あと、今回のような失敗をしなかったらどんメリットがあるのかもちゃんと認識しておく必要がある。

たとえば、今回みたいな失敗をしなければ、自分の上司のことをこれ以上悪く思わなくて済むだろうし、人のせいにしなくて済む、人を嫌いにならなくて済む、余裕を持って振舞えるとより有益なアドヴァイスを引き出すことが出来たかもしれない。などなど。自分のことを考えてもたくさんある。

つまり、失敗すると悪循環ばかりだ。これを再認識しておく。

こういう見方をすると、物事をより多面的に把握することができる。

ダイエットに失敗ばかりの自分が言うのもなんだけど、もし今より5キロやせているとどんないいことがあるのか、認識が甘いんだろうと思う。

さらにもう一つ。

うまく行っているときにこそ、自分の弱点を補ってくれる策をいくつも探して準備しておくのだ。

たとえば、自分の詰めが甘いことがわかっているのならば、普段から、緻密な人を見つけておくべきだ。

別にその人と仲良くならなくてもいいから、ちゃんと適任者を見つけておく。

で、いざという大事なときに、自分のそばにいてサポートしてくれるように頼む。

こういう、うまくいっているときにやることっていうのは大事だなと思う。

病院探しもそう。

リスク管理といえるのかな。

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