はてなキーワード: 心理学者とは
レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いてから、DDTは悪者になり、環境保護主義者が台頭するようになった。
環境保護主義者が活動し、DDTがどんどん禁止されていったせいで、何が起こったかというと、マラリアのコントロールに失敗した。
その結果、失わなくてもいい人命が、数千万単位で失われた。
環境保護主義者は大量殺人者で、先導したのはレイチェル・カーソン。もっとも、彼女にはそのつもりは無かったかもしれないが。
環境のためなら、人間がちょっとくらい死んだっていいんだよね。
60億以上も居て、大きな環境負荷になってるんだもん。マラリアで死ぬほうがかえっていいくらいだよね。
環境保護主義者はそんな人たち。
最近だと、DDTの血中濃度と乳がんのリスクが関連してるっていう報告もあったけど
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/research/ehp/07_10_ehp_DDT_Breast_Cancer.html
そんなことはありそうにないって反論も出されてる。反論が出されるのってわりと珍しいんじゃないかな。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pubmed&pubmedid=18414606
で、DDTだけじゃあきたらず、今度は有機リンが危険とか言うんでしょ?環境保護主義者は。
日本だと、有機リンが化学物質過敏症の原因になってるとか言ってる人たちがいて、禁止に向けてがんばってる。
じゃあピレスロイドだといいのか、っていう話になるんだけど、ピレスロイドも化学物質過敏症の原因になるとかいって反対しる。
http://homepage2.nifty.com/smark/YukiRIN.htm このへんとか。
大体、化学物質過敏症なんて心因性じゃないかと疑われてるくらいなのに・・。
WAOニュース2007年3月(http://www.jsaweb.jp/wao/wao0703.html)では、
過敏症とは「正常被験者には耐えられる一定量の刺激への曝露により、客観的に再現可能な症状または徴候を引き起こす疾患をいう」と定義されているので、化学物質過敏症は過敏症の定義からはずれてしまう。今後は、過敏症としてアレルギー学者が扱う研究課題ではなく、心理学者、神経学者が扱う研究課題になるであろう。
なんて言われてるし。
あとは・・ピレスロイドには女性ホルモン活性があるとかもたまに言い出す人がいる。
ネオニコチノイドも、化学物質過敏症の原因になるとか言い出す。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_08/pico_114.html
http://tabemono.info/report/former/12.html
じゃあ何使えばいいのさ。
殺虫剤を使わなければいいの?
他所の国でマラリアで死ぬのは一向にかまわないし、ウエストナイル熱が発生しても関係ないし、
病害虫のせいで農業生産がおちても、しわ寄せが来るのは他所の国だし、私たちは農薬使ってない安全な食物が食べたい。
っていうのが、環境保護主義者なんでしょ?
筋萎縮性側索硬化症と殺虫剤が関係あるって言われてたけど、関係なかったし
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2008-04/aaon-cem040208.php
ピレスロイドの高暴露群では化学物質過敏症の人はいなかったし、
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18344101
どこをどう見ても安全なのに、環境保護主義者がごねてるだけなんでしょ?
そのせいで、間接的に、大勢の人を殺してる。
犯罪的だと思います。
あのな、もう論点が食い違いまくってるのさ。
君の言う「用心しろ」は2つの意味を持ってくる。
1.『備えあればうれしいな』
うん。そうかもね。でも強姦と殺人は社会現象で、個人レベルでなんとかできる問題じゃない。さらに言えば「備え」の掛け金が高すぎる。ちょっと疑問符だね。でももしかしたら有効な防御法があるのかもしれないけど、そんなのは犯罪心理学者や統計屋が考えるべきことで、君と議論相手の増田はたぶんそのどちらでもないから、下手の考えだ。
2.『強姦は女性にも非がある』
「そんなこと言ってない」と君は言うだろう。でも「備えていれば強姦は防げる」>「備えていなかったから防げなかった」>「そんな格好してるお前も悪い」っていう論はかんたんに展開しうる。それがセカンドレイプだ。こっちは君にも、誰でも防ぐことができる。「強姦において絶対に女性は悪くない」と信じ、そのように行動し、そしてその考えを広めることだ。
職場なり、プライベートなり、とんでもなく大きな失敗をしてしまい、当分は立ち直れない状況に陥ったことは無いだろうか?
私は今がそうだ。
超凹んでいた。いや、いるかな。
痛い。心が痛い。
で、今日は、職場の仲間に慰めてもらった。もちろん本質的な慰め&精神的回復では無いが、すごくやさしくてありがたかった。
わざわざ餡蜜を買ってきてくれて、いっしょにお茶をした。
元気出してねとさ。
当初この職場は非常に不本意であったが、ここに来て良かったと初めて口にした日だった。
昨日から本を読もうにも、何をしようにも、何せハートが痛いがために、全然頭に入らない。
というか、もう集中できないのだ。
ということで、今日は、仕事を早々に切り上げ、行きつけの(接骨院?)のマッサージに行った。
やっぱりいつもどおり先生は優しい。
すんごい凝ってるねぇ、と言いつつ、腰の痛みの原因を見事に見つけてくれて、大変だったの?とやさしく話しかけてくれる。
昔、「ドラゴン桜」に出てきた台詞を思いついた。
「人は、落ち込んでいる時こそ他人の言うことが素直に吸収できるんだ!」とかなんとか、そんな台詞だったと思う。
まさに今の自分だ。
人の温かさや感謝の気持ちが出てくる。
この職場も引っ越してきたこの町も不本意ではあったが、さんざん文句を言いながらも、こんなやさしい所は私にはありがたいところなんだと思う。
悪いと思っていたものが良いと思えたり、その逆もあったりと、人間の思考なんてその場その場で変わるものさ。
で、ちょっと思ったこと。
落ち込みから回復までいくつかの段階を経るんだと思う。(私は心理学者でも何でもないので、あくまで経験上感じたことです)
つまり、痛み、身に起こったことの客観的な分析、学習、etcという段階を踏むんだと思う。
落ち込んだ最初の段階には、まずひどい精神的ショック、痛みが来る。
泣いたり、わめいたり、ボーゼンとなったり、集中力散漫、眠れない、胃の痛み、言い訳(受け入れられない)、暴飲暴食、OD、などなど。
頭の中は、「御先真っ暗」な状態でしょう。
この時期は、応急処置が必要。
でもね、このめちゃくちゃ痛い段階のときに、外界からの慰めの手をもらうのはとても大切なことだと思う。
もちろん、痛みの即時的緩和という効果もあるんだろうけど、
もし、この段階を一人で乗り切ってしまうと、その後屈折した性格を形成してしまいそうな気がする。
トラウマになったり、他人に対してすごく意地悪になったり、色んな屈折した結果は出たり、何らかの傷のままになってしまうように思う。
骨折したものをちゃんと整復せずにそのまま痛みに耐え続けて結局曲がったまんまになっちゃみたいな。
反対に、この痛みの段階に、外部からエネルギーをもらっておくことは、「ありがたい」、「感謝」という健全な思考を身につけるプロセスになるのではと思う。
それに、早期に次の客観的な分析、学習の段階へ移行できるという効果も期待できる。
この時期にぐっと絶えるというのは我慢強いのかもしれないが、ちゃんと甘えるというのは、この落ち込みからの正常な回復を促す重要な要因となるのではと思った。
人に甘える勇気を持とうと思った。
ここで、適切に何かに甘えることが出来れば、屈折した自分よりは、感謝の自分へと成長する可能性が高いように思う。
外部からエネルギーをもらうというのは、何も、街中であるような手かざしじゃなくって、大丈夫?と言ってくれる人がいるとか、そういうことだ。
実際に中々そんな友好的な人間関係が身の回りにあるとも限らないので、他にも色々手を考えておく必要がある。
たとえば、好きな映画を見るとか、猫を抱っこするとか、美味しいケーキを食べるとか、友達としゃべるとか、何でもいい。
この痛い段階に必要なものは、一見、「軽い」と見られるような、いわば「気を紛らわせてるだけジャン」的なもののほうが有効だと思う。
この痛みの段階にある自分に、向上心を持てとかそんな、自己啓発物はムリムリ。
まずは、このパニック段階を脱して、冷静になることだ。
そのためには、一見くだらないことでもなんでもいい。
大事なのは、この痛みの段階にある自分にとって、(その場限りの応急処置として)何が効果的なのかを認識しておくこと、そして、準備しておくことだ。
私の場合はやっぱり人に話を聞いてもらうことだ。
あと、マッサージしてもらうこともとても良い。
この段階の応急処置は、次の学習の段階へとつながるものだから、実は、大切なんだと思う。
さて、なんとかパニック状況を脱したとする。
ここでは少し冷静に、なぜそんな失敗をしてしまったかの分析から始まり、もう少し上位概念(私の場合で言えば、最後の詰めが甘い!)を引き出し、それに対処すべく方策をいくつか考え、今後に生かすという大事な振り返りがある。
今回の大失敗の原因だけじゃなくて、原因の原因というか、大きめに失敗の原因をつかんでおく必要がある。
類似の失敗を今後も起こす可能性があるのだから。
あと、今回のような失敗をしなかったらどんなメリットがあるのかもちゃんと認識しておく必要がある。
たとえば、今回みたいな失敗をしなければ、自分の上司のことをこれ以上悪く思わなくて済むだろうし、人のせいにしなくて済む、人を嫌いにならなくて済む、余裕を持って振舞えるとより有益なアドヴァイスを引き出すことが出来たかもしれない。などなど。自分のことを考えてもたくさんある。
こういう見方をすると、物事をより多面的に把握することができる。
ダイエットに失敗ばかりの自分が言うのもなんだけど、もし今より5キロやせているとどんないいことがあるのか、認識が甘いんだろうと思う。
さらにもう一つ。
うまく行っているときにこそ、自分の弱点を補ってくれる策をいくつも探して準備しておくのだ。
たとえば、自分の詰めが甘いことがわかっているのならば、普段から、緻密な人を見つけておくべきだ。
別にその人と仲良くならなくてもいいから、ちゃんと適任者を見つけておく。
で、いざという大事なときに、自分のそばにいてサポートしてくれるように頼む。
こういう、うまくいっているときにやることっていうのは大事だなと思う。
病院探しもそう。
リスク管理といえるのかな。
「現代ヤミ市 山本七平・岸田秀「日本人と『日本病』について」」より
「すべからく」を「すべて」の意味で用ゐるのは間違ひである。高島氏は「すべからく」の行く末を嘆いてゐるが、呉智英は「すべからく」を「すべて」の意味で使つてゐる人間を嘲笑つてゐる。
・・・ このあたり、岸田自らが立脚する「唯幻論」そのものという感じであるがもっとズサンな所は他にもある。岸田はケンカについて、こう言う。「日本人のけんかというのは、すべからく『怨みを晴らす』という形」。意味不明の日本語だ。岸田は「すべからく」を「すべて」の高級表現だと思っているのである。「すべからく」は漢字で書けば「須らく」で、意味は「ぜひ(〜をせよ)」であり、つまり「すべからず」の反対語である。早大文学部卒、和光大数授(「教授」の誤植だろうな、単なる)の岸田センセは、本書の中で日本語の動詞の語尾変化についても論じていらっしやるが、「ク語法」(高校古文で習う)については御存知ないらしい。否、センセだけを非難してはいけない。管見の範囲では、評論家・上野昂志、同・川本三郎、演劇家・唐十郎、詩人・鈴木志郎康などが「須らく」を「全て」の高級表現と思い込んで使っている。この四人に共通することは、いわば反権威・反規範主義である。そういった人たちが文法規範に無知であること自体はかまわないとしても、「全て」と平易に言えばすむものを、高級表現だと思って誤用する心は皇室と縁組したがる成金のようで、卑しい。その卑しさがファシズムを生んだとするのが、単純化して言えば、心理学者・フロムの説である。そこまで見すえた時、初めて、個別科学である心理学が、説明原理を支える一柱となりうるのだ。
So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース
平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントをトラックで突破するときでした。
それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、
結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。
そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
(中略)
さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、
「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、
本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。
戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。
第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
例えば、ナチス政権下のドイツやスターリン時代のソ連やポルポト政権下のカンボジアで
空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。
すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、
マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia
原題直訳の「いじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。
何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。
そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、
たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、
いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、
「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。
Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本
ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学の心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。
実験は第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年に逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマンの裁判を受け、
「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。
彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた
はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会
CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連
いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜
大学側の調査に対し、
関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため
<幼児性愛犯罪>「投薬去勢」も視野に規制強化…仏大統領 | エキサイトニュース
サルコジ大統領は強硬な犯罪対策論者として知られており、先の大統領選挙戦中も幼児性愛者などについて「生まれつきの性癖。(10代の自殺者も)生来の悲観性から自滅しやすい」と優生思想を展開し、心理学者らから批判を浴びた。
優生思想って、誰でも持ってる差別の根源となる思想だな。表に出したら問題になるが、持ってない奴なんてほとんどいないだろう。持っていないのは、優生思想に於いて劣生扱いされる立場の人間だけだろうな。
そしてこの思想こそが、核兵器よりも生物兵器よりも化学兵器よりも、人間の命を奪って来た代物だ。ダーウィンの進化論が人類の命を最も奪ったと言われているようにな。嫌韓・中・朝主義者の思想もこれだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070808143254
利他的行動をエロスと説く人もいるけど、私はどちらかというとアガペと説きたい人。
もちろん、all-or-nothingでどちらかでないといけない、というわけじゃないと思うけれど。
たとえばアガペを土台にしたエロスは夫婦の絆を非常に深めると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070808133311
「心の中の“善い自分”と“悪い自分”が戦っている」というのも、ここでいう「動機」のうちに入るかな? 一元論じゃなくて二元論だけど。
・善い自分が勝てば、勤勉とか誠実とか謙遜とか慈愛とか自制といった結果につながる。
・悪い自分が勝てば、怠惰とか不誠実とか傲慢とか憎しみとか貪欲といった結果につながる。
・人間の行動は、この“善い自分”と“悪い自分”が戦った結果として表れるもの。
といった感じのもの。
この説の信奉者は、哲学者や心理学者よりも宗教家に多いかも。特にキリスト教。元ユダヤ教ファリサイ派だったパウロの言葉とか。
人間が善悪二面を持つのは、「人間は神の像に造られたので本質的に善だが、後にアダムとイヴが禁断の木の実を食べた時に悪の心が入った」とか、そんな感じだったっけ。
#これもやや単純化しているきらいはあるけど……
あと、「性欲だよ」と「死への恐怖だよ」はコインの裏表、という説もあるかも。生への欲求と、死の嫌悪。